太陽系50番地第108銀河転移課

原田ダイ

第1話

「国籍は日本、O県T市二丁目001番地、田中カツアキさんで間違いないですか?

 ……年齢は24歳ですよね」


 目の前の男は、そう言ってパンフレットみたいな紙をテーブルに置いた。

 グレーのスーツに白いシャツ、柄の無い紺のネクタイをした男だ。

 今時みかけない、きっちりと七三に分けた黒髪は、薄くもなく濃くもない。

 古くさい黒縁の大きな眼鏡をかけているせいか、年齢はよく解らなかった。

 30代か、もしかしたらもっと若いのかもしれない。


「ええ……そうですが。そんなのどこで調べたんです?」

 

「……どちらのコースにしますか?」


 僕の質問を無視して男はパンフレットを指さした。


「コース?」


 つい指さしたところを見てしまう。

 そこには「ただ今キャンペーン中! このチャンスに新しい人生を!」というキャッチコピーが、でかでかと書かれていた。


「ええ……転移コースと転生コースがございます」


 タイトル下の文字を指さしながら男は言った。


「ええと……その前に聞きたい事があるんですが?」

「なんですか?」僕の問いに男が顔を上げた。


「ここは、どこなんですか?」


 僕はまわりを見回して言った。


 リノリウムのような白っぽい光沢のある床は、どこかの役場の一室みたいだ。

 広さは6畳くらいだろうか。

 受付風の横長の机が部屋を横切っており、そこに僕と男が向かい合って座っている。

 僕たちの他には誰もいない。そしてなぜか入口もない。

 いったいどうやって入って来たんだろう。


 質問に答えるかわりに男は天井から下がっているプレートを見た。


「太陽系50番地第108銀河転移課」僕がプレートの文字を読むと男は「そうですね」と頷いた。


「それから、申し遅れましたが私がここの担当官です。

 あなたたちが理解しやすい言葉で言えば神様というヤツですね」


 確かに男の胸のネームプレートには「神様」と書いてある。


 ……ガチだったのか……そういう名字かと思った。


「――――ドッキリですか。

 神様を名乗る男が突然現れたら信じる? 信じない? みたいな」


「違いますよ」真顔で答える自称神様。

 確かに、こうテンションが低くちゃ番組的にはアウトだろう。


「じゃあどうして――――」

「――――あなたがお願いしたんです」


 じれて、幾分声をあらげた僕の言葉にかぶせるように、男は言った。


「あなたが、神様に別の人生を生きたい、ここではないどこか別の世界でやりなおしたいとお願いしたんですよ。

 ――――だから私がこうして、ここにいる」


 男の声の調子は変わらなかった。でもその言葉には、信じずにはいられないような、妙な迫力を感じた。


「僕が……願った?」改めて胸中に問う。



◆◆◆



 僕はこれまで、これと言って大きな変化のない人生を送ってきたと思う。

 人に誇れるような特技もなく、勉強も普通。スポーツもとりあえず出来るレベル。

 人付き合いもあまり得意じゃなかった。

 もちろん、容姿で得をした事なんて今まで一度だってない。

 それでもそれなりの大学をなんとか卒業し、田舎に戻って中くらいの会社にコネで入社した。


 唯一見送りに来てくれた大学の先輩が、その時僕に言った。


「人生なんて、ほとんどが待ち時間みたいなもんだ。その時間をどう有意義に使うかで人生変わって来る。――――気負わず、楽しめ」


 待ち時間だって? いったい何を待つって言うんだろう。

 待っていたら宝くじに当たって大金が転がり込んで来るとでも言うんだろうか。

 もちろん、人生そんなに甘くないっていう事くらい、僕にはちゃあんと解っている。


 人生に特別な意味なんてない。毎日わずらわしい事だらけで、面倒くさい。

 それなら少しでも楽をして、自由に生きていくのが一番だ。


「もちろん、そのつもりです。これからは田舎で楽しくやりますよ」

 お気楽に笑う先輩に僕はそう言って手を振った。


 大学での人間関係の煩わしさに辟易へきえきしていたので、良い機会だと思ったんだ。

 給料は安かったけど、このまま適当に仕事をして自由に人生を楽しもうと思っていた。


 ――――でも、人生そんなに甘くなかった。

 そう――なんて事だ。人生はそんなに甘くない。僕自身が言った事じゃないか。

 その事を本人が全然解ってなかった。なんて皮肉だ。

 

 田舎に帰った僕を待っていたのは、都会以上に煩わしい人間関係だった。

 仕事は単調でやりがいなどなく、頭の固い会社の上司は何かと精神論を振りかざし「会社のために」を繰り返す。

 会社のためにって何だ? 安い給料で給料以上に働けって言うのだろうか?

 車だってガス欠になれば止まる。止まった車に気合いが足りないと言っても動くわけがないのだ。

 とは言え、上司にそんな事を言うわけにもいかず、同僚に話を振っても皆一様に困った顔をするだけだった。

 

 そんな事を繰り返す内に、僕は社内で変わったヤツだと認識されていった。

 もともと人付き合いが苦手だった僕は、社内でも孤立し、どう振る舞えば良いのか自分でも解らなくなっていった。

 

 家に帰れば帰ったで、両親は出世した同級生の話を僕にした。

 どこの誰々だれだれが社長になったとか、会社を自分で始めたとか。

 または、誰々さんのところは結婚してもう子どもがいる、私たちも早く孫の顔が見たい……ところでアンタ彼女はいないの? あげくの果てにはお見合いの話を勝手に決めてくる始末だ。

 

 ――――もうたくさんだった。

 せっかく田舎に帰って来たのに、ここにも心休まる場所はない。

 いっその事、誰もいない山奥に一人で住もうか?

 でも、どうやって生活すれば良いのだろう?

 料理も大したものは作れないし、近所にスーパーもないだろうし。

 それでも携帯くらいは繋がってネットくらいは……

 

 ――――馬鹿馬鹿しい。

 煩わしい、一人になりたいと言っておきながら、それでも人との繋がりを求めている。

 一人になりたい――でも、一人でなんか生きていけるわけがないのだ。

 

 そんなある日の事。

 ふと立ち寄った本屋の新刊のコーナーが目に入った。

 

 「転生したら勇者だった件」

 「異世界でハーレム王の俺様」

 「転生して人生リセット」


 可愛い女の子のイラストを使った文庫本のタイトルを眺めながら、僕はため息をついた。

 

「そんな簡単に人生やり直せるなら誰も苦労なんかしやしないよ。

 ……でも、そうだな。異世界へ転生か……それなら誰も僕を知らないし、新しく人生を始められるかもな。

 もし、神様がいるんなら、すぐにでも転生させて欲しいもんだよ」

 そこまで考えて、僕は自分の考えのあほらしさに苦笑した。

 

 ――――その時だった。


「――――承認します」


 不意に声が聞こえた。

 そして、目眩めまいを感じたかと思うと、辺りの景色がぐるぐると回り、僕の意識は唐突に途切れた。

 

 

◆◆◆



「まさか……あの時の声は、アンタなのか。

 もしかして、本当に神様だなんて……そんな馬鹿な」

 

「だから、先ほどからそう申し上げております」

 呆然ぼうぜんと呟く僕に、神様が変わらない調子で言った。

 それにしても、神様ってこんな腰が低いのか?


「でも……どうして僕なんかの願いをきいてくれるの?」

「それが私の仕事だからですよ」

 

 幾分やさしげに神様は言った。

 

「神の仕事は願いを叶える事です」

 繰り返す。その眼鏡の奥の瞳が微かに光ったような気がした。

 

「そ……そんなの聞いた事ないよ……願いが叶うなんて奇跡みたいな……」

 

「もちろん、全ての命の願いを叶える事は出来ません。

 そんな事をすれば、世界は滅茶苦茶になってしまいますから」


「たまたま……僕の願いが聞き入れられたという事?」

「いろいろと条件はあるのですが、概ねその認識で間違っていないかと思います。

 それに、今はキャンペーン期間中ですので、転生の願いは聞き入れやすくなっております」

 まるで、安売りの品物を宣伝するみたいに神様は言った。

 

「ああ……これね」

 パンフレットに書かれた「キャンペーン中」の文字に視線を落とし、僕は苦笑した。

 なんだか途端に胡散臭うさんくさくなったな……

 

「それで転生と転移とどちらのコースにしますか?」

 僕の反応などお構いなしに神様は先ほどの問いを繰り返した。

 

「それだけど、転生と転移ってどう違うの?」

「まず転生は、同じ世界の同一の時間軸上に新たに生まれなおす事です」

 パンフレットに書かれた細かな文字を追いながら、神様は言った。

「どういう事?」

「あなたが生きている世界の過去か未来に別の人間として生まれるという事です」


「おお! それイイね。過去に生まれれば、未来に起こる出来事を知ってるから、上手くいけば大金持ちになれるかも」

「それは出来ません」

 嬉しそうに身を乗り出す僕に、神様はあっさりと首を振った。


「どうして?」

「転生は新たな命として生まれるのです。以前の記憶はありません。

 ちなみに、どんな環境、どんな状態で生まれるのかも指定出来ません」

 

「それは、嫌かな……」

 運任せなんて、さすがにリスクがでかすぎる。

 

「まあ、転生はあまり人気がありませんからね」

 渋い顔をする僕に、神様も同意した。

 

 人気がないって……

 

「それじゃあ転移にしますか?

 転移ならスペックは限られますが、実在する世界なら今の人格と記憶をそのままで出来ますが?」

「実在する? 僕の住んでる世界でって事?」

「いえ、私の管理する世界上です」


「ええと……それって、ロボットに乗って戦うSFみたいな世界とか、勇者になれるファンタジーみたいな世界とかもあるのかな?」


「ええ。ありますよ」

 当然ですよ、みたいな顔で神様はうなずいた。

「それなら良いよね。うんうん、これこそ求めていた転生……転移?」


「では、転移コースという事で。

 ……シチュエーションをお聞かせ下さい」

 一人テンションを上げる僕を尻目に、神様は変わらない淡々とした口調で話を進めていく。

 

「転移した僕はどんな状態になるのかな。

 突然別の世界の人間と中身が入れ替わるのかな」

「転移先の人間は、いわばその世界でのあなたです。そこに今のあなたの記憶と経験が蘇るような感じでしょうか。

 その世界での経験によるスキルは使えますし、記憶もあります」

 

 状況を細かく説明しながら、神様は「特に不便はないはずですよ」なんて涼しい顔で言ってくる。

 

 ともあれ、転生はやっぱりダメとなると転移しかないのだけれど。

 ――――どんな世界が良いのだろう。

 神様の説明を聞きながら、僕は「ううむ」と唸った。

 

 勇者になるのは王道だけど、ちょっとベタな感じがする。

 それにロボット物も燃えるし、捨てがたい。

 王様になって可愛い女の子たちに囲まれてハーレムなんて……それはちょっと贅沢すぎるだろうか。

 

 僕は決めかねてああでもない、こうでもないと頭をひねっていた。

 ――――そこへ

 

「決まりましたか?」


 神様が声をかけた。


「――――!」


 その声に含まれた微妙なニュアンスに僕は、勢いよく顔を上げた。

 ちょっとだけ……苛立ちのようなものが感じられたからだ。

 

「――決まりましたか?」


 変わらぬ調子で、神様はもう一度聞いた。

 先ほど感じた感覚は、そこにはもう無い。

 

「神様……もしかして、今ちょっとイラッとしませんでしたか?」

「いいえ」わずかな動揺も無く、答える神様。


「……そ……そうですよねぇ」

 そう言って僕は、乾いた笑いを漏らした。

 考えてみれば、神様を怒らせたりなんかしたら、どんな世界に転移するにせよ、ろくな事にならなそうだ。

 

「ええ。それでどんな世界にします?」

「それなんですが……いろいろイメージはあるんだけど、もう一つ決めきれないんですよねぇ。転移するのなんて初めてですから」


「それは、そうでしょう」と神様はそっけなく言った。

 まあ、そうなんだけど。改めて言われるとちょっと嫌だ。

 

「仕方ありませんね。……実は、あなたのような人のために、お試し転移が用意されているのです」


「お試し転移ぃぃぃ――――!」

 その言葉のあまりの胡散臭さに、僕は思わず立ち上がって叫んだ。

 

 

◆◆◆



「マジか……ホントに転移してるよ」


 僕の口から、感動のため息が思わず漏れた。

 モニター一体型のヘルメットには、搭乗している二足歩行ロボット“リムーバー”の外の風景が映し出されている。

 

 全長20mの高さからの、見渡す限りに広がる白い砂漠。

 視線を上げれば眩しい程の青い空。

 シート越しに伝わるロボットが歩く振動さえ、新鮮で心地よかった。

 

「ファイター3、先行しすぎだ。足並みを揃えろ」


 無線機から女性の声が聞こえた。

 僕の機体、ファイター3の右隣にいる隊長機、ファイター1からの通信だった。隊長のアリス・クリューガーは僕より2歳上の女性で長く綺麗なプラチナブロンドが印象的な美人だ。


「すみません」僕はあわてて、スピードをゆるめた。

「どうしたカツキ、久しぶりのお散歩にヒビッてんのか」

 隊長の向こうを歩くファイター2のパイロット、キースがからかうように言った。

「うるさい、黙ってろよ」

 毒づく僕に、キースは「へへへ」と明るく笑った。彼は僕の幼なじみで“カツキ”とはここでの僕の名前だ。


「緊張感が足りないぞ。集中しろ」

 たしなめる隊長。だがその声はどこか優しい。


「すげぇ……本当に、ロボットを操縦してるんだよな」

 隊長機を見つめながら、僕はそっと呟いた。


 リムーバーは、ロボットと言っても無骨なイメージとはほど遠い。

 甲冑姿の騎士のような、スタイリッシュなデザインだ。

 動きもなめらかで、かなり人間に近い。

 それだけでも、技術水準の高さが伺い知れる。


 三機の人型は隊長機を中心とした三角型の陣形で砂漠を進んでいく。

 それぞれ手には大型のアサルトライフルを構えていた。


 転移前に神様が説明してくれた通り、この世界の事は知識として、僕のの中にある。

 頭に思い浮かぶ世界の状態や歴史を、とりあえず隅っこに追いやって、僕は現状を確認した。


「ふむふむ……」


 僕たちは、街に住む人たちを守るために連合軍から出向している。

 幸い移住が始まったばかりのこの星には、夜盗や犯罪者のたぐいは少ない。

 だが、そのかわりに恐るべき敵がこの星に生息していた。

 それは――――

 

「止まれ――――」

 隊長からの鋭い制止の声に、僕たちは身構えた。

 部隊に緊張が走る。手に嫌な汗がにじんだ。

 

 辺りを見回すが、視界に動く物は無い。

 だが、センサーには接近する6体の熱源が映し出されていた。

 ――――地中だ。敵は地中にいる。

 

 隊長が銃を片手に持ち替えると、空いた方の手でコンバットナイフを抜いた。

 素早くバックステップする。

 

 それと同時に隊長機が今まで立っていた地面から、巨大な昆虫が顔を出した。

 黒く固そうな甲殻にアリに似た顔、左右に突き出た長くノコギリのようなあご

 それは、アリジゴクという昆虫に良く似ている。

  

 ――――砂虫サンドワーム

 僕たちは、この星に住む巨大な昆虫をそう呼んでいた。

 砂虫にはこの他に羽の生えたはちタイプ、巨大なミミズタイプがある。

 僕たちが今戦っているアリジゴクを含むありタイプは、数は多いものの一番戦いやすい相手だった。

 僕は内心、胸をなで下ろしていた。

 

ギギァァァ――――


 隊長が素早く横に回り込み、比較的柔らかいアリジゴクの胴をナイフで斬りつけた。深手を負ったアリジゴクが悲鳴を上げて地中に逃げていく。

 

 一方、キースは一所に留まらず、歩きにくい砂漠を器用に移動しながら、顔を出したアリジゴクを銃で狙い撃った。

 軽薄な口調とは裏腹に、キースの腕は確かだ。

 

「よーし……」

 僕も負けじと一匹一匹慎重に狙いをつけて倒していった。

 初めての戦闘に最初は戸惑とまどったものの“カツキ”もなかなか優秀なパイロットのようだった。

 僕本人が驚くような華麗な足捌あしさばきで敵の攻撃を避け、銃で撃ち、接近してきた相手はナイフで倒して行く。

 

「はっ――なんだ。楽勝じゃないか」


 その時、僕の中に油断が芽生めばえた。

 軍人としてのカツキの感覚がそれを危険と注意するが、戦いに夢中になった僕は気がつかなかった。

 

 どこか、ゲームのような感覚でこの戦いを楽しんでいたのかもしれない。

 なんて馬鹿だったのだろう。

 これは、紛れもなく現実。失敗してもリセットボタンなんて無いって言うのに。


 何かが、空中を飛んで襲いかかって来た。

 足下からの攻撃に集中していた僕は、一瞬反応が遅れた。

 それでも何とか機体を捻って直撃を躱した。

 機体に鈍い衝撃を感じた。

 

「くそっ!」

 

 倒れながらもすれ違いざま、ナイフを振るった。

 

ギィィィ――――


 手応えを感じ、顔を上げると蜂型の砂虫が中に浮いていた。

 僕のナイフが斬りつけたらしく、片足が無い。

 

 僕は慌てて銃を乱射する。

 しかし、蜂型の砂虫はそのまま逃げていってしまった。

 立ち上がり、後を追おうとしても、影も形も無い。

 血の気が引く音を、僕は確かに聞いた気がした。

 

 とんでもないミスを、僕はおかしてしまったのだ。

 

 周りを見ると、蜂型は後二匹いた。

 だが、残りの二匹は隊長とキースがそれぞれ仕留めていた。

 アリジゴクもとりあえずもういないようだ。

 

「すみません――――を一匹逃がしてしまいました」


 僕は通信で皆に謝った。

 

「まずいな……」

 逃げられたところを見ていたのか、隊長はそれだけ言って考え込んだ。

 いつもは明るいキースも、さすがに何も言えずに黙り込んでいる。


 砂虫の中で一番手強いのは、大きくて生命力が強いミミズタイプだろう。

 しかし、やっかいな相手となると、間違いなく蜂タイプだ。

 なんと言っても空からの攻撃は脅威だった。

 

 中でもスズメバチと呼ばれる大型は、群れで行動し、頭も良く凶暴だった。

 見つけた獲物はどこまでも追いかける。仲間が何匹殺されても最後の一匹になるまで、あきらめなかった。

 

 奴らは数匹が群れから離れて行動する。獲物を見つけたら報告するためだ。

 この偵察部隊を手負いで逃がしてしまうと、すぐ近くにいる群れが文字通り飛んで来る。この時、運悪く近くに巣穴があると、この群れに手こずっている内に次から次へ増援が飛んでくる事になる。

 

 僕が今逃がしてしまったのは、おそらくその偵察部隊に違いない。

 数分もしない内に、近くにいる群れがやって来るだろう。

 増援があてに出来る街の近くならまだしも、僕たちのような小隊が出くわせばまず手に負えない。その場合、出来る事と言えば逃げる事だけだ。

 

 今すぐ逃げる必要があった。

 だが――――

 

「ここから街までは、遠すぎる。

 街につくまでに群れに追いつかれてしまう」

 隊長が独りごちる。


「ここのところ、大きな戦闘は無かったからな。

 油断して街から離れすぎたか……」

 キースが舌打ちした。誰も僕のミスを責めなかった。


「あなたたちは、このまま街へ戻って助けを呼んで来て頂戴」

 隊長が僕たちの方を見て言った。

 

「隊長は?」

「私はここで、群れを足止めします。

 ――――さあ、行きなさい。早く」

 それだけ言うと隊長は僕たちに背を向けた。

 

「隊長――!」その背に声をかけようとする僕をキースが止めた。

「……行こうぜ」黙って首を振る。

「そんな……」


 いろんな思いが僕の中でぐるぐると回った。

 隊長、アリス小尉は一見冷たく見えるが付き合ってみると優しくて思いやりのある人だった。女性的で可愛いところもあり、カツキは密かに憧れてもいた。

 

 そんな人を一人で残して行って良いのかという思いと、自分に何が出来るのかという思い。もちろん、三人とは言え軍人ならば、隊長の命令に従う事が正しいのは確かだ。

 ――――でも。


 様々な悩みを振り払うように、僕はかぶりを振った。

「隊長、待ってください」

 自分でもびっくりするぐらい、冷静な声を出せた。

 

 良し――――上出来だ。


 僕の声に、隊長は立ち止まった。

 しかし、振り返らない。

「なんだ――言いたい事があるのなら、早く……」


「ここには、僕が残ります」

「なんだと……貴様」

 隊長が振り向く。声の調子で怒っているのが解る。

 でも、僕は体中の勇気をかき集めて精一杯虚勢を張った。


「実は、先ほどの転倒で左足のバランサーの調子が悪いんです。

 このまま、街まで走る事は難しいかもしれません」

 

「カツキ……おまえ……」キースが驚いたように僕を見た。

 キースに軽く頷くと僕は言葉をいだ。

 

「途中で僕が足をひっぱるような事になれば、キースまで巻き添えにしかねません。

 ですから、ここは僕が残ります。隊長はキースと助けを呼びに行って下さい」

 

 言えた――――

 

 語尾がちょっと震えたかもしれないけど、ちゃんと言えた。

 もうそれだけで、僕は僕自身を褒めてやりたい気持ちだった。

 

 隊長は無言で僕を見つめた。

 たった数秒の事だったけど、僕にはそれが永遠にも思えた。

 

「行くぞ――――」キースに声をかけ、隊長はきびすを返した。

「命令違反の責任は必ずとってもらうぞ。……だから絶対に死ぬな」

 隊長はそれだけ言い残すと振り返らず走っていった。

 

 

◆◆◆



「あなた馬鹿でしょう」


 開口一番、神様は辛辣しんらつな言葉を僕に投げた。

 

「やっぱり神様、怒ってますよね?」


「いいえ、呆れているのです」

 ジッと僕を見つめる神様。

 

 嘘だ……絶対怒ってる。

 

「転移先とはいえ、そこで死ぬ事はあなた自身の死に繋がります。

 ですから、くれぐれも気をつけて下さいと言いましたよね?」

 

「そうですね……」


「危なくなったら、戻りますと強く念じて下さいと言いましたよね?」


「……そうです……ね」


 神様からの謎の圧力に気圧されて、僕はカクカクとロボットみたいに頷いた。


「どうして、すぐ戻って来なかったんですか。

 こう言ってはなんですが、あなたは死ぬのが怖くないなんて自暴自棄じぼうじきなタイプでも、誰かのために命をかけるような正義感でもないでしょう?

 転移してしまえば無関係な人たちです。忘れてしまえば無かった事になりますよ」

 

「…………」


 神様の言葉は見えないナイフとなって僕の胸に突き刺さった。

 ぐうの音も出ないとは、この事だ。


「どうして……」僕は胸中に問うた。

 実を言えば、どうしてあんな事が出来たのか僕自身よく解らなかった。

 死ぬ事は怖かったし、実際逃げようと何度も思った。

 でも、出来なかった。

 

 ――――どうして逃げられなかったんだろう。

 

 

◆◆◆


 

 僕は改めてその時の事を思い出した。

 隊長とキースが去ってしばらくすると、大地を振るわす程の羽音が聞こえて来た。

 恐る恐る顔を上げた僕は、そこに絶望的な光景を目の当たりにした。

 

 出来れば10匹、多くとも20匹くらいの群れであって欲しいと願った僕の希望的観測はもろくも崩れ去った。

 空を黒く染めたスズメバチの群れは少なく見積もっても50匹以上はいたのだ。

 

 ――――これは、死ぬ。

 逃げなければ絶対死ぬと確信した。

 だが、震える足は動かず、パニックにならないように自分を保つのが精一杯だった。

 それが僕の意思なのか、軍人としてのカツキの行動なのかは解らない。

 僕は群れに向けて銃を撃った。

 狙いなど必要無かった、適当に撃っても絶対当たる程の数だった。

 

 一匹が地面に落下していくのと同時に、群れ全ての蜂が僕の方を向いた。

 無機質な複眼を赤く染めて、怒りもあらわに一斉に襲いかかって来た。

 

 身を削る程の恐怖に耐えながら、僕はこれで隊長とキースはひとまず安心だと安堵していた。

 この時僕は生まれて初めて理解した、絶望的な状況は恐怖すらも凍てつかせるのだと。


 迫るスズメバチの大群は、僕にとって死そのものに見えた。

 恐怖に硬直する体を叱咤し、僕は群れに向けて銃を乱射した。

 数匹が脱落し、落下していくがまったく数が減ったように見えない。

 まもなく弾が尽き、モニター上に弾切れの文字が点滅した。

 

 ――――もとより、これでスズメバチの大群をなんとか出来るなんて思っちゃいない。

 いくら僕だって、最初から死ぬつもりで残ったわけじゃなかった。

 僕は弾切れの銃を投げ捨てると、両手に3発の火炎弾を用意した。

 2発は隊長とキースの分。去り際にキースが手渡してくれたものだ。

 

 火炎弾は爆発すると、火炎をまき散らし辺りを焼き払う。

 蜂タイプの大群に襲われた時、逃げるために使うのが常だった。

 通常は銃に装填そうてんし、打ち出して使用するのだが、直接コードを打ち込む事で手榴弾のように爆発させる事も出来た。

 これで襲いかかって来たスズメバチを焼き払おうと言うのが、僕の作戦だった。

 

 だが――――

 群れの数が多すぎる。

 

 20匹までなら、一個。多くとも二個の火炎弾を使えば確実に倒せるはずだった。

 だが、この数だと三個全部使っても倒しきれるか怪しい。

 それに、群れ全部を確実に倒すためには、かなり引きつける必要がある。

 こちらもある程度の損傷を覚悟しなければならないだろう。

 その状態で、三個の火炎弾の爆発の衝撃と熱に耐えきれるかは、正直かけだった。

 

「――――!」


 すでにスズメバチの黄色と黒の模様がはっきりと見える距離まで、大群は迫っていた。

 僕は覚悟を決めた。

 どのみち、今から逃げ出したところで逃げ切れるわけがないのだ。

 それなら、一縷いちるの望みに賭ける他はない。

 

 P・E・A・C・E

 

 キースが決めた起爆コードの文字は「PEACE」。

 Peace――平和だって、なんて皮肉。

 

 最後の一文字“E”だけを残し入力を終えると、僕はその時を待った。

 

 

◆◆◆

 

 

「――――結局、あなたの作戦は失敗でしたね」

 

「えっ! そうですか?

 上手くいったと思うんですが……」

 驚く僕を神様がジロリと睨んだ。

 

「確かに爆発である程度まで倒せましたが、それでも10匹以上が残ってたでしょう? 

 おまけにあなたの機体は爆弾三発の衝撃でほとんど動けない状態でしたし、救援が来なければ死んでましたよ、間違いなく」

 

「あははは……すみません」

 図星をつかれて、僕は乾いた笑いを漏らす他なかった。

 確かに神様の言う通りだ。

 動けない状態で、生き残ったスズメバチを見た時は、もう生きた心地がしなかった。

 

 あの時、機転を利かした隊長が近くを哨戒中しょうかいちゅうの他の部隊を見つけて、助けを呼んでくれなければ、きっと死んでいただろう。

 隊長たちが街まで戻っていたら、間に合わなかったに違いない。

 ――――ただ、運が良かっただけだ。

 

「あの時もあなたは、戻らなかった。

 いったいなぜなんです? 何がしたかったんですか?」

 

 神様は問いを繰り返す。でも、やっぱり僕は、はっきりと答える事が出来なかった。



◆◆◆



「それで……次はどうします?

 先ほどの世界に戻る事も出来ますが」

 

「それなんだけど……別の世界も体験してみたいんですが、良いですか?」

「もちろん、良いですよ」


 実は、僕には行ってみたい世界があった。

 それは今思いついたわけじゃない。この転移の話を聞いてからずっと考えていた世界だった。

 でも、それはあまりにご都合すぎて恥ずかしい、妄想みたいな世界だったのだ。

 だから、言い出す事が出来なかった。

 

「それでどんな世界が良いですか?」

「あの……」

 僕は恐る恐ると言った風に口を開いた。

「変なお願いを神様にしたら、後でひどい目に会ったりしませんか?」


「いいえ」あっさりきっぱりと神様は言った。


 良し! ちょっと勇気が出てきたぞ。

 

「どんな願い事でも一つだけ叶えてあげましょう」

 どっかの玉を集めたら出てくる龍みたいな事を言う神様。

 

 ああ――――途端に怪しくなって来たぞ。

 

 「もしかして……そろそろ転移する気が無くなってきたんですか?

  ……それならそれで、別の人に……」

  

 いつの間に取り出したのか、分厚いファイルをめくりながら「ええと……次はどの人が良いかな」なんて、酷い事を言いだす神様。

 

 まずい――――これは、迷っている場合じゃないぞ。

 

「ハーレムです!!」


 神様に顔を近づけて、僕は大声で言った。

 

「可愛い女の子に囲まれてウハウハな、ハーレムの王様になりたいんですぅ!」

 ――――大事な事なので二度言いました。

 

 顔を真っ赤にして言う僕に、神様は「なぁるほど――」なんて、意地悪な顔をして言った。

 

 どうでも良いけどこの人、だんだんと人間くさい反応をするようになってないか?

 

 

◆◆◆



「オニャノコこわい……」


 青い顔をして呟く僕に、神様は「お早いお帰りで」と涼しい顔で返した。

 

「ハーレムは楽しかったですか?」


「楽しかったと言うか……すごかったです……いろいろ」

 思わず顔がニヤけた。確かに魅力的な女の子に囲まれた生活は素晴らしかったし、夢のようだった。

 

 でも――――

 

「でも……知らなかった……女の子があんなに……」

 その時の事を思い出し、僕は思わず身震いした。

 

「――――怖かった?」

 神様が僕の言葉を継ぐ。

 

「はい、怖かったです。女の子の嫉妬があんなに恐いなんて知らなかった」

 僕は自らの体を抱きしめるようにしてうつむいた。

「そんなのは、当たり前ですよ」

「え――――?」

 神様の言葉に僕は、顔を上げた。

 眼鏡の奥の瞳が静かにこちらを見ていた。

 

「彼女たちは人間なんですから。

 “女の子”などと言う架空の生き物ではありません。

 あなたと同じ人間なんです」

 

 静かな声音で諭すように神様は言った。

 

「どの子もすごく魅力的で、良い人たちだったから……だから、僕はみんなと仲良くしたかったのに……みんなに仲良くして欲しかったのに」


「そこが異世界であろうとどこであろうと、人間が人間を愛するという事は、綺麗事だけではすみませんよ。、なんて言っていたらそりゃああなた――――」

 少しだけ――ほんの少しだけ神様は強い語調で言った。そこには微かに僕を責めるような響きがあった。

 

「――――

 神様の言葉が忌まわしい記憶を呼び覚ます。

 刃物を持って泣きそうな顔をした女の子がゆっくりと近寄ってくる光景。

 

 ゴクリと――――知らず喉が鳴った。

 

「――――それで? 次はどうするんです?」

 一転して明るく神様は言った。


 その言葉がまるで呪いを解く呪文であるかのように、僕の体にまとわりつく見えない圧力が消えたような気がした。



◆◆◆



 ある時――――

 僕は、森に住む狩人だった。

 僕以外誰もいない深い森。

 そこでは、人付き合いの煩わしさは無く。

 しかし、人の温もりも無い。


 ある時――――

 僕は世界一の会社の社長だった。

 ……これは、10分でギブアップした。

 だって忙しすぎるんだもの……


 ある時――――

 僕は当たり前の家庭のごく普通の父親だった。

 優しい奥さんと可愛い子どもたちに囲まれて……

 これも半日で根を上げた。

 ……だって子どもの相手って大変すぎる。

 親ってすごいなと、改めて自分の両親の有り難さを再認識した。


 そしてある時、僕は――――

 僕たちは勇者だった――――


「見よ――いばらの道を聖者が歩を進む――正しき者には祝福を――悪しきものには裁きのいかづちを――」


 マクベインの詠唱が狭いダンジョン内に朗々ろうろうと響きわたる。


「まだか――このままじゃ保たない」

 僕は魔力付与エンチャントのかかった大剣を振るいながら言った。


 金色の光をまとった剣に斬られて、空中を飛び回る半透明の悪霊が霧散する。

 だが、雑魚をいくら倒したところで意味はなかった。

 飛び回る悪霊の向こうでこちらを伺っている、黒い翼をもった巨大な悪魔、魔神を倒さない限り。


「――――!」魔神が何か、僕たちに解らない言葉で呟いた。


 突然数本の稲妻の槍が現れ、こちらに向かって飛んでくる。


「魔風よ!」


グァァン――――


 イリヤが魔力をまとった風を電槍にぶつけて相殺した。

「守りはあんまり得意じゃないのよ!

 マクベイン! さっさと呪文を完成させなさいよ」

 小柄な魔法使いは、赤毛のツインテールを振り乱して毒づいた。

 

 僧侶マクベインが片目をつぶって応える。

 

 ――――意外と余裕あるな。

 

 「炎よ雨となって降れ――」

 イリヤの力ある言葉によって、幾筋もの火炎が敵へと殺到する。

 

 「火炎の雨ファイヤーレイン」はかなり高位の呪文のはずだが、これにも魔神はまったく怯んだ様子は無い。

 

「効かないって解っちゃいるけど、むかつくわね!」

 イリヤが悔しそうに叫んだ。

 

 この地下迷宮の主である魔神は、世界でも数体しかいない高位の存在だ。

 強力な結界は並の呪文では歯が立たない。

 何とか傷を負わせても不死に近い肉体はたちどころに傷を再生してしまう。

 とてもじゃないが、人間の手に負える相手では無かった。

 だが――――

 僕たちには切り札があった。

 

 魔神が繰り出す攻撃を僕の魔剣が払い、イリヤの魔法が相殺する。

 僕たちは防戦一方だった。

 だけどそれもマクベインの“空間圧縮ブラックホール”が完成するまでの我慢だ。

 

 空間圧縮ブラックホール――それが僕たちの切り札だった。

 イリヤとマクベイン、二人の共通のマスターから譲り受けた宝玉を触媒として発動するこの魔法は、いにしえの秘中の秘術だ。その威力は凄まじく、文字通り周囲の空間を削り取り圧縮し、異次元へと消し飛ばす。

 この超魔法の前ではいかに不死の魔神と言えど、ひとたまりもないだろう。

 だが、空間圧縮を発動するためには、長い呪文詠唱と精神集中が必要となる。

 その時間はおよそ5分。その間、無防備になるマクベインを守らなくてはならなかった。

 

 永遠に続くかと思われた攻防も残り1分を切った。

 あと少し――――

 僕とイリヤは互いに目配せし、頷き合った。

 

 と、その時――――

 魔神が不意に攻撃の手を止めた。

 悪霊たちが主を守るように魔神の前に集まっていく。

 

 ゾクリと――嫌な予感が脳裏をかすめる。

 それはまるでマクベインを守る僕たちの姿そのものだった。

 

「まずい――――

 アイツ、でかいのを撃つつもりだよ」

 密度を増す魔力の気配を感じ、イリヤが叫んだ。

 

 彼女の声を合図に僕は駆けた。

 捨て身で魔神に斬りかかろうとするが、悪霊の群れに阻まれ攻撃が届かない。

 

 イリヤも必死で呪文を唱える。しかし、先ほどと同じく効果は薄かった。

 なおも追いすがろうとする僕に、悪霊が何事か呟く。辺りの景色がぼやけ、魔神の姿が見えにくくなった。


「幻霧の呪文か! 小賢しいまねを」

 ただのめくらましとはいえ、この状況では効果的だ。


「このままだとアイツの呪文が先に完成――――」

 イリヤがそう言い掛けた時だった。魔神の前に巨大な光の玉が出現した。その輝きと肌を指すような熱量。魔神が放とうとしている魔法の正体に思い当たり、僕は血の気が引く音が聞こえた気がした。


「馬鹿な――――大核爆スーパーノバだ。

 アイツ、この迷宮ごとアタシたちを生き埋めにするつもりだ」

 イリヤも魔法の正体に気づき、叫んだ。


 次の瞬間――――


ヴァッ――――

 

 目を焼かれるような閃光と共に凄まじい衝撃が迷宮全体を震わせた。

 そしてこの時も、僕は戻ろうとはしなかった。

 ただ、せめて彼女だけはという思いでイリヤに覆い被さった。


 最後の瞬間――神様にまた怒られるかな、なんて、そんな事を考えていた。


「…………」


 恐る恐る僕は目を開けた。

 僕は死んでしまったのだろうか?

 それとも、あの役所みたいな場所に戻ったのだろうか?


 徐々に回復してきた視界に、赤い光が見えた。

 麻痺した耳が聴覚を取り戻すと、ガラガラと崩れる瓦礫の音と魔神のうなり声が聞こえた。


 僕は辺りをもっと良く見ようと目を凝らした。

 僕たちと魔神の中間辺りに小さな赤い宝石が浮いている。

 赤い光は、その宝石の輝きだった。

 光はそれ自体が強力な守りの結界であるらしい。

 あれほどの凄まじい魔法が発動したにも関わらず、辺りは無傷だった。


 どうやら命拾いしたようだ。

 安堵の吐息を漏らし、下を見ると責めるようなイリヤの顔が目に入った。心なしか顔が赤い。

 彼女に覆い被さったままだった事に気が付き、僕は慌てて離れた。


「やれやれ……とんだ出費だわ。

 あれ一つで20万はするのに」

 照れ隠しなのか、そっぽを向いてイリヤは言った。

 視線の先には赤い光を放つ宝石がある。


「そうか……守りの魔石か」

「まあね。文字通りお守りってわけ」

 イリヤがウインクを返す。


「さぁ! 今度はこっちの番よ。

 マクベイン、ぶちかましてやりなさいよ」


 振り向くと、マクベインが詠唱を終えていた。

 かざした宝玉が白く神々しい輝きを放つ。


ウォォォ――――


 魔神が慌てて、マクベインに襲いかかろうとする。

 そこへ――宝玉を放った。


「閉じよ――――」

 マクベインが発動の呪文キーワードを口にした。


パキィィン


 宝玉が砕ける乾いた音が響きわたり、突然漆黒の穴が姿を現した。魔神を中心に空間が歪む。

 景色が渦巻き状にねじれたかと思うと、凄まじい勢いで、周りにあるすべての物が黒い穴に吸い込まれていく。


グァァァァァァァァァァ――――――――


 魔神が吸い込まれまいと近くにある石の柱に手をかけた。

 しかし、全てを吸い込む暗黒の穴は、巨大な柱ごと魔神を飲み込んだ。

 断末魔の雄叫びを残し、ついに不死の魔神も最後かと思われたその時、異変は起こった。


ユラリ――――


 僕たちのいるすぐ側の空間が歪みはじめた。

 ビリビリと迷宮を震わせて何かが姿を現そうとしている。


「マジか……」マクベインが呟く。


「召還だ! 魔神のヤツ、最後の悪足掻わるあがきに置き土産を残して行きやがった……しかも……こいつは」

 さしもの女魔法使いの声も悲鳴に近かった。

 気丈に振る舞ってはいるが、彼女ももはや限界を超えている。


「なんて事だ……」

 僕も呆然と姿を現したソレを見上げた。

 この広い迷宮の天井に届きそうな巨体。

 赤く固い鱗に長い尾。頭から背にかけて大小幾つもの角が生えている。

 長く鋭い牙がびっしりと並んだ口は、人間などひと呑みに出来るくらい大きい。

 そして、無機質な瞳には恐ろしい事に知性の輝きがあった。

 

「ドラゴンだ……」

 僕の声はかすれていた。



◆◆◆



 竜殺しが勇者にとって最高の称号の一つである事からわかるように、ドラゴンとはこの世界における最強のモンスターの名だ。

 数千数万年、悠久の時を生きたドラゴンはエンシェントドラゴンと呼ばれ、神に等しい力と知識を持つと言われている。

 ゆえにドラゴンに挑むのは、神に挑む事に等しい。

 ドラゴンとは、尊敬と信仰の対象であると共に、絶対的な死の象徴でもあるのだ。

 

「逃げろ――――!」


 声の限りに僕は叫んだ。

 もはや僕たちにドラゴンに対抗する手段はない。

 特に回復と防御を担当するマクベインの精神力が空間圧縮の呪文で尽きている。

 この状態でドラゴンと戦うのは死にに行くようなものだ。

 

 後はもう、逃げるだけだった。

 幸い、僕たちにはイリヤの転移の魔法がある。

 この魔王の玉座には転移を封じる結界があるが、ここを出さえすれば、地上まで転移出来る。

 

 だが、部屋の出入口までは数百メートル。

 そこまで無事にたどり着けるかどうか……

 ――――なんと言ってもドラゴンにはアレがあるのだ。

 

「待って――――マクベインが!」

 手を引いて駆け出そうとした僕をイリヤが制止した。

 

「早く逃げなきゃ……」

 振り向いた僕の目に、ドラゴンに向けて手をかざすマクベインの姿が映った。

「逃げよう」と声をかけようとして、その意図を察した。


 空間圧縮ブラックホールが消えていない。

 暗黒の穴は今なお勢いを弱める事なく、周囲の全てを飲み込んで行く。

 そして、ドラゴンの巨体ですらジリジリと穴に吸い込まれ始めていた。

 

 踏ん張り、暴れるドラゴン。

 その所為で、僕たちを追う事が出来ずにいる。

 チャンスだった。

 今をおいて逃げる機会は無い。

 でも――――

 

「このデカブツは俺が食い止める。

 おまえらは、その隙に逃げろ」

 僕の迷いを察し、マクベインは言った。

 精神力を使い果たし、頬はこけ、目は落ちくぼんでいる。

 限界を超えた集中で毛細血管は破裂し、顔中まだらのシミがあった。

 

 だが、彼の瞳は優しい光を宿している。

 兄のようであり、親友でもあるかけがえのない存在。

 僧侶のくせに軽薄でお調子者で、しかし誰よりも大人で皆の事を考えていた。

 大好きなマクベインが静かにこちらを見ていた。

 

「魔神討伐の報酬は、おまえたち二人で分けろ。

 俺の分は……そうだな、おまえたちの結婚祝いだとでも思って受け取ってくれ」

 憎らしいくらい、いつもの調子でマクベインは笑った。

 そして、さよならも言わず、僕たちに背を向けた。

 

「余計なお世話だわ。……べ……別にアタシはこいつの事なんか何とも……」

 そう呟いて、イリヤは僕の手を引っ張った。

 

 その時――――

 

グルルルゥゥゥゥ――――


 ドラゴンが喉を鳴らした。

 息を大きく吸い込み、腹が膨らんだ。

 口元からチロチロと炎が漏れる。

 

「早く行け――――ブレスが来るぞ」


 マクベインが叫ぶ。

 その言葉と共に、僕たちは弾かれたように駆け出した。

 振り返らず、一直線に出口を目指す。


 ドラゴンの口から超々高温の火炎が吐き出された。

 だが、暗黒の穴が一瞬勢いを増し、巨体のバランスを崩した。

 火炎が反れ、天井を焼く。

 僕たちが出口に転がり込むと同時に、炎の奔流が部屋中をなめ尽くした。

 

「マクベィィィィン――――――!」


 僕たちの呼びかけに、あの心優しい僧侶が応える事は、無かった。

 

 

◆◆◆



 僕は泣いた。

 神様の前に戻って来た後も、僕は涙が涸れるまで泣き続けた。

 それは、今まで僕が体験した事のない涙。


 そして僕は知ったのだ。

 人は大切な――かけがえのない存在を失った時、頭で悲しいと考える前に涙が自然と溢れてくる。

 ――――心が泣く。

 ――――魂が涙を流すのだ。


「神様……」

 顔を上げて、僕は言った。


「僕がここへ戻ったら、あの世界での出来事は無かった事になりますか?

 ……マクベインは死なずにすみますか?」

 

「いいえ」神様はきっぱり言った。

 その声は冷たい響きを帯びていた。

 

「たとえ神であろうと、過ぎた時間を戻す事は出来ません。

 死んだ者を蘇らせる事は出来ないのです」

 

「そんな……」


「そろそろ、あなたにも理解出来たのではないですか?」


「…………」


「異世界であろとどこであろうと、それが全て紛れもない現実であるという事に」


「現実――――」

 噛みしめるように、僕はその言葉を呟いた。

 その意味が、重さが今の僕にはよく解った。

 

「全て現実。そこに暮らす者たちにとっては、逃れる事の出来ない現実に他ならない。

 たとえあなたにとって夢のような世界であっても」

 

 それはまさに神託のように僕の心に響いた。

 今、目の前にいる男が紛れもなく神であるのだと、この時初めて僕は理解した。

 

「もう一度、あなたに聞きましょう。

 なぜ“”逃げなかったのですか?」

 全てを見通すような瞳が僕を見つめていた。

 

「恐かったからです」

 自然と言葉は出てきた。

「僕の犯した罪が、誰かの死が恐かった。

 たとえ逃げ出したとしても、誰も知らなくても――僕自身が覚えている。

 裁かれる事はなくとも、僕が僕の魂を裁く。

 その罪を、逃げ出したという負い目をずっと抱えて生きて行くなんて、そんなのゴメンだ。それは死ぬよりも恐い事だ」

 僕もまた、神様の目を見つめて言った。

 それは、もしかしたら、僕自身に向けた言葉だったのかもしれない。

 

 なぜなら、僕はもう決心していたから。

 

「なるほど……」

 一瞬神様が笑ったような気がした。

 

「本当は、神がこんな事を教えてはいけないのですが……」



◆◆◆



「おはようございます!」

 出社し、部署のドアを開けると僕は元気よく挨拶をした。

 

「おはよう……」

 すでに仕事の準備を始めていた同僚たちが驚いたように僕を見、挨拶を返した。

 

 僕は自分の席につくと自身に気合いを入れた。

「さあ、僕の新しい現実の始まりだぞ」



◆◆◆



 忙しくて煩わしいいつも通りの一日が過ぎていく。

 怒られたり、少しへこんだり。

 

 以前の僕なら、どうしてダメなんだろう。

 どうして皆と同じように出来ないのだろうと思い悩んだりした。

 失敗したら、僕は悪くない、悪いのはアイツだと他人に失敗の責任を押しつけた。

 

 でも、そうじゃない。

 みんな同じだ。

 みんなそれぞれに苦しんでいるし悩んでいる。

 他人に責任を負わせるよりも、自分の中に次に活かせるかてを探そう。

 今、出来る事に集中しよう。

 ないものを悔やむより、手の中にあるかけがえのないものを大切にしよう。

 

 僕を責める事がなかった、隊長とキースのように。

 

 どの世界であろうと、僕たちがここにいられる時間は限られている。

 自由に生きられる時間となれば更に短い。

 そんな刹那の生を誰かを恨んだり憎んだりする事に費やすなんて馬鹿馬鹿しい。

 誰かをうらやんだところで、その人が本当に幸せなのかなんて、本人以外は誰にもわからないのだ。

 それよりも、少しでも誰かの良いところを見つけて

 誰かを愛したい。

 考えるだけで心が温かになるような

 そんな誰かの事を想って生きたい。

 

 死の間際でさえ、僕たちの事を案じたあの心優しい僧侶のように。

 

「もしもし」

 仕事帰り、土手を歩いていると携帯が鳴った。

 

「もしもし、俺だけど」

 懐かしい声が聞こえてくる。

 

「どうしているか気になってな。

 余計なお世話だったかな」

 そう言って先輩はアハハハと笑った。

 その笑い声は誰かに似ていた。

 

「煩わしいですよ。

 田舎に逃げて来ましたが、こっちも都会に負けず劣らず煩わしい。

 忙しくて、面倒くさくてまいりますよ」

 

「へぇ……変わったな」

 愚痴ぐちる僕に先輩は驚いたように言った。

 

「変わった?」


「ああ……以前のおまえならそんな事を言わなかったよ。

 問題ありません、なんて誤魔化ごまかしたんじゃないかな」


「そうですかねぇ……でも相変わらず人付き合いは苦手ですよ。

 人間関係って難しいですよねぇ」

 

「アハハハ、そりゃあおまえ、当たり前だよ。

 誰だって人間関係は難しいし、上手くいかない。

 この世の悩みの全ては対人関係から、なんて言ってる学者もいるくらいだもの」

 

「へぇ……でも、先輩は別でしょう?

 人付き合いは上手いし、友達だって多いし」

 

「そんな事はないよ!」

 電話の向こうで先輩が大仰に首を振ったのが見えたような気がした。

 

「人付き合いも苦手だし、知人は多いかも知れないが、本当に気が合うと思えるような友人はほとんどいない。

 ――――そうだな、すぐに思いつくのは、おまえくらいだ」

 

「え――――!」

 今度は僕が驚く番だった。

「本当ですか? 初耳ですよ」


「そりぁあ、おまえ。初めて言ったからな」

 少し照れくさそうに先輩は言った。

 

「――――でも、おしい。これで先輩が女の人なら、ドキドキするところですけどね。生憎と僕はそっちの趣味は無いんですよ」


「俺だって無いよ」と先輩は笑った。

 その懐かしい笑い声を聞きながら、僕は最後に神様が言った事を思い出していた。

 


◆◆◆



「本当は、神がこんな事を教えてはいけないのですが……」

 神様は指を立てて「ナイショで」と言った。

 

「魂の存在については、聞いた事があるでしょう?」


「ああ……輪廻転生ってやつですか?」


「そうそう……そんな感じのヤツです」

 僕の答えに頷く神様。

 

 そんな感じって……

 

「魂と言うのはあなたの核みたいなもので、実はこちらが本体なんです。

 死のうが別の世界に転移しようが、核はいっしょ。

 シチュエーションが違うだけで、中身は同じなんですよ」

 突拍子もない話だったが、転移を経験した僕にはなんとなく納得出来た。

 

 それにしても……わりと壮大な話を適当にまとめたな。

 神様がそんなのでイイのだろうか。

 

「この核同士にも相性がありましてね。

 相性の良い核同士はき合うんですよ。

 ――――ですからね」

 神様は少し顔を近づけて、ささやくように言った。

 

「――――きっとまた会えますよ」



◆◆◆


「ねぇ……先輩。

 前に先輩は人生は大半が待ち時間だって言いましたよね」


「ああ…そんな事言ったっけな」


「僕は待ち時間なんてゴメンですよ。

 楽しい事がなければ、待たずに探しに行くし、会いたい人がいれば会いに行きます」


「なるほど……」


「だから、今度そっちに遊びに行きます。

 先輩はせいぜい首を長くして待っていて下さい」


「……おまえ、本当にそっちのは無いんだろうな?」

 先輩は「うへぇ」なんて声を上げて、嫌そうに言った。


「――――当たり前です!

 僕だって友達は少ないんですから、気の合う友達は大切にしたいんですよ」


「おお! 待っててやるから来い来い。

 今度妹が大学に受かってこっちに住む事になったんだ。

 丁度良いからおまえに紹介してやるよ。ちょっと気が強いところがあるけど、可愛いヤツだから」


「先輩に似てるんじゃないでしょうね?」


「残念ながら似てない――――」


 僕たちは笑い合い、再会を約束し合った。

 見上げると夜空には、綺麗な星が瞬いている。

 田舎の良いところは、星が綺麗なところだ。


 見上げる僕の頬を涙が一筋伝った。

 それは、過ぎた別れと来るべき再会を想う雫だ。

 そして、そこには新しい出会いも待っているに違いない。


「ちゃんと会えましたよ、神様」

 心中で僕は呟いた。

 あの人の事だ、きっとどこかで聞いているに違いない。

 なんてったって、神様なんだから。



—完—

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太陽系50番地第108銀河転移課 原田ダイ @harada-dai

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