体と魂 2
あのなあ、俺の命…
お前がどう思ってるかなんて知らないし思うことができるかどうかも知らないが
俺はなあ、俺は…
「生きていたいよ。」
随分とか細い掠れた声だった。
普段通りの声を出したつもりだったんだけど、どうにもうまくいかなかった。
それはあまりにもかっこ悪い、情けない声だった。
こんなところで死ぬなんてまっぴらごめんだ。
恵理子も愛海も泣かせたまま、死んでたまるかってんだ。
俺がいなくなったらあいつらは大変なんだ。
一応稼ぎ頭だからな。…恵理子なら何とかしてくれそうだけど。
そういうんじゃなくて。
恵理子には今までの分どんでん返ししてやるって決めてるんだ。世話になりっぱなしなんてかっこ悪い夫にはならないぞ。
絶対にいつかあっと驚くようなのをお見舞いしてやるんだ。
愛海には大学までちゃんと行かせてやるつもりでいる。結婚式だって参加するし、バージンロードだって歩く、そうずっと前から決めてるんだから。
それに…
今死んだらきっとしばらくはお通夜みたいな空気になる。…輝かしい7歳目の誕生日を棒に振らせて堪るかってんだ。
「出血がひどいです。早急に輸血パックを…。」
「だめです間に合いません、あと20分…。」
「しかしそれでは…。」
遠巻きにそんな声が聞こえる。
ああ、やっぱり俺死ぬのかな。
占い師さんにお礼するって言ったんだけどなあ、山田にも焼肉…。
そういえば、俺を轢いたあの青年には罰として俺の人生語りを聞かせてやろうとか思ってたんだ。
…それもできなくなるのかな。
別段、特別な人生じゃあなかった。
昔っから短気なくせに臆病で、グレるわけでもなくかといって真面目になるわけでもない。
…そんな中途半端な、よくある人生だったんだ。
でも、恵理子に出会って結婚して、…愛海が生まれた。
もう死ぬほど嬉しかったことを覚えてる。
ありきたりな表現かもしれないけど、本当に死ぬほど嬉しかったんだ。
ホントに死んでもいいとさえ思った。愛海を初めて抱き上げて幸せすぎて死ぬんだと馬鹿なことを考えていたんだった。
そんな愛海が成長し、仕事にも熱が入るようになった。
馬車馬のように働く俺を部長がほめてくれたのはいつだったかな。
そうやって必死になって働いてやっとつかんだ昇進。
そう、本当に必死に、必…死に、なって…手に入れて…。
やっと、やっと報われるはずだったんだ。
愛海に、恵理子に、ひとつ桁の上がった給料明細を持ち帰って、やれるはずだったんだ。
走馬灯のように記憶が流れていく。それがどうにも不快だった。
まるでそれじゃあ本当に死んでしまうみたいだ。
あきらめたくないんだよ。
目をつむったら涙が頬を転がり落ちた。
俺はどこにいるかもわからないそいつに言ってやりたいことが山ほどあった。
でも目の前に出てきてくれない事には何も伝えられない。
だから、これは俺の独り言だ。
「俺はなあ…生きていたいよ。平凡な人生もなかなかどうして愛しいもんだ。」
声は震えてガラガラだし顔は涙で濡れていた。
みっともない情けないばかばかしいそんな言葉がよく似合う、そう思った。
醜態と名付けてもいいぐらいだ。
実の父親が生に縋りついて涙を流す姿なんて愛海には見せられない。
透明でよかった。誰にも見られていないんだ。
ピ…ピ…ピ……ピ…
少しずつ間の伸びていく機会の音。
最後の最後まで、粘ってみようとは思うよ。俺の命を俺が俺の中に入れるのだ。
でも途切れ途切れになる音がその気力を勢いよく削っていく。
ピ……ピ……ピ…
終わりに近づくにつれ騒がしくなる手術室。
あれやこれやと走り回る看護師たちとは逆に俺は静かに「俺」を見降ろしていた。
ピ……ピ………ピ…………
早く早くどうにかしなくちゃ、俺の体が死んでしまうよ。
頼むよまだ死にたくないんだ、早く来てくれ。
お前だって…こんなの嫌だろう?お前だって俺なんだから。
ピ…………ピ…
あ、だめだ。
終わる…。
ピ…………
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ぼと
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