呪いの人形ができるまで

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呪いの人形ができるまで

 降りしきる雨と鳴り響く雷の音。私にはただそれを聞くことしかできない。人気の無い路地裏の一角で、私はもう意味の無いたくさんのガラクタと共に過ごしていた。もちろん、私もそのガラクタの一つに過ぎない。持ち主を失った物に、価値は残らないのだから。せめて誰かの目に付きさえすれば。そんな微かな希望すら今は錆びついてしまって。


 遠いある日のこと。人形遊びは終わりを告げて、かつての私の持ち主の興味は服装の流行、そして恋人との時間へと移っていった。ただの人形の介入する余地は無く、部屋の片隅で彼女の楽しげな時間を眺めるだけ。そうなってしまえばもう落ち切るまでは早く。

『ママ、この部屋の物は適当に処分しちゃっていいから』

 彼女はこの家を出る直前、私を一瞥することすらなく言い切った。そして言葉通り私は処分された。ただ壊れた家電と一緒に家の外に放り出されただけではあったものの、確かに捨てられた。その後いつゴミとして出されるかと思えば……気付くと家の中から音がしなくなっていた。それ以来、何もかもに手は付けられていない。壊れてしまった方が楽かもしれないと思った。永遠に続くかもしれない孤独に取り残されてしまうよりは。


 思えば、放り出される前もそれほど大切にはされていなかった。遊び終われば適当に投げ出されることだって多かった。それでも、私はそんな時間に自分の価値を見出し、そして嬉しく感じたものだった。でも、今考えると本当にそう感じていたのか怪しくなってくる。防衛機制とでも言うのか、とにかく不安を打ち消すような必死さが取り繕った偽りの喜びだったのかもしれない。

 ふと思い出してみると……やっぱり、寂しいなあ。誰か、拾ってくれないかな。でも、そんな日は来ないだろうな――そう思っていたのだけれど。


「何だこれ」

 突然、私の前に一人の男が現れた。雷雨の中で人が。そしてここは家の敷地内、だからこそ手が付けられていなかった。その人の訪れは、あまりにも不自然だった。

「人形かあ」

 男は悩むような素振りをしばらく見せていた。そして、私に手を伸ばしてきた。



「捨てられてた割には状態がいいし、こりゃ売れるな」

 久しぶりの屋内。舞い込んだ幸運。私を拾った男はどうやら私を人に売るつもりらしい。盗まれて売られる、そう言うとあまりにも不幸に聞こえるかもしれない。でも、私にとっては再度与えられたチャンスだった。人形は、人のために作られた。無残に放り出されたせいであの家に思い入れも失ってしまった私からすれば、目の前の男はまさに救世主だった。

「の前に、とりあえず綺麗にしておかないとなあ。何で拭けばいいんだ」

 男はパソコンに向かうと何かを調べ始めた。手入れの方法だろう。確かに、汚ればかりの人形を誰か買ってくれるかと言えばあまり期待できないと思う。しばらく経つと、私の身に纏っていた破れた衣服が剥ぎ取られ、躯が晒された。更に、冷たいものが私に触れる。水の染みこんだティッシュで体が拭かれていく。少し乱暴だったものの、久しぶりのお手入れ。それは今、私の目の前に人がいるんだということを感じさせてくれた。

「まあこんなもんか。髪はボロボロだし……取るか」

 傷んだ髪が剥がされていく。どうせ後から付けられるもの、特に思うところも無い。むしろ痛み過ぎた髪は邪魔だとさえ思うところがあったくらいだ。私を買うであろう人の手に渡ればきっと新しい髪が用意される。もしかしたら髪が無い方が好みという可能性もほんの僅かにあるけれど、それはそれで別にいい。私に触れてくれさえするのなら……


「何でこんな状態がいいんだか。何か変だな」

 私としても、ちょっと驚いていた。男が私の関節に力を加えると、思ったより滑らかに動いてくれる。ギシギシ言うかと思ったのに。当然のように破損も無い。あれだけ風雨に晒されていたにもかかわらず。

そういえば昔、元の持ち主が読んでいた本で見たことがある。呪いの人形――捨てても、壊しても、燃やしても元の場所に帰ってくる。どんな状態からでも帰ってくる。となると、もしかしたら私も今や呪いの人形だったりして。だからと言って何をする気も起きず、ただされるがままにしていた。元の状況が悪すぎて、今となっては幸運をいるかどうかも分からない神に感謝するくらいで。とても目の前の男を呪う気にはならなかった。押入れの中に仕舞い込まれたら考えるかもしれない。

「しかしこうして見るといい出来だな」

 いい出来。嬉しい言葉。鏡を見る機会なんて長らく無いけれど、今でもそう言ってもらえるのなら誰かに買ってもらうのも現実的な話になってくるはず。いよいよ、希望が明確に差し込んできた気分だった。

 そしてそれは、想像以上で。



 数日の間、男は服も着ていなければ頭に毛の一本も無い私をちらちらと見ていた。何か私に気になるところがあることはこっちから見ても明らかで。その数日の後、男は何か袋を私の目の前に持って来た。その中から取り出したのは……プラチナブロンドのロングヘアのウィッグと、レースで各所を縁どられた可愛らしい桃色のドレスだった。

「よし、ピッタリだな」

 私の前にあてがわれたドレス。しばらくボロボロの衣服しか着ていなかった私にとってそれは夢見た出来事の一つで……ただただ驚くばかりで、気付けばそのドレスは私に着せられていた。髪も取り付けられ、サラサラの毛が私の首元に触れる。ゴワゴワしたものではなく、ちょっぴり心地よくてくすぐったい、綺麗な髪の感覚。そのどれもが久しぶりで。

「よし」

 男は満足そうに笑みを浮かべるとしばらく私を眺めていた。しばらくその時間を続けた後に、

「やっぱり売るのは惜しいな。置いとくか」


 そうして、私は新たな持ち主と出会うことができた。売り物ではなく自らの所有物として触れられたその手は、久しぶりに……私に温もりを教えてくれた。その手が離れても、しばらくその感覚を思い出すように噛み締めていた。



「部屋の華やかさが違うなー」

 かなり独り言が多いようで、何かにつけて口に出す。新たな持ち主となったその男は私の髪を小さな櫛でとかしている。あまりにも心地よくて、私が人間だったらうとうとしてそのまま眠ってしまいそう。でもそれは勿体ない。今この瞬間を噛み締めるように私は彼の暖かい手に意識を向けていた。

「しかし……盗んできたのはまずいよなあ」

 やはりと言うべきか彼は元いたあの家とは関係無く、人のいないのを機会と考え金目のものが無いか忍び込んできただけだったらしい。当然、私を持ち出してきたのは犯罪だ。でも、私としては幸運だった。だから、私の前では後ろめたさを見せないでほしい。言えるなら言いたかった。

「折角の機会だし真人間目指さないとな。もう貯金も少ないしな」

 そういえば彼はほとんど家にいる。多分仕事が今は無いのだろう。何の事情があるかは分からない。でも、そこから抜け出そうとするのなら。

「頑張るか」

 私は精一杯、応援したい。




 昔のことが嘘のように、幸せな時間が流れて行く。

「ただいま」

 仕事から帰った彼は人の気配の無い家でそれを言う。でもこれはただの儀礼的な言葉でも、単なる独り言でもない。その言葉は私に向けられている。鞄を適当に放り投げ、手を洗うと私の目の前に腰を下ろした。

「何か良さげな服が売ってたから買ってきてしまったぞ」

 そう言って差し出されたのは……見たことがある。セーラー服だ、これ。彼は手際よく私の服を脱がせると、買ってきたばかりのセーラー服を着せてくれた。彼の買ってくる衣服で、私が新たに着飾られる。心の奥底まで満たされる瞬間だった。

「やっぱ可愛いなあお前は」

 大きな手が頭を撫でてくれる。嬉しくて、つい顔が綻んでしまいそう。実際には動かないけれど。彼はカメラを取り出すとまず一枚、パシャリ。次に私を立たせてまた一枚。ポーズを取らせて一枚、仰向けに寝転がして一枚、次に、次に、また一枚、一枚。まるでモデルになったよう。

「いやー、今日も決まってるね……なんちゃって」

 最高の褒め言葉が耳をくすぐる。恥ずかしいくらい。それからも彼と一緒の時間を過ごしていく。そして眠るときには彼と一緒に布団に入る。それがいつもの出来事になっていた。

「おやすみ」

 電気が消える。彼が目を閉じる。でも、私の瞳は貴方を見つめている。ずっと、ずっと。ずっとこのままでいさせて――



 いさせて、ほしいのに。幸せな時間の流れはいつからか歪みだした。



「はあ」

 また、溜め息。そう、まただった。あれほど多かった独り言も少しずつ頻度が減り、今ではほとんどが溜め息にすり替わっていた。新しい服も最近は買ってきてくれない。私を見る時間も減って、布団に一緒に入ることも無くなっていた。でもそれは私への興味が無くなったようには見えなくて、もっと別の何か。もっと深いどこか。でも私にはそれが何かは分からなかった。時々触れる彼の手が、何だかひんやりとしている気がする。それくらいしか。

「はあ」

 また一つの溜め息。彼はそれ以外に何もせずに座っていた。時間が止まってしまったかのように。溜め息の一つ毎に、何かが抜け落ちて行ってしまっているかのように……そんな日々が続いて行った。それは幸せとは程遠い時間。それどころか、昔のような……いや、それ以上に。無視され続けていたあの頃すら霞むほどに苦しい時間。


「なあ」

 急に彼は私の方を向いた。どこかへと行っていた気が戻ってくる。彼の言葉の節々、一言一句も聞き漏らさないように。

「何か最近空しくてさあ」

 気が抜けたかのような言葉。軽々しくて、そして押し潰されるような重み。

「どうすっかなあ」

 それだけ言うと、彼は布団に横たわって目を閉じた。電気を消すことも無いままに眠りに落ちていく。私は何も言えないまま彼を眺め続けて……しばらく経つと、その目元に薄らと涙の線が引かれていくのが見えた。


 そのまま彼が起きるまで時は流れて。立ち上がり着替えた彼は、私の方をしばらく見ていた。ふと部屋の片隅に置かれた小さな衣装棚に向かうと、一着の衣服を持って来た。それは彼が最初に私にくれた、桃色のドレス。丁寧に私の服を脱がせて、あのドレスを着る。

最初に着たとき、本当に嬉しかった。でも今は、貴方の涙ばかりが見えて、辛いよ。

「ごめんな」

 私にドレスを着せ終えてしばらく眺め続け……それだけ言うと何かを食べることも無く彼は出て行った。仕事用の鞄も持たずに。大切な彼のその行動が何を意味しているのか分からないほど私は馬鹿じゃない……



 ダメだよ。嫌だよ。行かないで……彼を引き止めたかった。でも人形の躯では動くことすらままならない。嫌だ、嫌だ、嫌だ……泣きたかった。もしかしたら、泣いていたのかもしれない。手を伸ばそうとしても届かない。彼が動かしてくれないと何もできない。折角出会えたあの人とこれでお別れだなんて耐えられない。ただ彼のことだけを想う。もし彼の元へと行けるのなら、何だって。開いたままの瞳は目の前を映さず、ここにいない彼の姿だけを。彼を失いたくない。一緒にいたい。ずっとずっと、すぐ近くで寄り添っていたい。




「どうして……」


 理屈も何も分からない。案外、呪いの人形だなんてものもそんな感じなのかもしれない。気付けば、私は彼の下にいた。微かに聞こえた隠せない驚愕と、そしてすがりつくような声。空から彼が落ちてくる。私の所に。違う、彼が落ちる先に私が現れた。いないはずの私が。動けない人形のはずの私がそこにいた。彼の身体が私の元に落ちてくる。どうしてかは分からないけれど動く私の躯……私はただ、手を広げた。彼を迎えるように手を広げた。それもまた動くようになっていた瞳を、一瞬たりとも閉じないように。そして私の視界の全てが彼になる。


彼は私へと飛び込む形となった。遥かな高所から落ちた人の身体がその下にあった物体とぶつかるということ。考えるまでも無く、人は死んで、ものは砕ける。なのに、不思議は重なるもので。周りを汚すはずの赤い液体が飛び散ることはなかった。信じられないことに……彼が、私の中に沈み込むように消えていった。何が起きたか分からなかった。ただ彼が消えた。でも消えていない。私の中に消えていった。違う。

 お前は動けたのか――疑問が浮かぶ。何か変。私のことを私がお前と言う。俺はどうなったんだ? やっぱり変。彼のことを私が俺と言う。触れた部分が融け合って、一つに繋ぎ合わせられていく、本当に変。でも、心地いい感覚。ああ、寂しかった。一人だと思っていた。違う、一人じゃない。私がいた。俺には私がいたんだって。

安堵の気持ちが溢れる。それと一緒にやってきたのは、躯の中心から暖かくなるような錯覚。少し前まで暖かい手で私に触れていた彼が、今度は私の中にいる。



 動く躯で、ゆっくりと歩いた。家へと戻るために。でも私は腕の動かし方も、脚の動かし方もよく分からなかった。だから、私の躯を彼が動かしている。落ち着かない、何だか奇妙な感じだ。そう彼が言う。私も重ね重ね、やっぱり不思議でならなかった。動かないはずの躯では分からないことばかり。歩くとき、脚はこう動くんだ。腕はこう動くんだ。綺麗に舗装された道を一歩一歩踏みしめていく。靴は無く素足。彼はそれもまた新鮮だとか。私にとっては全てが新鮮だけれど。風に揺れて波打つドレスが脚に触れる。ドレスって、こんな感覚なのかと彼が思う。ドレスを着て歩くとこんな感覚なんだと私が思う。二人分の新しさを合わせると自然な感覚になる。そうしているうちに、驚きや焦り、そしてつい直前まで私たちの中にあった苦しみも一粒も残らないくらいに溶けてしまい、代わりにこの暖かくて素敵な異常事態を二人一緒に楽しみ始めていた。

意図せずに深く繋がることとなった私たちは、互いの思考が筒抜けになっているにも関わらずわざわざ会話らしい会話をしていた。何だか楽しくて。意識がいつからあったのかを伝えたら焦る気持ちが伝わってきて、人形には無い心臓が飛び跳ねるような感覚に襲われる。彼が恐慌する姿が目に見えるようだった。そんなに気にしなくていいのに。直に向き合ってしまうと後ろめたくなる。……らしい。私にはよく分からない。

 そういえば、どうして私はあの場に現れたのだろう。私自身でも疑問だった。今はこうして歩いているけれど、いつもの部屋までは長い時間がかかりそう。小さな躯、狭い歩幅、元の自分の倍以上は軽くかかると言われた。考えてみても答えが出そうにない。そもそも私は彼の行き先を知らなかったというのに。一時は「不思議」だけで片付けていたものの、気になりだしたら止まらない。

そんな私に彼は言った。呪いの人形かよ、と。ああ、それなら納得できるかもしれない。持ち主が逃げ出しても追いかけて、持ち主を自らの中に閉じ込めてしまった。ああ、これは人から見たら呪いの人形だ。間違いなく。そうやって二人で納得してしまった。

不意にこぼれた。こんなに楽しい話なんていつ以来だろう、って。本当に……独り言の多いひと。


 結局、彼は何にここまで追い詰められていたのだろう。覗けばすぐに分かる。だけど、覗く必要も無かった。もう今後はそんなことは起こらないから、深く追い求めなくていい。私が彼に寄り添っているように思っていただけの以前と違って、もう私たちは本当にすぐ近くにいる。疑う必要も無い。今なら、彼にも私が見える。単なる姿形でない、私という存在が。

 空しさなんて感じさせない。私がいつでも側にいるから。




(※ 当作品は不法侵入・窃盗等の法律に反する行為を容認・推奨するものではありません)

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