わたし(たち)の、最高のともだち・5

 俺を突き飛ばしたのはあさひだった。一瞬だけ教祖キサキは目を丸くさせるも、攻撃は直進し続ける。


「あ、あさひ!」


 力一杯振り絞った声は届かない。ただ、俺を突き飛ばした瞬間にあさひと目があった。

 こっちを向いてうっすら微笑むと、魔女の攻撃を受けたあさひはそのまま後方に跳ね飛ばされた。


「なんだ。横から邪魔が入っちゃったね。あさひちゃん、私のお気に入りだったんだけどなぁ。ユウと一緒で裏表が無いから好きになりそうだったのに」

「……ざけんなよ」


 あさひは衣装をボロボロにして倒れ込んだまま動かない。拳は自然と固くなった。


「なんなんだよ。お前たちは本当に何なんだよ! 知らねえ所で大波乱を巻き起こしやがって。それにお前だ! 田村部長や敦子さんに純子さん、佐藤師匠にあさひだってそうだ。昔の仲間だったんだろ? なんでこんな事になんなきゃいけないんだよ!」

「赤塚君、死にかけた割に頭の方は回ってるみたいだね。中々感心出来ちゃうと思うな。その答えは簡単だよ。それはね……」


 教祖キサキの眼前に大きく踏み込み、上半身を捻って右拳を突き出した。


「だって私は悪の女王だから。こうするしかないでしょ?」


 尤もかもしれない。つき出した右拳は簡単に掴まれと、そのまま思い切り地面に体ごと叩きつけられた。

 叩きつけられた衝撃で骨が数本折れたはずだ。起き上がる気力は消え失せ、沸き上がった怒りよりも痛みが俺を支配する。


「くそっ、なんなんだよ……」


 教祖キサキはヒールの音を立ててゆっくりと歩み寄って来ると、目の前にステッキを再び突きつけた。


「大丈夫だって。あさひちゃんは死んだりしないからさ。でも、キミはどうしようかな。かすがの苦痛に歪む顔も見てみたいし」


 今日一番の憎たらしいぐらいの笑顔で俺に微笑みかける。

 能力を持たない俺は悲しいまでに無力だった。

 本当にどうしようもない。

 悔しさだけが募ってゆき、朦朧とした俺の頭に浮かんだのは、人生の走馬灯なんかじゃない。

 春日先輩らと過ごした時だった。


「ま、そういうことだからさ。それじゃ、さよなら……」


 宝石が光を放った瞬間、俺は覚悟した。


「……言ったでしょ。あなたの相手は私なの。ほら、さっさと掛かって来なさいよ。悪の女王様」


 教祖キサキの背後には春日先輩の姿があった。大きく振り上げたバトンを教祖キサキの後頭部に思い切り叩きつけている。

 超音速を保った黒い刃は、俺の耳元数センチ分だけ逸れて地面に突き刺さった。


「……いやぁ、バトンを久しぶりに喰らったけど往年のキレは失って無いようね。この子は最後でいいわ。かすが、お望み通り戦ってあげるから」


 背後へと大きく跳躍して距離を保った教祖キサキは、殴られた箇所をさすりながら立ち上がると、ステッキを振りかざして黒い刃を何本も飛ばした。

 とにかく素早い動きで、常人の俺にはファンシーな効果音と黒い刃が砕け散る金属音しか聞こえない。何が何だか分からないけど、凄まじい戦いが目の前で繰り広げられていることだけは分かった。


「……さすがは悪の女王様。何もかも失ったって思ってたけど、魔力だけは人並み以上ね。すぐに終わらせてあげるから」


 攻撃の応酬を繰り返す中、春日先輩は大きくうそぶいた。激しい動きで疲れているどころか、あさひの援護魔法を受けているからか息一つ切らしていない。


「ほんとにかすがは憎たらしいな。言葉じゃイきがって挑発するくせに、内心では心配ばっかりしてさ。ほんとになんなの。下らないっ!」


 教祖キサキの攻撃は止まない。春日先輩目がけて黒い刃が五月雨式に放たれ続ける。それを春日先輩は不規則な動きで交わし続けるが、黒い刃の雨は容赦なく続くにつれて体にまとっていた魔法の効きが薄くなり始めたらしい。

 それと同じくして春日先輩の動きは鈍くなってきた。


「情けないなぁ、もうアガっちゃったの? あ、当然だけど今のは息のことだからね」


 教祖キサキは嫌味を言いながら立て続けに攻撃を放ち、防戦一方の春日先輩は刃をバトンで弾きながら後退を続けた。


「へ、へぇ、さすがは悪の女王様。確かに強いね。こんな劣勢になったのは初めてかもしれないわ」

「当たり前でしょ? あなたは悪の女王相手に一人で相手してるんだからさ。真っ当に戦えてるだけでも大したものかもね」


 突如、凶悪なステッキから放たれる黒い刃の雨が止んだ。

 その隙に春日先輩は反撃に出ようとした。間合いを詰めようと教祖キサキの真正面へと一直線に走り込む。


「こんなあからさまな罠に引っ掛かるなんて油断が過ぎるんじゃないの?」


 大きく跳躍すると、全身のバネを使ってプリティーレインボーバトンを振りかざす。手にしたバトンは虹色の光を放ち、星やらハートマークやらが先端部分に渦巻いている。


「……かすがは逃げてばっかりだからさ、面白く無いの。これで最後にしようかな」


 それが春日先輩の仇となった。

 地面から樹齢数千年はある木の幹ほどある太さの刃が現れ、飛び上がった春日先輩の体を貫く。黒い木に舞ったのは深紅の花弁。春日先輩の血反吐だった。


「陰険な悪の女王様らしい攻撃じゃない……」


 春日先輩は毒づくも、教祖キサキは表情一つ変えない。硝子が砕け散るように黒い刃が地面に溶け出すと、春日先輩はそのまま地面へとおとされる。


”かすがよ…… 私の野望を阻止した罪は重い…… 死を以て償うがよい……”


 どこからか声が鳴った。耳に残る低い声。

 初めて春日先輩が魔女だと分かった時、それに、湘南のディスコで春日先輩が倒れた時だ。

 春日先輩は仰向けになったまま体全体で息をしている。目だけで悪の女王本人を見つめていた。


「……こうやって女王が目の前に来たのも久しぶりかもね。今はキサキの体の中にいるんだろうけどさ」


 ほんの一瞬だけど、教祖キサキの背後に漆黒の空間よりも、更に数段ぐらい色味を増したどす黒い影が現れた。俺の勘違いかもしれないけど、その影は春日先輩を見下すように微笑んでいたような気がした。


”キサキよ…… 何を躊躇っている…… さっさとやるのだ、我が野望成就のために……”


「ほらキサキ、あのクソババアの言われるがまま、やれるもんならやってみなさいよ。ったく、キサキは救いようのない間抜けね。こんなゴミみたいな幻影に惑わされちゃってさ」

「う、うるさいっ! アンタは黙ってやられればいいのよ」

「大体さ、アンタ達の野望ってなんなのよ。昔の教団の方針なんてのは全く覚えていないけど、今は何のために戦ってんの? 私への復讐? なにそれ、頭おかしいのはどっちよ」


 饒舌だった教祖キサキは口ごもった。それでもこの間にも攻撃は続いていた。瞬きする間にも数十本の黒い刃が放出されている。

 しかし、防戦一方の春日先輩はほのかに口角をあげると言葉を続けた。


「それにさ、一つだけ。忘れていることがあるでしょ」


 教祖キサキは黙ったまま仰向けに倒れる春日先輩の喉元に黒く濁った宝石をつきつけた。春日先輩は教祖キサキの両目を見据えながら語る。


「……悪の女王の倒し方よ。前にどうやって倒したのか、今はあなたが女王だからどうやって倒されるのか覚えて無いの?」

「そんなの、そんなのは……」


 ステッキから放たれるであろう黒い刃の様子がおかしい。光だけ先行して肝心の刃が放たれない。教祖キサキは苦々しく唇を噛んで震えている。


「じゃあ教えてあげる。私たち7人の思いが一つになって悪の教祖を倒すの。お歳を召されたキサキちゃんは忘れちゃったのかな」

「うるさいうるさい! すぐ、に、す、すぐに黙らせてやるんだから!」


”何を躊躇っている、早く…… 早くやるのだ! この女を、この女を殺れ!”


 わなわなと震える黒いステッキに光が増した。しかし、肝心の刃は放たれずにいる。


「マモル君さ、キサキはお見通しだったと思うけど戦ってる最中にずっと考えてたの。どうしてこうなっちゃったんだろうって」


 春日先輩はこのクソ劣勢の中視線を俺に移すと笑って見せた。教祖キサキは尚も動かない。


「そ、そんなことを考えてたんですか」

「まあね。人の胸の内をこれでもかというぐらい曝け出す癖に、自分の事になるとあれだけ雄弁だったあの子が口を噤んでひたすら魔法攻撃に勤しんだ。それが答えみたいなものでしょ」

「もうしゃべらないで! 早く、早く刃を……」

「人の心は読めても自分の心は読めないなんてとんんだお笑い草ね。ノリノリで女王やってるつもりでも、心の奥底では心底嫌ってた。っていうか、さっきも言ってたしね。『楽しいはず無いでしょ』って」

「そ、そんなことは……」

「キサキは魔女の呪いを受けてずっと苦しんでたんでしょ。魔女である事実と、要らぬ呪いを受けた事実。その二つの狭間で苦しんでた。だからこうやって追い込んだところで私へはトドメを刺せない。だって、この機会を失えば死ぬに死ねないまま悪の女王様をやらなきゃいけないんだもんね」


 魔女という人格と、魔法少女であるという人格。数十年間ずっと続いた二律背反を、自分ひとりでどうこうするには重たすぎる荷物だったはずだ。

 それに、目の前で倒れ込んでいる各務春日のことは、魔法少女時代から嫌っていた。ずっと感情を剥き出しにした数少ない相手であったからこそ、こんなことを口走ったのかもしれない。

 それも、井上キサキという人格でだ。

 背負わされている重荷を分かち合うにはこれ以上ない相手だろう。


「そんなこと、そんなことは……」

「本当に愚かな子ね。つまらないことをずっと引きずっちゃってさ。そんな歪んだ性根を叩き直すのもリーダーの仕事なのかな」


 春日先輩が体を重そうに引き起こし、バトンを教祖キサキに差し向けて大声で叫んだ瞬間だ。この場にいないはずの「電脳魔法少女ユイ」「魔法アイドルアイ&ジュン」「魔法格闘少女まゆゆん」「マジカルエンジェルせいんとユウ」の姿が浮かび上がった。


「世界一かわいい私が援護するんだからさ、キサキも魔法少女に戻りなさいっ!」

「キサキ、さっさと帰って来い。お前の好きなものをいくらでも食わせてやる」

「お姉さまの言う通りです! キサキちゃん、また一緒に遊びましょう」

「大好きなキサキ、あの時は助けられなかったけど、今度は大丈夫。私があなたを救って見せるんだから!」


 かつての同志たちは思い思いに教祖キサキの耳元に囁きかけると、スカートを翻して春日先輩のかざしたバトンに手を置いた。

 見覚えのある4人の他に、更にもう一人。見たことの無い魔法少女の姿があった。


「キサキちゃんにみんな、辛い時に側にいてあげられなくてごめんね。でも大丈夫。今度は一緒に戦うよ」


 その出で立ちは見たことがあった。コスチュームはピンク色の改造ナース服。


「あ、あれは……」

「お、かあ、さん?」


 あさひが俺の脇で痛む体を押さえながら涙を浮かべて言う。それに、あさひは浮かび上がった魔法少女と全く同じデザインのコスチュームを着ていた。

 そう推理すると答えは簡単に出る。


「……ユ、ユウなの」


 教祖キサキは小さくつぶやくと、が力強く握っていたはずのステッキをぽとりと落とした。それと同時に底なしの黒い光に包まれていた宝石が脆く砕けた。

 春日先輩の後ろで微笑みかける魔法少女は母親の若槻(旧姓:猪戸)優。各務軍団の一人であり、若槻あさひの母親だった。


”な、なぜだ! なぜ私の呪いが効かない!”


 震える教祖キサキの背後に蠢く影が。背景の黒と同化しているからか姿形を見ることは出来ない。ただ、その禍々しいオーラは一般人の俺でも分かるほどくっきりしていた。

 そして、そのオーラが徐々に弱りつつあるというのも。


「キサキ、ちょっとだけ我慢してね。すぐに女王を滅ぼしてあげるからさ」


 各務軍団の5人は春日先輩がかざしたバトンに手を添えた。一人が握る度、プリティーレインボーバトンが放つ光は一色づつ増えて行く。

 生憎、各務軍団のパーソナルカラーと言うべきか、持ってる色は空に掛かる虹の色では無い。虹の色に白やピンクを使うなんて邪道もいいところだ。

 でも、それぞれの個性を現した良い色だと思うし、昔はそうやって戦ってきたんだろう。訳の分からない色を組み合わせたチームのそれが、レインボーって名前のバトンに力を与えるなんて変な話だけれど。

 それに、背後に浮かび上がる仕組みがどうとか、なぜ魔女であるはずの教祖キサキがかつての魔法少女の姿になったのか、重大だけど些細な問題はどうでもよくなった。

 中学生の春日先輩らが抱えた28年分の因縁がこの光に懸かっているということ。

 仲間たちの幻影が浮かんできた理由はそれだけあれば十分だし、初めて見る光景だけれど胸からこみ上げるものがあった。

 それから最後にもう一本。バトンに手が添えられた。背後にはグレーのコスチュームの魔法少女が増える。教祖キサキ、いや、マジカルクイーンきさきこと、井上妃のあるべき姿だ。


「ほら、大っきらいなかすが。全部終わらせましょう」

「……キサキもありがとう。みんなもありがとう。準備はいい?」


 涙ぐむ春日先輩は背後に浮かんだ魔法少女たち一人一人と目を合わせて呼吸を揃える。そして、大声で叫んだ。


「7人の少女たちの心が一つとなった時、私たちは天駆ける虹となる。悪の女王よ、キサキの体から出て行け!」


 放たれた7色の光を保った鋭い槍。辺りを包んでいた漆黒の闇を巻き込みながら直進する。


”や、やめろ! やめるんだ! 私の野望が、あああああああっ!”


 槍は悪の女王も巻き込んで元の白い空間に放り出された。

 周囲では協会からの援軍に看護を受ける魔法少女たちの姿があった。そして、春日先輩らの姿を見ると、それぞれは自分の体をいとわずに一目散に駆け寄ってきた。

 井上妃の元へ。


「……悪の女王なんてなるもんじゃないね。かすがなんて大っ嫌いだけど、二度と会えなくなるって考えると名残惜しくもあるかな」


 教祖キサキは胸元に突き刺さった虹色の槍を見ながら呟いた。

 静まり返った漆黒の空間には、春日先輩のごぼす吐息と、貫通した槍の穂先から滴るどす黒い血が一滴ずつ落ちる音しか聞こえない。


「私はキサキを助けるんだから。あなたがどれだけ嫌ってたって別にいい。私の今の行為を蔑んだって構わない。でも、あなたは私の大事な親友なの。それだけは変わらないんだから!」

「ほんと、かすがは酷いよ。そうやって最期にさ……」


 最期の最後。細い絹糸を紡ぐような声で呟くと教祖キサキは薄く微笑んだ。

 攻撃的な黒地の装束は砂のようにサラサラと地面に零れ落ちて行き、春日先輩の背後にいた灰色のコスチュームに戻った。

 それからゆっくりと瞼を閉じる。28年分の禊ぎが落ちたからか、どことなく心地よさそうにしている。


「そう簡単に死なせるかっての! あさひちゃん! アレをやりなさい!」

「は、はいっ! あなたは私の太陽、届いて私たちの、お母さんの思いっ!」


 あさひも傷を受けて重いはずの体をいとわずに回復魔法を詠唱した。

 春日先輩の腕に抱かれて目をつむった井上キサキの体から白い煙が天へと昇る。

 ここに、各務春日の、各務軍団の最期の戦いが幕を閉じた。

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