第10話
*
叫んだことは覚えている。しかし、記憶はいったんそこで途切れた。
気がついたのは、宿のベッドの上だった。
大事なときに爆睡していたので、何が起きたのか分からない。
「あの人はどうなった?」
「反省の欠片もない。協会の管理部門に引き渡してやったよ。お前から一度離れたときに、連絡取って呼びつけてたの。あいつら来るの遅かったけどな!」
ベリルはそうか、と肩を落とす。騙されたのは自分が悪いが、それでも、悪いことをしたと相手が少しでも思っていれば、まだ、改心に役立てたと思えて気が楽なのだが。
分かりあえないこともあろう。
「怒らないんだな?」
「なぜ?」
「な、ぜ?」
メリンダが怖い。威圧感のある、怒りのひしひしと感じられる笑みだ。ベリルは首をすくめて、自分にかけられていた掛け布を握りしめた。
「殺されかけたのに、私が彼女を責めないでいるから、君は怒っているんだろう? 自分自身を大事にしない者を君は嫌っているから」
「大変、よく。できました!」
誉められていないことは分かった。
「だが彼女はこれから、法と術によって裁かれるのだろう? 私にできることはないよ」
「怒ることも?」
「情けないが、騙されたのも悪い」
「そうか。……ちなみにね、彼女はずっとふてくされていたが、ベリルが生きていると知ったときだけ、どこかほっとしたように見えたよ。言いたくないけど」
「そうか」
「ほら。すぐほだされる」
メリンダがベリルの頭や背中を撫でる。痛いところがないか聞かれて、大丈夫だとベリルは答えた。部屋の、粗末な椅子に腰掛けていたエンシェントが、にこにこしながらこちらを見ている。メリンダが気づいて顔をしかめた。
「何だよ見るな」
「見るよ。見ても減らないよ」
「減る。こっちの忍耐力が減る」
「それは考えなかったな。それはともあれ、本当に体におかしなところがないかい?」
後半はベリルに向けて、エンシェントが問いかけてくる。ベリルは頷き、死んでいる身で言うのもおかしいが、健康だと思うと答えておいた。
「そうか。……本来、勝手に幽霊もどきなんていう、意味の分からない者を実体化させたり、不安定で危険極まりない行為は、許されないのだけれどね」
「それはっ……私が、また幽霊に戻らなければならないと、いうことだろうか」
掛け布を握りしめる指が、震えてしまう。
土の中は、生きた人間の感覚を持つ者にとっては、住みづらい。怖い。できればもう、そこへは行きたくない。自分の体が埋められたままになっているとしても――魂までは、とらわれたくない。
エンシェントは即座には否定せず、微笑んだまま、ベリルが自分を見るのを待っている。
ベリルが顔をあげて様子をうかがうと、
「君は、塔に戻りたくない?」
「……許されるのであれば」
虫のいい相談だ。メリンダは、ベリルに思い入れを持って接してくれるが、御使いもそうとは限らない。
エンシェントは、睨んでくるメリンダには一瞥もくれないまま、柔らかく言葉を継いだ。
「君は、協会のために約百年間、塔を支えていた。それほど魔術師としての力も強くはなさそうだし、悪い者でもなさそうだ……自由にさせても、すぐには害にならない気もする」
エンシェントの目のふちが、人にはないような虹色の粒子に囲まれている。見ているうちに気がついて、ベリルは、御使いが本当に、精霊に関わる者なのだと、緊張する。
その、異様さを抱えたまま、エンシェントはフラットな態度で口ずさんだ。
「塔は、現在の技術があれば、魔力を込めた石でも支えられるよ? 君はこれから、浄化されて存在をほどかれ、魂の自由を得ることもできるし、その体で新たな人生を送ることも、まぁ、いろんな人に怒られるかもしれないけどできなくはない」
「いろんな人……?」
「上とか。上とか上とか上とか」
魔術協会の上層部、ということか。
「まぁ、何か大きな問題が起きても、彼らであれば、君くらいならいくらでも、どうにかできる。泳がせてはくれるんじゃないかな」
固まっているベリルの肩を、二、三度、軽くはたいてから、エンシェントは、自分は君について裁定はしないよと告げてくれた。
ほっとして、ベリルは、現金なものだが眠気を覚える。緊張がほどけて、一気に――。
「おい、こいつに変な術かけるな」
「かけてないよ」
メリンダがエンシェントの手を振り払う。
その頃にはもう、ベリルは夢の中だった。
「あの子が生前、御使いに選ばれなかった理由、見つけたよ」
エンシェントがようやくメリンダの方を向いた。相変わらず穏やかな語り口で、聞いていると何時間でも寝ていられそうだが、メリンダはいつも不愉快に思う。腹の底で何を考えているのやら。
今回はベリルの様子を見るということもあり、メリンダも話を続ける気になった。
「何?」
促すと、したり顔でエンシェントが言う。
「不誠実を御使いは嫌う。生前のあの子は、高潔ではなかった。逃げるなら全力で、埋められる前にすぐさましなければならなかった。あるいは、自ら穴に飛び込まなくてはいけなかった。実際には、逃げると決めるまで悩んだし、逃げようと決めてから無理矢理穴に埋められた」
「それが不誠実だって?」
「はっきりしないからね」
「人間らしいんじゃないか? 望まなかったが受け入れたっていう状態の方が、何かこう、ありえないというか、高潔に思えるけど」
「僕もそれは思うよ」
肩をすくめて、エンシェントは席を立った。
「行くのか?」
「用は済んだからね。またどこかで」
さらりと言って、エンシェントが部屋を出際に付け足した。
「そうだ。あの子にもよろしく」
「連れていくとか置いていくとか、そういう話もしてないんだけど」
見透かすような、不思議な笑みを返して、エンシェントは行ってしまった。
「しまった、一昨日来やがれって言うのを忘れた」
頬杖をついて、メリンダは呟いた。
*
宿で休み、ようやく目が覚めた頃には夜になっていた。メリンダが買い込んできた食料は、あの店の料理の詰め合わせで、店のおかみさんも心配していたそうだった。
ベリルがリスみたいに頬を膨らませてパンを食べていると、水割り用の水を飲んでいたメリンダが、笑いながら窓を開ける。外の喧噪。おいしい食事。満たされた気持ちになる。
「私は、明日ここを立つんだ」
不意にメリンダが、はっきりと言った。
手が止まったベリルは、おそるおそるメリンダを見る。
「……そうか」
「そうだ。……引き留めないのか?」
「貴方は、引き留めようにもできないだろう雰囲気がある」
「ふうん」
窓辺に腰掛けたまま、メリンダがこちらを振り向く。
「そっか」
ベリルは、言葉を喉に詰まらせる。私は、私は――。
翌朝も快晴で、荷物をまとめたメリンダは、足取り軽く宿を出る。対するベリルは、迷っていた。
「じゃ、これで」
村境近くの、森の手前で、メリンダは軽く手をあげた。
さよなら、だ。普通に考えたら、そうに決まっている。塔の支えはエンシェントが手配してくれたそうだし、ベリルが望めば、いつでも自分を浄化なり何なりしてくれるという。
だからベリルはメリンダにひっついていなくても、行くところがある。やることがある。
でも、メリンダは言ったじゃないか。
もっと遠くを見に行こうって。
「わがままを、言ってもいいのだろうか」
メリンダはずるい。最後の最後で、言わなかった。ついてこいとも、選べとも。それなのに、ベリルがこう言うのを予想していたみたいに、満面の笑みで振り返る。
「何だ?」
「……私は大した魔術師ではないが、貴殿についていってもよいだろうか。貴殿は旅暮らし、私は足手まといだろう。だが、元手を貸してもらえたら、ほうぼうで薬師のまねごとでもしながら、自分の食い扶持は稼げるよう、努力する。私は、」
「長い」
メリンダの指先が、ベリルの鼻を押しつぶした。
「何をするっ」
「長い。もっと簡潔に言って? 一言で」
「……連れてって、もらえないか」
「あー? 聞こえないなー」
「本当に悪い女だな」
呟き、苦笑して、ベリルは大きく息を吸った。
「連れていってくれ」
私を引き抜いた責任を取ってくれとまでは、とてもではないが言えなかった。
その優柔さも飲み込んだように、メリンダが笑って、ベリルの手を取る。
「旅仲間がいるのも、いいもんだ。成長しようとしてるし、お前はほっとけないよ」
「私も何だか、貴方のことは放っておけないな。どこで飲んだくれているか分からないし」
頬をつねられた。
空の高い位置を、ひばりが過ぎていく。
どの空の下で過ごすのか、見知らぬ旅に、胸が弾んだ。
魔術師メリンダ、塔の礎を引っこ抜く・了
魔術師メリンダ、塔の礎を引っこ抜く せらひかり @hswelt
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