第60話 不毛の地へ

 松本の弟子たちが帰って、診療所は静まり返っていた。真純は医療器具の整理をした後、斎藤に薬を持っていった。

「いつもすまないな。」

「斎藤さんがここに運ばれてきた時は意識がなかったし、どうなることかと思ったけど、今こうして元気になって、本当によかったです。」

「明日、俺はここを出る。なんとか歩けるようにはなったしな。」

「でも、まだ―」

「無理をするつもりはない。あんたには、世話になった。」

 真純は、また斎藤が遠くへ行ってしまう気がして不安になる。斎藤は、真純のあからさまな表情を見て、

「兄の知り合いの所へ行くだけだ。ここへも立ち寄るつもりだ。それで、1つあんたに頼みたいことがある。」

 書状を懐から取り出した。

「これを飯田橋の火消し屋敷に届けてほしい。」

 斎藤は、真純が原直鉄と会った話を聞き、同じ手法を使うことにしたのだ。真純は書状を受け取ると、一瀬伝八と書かれた文字をじっと見つめる。

「一瀬さんって、どうしてその名前にしたのですか。」

「会津には『一瀬』という名前が多いと聞いた。」

「でも…斎藤さんが変わってしまったようで寂しいです。急に違う名前にされても、呼びづらいです。」

「あんたは素直だな。…俺は数え切れないくらい人間を斬って来た。恨まれて当然の人間だ。それでも生きるには、自分をも殺さねばならない。」

「そんな…。私の中では、斎藤さんはずっと…斎藤さんのままで…そんな斎藤さんが…。」

「あんたに、別の名で呼ばせるのは無理か…。」

「斎藤さんは、『斎藤一』って名前が一番似合っていると思います。」

「…俺もそう思う。」

 斎藤が笑みを浮かべる。

「真純……ここで、ひと晩共に過ごさないか。」

 突然の申し出に真純の体が熱くなる。斎藤は真純の腕を引っ張り、自分の胸元へ引き寄せた。

「斎藤さん、傷は大丈夫ですか。」

「…あぁ、かまわん。」

 斎藤は真純を抱きしめる手に力を入れる。

「あんたといつかうまい酒でも飲める日がくればと…思っていた。」

「あの時の約束を、覚えていてくれたのですね。」

 鳥羽伏見の戦いの前に、真純は斎藤に「生きていたら極上の酒をごちそうする」と言ったのだ。

「いや、本当は…あんたとこうしていられればいい。」

 斎藤は真純にやさしい眼差しを向け、唇を重ねた。

「俺は、一生、誰かを恋しく思うことなどないと思っていたのだが、気がつくとあんたのことを考えていた。」

 斎藤が真純の耳元で、つぶやいた。

「私は、斎藤さんが好きです。初めてお会いした時から。」

 明け方、枕元には、二人で酌み交わした酒の徳利と盃が置かれていた。


 それからたびたび真純は会津藩士が収容されている火消屋敷へ遣いに出るようになり、斎藤も会津藩士たちと連絡を取るようになった。

 真純が薬と称した書状を火消屋敷に届けると、倉沢という老人が話しかけてきた。

「あんたは、原直鉄を知っているようだが、あいつがどこに行ったか知らんか。」

「いいえ…原さんはここを抜け出したのですか。」

「あぁ。あいつは若い時分から容保公に仕えてきたし、ここで謹慎なんぞ耐えられんかったのだろう。だが、明治政府に心象を悪くする行動は容保公を余計悲しませるだけだ。それより、一瀬は元気にしとるか。」

「はい。斎…一瀬さんも多分、原さんと同じように本当は動きたいのかもしれません。」

「まぁな。だが、近々我々に沙汰が下されるだろう。」

 やがて、明治政府は旧会津藩士の北海道移住と苗字帯刀、そして容保の子容大の家督相続を認めた。さらに、減藩処分を受けていた会津藩だが、新領地として元会津藩領の猪苗代か元南部・盛岡藩領の北東部(今の青森県東部・むつ辺り)かを選択するよう命じられ、元南部藩領を選んだ。

 年の瀬が押し迫った頃、隅田川沿いをゆっくりと歩きながら、真純はそのことを斎藤から聞いた。

「会津の戦いは、まだ終わってはいない。これから過酷な試練が待ち受けている。今まで刀しか握ったことのない藩士達も、農業や林業に従事することになるだろう。しかし、南部の寒冷地の開墾は容易ではない。」

「そんな不毛の地に…どうして?死ににいくようなものです。」

「そうだ、流罪だ。だがそれを受け入れる容保公を、俺は会津藩士として支えたい。…倉沢殿に、会津再興の協力を求められた。それに応えたいと思っている。」

 斎藤はうつむき、二人の間が沈黙する。互いに相手の言葉を待っていた。

「もし―」

「斎藤さ―」

 二人の言葉が重なった。しかし、真純は勢いを止めなかった。

「斎藤さんと一緒に、行ってもいいですか。いえ、行かせてください。」

「真純…この道のりは非常に厳しい。南部までの道中、そして向こうでの生活。あんたも野良仕事をし、貧しい生活を強いられる。生きて帰れる保障もない。それでも…俺と行くというのか。」

「はい。斎藤さんと一緒なら、蛇でも蛙でも食べて生き延びて見せます。…あ、へびはやっぱりちょっと駄目かな…。」

「あんたのその逞しさは一体どこから来るのだ。」

「泣く子も黙る新撰組の、一番組組長に鍛えられましたから。」

 真純が笑いながら言う。

「でも、斎藤さんからいただいた池田鬼神丸のおかげかもしれません。あの刀がある限り、生きられる気がしたんです。」

「だが、これから先、刀は役に立たんぞ。」

「それでも…斎藤さんのそばにいられます。」

「俺は何があっても、あんたを守る。」

 斎藤は、強く真純の肩を抱き寄せた。

 その後、禁錮の刑を受けていた松本良順は解放され、弟子たちともに早稲田に新しい病院を設立した。松本は真純との再会を喜び、一緒に病院を手伝うように依頼されたが、斎藤と共に行くことを告げた。 

 真純が幕末に来て6年の歳月が過ぎていた。日々目の前で起こることが夢だと思っていたが、いつのまにか現実であると受け入れてきた。ひょっとして二十数年生きてきた現代が夢であって、自分は江戸時代に「戻って」来たのではないかという錯覚に陥ることもある。

 今、現代に戻れるといわれても断ると真純は思った。思いを寄せてきた斎藤ともうしばらく、できればずっと一緒にいたい。そして、自分が未来に戻るときが来たら、斎藤も連れて行き、一緒に現代を歩きたい。斎藤は150年後の日本をどう見るだろうか。

 真純と斎藤は、倉沢とともに越後高田へ向かう。倉沢が、藩士達の旧南部領移住の指揮を執ることになり、斎藤もそれを手伝うためだった。以前、高田から江戸に来るときは一人であったが、今は隣に斎藤がいる。これから移住する未開の地では、極貧生活を強いられるだろうと聞いたが、不安はなかった。どこかで夢だと信じているからか。

「大丈夫か。」

 先を歩く斎藤が後ろを振り返り、真純は駆け寄っていった。

                                                                   完


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