女坂

 凍えそうなくらいに寒い冬、俺はレンタカーを走らせていた。

 目指す場所は湘南江の島。潮風を感じようと窓を開けてふと思う。俺はこんな寒いのに何をやっているんだろうか。


「まさかさ、マモル君が約束を守ってくれるなんて思ってもみなかったな」


 助手席には春日先輩。この寒さじゃ夏みたいな軽装とはいかず、上にはダウンジャケット、藍色のスキニー姿。とても海に行く格好とは思えない。


「約束は約束です。全てが片付いたら海に行くって言ったじゃないですか。それを守るのは、まぁ当然ですよ」

「上手いこと言うね。マモル君だから守ってくれるんだ。ひゅーひゅー」


 調子に乗る春日先輩。もう面倒なので沈黙を守った。別に今のはギャグでもなんでもないぞ。

 とにかく、ほんのふた月前に、春日先輩の抱えていた28年分の因縁にカタが付いた。

 俺たちが漆黒と純白の両空間から解き放たれると、元居た病室に各務軍団の6人とあさひ、春日先輩の姪っ子のオメガとその友達のアルファがベッドにもたれ掛かっていたらしい。病院の人は大慌てだったとか。合掌。


「まぁ、色々とありましたけど、春日先輩たちの戦いも終わったんですよね」

「そうね。あの空間からは魔女化した魔法少女たちが大量に見つかって、協会の人たちがきっちり介抱して解放したらしいから、私たちの戦いは終わったかな」


 今じゃ田村部長からは呪詛のようなメールが毎日のように送られてくるし、それに堀江姉妹のモーニングコールが加わった。そろそろ機種変更をしようと思っている。

 あの一件以来会っていない佐藤師匠は、魔女化から解放されたキサキさんと仲良くやってるらしい。春日先輩に女子会の写真を見せてもらったことがある。


「そういえば春日先輩、ユウさんとは会ったんですか?」


 かつての大親友だった若槻(旧姓:猪戸)ユウ。あさひの母親でもある。悪の教祖を倒す際、最後の最後に春日先輩の背後に浮かび上がっていた。


「キサキを連れて先月会ってきたのよ。積もる話もあったんだけどさ、会った瞬間に三人とも泣いちゃってね。脇で見てたあさひちゃんなんか、ドン引いてたんじゃないかな。目は潤んでたけどね」

「そ、そうなんですか」


 面倒くさいイベントに付き合わされたあさひに同情しよう。でも、それはそれでいい光景だったのかもしれない。

 これは見ていないから何とでもいえるんだろうけど。


「まあさ、それだけで分かり合ったような気がしたんだ。やっぱり昔の友達っていいね。ゆいりんやじゅんじゅん、あっちゃんにまゆゆんにしてもそうなんだけどさ、目を見るだけで分かることってあるじゃない」


 無二の親友との28年間ぶりの再会。そこまで行かないにしても、昔馴染みの仲間と会うってのは楽しいに決まっている。家に帰ったら昔の友達にでも電話してみようかな。

 そんな折だった。適当に回していたラジオから、テンションの高いハスキーボイスのDJが高らかに叫んだ。


「オールディーズイズグッドイズ! 師走で忙しいそこのあなた。気持ちだけでも遠くへ旅立って欲しいっ! それでは今日のナンバーはこれで決まりだ! チャックベリーのjohnny B goode!」


 世界一有名なエレキのリフが入り、続く軽快なメロディーが耳に心地いい。つられてアクセルも自然と踏み込んでしまう。もちろん、法定速度の範囲内だけど。


「確かこれってアレですよね、映画で流れてた……」

「そうよ。バックトゥザフューチャーで演奏してたアレよ」


 魅惑の深海パーティーで主人公がギターで演奏した曲。そこで主人公の両親が結ばれるってシーンだ。

 流れている曲もちょうどサビに入ったらしい。『GO! GO! GO! JONEY! GO! GO!』

 繰り返されるリズミカルな言葉。ジョニーは旅に出るかもしれないけど、俺は出ないぞ。春日先輩の見ていたトレンディーなドラマであればポケットに給料3カ月分を忍ばせるシチュエーションかもしれないけど、俺はそんなものは持っていない。


「そうだそうだ。各務軍団の魔法少女って真由美さん以外はなんかしらの特殊能力を持ってるんですよね」


 あさひや田村部長に堀江姉妹、井上教祖だって訳のわからない能力を持っていた。それに守護獣たちも言っていた。各務軍団の魔法少女は佐藤師匠以外はなんかしらの能力を持っていると。

 春日先輩はわざとらしく驚くと飄々と言う。


「あらあら、なかなか物覚えがいいのね」

「だったら春日先輩もなんかしらの能力を持っているってことになりますよね。どんな能力なんですか?」

「そういえば言って無かったっけ。それはね……」


 何かいおうとした瞬間のことだ。ラジオのオールディーズは途中で止まり、軽やかなラジオDJから落ち着いた男性アナウンサーの声へと変わる。緊急のニュースがあるらしい。


「速報です。今日12月2日、重婚についてを取りまとめた民法732条と、民法744条が民法法制審議会で民法部会で改定されました。改定後は特定の条件下での重婚を認めるとのことで、民明党の横山議員の記者会見で挙げられた一例では『複数の魔法少女から自身の正体を打ち明けられた場合』ということで……」


 その瞬間だ。俺は病院の廊下での会話を思い出した。


『お前はそれ相応のペナルティを受けなければならない』


 先輩らとの結婚をペナルティと言う横山議員の言葉も酷いけど、なんてこった。ヤツの嫌味ったらしい無愛想なしたり顔が目に浮かぶと、俺も思わず変な方向にハンドルを切ってしまった。


「っちょ! 危ない! ぶつかるって!」


 ガードレールを突き抜けて湘南の海にダイブするのだけは春日先輩の魔法もあって避けられたし、車にも傷は付いていなかった。俺たちは車を適当な路肩に止めて息を整える。


「春日先輩、ほんとにすみません。 ……クソ、あの議員、色々と酷いことをするんだな」

「もう、気を付けてよね。それで、さっきの法律の事を言ってるんでしょ。会長も面白いことをするのね」


 残念ながら面白くもなんともない。俺が何か言い返そうと口を空転させていると、春日先輩が言葉を続けた。


「そっかぁ。これで私もお嫁さんかぁ。ウェディングドレスもいいけど白無垢もいいなぁ。それか、こんなオーシャンビューのチャペルで式もいいな。ねぇ、マモル君はどっちがいい?」


 春日先輩はぶつぶつと呟きながら悪い顔をする。そう思ってるのは俺だけかもしれないけど。


「……その話は止めましょうって。それよりさっきの話を聞かせてください。能力の話です」


 元々持っているという特殊能力。色々とあったから聞きそびれていた。春日先輩は少しだけ恥ずかしそうに答えた。


「ああ。そうそう。私の能力よね。それは『堅固信心リライハート』。笑っちゃうでしょ? そんな能力を持ってたのに解散させちゃったんだから」


 仲間を絶対に信じること。簡単そうなことだけど、これ以上ないぐらいに難しいことでもある。だからこそ、悪の女王が何年も何年も春日先輩を追い続けたのかもしれない。強く願う信念が負の方向に振れれば、それは途轍もない力になるんだろうし。

 春日先輩がこうしてやってこれたのも、単純に仲間を助けるということを心に深く刻んでいたからなんだろう。また、春日先輩が信じていた物がシンプルなだけに、強い信念となって春日先輩を魔女化から救ったのかもしれない。

 それに、昔の仲間をあれだけ罵っていたのも、絶対に相手が裏切らないという確証があってこそのもので、強い信頼関係が無ければキツイ言葉なんて浴びせられないと思う。だからこそ、あれだけの事を言えたんだろう。

 ……いや、それだけは違うような気がするぞ。今も昔も単に尖っていただけだろうな。


「でもさ、悪の女王を倒す時に初めて仲間を信じられた気がするんだ。だからああやって倒せたのかもね」


 女王を倒すには、魔法少女たちの心を一つにしなければならない。昔はバラバラだった心も、30年近い時を経て改めて一つになった。雨降って地固まるとでも言うべきだろうか。

 思えばこの半年、様々なことを考えさせられた。ありもしないと思っていた魔法少女に出会い、その戦いに付き合わされる。テレビでチラッと見た魔法少女ライフは楽しいことがいっぱいだったなんて思っていたけど、能力があるがゆえの争いだったり、メンバー同士の不仲。その実情ははっきり言ってロクなことなんて無い。

 酒の席では全てをぶちまけてたけども、春日先輩は痛み苦しんできたのに気丈に振舞っていた。それに、無理やり付き合わされたとはいえ、過去の禊ぎとの戦いでも助けられっぱなしだった。今度は俺の番なんじゃないか。


「……こ、僕が春日先輩を信じて守りますよ。それでいいですか?」

「なになに、いまのもギャグのつもり? マモル君が私を守るってさ。なかなか面白いことを言うねぇ」


 冗談めいて答える先輩を見て、急に恥ずかしくなった。それこそ給料3カ月分を持ってる話じゃないか。

 顔どころか、指先・脚先・骨の髄までも真っ赤に染まった気がする。


「……もういいです。ここで降りて下さい。藤沢駅も近いですし、東海道線に乗れば川崎まで電車で一本なんだから帰れるでしょ」

「冗談よ冗談。ありがとう、凄く嬉しい。こんな風に告白されたのも初めてだからさ。どう反応していいのか分からなくって」


 俺だってそうだ。自分で言ったのに小っ恥ずかしい。顔を赤らめて微笑みかけて来る春日先輩の目も見れない。俺はそっぽを向いたまま背筋だって伸びたまま元に戻らないぐらいだし。

 でも、嬉しかった。これだけは紛れもない事実だ。

 そんな状況で辛うじて紡ぎだせた言葉はこれだった。


「やっぱ春日先輩は少女ですよ。立派な魔法少女です」


 積み重ねてきた物、知識、流行、地肌・内臓年齢・髪の毛のうるおい具合など、それらはどう考えてもアラフォーのオバサンだ。田村部長や堀江姉妹、佐藤師匠も元教祖キサキもそうだ。誰がどう見たって40代女性であって少女では無い。

 でもそれは違う。そんなのは表面的なことに過ぎないのかもしれない。もっと底の部分にある心は紆余曲折を経て培養されたって、正真正銘少女のままなんだ。

 年を取ったアラフォーのオールディーズでも、中身が少女なら、それはれっきとした少女だ。

 ま、それはそれでどうかと思うけど。


「ほんとにありがとう。これ以上ない褒め言葉ね。でも、そろそろ魔法少女を卒業しようかと思ってるのよね。ほら、魔女の呪いも解けたことだし何もかもがチャラになった訳よ。だからさ、ほら、あそこにホテルが見えるし……」

「たたたた、大変ナリぃ!」


 すると、春日先輩の言葉を遮って守護獣コロがカバンから飛び出して来た。


「……ったく、このタイミングで口を出すなんて気の使えない守護獣ね」


 春日先輩は睨みを利かす。コロは無視して言葉を続けた。


「明日、アメリカから魔法少女が研修にやってくるナリ。そこで、各務軍団を再結成させて事に当たるようにって辞令が下ったナリ! マモル、お前も手伝うナリ!」


 茶渋色の守護獣は言う。なんだそれ。


「明日はダメよ。マモル君と一晩を共にした後は朝ご飯をつくってあげるんだから。それからはゆっくりしながら私たちの式の日取りを……」


 いやいやいや、そもそもそんなつもりなんてないんだけれど。


「……先輩の言葉は置いといて、なんで俺が手伝わなきゃいけないんだ。各務軍団の仕事なら協会からの指示なんだろ? 今までは個人的に巻き込まれてたから手伝わざるを得なかったけど、これはどう考えても違うでしょ」


 各務軍団と協会の仕事なんだからどうせ一筋縄じゃいかないんだろ。何度も戦いを見たけど、なんの能力を持ち合わせていない俺があんな戦いに参加できるはず無い。


「話はまだ終わって無いナリ! 協会からの通達があったはずナリ。本日付で各務軍団のヒロイン役になったナリって」


 何言ってんだコイツ。全くもって話にならない。


「なぁコロ。なんで俺がヒロインになんなきゃいけないんだ? そもそも俺は男だしヒロインっていう名称はどうなんだ」

「それは言葉のアヤでしかないナリ。マモルはもっと本質を見るべきナリね」


 何言ってんだコイツ。さっきから全く話にならないぞ。


「わたしさ、一応、正式な魔法少女に戻った訳だけど、魔法少女って好きな男の子のために戦うものじゃない。それがマモル君ってことなんでしょ」

「さすがは春日ナリね。キサキみたいに心を読む能力がある訳じゃないのに、色々と察してくれて助かるナリ!」


 うーん、そういうことを言ってる訳じゃないんだけど。

 渋い顔をする俺の口からは自然とため息が出た。すると、春日先輩は俺の表情を察したのか、遮るように言った。


「マモル君は私を守ってくれるんでしょ? 今さら怖じ気づいたって遅いんだから。乗りかかった船には最後まで付き合ってもらうからね」


 春日先輩は意地悪く微笑むと、俺の鼻先を指でつついた。少し爪が立っていたからか痛みを感じる。それ以上に心の方が痛んだけれど。


「……そうか、結局、俺は付き合わされるのか」


 諦めにも似た境地のまま、ふと海を眺めると夕焼けが綺麗だった。そんな日差しを浴びてか、春日先輩に後光が差したかのような暖かい光が俺にもたらされる。

 なんとなくだけど、俺が「はい」というまで戦いに付き合わされるんじゃないかとも思えて来た。そう考えると、あの便所で見た神様からの光は本物だったのかもしれない。

 アラフォー魔法少女達の戦いはまだまだ続く。


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魔法少女(41) 浅井 @bonasai0120

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