第9話 僕が空を飛ばない理由
光が見える。無数の、星の数よりずっと沢山の光。
★
『大人だってはじめはみんな子供だった。だが、そのことを覚えている大人はほとんどいない』サン・テグジュペリ
全くだ。予鈴と共に、僕は本を閉じて席を立つ。
「みづき、また保健室?」
「うん、具合悪くて」
「分かった、先生に言っとく」
先生が来る前に、早歩きで教室を出る。予鈴が鳴っているから、廊下に児童はほとんどいない。
保健室に通い始めた時は、保健委員だとか一々付き添いに来てくれたけど、もう誰も付き添いなんか来てくれない。もちろん、僕もそれを望んでいる。
「失礼します」
保健室のドアを開ける時は、毎回何故かドキドキするんだ。毎日開けているんだけど。
「あら、また来たの、酒井くん」
「具合悪いんです。休ませて下さい」
僕は、記録簿に現在時刻と名前、症状を慣れた手つきで記入して、体温を測る。
「また昨日の夜も空を飛んでいたの?」
「そうだよ」
先生はまた困った顔をする。いいんだ、先生だって信じてくれてない、って分かっているから。
「ほどほどにしないとね」
「どうして?」
「どうして、って……」
「先生は空飛んだことないんでしょ?だから分からないんだよ。どんなに気持ちよくって、楽しいか」
「どんなに楽しくっても、夜はきちんと寝ないと勉強遅れちゃうよ」
「じゃあなんで勉強しなくちゃいけないの?」
先生は一瞬、眉間に皺を寄せ、ものすごく面倒な顔をして、僕から顔を逸らすと笑顔で言った。
「勉強しなくちゃ、大人になれないんだよ」
そんなの滅茶苦茶だ。でも、これ以上は先生が可哀想だから聞かないであげる。
体温計が鳴った。35.9度。熱はない。むしろちょっと低すぎる。
二つあるうち、奥のベッドに潜り込んだ。真っ白いシーツから、洗濯物の匂いがする。二時間目から、四時間目までこのベッドで過ごす。
夜の間、空を飛んでいるから、日中代わりに眠くなるんだ。
空を飛んでいるなんて、正直に言わなければよかった。
ママにもパパにも、先生にも友達にも。
最初は笑われただけだし、僕が毎日言い続けると、友達は僕のことを嘘つき呼ばわりし出して、ママは震えながら僕を精神科に連れて行った。
あんまりだ。
枕元に置いた本に目をやる。僕にはまだちょっと難しい本だけど、この前書きが好きで、最近は毎日持ち歩いている。
僕がサンさんの言葉を借りて、ここに名言を残す。
『全ての子供には力がある。だが、その力を覚えている大人はほとんどいない』酒井・聖
空を飛べる子供もいれば、森の中でトトロと出会う子供もいる。
子供のうちに、子供しか体験できない世界への切符をみんな産まれながら、神様に持たされているんだと僕は思う。
ただ、その切符を使うかどうかは、その子次第。僕は、運良く、自分の切符に気付いて、今では毎日空を飛んでいる。
★★
「グッドナイト!」
今日はアンコールワットの上空で、待ち合わせだった。僕らの挨拶はグッドナイトで始まり、グッドモーニングでまた明日、を意味する。
「(世界で有名なアンコールワットも、ライトアップされていないと気味が悪いだけだな)」
「(ライトアップされてる所へ行こうぜ)」
「(そろそろナイアガラの朝日の時間じゃない?)」
「(ナイアガラの朝日はこの間行ったばかりじゃないか)」
「(だって綺麗じゃない!)」
僕らは一斉にカミーラにブーイングする。カミーラは、ふん!と怒って頬を膨らませる。僕の記憶では、ナイアガラの朝日を見に行ったのは、確か一昨日だ。カミーラが好きなせいで、一昨日以前も、何度も見に行っている。
「(綺麗なのはナイアガラの朝日だけじゃないだろ)」
「(イエローナイフのオーロラ、インドのピラミッドにマダガスカルのバオバブの木)」
「(俺は日本や香港の夜景も好きだぜ)」
「(分かる。みづきは?)」
「(僕?えっと、そうだな。ありきたりだけど、この太平洋の上を飛びながら見る星空かな)」
一斉に、Yeahの声が揃う。少し照れる。
カミーラも、この太平洋と星空のせいか、すっかり機嫌を取り直している。
オーストラリア人のトム、ロシア人のカミーラ、韓国人のチョンハン、インド人のリアン、そして日本人の僕。
本当は、アメリカやヨーロッパの子もいるんだけど、時間の関係でほとんど入れ違いになって、あまり話したことがないんだ。
でも向こうは向こうで仲良くつるんでいるみたいだし、僕らもすごく仲が良い。
僕らがどうして空を飛べるのか、そんなの僕らにも分からない。
唯一、分かっていることは、僕らはそれぞれベッドの上で眠りにつくと空を飛んでいる、っていうこと。そして、僕らはみんななぜか6歳だということ。
最初は悪夢だと思った。
初めて空を飛んだ時は、本当にすごく怖かった。夜、布団に入って寝ただけなのに、僕は空高くに浮いているんだから。足は震えるし、下は見れないし、呼んでも誰も助けに来てくれなかった。生きた心地がしなかったね。
でも、これが毎晩だもの。物は考えよう。あれ?僕、空を飛んでる。自由自在に飛び回れる。最高だった。世界は、テレビで見るより広くて綺麗で、果てしなかった。
世界三大夜景とか、世界遺産とか、世界〇〇、そんなの机の上で習うより、行ってみた方が早かったんだ。
空から見た東京の夜景、富士山、日本列島。万里の長城、タイの仏像、ロシアのムスク、南極のペンギン。
夢を見ているみたいだった。ううん、ママが言うには、夜の間、僕の身体はベッドの上にあるって事だから、もしかしたら夢なのかもしれない。でもそんな事どうだっていいんだ。
大事なのは、世界が綺麗で、僕は感動したって事。
もちろん、全部一人で見てきた訳じゃない。
最初に出会ったのはトムだった。
あれは、イエローナイフのオーロラ。丁度オーロラが多発した夜だった。黄色や緑に色を変えながら、畝る波が幾重にも重なって、まるで生きている竜のようだった。一人で興奮して見ていた僕に、トムから話しかけてきたんだ。空を飛んでいるのが僕だけじゃない、って分かったのと、オーロラがあまりにも綺麗で、僕たちは出会った瞬間にハグしながら泣いたっけ。今、思い出すと本当に笑える。
あの時、僕はカタコトの英語で、名前を言うのがやっとだった。
でもトムは毎晩、僕に英語を教えてくれた。
それからチョンハン、カミーラ、リアン、と増えて、リアンが来た頃には僕の英語もだいぶ流暢になっていて、リアンには教える側に回ったくらい。ふふふ、僕の英語をママが聞いたら、腰を抜かすと思う。
「(で、この後どこ行くんだよ)」
僕らは太平洋の上をぐるぐると飛んでいた。太平洋上は、障害物もないし、目的がない時に駄弁るのにもってこいの場所なんだ。
「(中国の武陵源は?)」
「(やだ!怖い!)」
「(夜景が綺麗なところ、最近行ってないところ、か)」
「(パンゴン湖は?)」
「(どこそこ?)」
「(インド。湖に星空が反射して、きっと綺麗だよ)」
「(オッケー。決まり!)」
湖は、僕らのお気に入りスポットだ。最近はもっぱらロシアのバイカル湖ばかり行っていた。
「Yeah!」
パンゴン湖はバイカル湖より小さい。でもすっごく広い。山に囲まれていて、湖に星空が反射して、まるで宇宙に浮いているみたいだ。僕らは思い切り飛び回ると、肩を組んで、馬鹿みたいな大声でビートルズを歌った。ビートルズとディズニーは世界共通なんだ。
★★★
「グッドナイト」
その日はいつもと違った。
カミーラの隣に、見慣れない女の子がいた。ひどく怯えている。初めて来たら、怖いのは当たり前だ。僕たちは、新しい子を迎え入れるのも、中々上手くなったと我ながら思っている。
「(アリューシャン列島の上空で一人でいたから、連れてきたの)」
「(初めまして)」
「(心配しないで、何も怖いことはないから)」
「(僕も最初は怖くて一人で泣いたよ)」
僕たちは、いつも以上に優しく話しかけた。
でも、彼女の震えは治らなくて、結局英語も通じないし、一晩中ずっと彼女に話しかけて終わってしまった。
しょうがないよね、空を飛んだことがある子なんて、今まで一人も来た事がない。みんな初めてなんだ。だから優しくしてあげなくちゃ。
でも次の日も、次の次の日も、彼女はずっと震えているだけだった。
よく見たら、着ている服はボロだし、髪もホコリをかぶっているようだった。もちろん、僕らはみんな寝間着で、きちんとした服なんか一人もいない。でも彼女は、何て言うのかな、すごく年季の入った洋服で、もう長いこと洗濯していないように見えた。こう言ったら失礼だけど、まるでホームレスの人みたいな格好なんだ。
その上、笑いもしないし、何て言ってるか分からないし、正直、僕らは白けてきた。そんな態度の僕らをカミーラは睨んでは何かと注意してきた。
「(みんな、もう一度自己紹介して!)」
「トム、ミヅキ、チョンハン、リアン、カミーラ」
「(君の名前は?)」
「……ナダレ」
「ナダレ!」
僕らは顔を見合わせた。
彼女が来て、三日目。やっと名前が分かった!
ナダレは服装こそボロだが、目鼻立ちはしっかりしていて、カミーラに負けないくらい可愛い顔をしている。
よし!この調子でどんどん仲良くなるぞ!トムと僕は目を合わせると、同じ事を思ったらしく、笑顔も合わせた。
ナダレが来て一週間。僕らはナダレを色んな所へ連れて行った。空が飛べるようになったら、まず行っておきたい場所トップ10、って所かな。
最初はあんなに怯えていたナダレだったけど、言葉はまだまだ通じなくても、少しずつ色んな表情を見せてくれるようになった。オーロラに目を見開いて驚いて、太平洋を泳ぐトビウオの群れにはしゃぎ、シンガポールの夜景にうっとり見惚れて、エアーズロックの朝日に目が潤んだ。
ナダレの新しく見る表情の一つ一つが、僕はなんだか嬉しくて、どこに行ってもナダレを目で追っていた。ナダレは、どんな景色を見ても、ふと、ここではない別の場所を見るような遠い目をする時がある。僕は、そのナダレの横顔を、綺麗だと思った。幼稚園の頃、付き合っためぐみちゃんにもひとみちゃんにもこんな事思わなかったのに。
ナダレは少しずつだけど、英語が分かるようになってきた。
「(自分がどこの国から来たか教えて?)」
「(国の有名な観光地は?)」
ナダレは首を横に振るだけだった。
「(自分の国が分からないなんて)」
「(ちゃんと学校行ってないのかもよ)」
「(不登校ってやつ?)」
「(家庭の事情が複雑なのかもしれない)」
「(あまり深く聞かないようにしよう)」
ナダレが来て、十日が過ぎたくらい。僕らは、ナダレを連れて行く場所がなくなった。いや、正確にはまだまだあるんだろうけど、僕らの知識が底を尽きたんだ。
「(まだ行ったことない場所へ行ってみよう)」
「(行ったことない場所なんてあるかなぁ)」
「(あるに決まってるよ。世界は広いんだぜ)」
「(でもアマゾンだって南極だって、世界の果てってところは案外大したことなかったよな)」
「(そんなこと言って。初めて見た時は、結構興奮していたじゃない)」
「(そうだったっけ?)」
何も考えず、僕は風を切って飛んだ。僕の隣にトムが並び、後ろにチョンハンとリアン、その後ろにナダレとカミーラが手を繋いで飛んでいる。
「(あ!花火!)」
「(え?どこ?)」
「(ほら!あそこ!また光った!)」
「(よし!行ってみようぜ!)」
この時、ナダレの顔が曇ったのを僕は見逃さなかった。きっと花火を初めて見るのかもしれない、なんて僕は思ったんだ。僕は、世界の何も知らなかったんだ。
「(何……?これ……?)」
「(花火じゃない)」
僕らは、言葉を失った。足元で、何が起きているのか、幼い僕らには理解するのに時間がかかった。
僕らが空を飛んでいる時、足元ではみんな眠りについている。ずっとそう思っていた。
知らなかったんだ。だって、戦争は、おじいちゃんが産まれるうんと前に終わったんだと思っていたから。
凄まじい音だった。時折、人の悲鳴が聞こえてきた。僕らは足元の現実に凍りついた。
「(ナダレ⁈)」
カミーラの叫び声に驚いて振り返る。
「(お母さん!お父さん!)」
ナダレが足元に向かって叫んだ。人の姿なんか、小さくてとても見えないから、自分の家か見慣れた景色が、爆弾で周囲が明るくなった時に見えたのかもしれなかった。僕らがナダレに視線を合わせると、テレビの電源が切れたみたいに、ナダレはプツリといなくなった。
★★★★
その日から、ナダレはもう来なくなった。
僕らは沢山、沢山話し合った。
昼間のうちに、それぞれ調べてきて、夜に調べてきた事について話し合う。そんな日が何日も続いた。
「(戦争は、世界のどこかで毎日起きているんだ)」
「(国連に手紙を書くのはどうだろう)」
「(アメリカの大統領は?)」
「(戦争を止めてください、って?)」
「(戦争はなんで起こるんだろう?)」
日本の小学生が歴史を習うのは、五年生になってからだ。
僕は、図書室で戦争や政治に書かれている本を開いた。でも、僕がまだ習っていない漢字がいっぱいで読めなかったんだ。
悔しかった。子どもって、こんなに無力なんだ。
「(みんなに、大事な話がある)」
その晩、僕はみんなが集まったら切り出した。一人一人の顔を見る。出会った日のこと、沢山笑いあった思い出が溢れてくる。
「(僕は、もうここには来ない)」
太平洋の海の上、波の音が足元に絶え間なく続いている。一番過ごしたのは、なんだかんだ言って、この太平洋の海の上だったんじゃないかな。
「(みんなと過ごした日々、本当に楽しかった。ずっとずっと、みんなとこうして遊んでいたいと思っていた)」
涙が込み上げてきた。でも、僕は泣いちゃだめだ。
「(でも、僕はまだまだ子供で、無力だ。僕は、僕らは、もっともっと勉強しなくちゃいけない。もっと勉強して、早く大人になりたい)」
僕はドキドキして、話し終わると息が荒くなった。
いつもあんなにふざけ合っていた僕らだけど、ナダレがいなくなってから、みんなの真剣な顔をずっと見てきた。
この話を切り出した時、本当は、みんなに絶交されるのを覚悟していた。でも、みんなは絶交なんて決して言わなかった。
「(僕も、同じことを考えていた)」
「(僕も)」
「(私も)」
「(僕も)」
絶対泣かない、って思っていたのに。僕の目からは涙が溢れてきた。
「(ずっと友達だよ)」
「(もちろん)」
「(忘れんなよ)」
「(いつかまた会おう)」
「(その時までに音痴直しとけよ)」
「(うるせー!)」
円になって、中心に手を重ね合わせた。
ねぇ、ママ、みんなの手はこんなに暖かいんだ。やっぱりこれは夢なんかじゃないよ。
目を合わせてうなずき合うと、カミーラもリアンも涙が頬を伝った。
「(泣くなよ、バーカ)」
ぶっきらぼうに言うトムの目からも涙が伝い、僕らは笑った。
最後に見たのは、みんなの笑顔と星空だった。
その日から、もう僕は空を飛ばない。
飛ぼうと思えば飛べるのかもしれないし、もう本当に飛べなくなったのかもしれない。
「Hey, mom, The person study for a beloved person.Isn't it?」
ママは目を丸くして振り返る。
「行ってきます!」
僕は、地面を力強く蹴った。
- - - 作者の情報 - - -
作者名:三日月 夕
普段の作品:現在削除検討中(見ないで!)
作品紹介:
転移転じて福と成す!? ~転移で解決しちゃいましたオムニバスストーリー~ サイキ ハヤト @hayato-saiki
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