死神様のお気に入り

豆崎豆太

死神様のお気に入り

 天は二物を与えず、なんて嘘だ。

 得てして外見に恵まれたものは二物三物を得る傾向にある。自尊心というものはそれだけ些細で、尊いものなのだ。それらはもちろん彼や彼女のせいではなく、もちろん私のせいではない。

 神が御自ら作りたもうた人形を愛でているかのような、神様のお気に入りとしか形容できないような人間も世の中にはいて、それを前提とするならば私は間違いなく、失敗作だ。それもやはり、私のせいではない。

 たとえ週に二度、カラスの糞を頭に浴びようとも。


 死にたい。その日何度目かにそう呟いた時、それは現れた。

「呼ばれて飛び出てじゃっじゃじゃーーーーーん!!!!!」

 空から降ってきたように見えて思わず天井を振り仰ぐ。穴は開いていない。視線を戻すと、私の部屋にいるはずのない、私の知らない人がいる。人型をしているけれども、人と言うのは不適切かもしれない。ばらばらに切られた黒髪、一周回っておしゃれにすら見えてくる服装、華奢な体躯。のっぺらぼう。本来顔があるはずの頭部の前面は、肌色の皮膚が全面に塗りつけられている。

 少しの間凝視してしまったせいか、その人は少しの間「じゃっじゃじゃーん」のポーズで固まった後、自分の顔をぺたりと触って悲鳴を上げた。

「うっそ、顔がない!? なんで!?」

 うるさい。

「俺これどこから喋ってんだろ……」

 知らない。

「どちら様ですか」

 喉から絞り出した声は、自分でも情けなくなるほど掠れ震えていた。みっともない。消えたい。

「俺? 死神」

 そんなバカな。

「そしてなんと、君が『死にたい』と呟いたのはさっきので人生通算一万回目です! 若干二十三歳! なんというハイペース! 生まれてから一万日も経ってないのに!」

 自称死神は手のひらをぱちぱちと鳴らす。

「そんで俺のこの顔なんだけど、実は呼び出した人の好みに変わるやつなのね。だから普段はイケメンなんだけど、このケースは初めてだわ。何、視線恐怖とかあれ系? 見えてるし喋れてるし聞こえてるから俺としては別に不便でもないんだけどさ。うわ眼窩ある怖っ」

 彼は自分の顔をまさぐりながらべらべらとまくし立てる。一人暮らしの部屋、誰も居ないはずのこの場所に現れた不可解な「自称死神」に対して先に動いたのは、恐怖よりも期待だった。

「死神って、……殺してくれるんですか」

 私はこの十年を自殺願望と一緒に生きてきた。死にたくて、消えてしまいたくて、これ以上生きていても仕方ないと思っているのに、つらいことも悲しいことも増えていくばかりなのに、それら全てを無駄だったと言い切る勇気がないままにずるずると生きてきてしまった。

 自称死神は私を頭の天辺からつま先まで眺めるふりをし、また顔をこちらに向けた。目があるわけではないので、人に見られる恐怖というよりは人形が勝手に動く不気味さのようなものを感じる。

「そのつもりだったんだけど、名前なんていうのあんた」

「堀北」

「下は」

「……麻紀」

 これが、私が死にたい理由のひとつ。自称死神は大袈裟に顔をしかめ、仰け反って、あちゃー、と言った。のっぺらぼうなのに表情が器用だった。

「ホリキタマキって。だめでしょその顔でその名前は」

 私に言われても困る。

 生まれつき藪睨みの目を前髪で隠し、ギザギザの歯と骨ばった鼻をマスクで隠し、髪を伸ばし暗い色の服を着て目立たないように生きてきた。俯向く形に曲がった背骨とその風態で、ついたあだ名は口裂け女。それと、死神。

「あんたに『死神』ってアダ名つけたやつすげーな、ハナマル満点だわ。超それっぽい。似合う」

 私に言われても、困る。

「そんでさあ話戻るんだけど、マキちゃんものすげえ俺の好みなんだよね」

 は?

「俺ら基準、俺らって死神ね、死神基準で言うとすげー美人なんだよ。んで死神ってほら、基本生きてる人相手の商売だし、殺しちゃったらそれで終わりみたいなとこあるし。もうちょっと生かしたまま付き纏っときたいんだよなー」

 しっかし死相濃いわー、と、自称死神は感心したように言う。本人(人ではないらしいので本人と言うのが正しいかはわからない)の様子を見る限り、褒めているのだと思う。

「ってわけでちょっとの間付き纏わせてよ。悪さはしないから」

 死神だけど。自称死神はからりと笑う。


 「死にたい」が、いつからか「死ななくてはならない」になった。死ななくてはならない。私は私を許さない。存在も呼吸すら許したくない。とっとと役目を果たして死ね、果たせないのなら今すぐ死ねと何かが耳元でささやく。私は少しでも早く死ななくてはならない。

 もう生きていけないと、私は何度思ったのだろう。死のうと思うようになって、もう十年が経つ。のうのうと生き延びてきた長い時間。もう生きていけない。早く死ななくてはならない。死ぬ力さえ失ってからでは遅いのだ、なにもかも。

「……死にたい」

「マキちゃんそれもう口癖になってんのな」

 部屋の真ん中に腰を下ろした死神が言う。私は部屋の隅で膝を抱えている。私の部屋なのに。

 家族と暮らすのがつらくなって一人暮らしを始めた。けれど、仕事がつらい。自分に能力のないのがつらい。周囲に迷惑しかかけていないのがつらい。仕事をやめてしまいたいけれど、そうすれば生活ができなくなる。実家に戻ればそれもまた元の木阿弥だ。ああやっぱり死んでしまおうと、何度でも同じ結論に辿り着く。

 家族という仕組みに不向きで、交友という仕組みに不向きで、社会という仕組みに不向きで、そうなれば死ぬしかないじゃないか。ああ違う、私が向いていないのは家庭じゃなく、交友じゃなく、社会でもなくて、私自身だ。私は私に不向きなのだ。死にたい。もう嫌だ、何もかも嫌だ。

「マキちゃんほんっと死相濃いわー」

 死神は嬉しそうに呟く。価値観がわからないので聞き流すしかない。

「マジで可愛い。死に顔見たい。ああでもどうしようこのまま生き地獄に置いておく方がもっと輝く気がする」

 物騒なコメントが聞こえて気が散る。そもそも自分の部屋にいるのに一人になれないことがストレスを生んでいる。というか、

「なぜちゃん付けなんですか」

「うん? そんな変なこと? 嫌だった?」

 嫌というほどではないが、違和感がある。私を「マキちゃん」などと呼ぶのは、今はもう母方の祖母ひとりしかいないから。

「じゃあマキ。これでいい?」

 返答するのもうんざりしてしまって私は口を噤む。今日だけで、既に先週一週間分くらいは発声している。声を出すのは疲れる。自分の声なんて聞きたくもない。それを他人に聞かれるなんて、恥ずかしいを通り越して後ろめたくすらある。会話は下手だし、呂律は怪しいし、みんなみたいに明るい声を出せるわけでもない。暗くてくぐもってて聞き取りにくい嫌な声。

「まあ、声出さなくても読めるからいいんだけど」

 何を。

「心。読心術ってやつ。ガチ版」

 なるほど。それは、迷惑だ。


「もっと可愛い格好すればいいのに」

 翌朝、出社のための身支度をする私に死神が言った。死神は私が眠る間、ずっと部屋の中にいたようだった。眠りが浅かったせいか、頭痛がする。

 ブスが色気付きやがって、気色悪い、可愛いつもりなのかあれ、自分を客観視できてない、いくつかの罵詈雑言が瞬間的に脳裏を駆け巡って少し目を閉じる。私は、できるだけ清潔感があってできるだけ暗い色の服しか着ない。

「じゃあ真っ黒のローブとかどう? 似合うと思う」

 死神は期待を声いっぱいに浮かべる。真っ黒のローブは自分でもきっと似合うと思うけど、不気味にしかならないので勘弁してほしい。


 その日は、というかその日も厄日だった。苦手な仕事でミスをし、そのミスに落ち込んでいる間にまた別のミスをする。連鎖的に繰り返したミスのせいで残業になり、遅くなった帰り道では見知らぬ男性に声をかけられるおまけ付き。

 食事なんてよほど気の知れた人が相手でも嫌なのに、知らない人となんて絶対に行きたくない。私はただ話を遮り、頭を下げてその場を離れる。

「調子乗ってんじゃねえぞブス」

 去り際に吐き捨てられて小さくため息を落とす。そんなことは知っている。なにせ、鏡を見るたびにこの顔が映るのだ。

「自分から口説いておいて袖にされたら『ブス』ってあれ何?」死神が男の背中と私とをちらちら見比べて首を傾げる。「可愛いと思ったから声かけたんじゃねえの? どういうこと?」

「ああいうのは弱そうなのに声をかけるの。自分が見下せる人に声かけて、思い通りにならなければ腹を立てるの」

 あれは好意ではなくただの暴力だと私は思う。他人を見下すことでしか自分の価値を確認できない人が、見下し踏みつけてもいい存在を探して彷徨う。鞄を抱え俯いて歩く女に声をかける人間なんて、宗教の勧誘かああいう人間だけだ。

「ふーん。見る目あると思ったのに」

 呟いた死神が、ふと視界から消えた。人混みに紛れたのかと思って視線を動かしたとき、更にその背後で悲鳴が上がった。人垣が一度割れて、遠巻きに人だかりができる。

「マキ、俺こっち」

 声のした方向を振り返ると、死神が立っていた。

「……今、何かした?」

「ううんなんにも」

 死神は両手を振って潔白を訴えるポーズをした。嘘だと思いながら、それでも少し胸がすいたので追求はしない。


 部屋に戻る。鞄を置く。スーツを脱ぐ。気が緩んだのか、昼間のミスが脳裏に蘇って涙が出てくる。

 人に話しかけようと思えば勇気がいる。相手の忙しくないタイミングで、適切な言葉遣いで、自分の伝えたいことをまとめて、できるだけ暗くならないように、よほど心の準備をしても少し予想外のことを訊き返されればパニックになってしまう。失敗は積み重なって、予期不安で喉が詰まって、冷や汗が浮いて動悸がして、終いには声すら出せなくなる。

 どうして訊いてくれないの、どうして先に言わないのと責められる度に消えてしまいたくなる。悪いのは私だとわかっている。でも、誰だって強いわけじゃない。正解がわかってたってそれを選択なんてできない。弱い自分が大嫌いで、けれど強くもなれなくて、だから死にたい。消えてしまいたい。

 泣いても泣いても涙が枯れるわけじゃないのが憎たらしい。ブスの目にも涙。誰も得をしない。

 ちょっと寿命縮むけど、ごめん、と前置いてから、死神は私の頬に触れた。指の腹で涙を拭われる。体温のない冷たい指が心地いい。

「マキは優しすぎるんだな」

 死神は頬杖をついて言う。笑っているような困っているような曖昧な声をしている。

「自分が優しいから、自分が我慢してるから、周りも同じだと思ってんだろ。でもさ、誰も彼もそこまで優しいわけじゃないよ。マキほど優しい人間は、そうそういない。俺はそれ長所だと思うけど、苦しいならやめちゃえ。自分を犠牲にする必要は無いよ」

 私には、耳元で死ねと囁き続ける存在がいる。お前なんか生きてる価値も資格もない、死んでしまえ、それができないなら人様に踏みつけられて靴でも舐めてろ。私はそれを死神と呼んでいたけれど、目の前にいる自称死神はそれよりも、大分優しい。

「まあそれはほら、美人にはいい顔したいのが人情じゃん?」

 人じゃないけど。死神は笑う。つられて私も笑う。

「じゃー俺そろそろ帰るね」

 丸一日つきまとってごめんね。座っていたところから立ち上がるような自然さで、死神はふわりと地面から足を離した。

「連れて行ってくれないの」

「だってマキ、この世界、好きじゃん」

 死神は首を傾げ、指し示すように両腕を広げた。私は首を振る。死神は笑い声を立てる。

「この世界が好きだから認められたくて、それがうまくできないから苦しいんでしょ。この世界が嫌いだっていうんなら連れて行きたかったけどさ、好きなもんには向き合っといた方がいいよ。後悔することもあるかもしんないしね」

 ほんのりと愉快そうな声色。腕を降ろし、石ころでも蹴るみたいに足を揺らす。

 死神の言っていることは正しい。この世界はきれいだ。私はこの世界が好きだ。でも、自分がそれにそぐわない。無能で不格好で、まるで白いキャンバスに落ちた黒いシミみたいで、邪魔で不愉快で、だから死にたいのに。

「この世界はマキが思ってるほど美しくはないよ。誰だって強いわけじゃない。弱い人間も、ずるい人間も、ちゃんとこの世界にはいる。許すとか許されるとか、そんなのは無い。みんながみんな、ただ生まれて、ただ生きて、ただ死ぬ」

 ただ生まれて、ただ生きて、ただ死ぬ。無意味に、苦しんで泣いて。そんなの、最悪だ。

「最悪と最高は実際そんな変わんないよ」

 大丈夫。死神は言う。マキなら大丈夫。優しくて真面目で、とびきりの美人だから。

「というわけで、マキが死ぬときにまた来るよ。それまで、神のご加護がありますように」

 言いながら私の頬に口元の皮膚を擦りつけて、「死神だけど」と付け足してから、名前も知らない死神は風に溶けた。

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