最終話 日々

「っ……、な、なにをしたの……?」


 離れてからも震えは止まらず、それが心臓の高鳴りから来ていることに暫くして気付く。


「なにをって……なにも……?」


 両手を挙げて笑う彼女は何だか困っているように見える。本当に意図せず起きている現象らしい。……でもなんで、そんな……??


「そっか……そういう顔もできんだね? 殺戮マシーンじゃなくてホッとした」


 戸惑っていると浮かんだ笑顔に心を握りつぶされた。くしゃっと軽々しく押しつぶされたそれは訳も分からないままに涙へと変わり、頬を伝い落ち始める。


「え、あっ、ちょ、ちょっと……! なんで泣くのよ……!!」

「わっ……わたしもッ……あのっ……」


 どうすればいいのかわからないままにそれを無我夢中で拭った。自分の感情が理解できない。どうして自分が泣いてるのか良く分からないーー。でもそれは次々と溢れてきていて、頬をなぞるたびに胸を熱くさせる。こんな感情は随分久しぶりだ。


「ぁー……あー……、やだなぁもうっ……」


 そうだ、最後に泣いたのはいつだっただろう。一番最初の世界ではいつもジュンちゃんにしがみついて弱音を吐いていた気がする。いつどこから襲われるかも分からず、無理やりに参加させられた戦いに怯えて頼って、ずっと後ろに隠れていた。でも二度三度繰り返していくうちに心が冷たくなっていって、それからはもう……なにも考えたくなくてーー。


「ッ……」

「はぁ……、ちょーし狂うなぁ、もう……」


 ぽろぽろと涙を零し続ける私にキョーコさんはハンカチを差し出し、無言で私はそれを受け取る。

 ついさっきまで殺しあっていたとは思えない距離感はなんだか懐かしかった。

 自分が案外無理をしていたことに気付かされる。ハーデスの力で食われていたのではなく、自分で蓋をしていたようだ。

 でもそうするしかなかった。気持ちに蓋をして、強くなるしかなかった。

 放っておけば最終局面まで私とジュンちゃんは生き残り、アカネさんに倒されそうになるジュンちゃんを見てハーデスの力を使う。ハーデスの力は人の命を奪うものだ。学校のみんなを、電車の中の乗客を。私は力を使うたびに皆殺しにし、そして今もまた東京全体を巻き込んだ。思えば、そんなものに耐えられるほど私の心はきっと強くなかった。自分が思っているよりも弱く、情けない人間だったんだ。ハーデスの力を借りて強くなった気でいただけで。私自身の心は弱いままだったんだ……。


「っ……」


 でも、そうも言っていられない。そんなことで挫けていたら本当に終わりが見えてこなくなる。だからーー、


「ごめんね、ごめんね、キョーコさん……、もう平気だからっ、ちゃんと殺すからねっ?」


 ちゃんと、終わらせる必要がある。

 借りたハンカチはポケットにしまった。洗ったところで返すことはできないだろうけどそのまま返す気にはなれない。

 ゆっくりと鎌を構え、できる限り痛くないように一撃で仕留めようと心がける。

 けれど、体は思うように動いてくれなかった。振り下ろした鎌は地面に突き刺さり、鈍い音を立てては虚しく風が鳴く。


「殺すって、あんたねぇ……? そんなになってまでまだ戦おうっての健気すぎて私も泣けてきそーよ」


 そうやって呆れたように近寄ってくると今度は前からぐいっと抱き寄せられた。


「わわわっ?!」


 力が入らなくて、ただされるがままに身を任せる形になった。……案外心地が良い。

 彼女にしてみれば昨日の今日出会ったような相手なのに、それもいつ牙を剥かれてもおかしくない関係なのに、こんな風にできるその度胸に驚かされる。


「やっぱさー、殺されんのは怖いし、できることならなんとかしたいんだわ。ねぇ? 泣き虫なったところで他に手はないの? 神様ぶっ倒すとか、いい感じの方法」


 静かな。海の調べにも似た声が頭の上から降りてくる。黙って目を瞑るとなんとも柔らかい香りにささくれた気持ちが凪いでいくようだ。


「無理だよ……、どっかで決着をつけなきゃ私たちは必ずいつか殺し合うことになる。停戦協定を結んだからって、誰かが必ずそれを破る。……叶えられる願いがそこにあるんだもん。当たり前だよ……」


 私たちの願いは神様に「叶わない」と断言されている。それを信じる信じないは個人の勝手だけど、神様が神様であることに変わりはない。別に神様たちが「叶わない」と決めたわけではなく「叶わない事を知っている」だけの話で、彼らが私たちにどうこうした話じゃない。

 叶わないものを叶わないと言っているだけで、それ自体は何も変わらない。だからそれを覆すことができるのだとしたら、私たちが願う以上のことができるのだとしたら……叶えたいと、覆したいと望んでしまうのは仕方のないことなのだと私は思う。

 事実、幾度となく私たちはそのための殺し合いを繰り返した。祈り、願い、望んでーー、そうして見失った。自分の願いを、願いを叶えることで得られる未来を見失った。


「でも……、ようやく決心がついたんだよ……? なのにこんな……」


 人に殺されるのは怖い、だけどそれ以上に人を殺すのはもっと怖い。

 いつの間にかハーデスの力を使うことに慣れてしまっていた自分が恐ろしい。

 それが人間なのだと耳元で囁く声がするけれど、言われなくともそう思っていた自分が信じられない。それでもこの人たちを殺して前に進むことをようやく決めたのに、そんなーー。


「自分の願い事がないからって周りのことあーだこーだ考えすぎてんのよ。バランスってむずいわな?」

「ぁ……」


 アカネさんがこの人を守りたいと思った理由がわかる気がする。凝り固まっていた心をそっと優しく解してくれているような、不思議な感じ。


「やっぱ海の神様の巫女だからかな」

「ん?」

「んーん、こっちのはなし」


 穏やかな波の調べが聴こえてくるようだ。……だからすぐそばで足音が聞こえた時もそう焦りはしなかった。例えそれが殺意に満ち溢れたものであっても。


「……きょーこさんからはなれなさい……」


 顔を上げればボロボロのアカネさんがこちらに剣先を向けている。立っているのもやっとだろうに殺意を杖にして必死に耐えていた。


「アカネ……」

「もう一度言います……、キョーコさんから……はなれなさ……?」


 言い切る前に私の体は宙ぶらりんになり、頬を打つ音が辺りに響いていた。


「ぃ……?」

「っ……」

「きょっ……きょーこ……さん……?」


 頬を赤く腫らしたアカネさんは呆然とキョーコさんを見つめ、つぶやく。

 何か言いたげだったけれどそのまま肩を持って押しとどめられ、キョーコさんは叫ぶ。


「このバカネ!!!」

「は……?」


 呆然と目を丸くするアカネさんを前にキョーコさんは肩を掴んだまま呻いた。


「確かにこんなふざけな事に巻き込まれて迷惑してたし、どうすればいいのかわかんなかったけどさッ……身知らずのあんたに守ってもらうような義理はないわよッ……バカ! このっ、バカネ!!!!」

「バカネってあの……」

「呼びやすい」

「いえ、でも……」

「呼びやすい」

「あの……できれば……、その……?」


 ごにょごにょと言い訳を重ねようとするアカネさんに対し、キョーコさんは睨んで言葉を続ける。自然と肩を掴む手に力が入っているようだった。


「いいッ? 私とあんたの間に何があったかは知んないけど今の私とは初対面なの、まだ一回しか話したことないの! それなのに一方的に親友です守ってあげますって、そんなのこっちはどうすりゃいいかわかんないじゃないの? 身勝手になれってわけじゃないけど別に自分が第一で良いじゃん。でも自分の事も大切にしなきゃダメじゃん!? 違う!?」


 無茶苦茶だった。彼女自身頭の中が整理できていないんだろう。でも、想いは伝わる。


「余計なお世話だって言ってんのよ! わかる!? バカネ!!」


 やあやああって固まっていたアカネさんも考えが追いついてきたのか徐々に膨れ、目を釣り上げると反論した。


「そうはいいますけれど、そもそもあなたが悪いんじゃないですか! 突然私と桃井さんの戦いに割って入ってきて、私を助けたりするから!! その癖自分はさっさと死んで、残された私の身にもなってくださいよ!? 一人かっこよく死んであなたは良かったかもしれませんけど私はどうしようもないじゃありませんか!」

「あのねッ!? 私の知らない世界のことであれこれ言うのやめてくんない……!? さっきも言ったけど初対面なの! 初めましてなの、わかる!?」

「わかりませんッ! わかりませんよそんなこと!! だって私は……! 私はずっとあなたのことを……!!」


 痴話喧嘩に発展した二人を眺めてどうしたものかと宙を仰ぐ。さっきからハーデスが頭の中でゲラゲラゲラゲラと煩かった。


「っーー?」


 バチンッ、ともう一発。鋭いビンタの音に思わず目をつむった。


「……バカネ。ほんと、あんたバカネだわ」

「……痛いですわ……」


 両頬を赤くしてアカネさんは目に涙を溜めている。それでも構わず、キョーコさんは謝ろうとはしなかった。


「あんたの知ってる私はこんなことした? あんたの知ってる水島キョーコはこんなに暴力的だった? 違うでしょ、私は私。他の私を重ねないで」

「っ……、確かに……そうですけれど……」

「いい? 私とあんたはハジメマシテ、こっから始めんの、わかった?」

「わ……わかりました……」

「うしっ!」


 半ば強引に押し切り何処かキョーコさんは何処か楽しげだった。徐々にアカネさんもつられるようにして笑い、首をかしげる。


「でも……そういうところは貴方らしいですわね……?」

「……ふんっ」


 呆れたように視線をそらして溜息を零したのはきっと照れ隠しだ。アカネさんは嬉しそうに微笑むとそっと打った方の手を掴み、包み込み涙を流した。


「ごめんなさい……、ごめんなさい、ほんとうに……」

「……なんでそうなるかなぁ……もう……」


 困ったように頬をかきながらも空いた手で赤くなった頬に触れる。


「……わるかったね。アカネ」

「……いえ?」


 嘗ての二人を知っている私からすればその光景はとてもしっくりくる。……けれど多分二人も同じことを考えているんだろうと思った。記憶はなくとも通じ合うものはあるハズだ。消されても、残っているものがあったはずだ。私はそう思いたい。


「…………」


 私は手に持っていた武器を見上げ、ようやくハーデスに向き合う。笑い続ける神様は耳障りで仕方がない。


「狩り取った人の命を返して。……できるでしょ」


 有無は言わせない。過去の世界でそれができることは実証済みだった。使い切った分の命は帰ってこないけれど、返せるものは返す。帰らなかった命はこの力を使った代償だと私は背負って生きていく。


『全員殺してもう一回リセットしちまえばいいんじゃねぇのか?』 


 神様は人を馬鹿にしたような声で私の神経を逆撫でしてくる。

 私は溜息まじりにそれに答え、こちらを見つめる二人に目をやる。後ろの方では起きてきたジュンちゃんがサナエさんを抱えおこしていた。お願いすればサナエさんの力でケガ人はどうにかなるはずだ。


「なかったことにするのは簡単だけど、それじゃ意味がないと思うから」

『ふーん?』


 その返事を合図に冥界神の鎌は薄く光を放つとゆっくりと四散し始め、そこに集められていた魂は元あるべき場所へと帰っていった。

 こんな大量な魂が一度に冥界に行けば困るのはハーデスだろうに。……事務仕事は部下にやらせると言っていたから関係ないか。他愛のない考えに戦いが終わった事を意識する。いや、終わってはないかも……先延ばしにしただけだし。


「この通り、私はもう戦わないよ? ……アカネさんは?」


 確認するまでもないけれど儀式みたいなものだ。自然と、笑顔が浮かんでいた。張り詰めていた緊張の糸が解けているのがよく分かる。


「キョーコさんに嫌われたくはありませんもの……、とりあえずは休戦ですわね?」


 いつの間にか杖代わりになっていた剣を放り投げーー、しかしそれは地面に着く前に消えてしまう。

 問題は何一つ解決していない。奪われた命は帰ってこないし、願い事はどんなに願ったところで叶わない。

 もしも私たちの誰か一人でも「叶えたい」と祈ってしまえばゲームは再開されるし、殺しあうハメになる。それは失敗してきた記憶がよく知っている。だけど、当たり前の事だけど、ここから先の記憶はそこには含まれていない。どうなるかなんて、私たちには分からない。


『いつ襲われるかも知れねぇ生活にいつまで耐えられるか見ものだな』


 この通り、平和な日々はそう長く続かないことをきっとこの神様は知っていて、私をおちょくっている。停戦協定はいつか破られ、神様に祈ったところで叶いはしない願いを自分の力で叶えるために命を狙い始める。

 たぶん、それは変えられない未来なのだろう。


 これは偽りの平和なのだろうーー。


 それでも私たちは分かりあおうとすることはできるはずだ。

 人と人は分かりあうことのできない生き物で、自分の願いの為になら他者の命を犠牲にすることができる生き物なのだとしても、共に生きることはできるはずだ。戦いをやめることは出来ないかもしれないけど、それでも、戦わないことはできるはずだ。


「そういう戦い方だってあるはずだよ」

『カカカ』


 こんな私たちのことを神様はきっとバカにしてる。

 でも、それでもいい。いつか殺し合う日が再び来るとしても私たちは。


「信じたいと思うから信じるんだ」


 その言葉に対してハーデスは何も言わなかった。ただ、鼻で笑って気配を消していった。またどうせすぐに神の力に頼ることになるとでも言いたげに静かに姿を消していった。


 ……もう二度と、あの力を使いたくはない。


 そんな風に願ったところでその願いは叶いはしない。

 そう、神様が告げている。私たちの願いは叶わない、と。


「でも、望むことはできる。それを避けようとすることはできる」


 例えそれが、叶わないとしても。実ることのない、不毛な努力だとしても、私たちは戦い続けることはできる。


「ん……」


 突然雲の切れ目から差し込み始めた日差しに眼を細めた。眩しい。まるで天使が降りてきているみたいだ。それらに照らされるアカネさんとキョーコさんは綺麗だった。なんだかその光景は絵になって、見ているとホッとする。あるべき姿に収まったことに何処か安堵している。


「おう」


 短くかけられた言葉とともに後ろから肩を叩かれた。振り返るとそこに立っていたジュンちゃんが立っていて、サナエさんはプンスカと怒っている。とりあえず私は拝んで謝る。それしかできないから。


「アカネさんも、ごめん」


 ついでのようにはなるけど、ちゃんと謝っておく。まだ終わってないとしても、とりあえずの区切りとして。


「構いませんわ? それが、生きるということでしょう?」

「ありがと」


 笑って微笑むとビルの陰からピンクの頭がこちらを伺っているのが見える。その手には大きな斧が握られていて気付いたキョーコさんが大きくため息をこぼす。一難去ってまた一難。

 結局のところ何も終わってないんだってことをすぐに思い知らされた。

 

 でも、


 傷だらけの私たちだけど、何一つ、問題の解決していない私たちだけど、

 誤魔化しながらも生きていけるのならそれでいい。

 いつか、誤魔化しが効かなくなるその時まで、私たちは戦い続けながら、生きていく。

 例え、神様に否定されていようとも、例え、願いが叶うことはなくとも。


 私たちは、生きて行くんだと、


 そう、青空に誓った。

 

【 続 】

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ロストデイズ 葵依幸 @aoi_kou

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