第59話 忠義

 斎藤は夢の中で誰かが自分の名を呼ぶ声を聞いた。

「斎藤さん。」

 自分のことを斎藤と呼ぶのは誰だ。しかし、自分はもう斎藤ではないはずだ。山口次郎…いや、高田に向かう時に一瀬伝八と名乗ったはずだ。自分は何者で、今自分はどこにいるのだろう。

 斎藤がゆっくり目を開けると、天井の木目が眼に入る。寝床にいて少し体を動かすと激痛が走り、斎藤は自分が浪人に絡まれて怪我をしたことを思い出した。

「真純。」

 斎藤は、ゆっくりと真純の方に顔を向ける。

「斎藤さん…無事でよかった。ずっと、会いたかった・・・。」

 涙ぐむ真純に、斎藤の左腕が触れる。真純はそっとその手を握る。斎藤は右手で自分の目頭をおさえた。

 それから斎藤は療養して快方へ向かった。真純が気になっていた「その後」のことを淡々と斎藤は語った。 

 斎藤が会津で率いていた十数名の新撰組は、会津郊外の如来堂に布陣したが、300もの官軍に襲撃され壊滅。新撰組は散り散りになり、会津藩が降伏してからも、斎藤は抵抗し続ける会津藩士とともに戦い、容保の使者の説得によりようやく投降したのだった。

「会津を死に場所に戦ったつもりだったが、体が生き延びようとし、この腕の刀は斬り続けた。」

 斎藤は自分の左手を見つめた。

 会津に残った斎藤は隊長として、孤独に戦っていたに違いない。そして、忠義を果たそうとした会津藩が降伏し、捕虜となった斎藤はどんな屈辱を味わったことだろう。斎藤の象徴とも言える刀を今は所持していない。

「俺は会津藩士として生きていくと決めた。それが会津に忠義を果たすことになると思ったからだ。だが、その一方で箱館に行って土方さん達と戦いたいと、ずっと思っていた。あんたのことも、気になっていた。」

「だから…脱走したのですか、一瀬さん。」

「どうしてそれを。」

 真純は、箱館から越後高田に行ったことを話した。

「そうか…心配かけて済まなかった。」

 斎藤はうつむいたままだ。

「…脱走して箱館に向かう途中、五稜郭が落ち、土方さんが討ち死にしたことを知った。俺はその後、何も考えられず放浪し、気がつけば東京にいた。兄の知り合いの家に身を寄せ、謹慎している会津の人間と接触を謀ろうとしていたところ、浪人に囲まれてしまった。」

「刀を持っていなかったのですね。」

「あぁ。降伏してから刀はすべて没収された。剣術でしか生きられない俺は、この先どう生きていけばいいかわからなかった。今でもその答えが見つかったわけではない。」

「…斎藤さん。答えをすぐに見つける必要はないですよ。ずっと戦場にいたんですから。今は疲れを癒して、怪我を治してください。」

 斎藤は黙ってうなずいた。

「そういえば、初めてだな。あんたが女子の格好をしたのを見たのは。」

「そ、そうでしたっけ?」

 真純は急に緊張する。

「よく似合っている。」

「これは、土方さんが最後の出陣前に用意してくださっていました。おかげで、私は新政府軍に怪しまれずに済みました。」

「あの人らしいな。」

「土方さんは、斎藤さんはどこかで生きている気がするって言ってました。斬っても斬っても死なないやつだって。」

「俺はそんなに強くはない。」

「いいえ、斎藤さんは剣術だけでなく、何事にも折れない心を持っています。」

「それは…あんたがいたからだ。」

 斎藤は澄んだ目で一点を見つめている。

「斎藤さん―」

 斎藤の左手が隣にる真純の右手を握った。


 数日後、永倉が酒を持参して斎藤を見舞いに来た。斎藤は寝床から起きて永倉を迎えた。

「永倉さん、斎藤さんはまだお酒はだめですよ。」

「そうかぁ。一緒に飲めなくて残念だな。」

「新八、元気そうだな。」

「あぁ。斎藤、お前を襲ったやつらに心当たりはないのか。」

「官軍のやつらが送り込んだのだろう。」

「そうかもしれんが、御陵衛士の生き残りのやつかもしれん。この前、俺は偶然三樹とすれ違った。」

 三樹というのは、伊東甲子太郎の弟の三樹三郎のことである。三樹は兄の伊東甲子太郎が暗殺された時、遺体を取りに油小路に向かったが新撰組の襲撃から逃れていた。その後は薩摩藩の指揮下、新撰組と戦った後、新政府軍に加わった。

「三樹のやつ、俺とすぐ気づいたのかおぞましい目つきでにらんでやがった。何か仕掛けてくるに違いねぇって思ってたところさ。」

「あんたは大丈夫か。」

 斎藤が、そばにいる真純にたずねる。

「はい、今のところは。」

「真純は今は女の格好してるんだ、あいつらもさすがに襲っては来ないだろう。」

「そうだな。だが、三樹は伊東の実弟。用心するに越したことはない。」

「わかりました。」

「斎藤は相変わらず念には念をだな。どうだ、真純。ずっと追いかけてきた斎藤にやっと会えたんだ。存分に甘えてるかぁ?」

「甘えるって、斎藤さんはけがをしているのに―」

「けがなんて、こいつは慣れてるよ。なぁ、斎藤。」

「新八、余計な気を回す必要はない。」

「あ、あの、お茶を入れてきますね。」

 真純は部屋を出る。

「ところで斎藤、これからどうするつもりだ。」

「…俺は会津再興のために力を尽くす。まだ具体的なことはわからないがな。あんたは、松前藩に帰藩したそうだな。」

「おそらく松前に行くことになるだろう。…斎藤、もしお前が会津に戻るなら、彼女も連れて行ってやれよ。身寄りがいないあいつは、新撰組が家族同然だったろうよ。箱館で土方さんを看取って、一人で高田に渡って江戸に来たとは、たいした行動力だぜ。」

「…あぁ。」

 斎藤は一点を見つめ考え事をしていた。

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