第10話

 叫んだことは覚えている。しかし、記憶はいったんそこで途切れた。

 気がついたのは、宿のベッドの上だった。

 大事なときに爆睡していたので、何が起きたのか分からない。

「あの人はどうなった?」

「反省の欠片もない。協会の管理部門に引き渡してやったよ。お前から一度離れたときに、連絡取って呼びつけてたの。あいつら来るの遅かったけどな!」

 ベリルはそうか、と肩を落とす。騙されたのは自分が悪いが、それでも、悪いことをしたと相手が少しでも思っていれば、まだ、改心に役立てたと思えて気が楽なのだが。

 分かりあえないこともあろう。

「怒らないんだな?」

「なぜ?」

「な、ぜ?」

 メリンダが怖い。威圧感のある、怒りのひしひしと感じられる笑みだ。ベリルは首をすくめて、自分にかけられていた掛け布を握りしめた。

「殺されかけたのに、私が彼女を責めないでいるから、君は怒っているんだろう? 自分自身を大事にしない者を君は嫌っているから」

「大変、よく。できました!」

 誉められていないことは分かった。

「だが彼女はこれから、法と術によって裁かれるのだろう? 私にできることはないよ」

「怒ることも?」

「情けないが、騙されたのも悪い」

「そうか。……ちなみにね、彼女はずっとふてくされていたが、ベリルが生きていると知ったときだけ、どこかほっとしたように見えたよ。言いたくないけど」

「そうか」

「ほら。すぐほだされる」

 メリンダがベリルの頭や背中を撫でる。痛いところがないか聞かれて、大丈夫だとベリルは答えた。部屋の、粗末な椅子に腰掛けていたエンシェントが、にこにこしながらこちらを見ている。メリンダが気づいて顔をしかめた。

「何だよ見るな」

「見るよ。見ても減らないよ」

「減る。こっちの忍耐力が減る」

「それは考えなかったな。それはともあれ、本当に体におかしなところがないかい?」

 後半はベリルに向けて、エンシェントが問いかけてくる。ベリルは頷き、死んでいる身で言うのもおかしいが、健康だと思うと答えておいた。

「そうか。……本来、勝手に幽霊もどきなんていう、意味の分からない者を実体化させたり、不安定で危険極まりない行為は、許されないのだけれどね」

「それはっ……私が、また幽霊に戻らなければならないと、いうことだろうか」

 掛け布を握りしめる指が、震えてしまう。

 土の中は、生きた人間の感覚を持つ者にとっては、住みづらい。怖い。できればもう、そこへは行きたくない。自分の体が埋められたままになっているとしても――魂までは、とらわれたくない。

 エンシェントは即座には否定せず、微笑んだまま、ベリルが自分を見るのを待っている。

 ベリルが顔をあげて様子をうかがうと、

「君は、塔に戻りたくない?」

「……許されるのであれば」

 虫のいい相談だ。メリンダは、ベリルに思い入れを持って接してくれるが、御使いもそうとは限らない。

 エンシェントは、睨んでくるメリンダには一瞥もくれないまま、柔らかく言葉を継いだ。

「君は、協会のために約百年間、塔を支えていた。それほど魔術師としての力も強くはなさそうだし、悪い者でもなさそうだ……自由にさせても、すぐには害にならない気もする」

 エンシェントの目のふちが、人にはないような虹色の粒子に囲まれている。見ているうちに気がついて、ベリルは、御使いが本当に、精霊に関わる者なのだと、緊張する。

 その、異様さを抱えたまま、エンシェントはフラットな態度で口ずさんだ。

「塔は、現在の技術があれば、魔力を込めた石でも支えられるよ? 君はこれから、浄化されて存在をほどかれ、魂の自由を得ることもできるし、その体で新たな人生を送ることも、まぁ、いろんな人に怒られるかもしれないけどできなくはない」

「いろんな人……?」

「上とか。上とか上とか上とか」

 魔術協会の上層部、ということか。

「まぁ、何か大きな問題が起きても、彼らであれば、君くらいならいくらでも、どうにかできる。泳がせてはくれるんじゃないかな」

 固まっているベリルの肩を、二、三度、軽くはたいてから、エンシェントは、自分は君について裁定はしないよと告げてくれた。

 ほっとして、ベリルは、現金なものだが眠気を覚える。緊張がほどけて、一気に――。

「おい、こいつに変な術かけるな」

「かけてないよ」

 メリンダがエンシェントの手を振り払う。

 その頃にはもう、ベリルは夢の中だった。


「あの子が生前、御使いに選ばれなかった理由、見つけたよ」

 エンシェントがようやくメリンダの方を向いた。相変わらず穏やかな語り口で、聞いていると何時間でも寝ていられそうだが、メリンダはいつも不愉快に思う。腹の底で何を考えているのやら。

 今回はベリルの様子を見るということもあり、メリンダも話を続ける気になった。

「何?」

 促すと、したり顔でエンシェントが言う。

「不誠実を御使いは嫌う。生前のあの子は、高潔ではなかった。逃げるなら全力で、埋められる前にすぐさましなければならなかった。あるいは、自ら穴に飛び込まなくてはいけなかった。実際には、逃げると決めるまで悩んだし、逃げようと決めてから無理矢理穴に埋められた」

「それが不誠実だって?」

「はっきりしないからね」

「人間らしいんじゃないか? 望まなかったが受け入れたっていう状態の方が、何かこう、ありえないというか、高潔に思えるけど」

「僕もそれは思うよ」

 肩をすくめて、エンシェントは席を立った。

「行くのか?」

「用は済んだからね。またどこかで」

 さらりと言って、エンシェントが部屋を出際に付け足した。

「そうだ。あの子にもよろしく」

「連れていくとか置いていくとか、そういう話もしてないんだけど」

 見透かすような、不思議な笑みを返して、エンシェントは行ってしまった。

「しまった、一昨日来やがれって言うのを忘れた」

 頬杖をついて、メリンダは呟いた。

 宿で休み、ようやく目が覚めた頃には夜になっていた。メリンダが買い込んできた食料は、あの店の料理の詰め合わせで、店のおかみさんも心配していたそうだった。

 ベリルがリスみたいに頬を膨らませてパンを食べていると、水割り用の水を飲んでいたメリンダが、笑いながら窓を開ける。外の喧噪。おいしい食事。満たされた気持ちになる。

「私は、明日ここを立つんだ」

 不意にメリンダが、はっきりと言った。

 手が止まったベリルは、おそるおそるメリンダを見る。

「……そうか」

「そうだ。……引き留めないのか?」

「貴方は、引き留めようにもできないだろう雰囲気がある」

「ふうん」

 窓辺に腰掛けたまま、メリンダがこちらを振り向く。

「そっか」

 ベリルは、言葉を喉に詰まらせる。私は、私は――。


 翌朝も快晴で、荷物をまとめたメリンダは、足取り軽く宿を出る。対するベリルは、迷っていた。

「じゃ、これで」

 村境近くの、森の手前で、メリンダは軽く手をあげた。

 さよなら、だ。普通に考えたら、そうに決まっている。塔の支えはエンシェントが手配してくれたそうだし、ベリルが望めば、いつでも自分を浄化なり何なりしてくれるという。

 だからベリルはメリンダにひっついていなくても、行くところがある。やることがある。

 でも、メリンダは言ったじゃないか。

 もっと遠くを見に行こうって。

「わがままを、言ってもいいのだろうか」

 メリンダはずるい。最後の最後で、言わなかった。ついてこいとも、選べとも。それなのに、ベリルがこう言うのを予想していたみたいに、満面の笑みで振り返る。

「何だ?」

「……私は大した魔術師ではないが、貴殿についていってもよいだろうか。貴殿は旅暮らし、私は足手まといだろう。だが、元手を貸してもらえたら、ほうぼうで薬師のまねごとでもしながら、自分の食い扶持は稼げるよう、努力する。私は、」

「長い」

 メリンダの指先が、ベリルの鼻を押しつぶした。

「何をするっ」

「長い。もっと簡潔に言って? 一言で」

「……連れてって、もらえないか」

「あー? 聞こえないなー」

「本当に悪い女だな」

 呟き、苦笑して、ベリルは大きく息を吸った。

「連れていってくれ」

 私を引き抜いた責任を取ってくれとまでは、とてもではないが言えなかった。

 その優柔さも飲み込んだように、メリンダが笑って、ベリルの手を取る。

「旅仲間がいるのも、いいもんだ。成長しようとしてるし、お前はほっとけないよ」

「私も何だか、貴方のことは放っておけないな。どこで飲んだくれているか分からないし」

 頬をつねられた。

 空の高い位置を、ひばりが過ぎていく。

 どの空の下で過ごすのか、見知らぬ旅に、胸が弾んだ。


魔術師メリンダ、塔の礎を引っこ抜く・了

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魔術師メリンダ、塔の礎を引っこ抜く せらひかり @hswelt

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