月曜日、俺は命を落とした

通行人C「左目が疼く…!」

はじめに

「あれ、命がない。」



それに気が付いたのは何の変哲もないはずだった月曜日の朝。

普段通りに会社に出社してきて自分の席に座ろうとした、まさにその時だった。

引こうとした椅子の背もたれを半透明な指先が透かしていた。



普段通りのオフィスだ。

パソコンや書類に向かうもの、ホウキや塵取りを手に足を運ぶもの。スーツの彼らは自らの仕事をこなしていく。

そこに目立った会話はなく業務連絡を二言三言かわすぐらいの静かな部屋。

晴れ晴れとした朝の光を受け止めたガラス窓がそれを部屋の中に溢していて、少し開いたその隙間から吹く風が白地のカーテンを音もなく揺らしている。

窓際の観葉植物が葉を伸ばしてその光を受け止めていた。青々としたそいつは背筋をピンと伸ばして凛々しく立っているのだった。



毎日見る朝の光景だ。

ただ一つ違うのは自分の席の椅子が引けないくらい、スーツ姿の見知った顔がさっきから俺をすり抜けて歩いていくことぐらい。

そのぐらいのことだった。



その、ぐらいの…。



あんまりの事態に一瞬状況が呑みこめず固まった。

何かの見間違えじゃないか、そう考えて自分の手のひらを目の前に掲げてみる。

やっぱり透けて見えるのだった。

うん、間違いなく透明だ。向かいの席の山田君がよく見えるぞ。

手のひら越しでもカタカタとパソコンのキーボードをたたく彼をしっかりと捉えることができた。



少し、悪戯心が沸いてしまう。


「おーい、やーまーだー。山田―?おーいって。」


その山田の前で手を振ってみても、無反応。

しめしめこれは実に面白いぞ。今この時を楽しまないなんて損だ。

続けざまにくるくると係長の前で踊ってみても、口うるさい専務の前で変な顔をしてみても全くの無視。見えてはいないようだ。




ほほう、なるほど。すれ違った社内の人にあいさつをしても素通りされた理由はこれだな。

と数分前のことを思い出す。

何を隠そう、…いや全く隠してはいないのだけど。まあとりあえず俺は出勤時のあいさつは入社して5年間忘れたことがない。

新人の頃から現在の今の今までバイトだろうが後輩だろうが掃除のおばちゃんだろうが関係なしに明るく大きな声でがモットーなのだ。

うちの社長にも「いつも元気で素晴らしい」とお褒めの言葉をかけてもらったことさえある。

ほかの社員たちもこちらがあいさつをすればにこりとせずとも返してくれるのが常であった。



しかし、今日はそれがなかった。

突然のことで正直びっくりした。無視するほど嫌われるようなことをしてしまったのかと結構傷ついていたけど…、そんなことはないようでよかった。

ほっと胸をなでおろす。




いやいや、まてまて。安心している場合じゃないぞ。

俺の命は今どこにもないんだから。

このままじゃ周りに見えないどころじゃない。この世のすべてと永遠におさらばだ。

ふざけて悪戯なんかしていた自分が恥ずかしくなる。



急いで手に持っていた鞄の中を漁った。


「早く見つけねえと!」


こちらも何やら半透明で、中身も同じく半透明なのだ。一見しただけでは何があって何がないのかわからない。これじゃ、細かいものは見落としてしまう。

しかし、どんなに漁ってもそれらしきものは見当たらない。

今度はポケットに手を突っ込んでみる。

スーツの上着、ズボンの左右、ワイシャツの胸ポケット。

こちらにもないようだ。…ならどこに?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る