第6話 青息吐息

 もう何時間も同じモノを見ている気がする。真っ白の壁土に、見上げれば藍色の天井。螺旋の階段。果てしないモノ。渦を撒く。時折気が触れそうになるのを我慢する為に拳を強く握り、てのひらに爪で跡がつく。


 まだなんとか――そう思う事で保つことが出来た。


 階段を一段一段上がる脚がやけに重く感じた。気がつけばあと数段で登りきってしまう。淡い光が階段を照らす。


「そんな所にいらっしゃらないで、さあ、こちらへいらっしゃいな」


 女の声は悩ましく、疲労の溜まった身体を引き寄せる。千鳥足で数段を登り切り、背後を振り返り狼狽える。よくもこの高さを上ってきたものだと。


「さあ! こちらへ」

 女の声に振り返ると、其処の広さにたじろぐ。牡丹の紅い花が蝶の群れと共に絡まり合い艶美な天井を魅せる。台座に畏まる美しい女が手招きをしていた。近くまで歩くと待ち構えていた女性達が酒や食べ物を次々に運んで来るではないか? これも追加料金になるのではと、財布の中身を確認しようと思ったが懐に入れた筈の財布が無いことに気が付いた。


「この様な物を運ばれても……」

「安心して下さいませ! 全てがお客様に含まれておりますので……」

「お客様に?」

「ええ、ご安心を」


 その言葉に安堵し、僕は法悦の時を過ごした。


 眩い光に群れる羽虫が炎に燃えゆく。僕は悦楽の極致を味わい尽くす。取り乱すことなく怯む事もせずに。


 事が終わり、僕は眠りに堕ちていたらしい。女中の慌ただしい足音で僕は目が覚め、指先で目を擦る。隣に居たはずの女の姿は消えていた。


「泊まりになってしまった……そろそろお代を払いたい!」

 布団を払い除け、立ち上がろうと通り過ぎる女に声をかけた。


「可笑しなことをおっしゃいますね…次は貴方の番ですよ……」

 女は不思議そうに首を傾げ、ひとことを残し 、また慌ただしく奥に消えていった。



「兄さんは、次の招き猫になったんやよ。せいぜい気張りや……」

 ぼやけたあの入口に居た招き猫の声が聞こえて僕は呆然と立ち尽くす。その言葉を次の瞬間に理解する。僕が次の招き猫。これからずっと、お客が来るまで待ちぼうけをするのだと。


 僕の代わりに来る人が来るまで、ずっと待つのです。

 それが此処の決まり事。

 お代は一切いただきません。

 それがあなたの未来でも。

 さあさ、奥まで、ごゆるりと。

 骨の髄まで、おたのしみ。


 

 此処は赤い煉瓦の屋根が印象深い、見切り町は紅玉一丁目。

「浪漫擦屋(ろまんすや)」

 赤い鳥居が手招きするよ。

 さあさ、おいでよ、魅惑の時間。



「次のお客様は、まだかいな?」


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見切り町の招き猫 櫛木 亮 @kushi-koma

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