第4話
ヤチは、純血のオロチ族ではない。というより、ヒトの種族区分に照らすなら、ヒトとヒトとの間に生まれたヤチは、ヒト族なのである。
ヤチの母は、オロチの血を脈々と受け継ぐ特殊な“ヒト”の一族だった。
始まりは、1万年以上も前に遡る。かつて、オロチ族の男とヒト族の女が
恋に落ち、結ばれた。その間に生まれた子供が、ヤチの祖先だ。
ヒトが肉体の外側に生き延びる術を見出した時、生物としての進化は終わった。ヒトは進化した脳の使い道を間違えたのだ。
道具を使い、食料を蓄えることで個体の生存率は飛躍的に伸びたが、
それは同時に種としての滅亡を意味している。
進化の可能性を捨てた種は、遺伝子という生命の本流にとって無価値、
つまりすでに枯れた枝葉に等しい。
ヒトが進化の可能性を手放した時、ヒトから枝分かれして、
生物としての新たな進化を歩み始めた亜種、それがオロチだ。
ヒトの言語圏の違いによって、ドラゴン、龍などと呼ばれているものも
オロチと同種である。
ヒトの祖先が巨人族であったことは、ヒトのあらゆる種族において
『神話』という形で伝承されている。
少なくとも数千万年に及ぶ生物の進化の過程において、ひとつの種が
一定の進化を遂げた後、種の本能は生き延びるためのさらなる可能性を
模索して、さまざまな形態へと分化してきた。
気候や環境の変化に順応して、身体を大きくするもの、逆に小さくするもの。
あるいは、身体の性質そのものを変化させるもの。
他の生き物がそうであるように、ヒトもまた、そうやって進化した種の
“模索型体”のひとつに過ぎないのだ。
確かに、ヒト族は地球上のあらゆる生き物の中で、もっとも進化した種の
ひとつではあるかもしれない。だが、それは“知性”というただ一点においての
ことだ。しかもその評価自体、ヒトのものさしで考えれば、の話だ。
ヒトと同等、あるいはそれ以上の知性と理性を有し、
身体の性質を変えることでさらなる進化を遂げた種族、それがオロチ族だ。
具体的には、体細胞、主には皮膚細胞だが、その強度や体積を必要に応じて
自在にコントロールすることによって、運動能力はもちろん、
肉体の防御機能と再生能力がヒトよりも格段に進化している。
感覚やコミュニケーション手段、他にもヒトよりはるかに進化した
能力はいくつかあるが、それらは(ヒト以外の)他の生物にも
多々見受けられる、生物として当然の進化ともいうべきものであり、
オロチ固有の特徴として特筆すべきほどのことではない。
「ヒトは万物の霊長、か…。」
ヤチは、蔑むように、そしてどこか自嘲するように呟いた。
ヒト族とは、どうしてこんなにも傲慢で愚かな生き物なのだろう…。
ヤチはもう、ずいぶんと長く、ヒトの営みをまのあたりにしてきた。
300年くらいにはなるだろうか。200年を過ぎた頃から、
歳月を数えることをやめた。あとどのくらい生きなければならないのか、
自分でもわからない。
僕は、ヒトでもオロチでもない。
けれど、ヒトの姿でいることがもっとも自然な型体であるということは、
やはり種の区分からすれば、僕も『ヒト』なのではないだろうか。
たとえ、すべてのヒト族が、僕のことを怪物、化け物、と呼ぶとしても…。
ヤチは、ヒト族が嫌いだ。いや、好き嫌いではなく、正確に言えば、
その傲慢さと残忍さを心の底から蔑んでいた。
ヤチに生まれつき備わっている知性と理性を持ってすれば、
この300年ほど見てきたヒトの「世界」の変遷は、ヘドが出そうなほど醜く、あまりにも愚かな、同種間の殺し合いの繰り返しだ。
「僕の知る限り、人間ほど残忍なケダモノはいないよ…。」
それなのに何故? ヤチは、また、無意識のうちに自分に問いかけていた。
これまでも、何度も何度も、自問してきたことだ。
「どうして僕は、ヒトと関わってしまうんだろう。」
幾度となく自分に問いかけてきたけれど、答えが出ない。
いや、本当はわかっているのだ。ただ、その答えから目をそらしているだけだ。
独りはどうしようもなく寂しいから。
それもある。だが本当は、自分もヒトであると、誰かに受け入れてほしいから。
『ヒト族』は嫌いだ。けれど、ヒト族のすべてが醜いわけじゃない。
ジェイのように、ドクターのように、優しいヒトにもたくさん出会った。
澄んだ魂の色が瞳の奥に映る、知性と理性が澱んでいないヒトも、まだ居る。
だから……。
でも……。
ヤチは、静寂と霧に包まれたあの美しいオロチの森で、親代わりとなって
自分を育ててくれたナーガ・レヴィの言葉を思い出していた。
オロチノ — 八祐《ヤチ》の章 — 靄生 慧 @Atsuki_K
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