ケモノの楽園

ロッキン神経痛

ケモノの楽園

気づいた時には、墜落していた。


最初にロックオンを知らせるビープ音が短く鳴った。次の瞬間にはミキサーにかけられたような衝撃が戦闘用外骨格スーツを襲い、あっと言う間に浮動エンジンは停止。人類の英知の結晶たる脳髄直結のVR操縦システムでも、回避運動は全く間に合わなかった。高高度から落ちていく機体の中で、視界を外骨格の外部装置による映像から生身の肉体へと切り替える。機体は相当なダメージを受けたらしく、強化ナノカーボンの機体の内壁には大穴が空いていて、そこから風がびゅうびゅうと吹き込んでいた。


「コウイチッ!?」


コックピットの中、上下に並んだ座席のに居るはずの相棒に声をかけるが、返事がない。機体に空いた大穴からは、自分たちが落ちていく先が見える。落下地点は海の上に浮かんだ小さな緑の島。ああ、これが最後の光景なのか。ぐんぐん視界は緑の中へ入っていき、バキバキと木の枝を折る音を立てながら私の視界は暗転した。



――――



【人体の組成変化を確認、すぐに非活性化ワクチンを摂取して下さい。――人体の組成変化を確認、すぐに非活性化ワクチンを摂取して下さい。人体の――】


警告音声を目覚ましにして、私は息を吹き返した。痛い、身体中痛くない所がない。歯がガチガチと鳴る。失血が酷く、寒さを感じているのだ。固定ベルトを外し、機体に空いた穴から外へと出る。外に出る時にコックピットを振り向いて下の座席を見たが、コウイチは既に絶命していた。ヘルメットごと押しつぶされ、頭と肩がくっついてしまっている。


外骨格からよたよたと這い出た私は、数歩歩いた後でその場で前のめりに倒れ込んでしまった。怪我もそうだが、ここ数日寝る間もなく空を飛び続けていたもんだから、もう動く力が残っていない。


「ニンゲン」「ニンゲーン」


小さな足音と共に、そんな声が聞こえた。私が顔だけをその方向へ向けると、少し離れた所で二足歩行の狐の子供が二人、こちらをじっと見ていた。ピンと立った耳にフサフサの尻尾、その見た目は動物そのものだが、簡易な人語を口にする二足歩行の生物――獣人だ。人間に戻る事が出来なくなった新人類『ホモ・カースス』の子供達だった。


見ると、首にはリングが嵌められていない。どうやら野生で繁殖した獣人のようだ。まだ彼らが管理されず生息している場所があったとは驚きだ。


「こっち、来ちゃ、駄目だ……。」

「ダメ、ニンゲン」「ニンゲン、ダメ!」


二人の獣人は、私の言葉を真似してはきゃっきゃと笑っている。早く逃げろ、奴が来てしまう。


「はぁ、はぁ、行けって!ここから離れろ!」


ゆっくり身体を起こし、睨み付けて叫ぶ。声はかすれていたが、真剣さが少しは伝わったのか、困惑した表情を浮かべる狐達。……しかし、既に手遅れだった。


突然ギャッ!という声があがる。同時に二人の獣人の内、小さい方の身体が宙へと浮いた。そのまま木っ端のように飛んでいき、大木の幹にぶつかって水風船のように破裂する。どうみても即死だろう。残された方は、変わり果てた仲間の姿を見て、一瞬でその表情を放心から怒りへと変えた。


その小さな両目が睨み付ける先には、白いクラゲのような生物が立っていた。


奴らを地球上の生物の定義に当てはめていいのかは分からない。しかし、体細胞を自在に変化させ、空を飛び、地を駆ける彼らを、我々人類は敵対外来生物と呼んでいる。


奴は、ぶらぶらと触手を下げたクラゲのような姿から、触手を何本か地に降ろし、それをぎゅるぎゅると束ねて手足を作り出していき、怒り狂った獣人の子供が奴に向かって走り出し、身体に噛み付こうと飛び跳ねた時には、奴は既に見上げる程の二足歩行の化け物へと変化し終えていた。


敵対外来生物、別名を白き祝福者。これが地球上で種族の春を謳歌していた人類に望んでもない力を与え、滅亡寸前にまで追い込んだ宇宙人の姿だった。


奴は図太い腕を軽くふるい、小さな獣人の攻撃を払いのけた。幸運にも打ち所が良かったのか、獣人の小さな身体は地面にゴロゴロと転がり、仰向けになって動きを止める。胸が上下しているから、生きてはいるようだ。


「クソ宇宙人、お前の相手は私だろうが!」


ふらふらとした足に気合を入れて、立ち上がる。言葉が通じるかは分からないが、自分に気合を入れる為に叫ぶ。下を向けば、パイロットスーツはほとんど破れ、覗く生身の部分は全て血に濡れて真っ赤だ。我ながらよくまだ生きているものだと思う。


相棒は、死んでしまった。外骨格も大破しているし、どうせこれも拾った命。

……ふん、ちょうどいい。

私は自嘲気味に微笑むと、中指を立ててに向かってベロを出す。


『ルルルォォオオオン!!!』


そんな挑発が効いたのかは分からないが、クソ宇宙人はどこから発声しているのか、森中に響くような鳴き声を出し、まっすぐこちらに向かってくる。私はそれを見上げながら、中指ファックを仕舞って親指キルを地に向けた。


――衝撃。


森の木々を揺らす衝撃が私達を中心に円状に広がっていった。葉は揺れ、鳥達がバサバサと空へと舞っていく。


「分かる?同族を殺されるのって、最低の気分なんだよ。」


クソ宇宙人は、私にコブシをくれようとしていたらしい。目の前に突き出された腕のようなものを、鋭い爪の生えた私の右手は、反射的に掴んでいた。顔の無い奴らの表情は分からないが、次の動作を迷っているような反応から、その困惑が伺える。恐らくこいつは、私のようなタイプの人類を見るのは初めてなのだろう。


「見せてやるよ、人類の本当の恐ろしさを。」


私は大きな牙をむき出しにして笑い、ピンとそそり立った耳を軽く左手で撫で付けた。身体に合わなくなったパイロットスーツは、破けてどこかへ行ってしまったようだ。もう怪我の跡もどこにも見当たらない。血で真っ赤に染まっていた肌には、代わりに金色の短い毛が生えている。……これが、狐の血族を祖先に持つ私の、もうひとつの姿だった。元々は、このクソ宇宙人共から人類に送られた、覚醒体と呼ばれるこの力。かつて自分達が与えた武器の威力を思い知るがいい。


私は手を離すと地面に身体を低く伏せ、身体全体をバネに使ってクソ宇宙人の腹に掌底打ちを食らわせた。ぶよぶよとしたゴムのような奴らの皮膚が、打撃を受けた所から波紋を広げていく。


『ルォォォォォオオオン!?』


その強烈な一撃に、奴はよたよたと後ろに下がり、打たれた所を押さえる。ふん!見たか、くそったれめ。当然これで許すつもりはない、何度でも、追撃を、加えるッ!


私は怯えるような仕草を見せるクソ宇宙人の元へ駆け寄ると、無防備になっている方の腕を掴んで、身体全体を使ってそのままねじ切った。バチンッ!と一帯に響く激しい音がして、ひしゃげた切断面から透明な液体がビシャビシャと流れ落ちていく。私は千切った腕を後ろに投げ捨て、天高く跳躍すると、のた打ち回る奴の上へと落下するように蹴りを食らわせる。さっきよりも柔らかくなった奴の体が、ぐにゃりと変形して穴を開ける。勢いよく噴出す体液。よし、確実に効いている。このままトドメを……。


『ル……ル、ルオオオン』

「――しまっ!?」


最大の力を込めた腕を振り上げた所で、私は自身の犯した重大なミスに気がついた。振り上げた腕は途中で止められ、そのまま私は腕ごと宙を飛んでいく。遠くなる地面。直前まで私が居た場所に、小さな白い生物が大地を踏みしめてこちらに跳躍せんとしているのが見えた。そう、千切った腕が別固体として再生していたのだ。なんて迂闊なんだろう、奴らの生態を知りながら、見た目に惑わされてしまった。後悔してももう遅い、私が顔をしかめる前に、小さな宇宙人は空中で無防備になったその腹に、頭ごと突っ込んできた。


パコンッ!


身体の中で胸骨が折れた音がした。胃液と血が口に上がって、鉄の味がする。


「ぢ、くしょう!!」


更に天高く跳ね上げられた私は、両手で奴の身体を掴もうとするが、その手は空を切った。どうやら小さいながらも空を飛ぶ能力はあるらしく、宇宙人くそったれは、小さなクラゲの形になり、私の前で挑発するかのように軽く旋回した後で上へと飛んでいく。私が次に奴の姿を捉えたのは、その小さい癖にやけに重たい身体を使った攻撃を受けた後で、私は下へと叩きつけられながら、上空に留まる小さなクラゲをぼんやりした頭で見送るしかなかった。


「……!!がっ、がああああっ!!!」


そして背中から、重力に任せた無様な着地をした。しかし、悲しいかな覚醒体の私の身体は信じられないくらいに頑丈で、あの高さから叩き落とされてもまだ死ねなかった。身体が丈夫なのがイコール幸せとは限らない。ほら、ズシンズシンと、どこか余裕のある足音が聞こえてきた。奴らは、うっかり死にかけの人類を見逃したりなどしないのだ。苦しみと痛みと絶望は、まだ終わってはくれない。


私の気持ちは完全に折れかけていた。

けれど、奴らへの怒りがほんの少しの力を貸してくれたようだった。間近に迫る恐怖から逃げようと、泥まみれになりながら地面を這いずって、ゆっくりと前へ前へと進んでいく。草むらを出ると、少し離れた所に横たわっている獣人の子供の姿が見えた。どうやらさっきと同じ場所に出たらしい。大木に寄りかかる形で座る、故障した外骨格が目の前にあった。相変わらず、非活性化ワクチンを摂取しろとの警告音声が流れ続けている。その中を覗き見れば死んだ相棒の足元、コックピットの床にはリップスティック大のワクチンの注射器がいくつか転がっているのが見えた。


震える手でその内の一本を手にとり、ふふっと微笑む。私が覚醒体になってからどれだけ時間が経ったろうか。10分?20分?この姿で地上に居る事の危険性は十分承知している。もうワクチンを打った所で効果はないだろう。しかし、もう人間に戻れなくなっても構わなかった。私がこの世界で生きる意味は既に無くなっているのだから。


ズシンズシン


足音を立て、バキバキと枝木を折りながら、大きな身体が向こう側の茂みから姿を現した。私は外骨格に身体を預け、脚を放り出したまま、その巨大な宇宙人を見ている。


片手を無くした大きい宇宙人の後ろから、片手から生まれた小さい宇宙人が歩いてくる。彼らは私を見つけると、既に戦う力は失なわれていると判断したのだろう。のんびりとした動作で向き合い、融合して再び一つの身体を取り戻した。私はそれを、弱ったフリをしながら……と言いたい所だけど、実際腰から下の感覚がほとんど無い程度には弱った状態で、ピントが合わなくなってきた目でじっと見る。意識だけは、失う訳にはいかない。


そしてゆっくりと近づいて、私を見下ろすクソ宇宙人は、さっき融合したばかりの腕の先から無数の小さな触手を出すと、スルリと私を持ち上げた。クソッ、動けないと思って舐めやがって。しかし、むしろ好都合だ――。


「クソ食らえ!!!」


叫び、私は右手に隠した注射器を奴の腕に突き立てた。ゴムのような皮膚に、しっかり奥まで刺さった注射針。一瞬、クソ宇宙人の動きが止まった。


『……ル…ル……。』

「はあっ……はぁっ……!!」

『ルォオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!』


それは悲鳴だった。


腕ごと触手がボロボロと解け、私の身体はどさりと地面に落ちる。そのままクソ宇宙人は、ふらふらと後ろに倒れ、二足歩行の姿からアメーバ状に形を失うと、身体の中から一つ一つの細胞が逃げたがっているかのように、あちこちに突起を突き出し始めた。その後ゴロゴロと地面を転がり、鋭い針をあらゆる方向へ突き出したと思ったら、ついに全てを諦めたのか、氷が溶けるみたいに小さく小さく身体を萎ませていく。


「ねえ、弱い生き物になるって怖いでしょ、怖いよね。」


左右にふらふらと揺れながら、一歩一歩、踏みしめるように奴に近づいていく。歩くたびに胸の辺りが痛んだ。これは胸骨が折れた痛みと、そして人間としての心の痛みだ。


『ルォオオ……ヤ、メロ……メロ』


私の前には、両手を顔の前に突き出す哀れな宇宙人の姿があった。表情のないはずの彼の顔は、いまや苦しみと恐怖に歪み、目からは涙まで流れている。私が彼に打ち込んだのは、人間を人間の形に保つ為の非活性化ワクチンだ。常に我々をケモノに変えようとする危険な地上世界。そんな死地に乗り込んで宇宙人と戦う私達外骨格乗りには、一人ひとりのDNA情報が溶け込んだこのワクチンが配布されていた。最後の最後まで、人間として奴らと戦う為に、だ。


これは、一か八かの賭けだった。所有者のDNA情報を含んだワクチンを、他人に打てば強烈な拒絶反応を引き起こす。ゆえに人間ではない生物にも何かしらの反応があるのではないかと思ったのだが……驚いた事に宇宙人は、DNA情報の全てを完璧に取り込んでしまったらしい。


「ヤメテ……ヤメテ…クダサイ……」


たまたま私が打ち込んだのは、コウイチのワクチンだった。私から逃げようと、不安定な身体で後ずさりしながら、死の恐怖で顔をぐちゃぐちゃに歪ませるコウイチそっくりの生物。宇宙人の特徴であるはずの白い皮膚も、人間のDNA情報を取り込み徐々に肌色へと変わっていく。


「ごめんね……。」


覚醒体になっていて、良かった。

例え偽者とはいえ、怖がるコウイチを長く苦しめなくて済むのだから。

私は鋭く尖った爪を、怯える彼に向かって振り下ろした。



――――



森が夕焼けで赤く染まっていく。


太陽が照らす地上世界にも夜は来るのだ。倒れていた獣人の子供は、全てが終わった後で側に行くと、既に事切れた後だった。命が亡くなるのは、いつ見ても悲しい。どうしてこんな悲しい思いを何度もしなければいけないんだろうかと、やりきれない思いでいっぱいになる。


その気持ちをぶつける対象だった宇宙人あいつらにも、はっきりと感情があると知ってしまった今では尚更だ。


私は、外骨格の脚に腰掛けて、コウイチが吸っていた煙草を一本吸った。もう人間の口ではないから煙は吸い込めないけれど、雰囲気だけ。大きな指の先で摘まんだ煙草の灰をちょんちょんと落とす。その時、あの苦いけど甘い香りがして、お前はよく頑張ったと、あいつが褒めてくれたような気がした。

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