第九話 死体は山に埋められるか?

 私はこうして、インターネットに下手な小説などをアップしている。

 小説に限らないだろうが、創作クリエイトの過程というのは孤独な作業だ。未だ書かれていない小説について誰かに語っても伝わるわけはないので、伝えるには一人で書いて完成させるしかないわけだが、それがなんとも心細い。私に限らず、書いている最中に、「誰か手伝ってくれ」とか「アドバイスのようなものが欲しい」とか思ったりすることがあるのではないか。

 さて実は、私には二人の創作仲間がいる。執筆を手伝ってもらうことはさすがにないが、書いている途中のものを読んでもらって、アドバイスをもらうことはある。

 二人のうちのひとりは、A男くん。彼は私が高校生のころに同じクラスになったのがきっかけで仲良くなった。私がインターネットに小説投稿を始めたころから、作品を読んでもらって感想をもらったりしていたのだが、いつの間にやらA男くんも一人の書き手となっていた。A男くんは現代風のファンタジー小説などを書くことが多い。

 A男くんはいわば私の旧友ということになるのだろう。ちなみにお恥ずかしながら、私もAくんもいまだにいい歳をして独身である。両者の共通点としては、女にモテないということもあるのだろう。

 もうひとりの創作仲間はB子さん。彼女は二十代半ばで、私とA男くんより少し年下。B子さんは自動車で一時間ほどを要する隣の市に住んでいる。

 B子さんとは、私とA男くんが一緒に参加した、地域の読書会で知り合った。B子さんの住んでいる市は人口が少なく、読書会やサークルなどがないため、わざわざこちらの街までやってきたということだった。

 読書会は、面白い本を互いに紹介しあったり、著作権が切れてインターネット上に全文アップされている昔の名作などを読んで感想を言い合ったりする。

 読書会のメンバーは意外のことに、自ら創作する人はほぼおらず、ネット上の用語を使えばいわゆる「読み専」の人ばかり。

 何度目かの読書会で、B子さんもインターネット上で創作をしている数少ないうちの一人ということを知り、私とA男くんは投稿サイトのアカウントを交換し合った。

 読書会のほうは、昨今の事情により一年近く前から中断になっているのだが、その間にも私たちは互いの作品を読み合って、感想を言ったり批評をしたりアドバイスをしたりと、切磋琢磨している。

 B子さんは恋愛小説をメインに書いている。短編だけでなく、三年前から書き続け、すでに五十万字を超えている大作の恋愛小説を定期的に連載している。それは一人称で書かれたとてもリアルな小説で、おそらくB子さんの実体験なども織り込まれているだろうと私は勘繰っている。

 ちなみにB子さんは独身だが、年上の恋人と同棲しているらしい。どうやらその恋人というのが、夜の商売をしている人らしいので、あまり詳しくは聞かないようにしている。



 先月のことだが、私はとあるミステリーというかサスペンスというか、とにかく人殺しの描写がある小説を書いていた。約四万字程度で収まる予定の物語量で、まあ中編小説ということになるだろう。

 で、その小説の半分ほどを書き終えたところで、文書ファイルをA男くん及びB子さんにメールで添付して送信し、「もし時間があればアドバイスをください」と送った。書きかけの小説というのは誤字まみれなのだが、それはお互い様なのだから、あまり気にしない。

 翌日にはA男くんから、いくつかの簡単な疑問点とアドバイスを頂戴した。私はそれを読んで、A男くんへお礼の返信をする。

 B子さんからはすぐにはメールの返信はなかったのだが、その間もB子さんは連載中の恋愛小説を数日おきにコツコツ投稿していたので、「自分のものを書くので忙しいのだろう、ひょっとしたら今回はB子さんからはアドバイスはもらえないかも」などと思っていた。

 B子さんの書いている連載小説は佳境に入っており、『何度もすれ違いや誤解を重ねつつもそれを乗り越えてきた男女が、はたしてどういう結末を迎えるのか』ということを、私もひとりの読者として楽しみにしていた。

 B子さんから私の小説に対する感想の返信が来たのは、私がメールを送信してから十日ほど経った水曜日の夜だった。

 内容は、少しお世辞が過ぎるのではないかというくらいの良い評価をいただいたのだが、ひとつ疑問が呈示されていた。

 それは、

「人間の死体を山に埋めることはできないのではないでしょうか?」

 という内容だった。

 私の小説のなかに、主人公とでもいうべき人間とその子分のような人間が、殺人を犯して死体の処理に困り、自家用車で山の中に死体を運んで穴を掘って埋めるという描写がある。それにB子さんによる物言いがついたのだった。

 B子さんのメールには、とあるURLが記入してあり、「この方が言うには、山に死体を埋めるのは難しいようです」と書いてあった。

 そのURLをクリックすると、動画サイトにつながって、短い広告動画が流れた後に本編の動画が流れ始めた。

 動画のタイトルは、「死体は山には埋められない。その理由」となっている。

 CGのキャラクターが動きながら、音声が再生される。

 私はその動画を繰り返し三回見て、ようやく動画の概要をつかむことができた。

 投稿主はなんと前科三犯の元受刑者で、しかも裏社会の構成員だった人らしい。いわば犯罪や刑務所のスペシャリストというわけだ。こういう希少な情報でも個人で発信できる時代なのかと、私はあらためて驚いた。真実か否かは確かめるすべはないが。

 で、その投稿主が動画のなかで言うには、「山に死体を埋めるのは不可能。山には木の根が張っているし、土の下は岩盤になっているから深い穴を掘ることはできない」ということだった。

 もちろん、私は死体を山に埋めたことはない。埋めたことがある人は、圧倒的少数派だろう。

 しかし、本当に不可能なのだろうか。

 私の叔父は社会科の教師をやりながら、アマチュアの郷土史研究も片手間にやっており、叔父に連れられて戦国時代にあった山城址などに連れて行かれたことが何度もある。また、最寄りの標高六〇〇メートル程度の低山ではあるが、運動やスポーツの代わりとして日帰り登山に行くこともあるので、私は山については人よりも詳しいと自負している。

 場所にもよるが、山に死体を埋めることはじゅうぶん可能ではないか、というのが私の見解。

 もちろんB子さんが疑問を呈示してくれることは私にとってありがたいことなのだが、真偽の定かでない動画サイトの投稿を根拠にノーを突き付けられるのは、正直あまり気持ちのいいことではなかった。

 メールを読んだ翌日の夜、私とA男くんとB子さんとで、SNSのグループにて早速「死体は山に埋められるか」ということの議論が始まった。

 私は、「山と言っても木がびっしり生えているわけではない。標高の低いところには、ずいぶん前に耕作放棄されたような田んぼか畑だったところもあり、ススキやちょっとした低木などで覆われている場所も多い。そういう場所ならば、人間ひとりを埋めることは可能だ」と主張した。

 B子さんは変わらず、「重機でも使うならともかく、人力で死体を埋められるほどの穴は掘れないんじゃないか」という主張だった。

 A男くんは、例の動画を見て、「投稿主の言いたいことはわかるが、まったく不可能だとは言い切れないのではないか。計画性なく山に行って穴を掘るのは難しいかもしれないが、日常的に山に入っている人ならば、大きな穴を掘れる場所に目星を付けられてもおかしくない」という、ほぼ私と同じ意見だった。

 第三者から見れば、まったく奇怪な議論をしているように見えるだろうが、コトは小説のリアリティの是非に関わるので、私たちは真剣だ。

 少しのあいだチャット形式でメッセージをやり取りしたが、議論は平行線だった。当然、A男くんもB子さんも死体を埋めるための穴を掘った経験はないので、確信的な断言をできる人はいない。

 結論の出ないまま解散となりそうな雰囲気になったとき、

「それじゃ、実際に掘ってみようか?」とA男くんが提案した。

 いったいA男くんは何を言い出すのかと私は多少戸惑った。しかし、

「ここで机上の空論を戦わせても、仕方ない。実際に、死体を埋められるほどの穴は掘れるのかどうか、やってみなければわからない」とのA男くんの言は、一理ある。

 これにはB子さんもひどく乗り気で、

「おもしろそうじゃない。私はそれだけの穴を掘るのは無理だと思うけど。もしできたら、焼き肉おごるよ」などと挑発的なことを言う。

 わざわざ無益な穴を掘るなど徒労以外の何物でもないが、そもそもの原因は私の創作物にある。私が逃げるという選択肢は有り得なかった。

 その後もチャットでしばらく話し合い、①私とA男くんが作業用スコップで穴を掘る②掘る穴は死体を埋められる大きさ。具体的には縦一五〇センチ横五〇センチ深さ八〇センチ以上。(一五〇センチは少し短いようだが、ひざや股関節を曲げればそれで充分だろうとなった)③深夜零時から開始して午前四時がタイムリミット④しかし掘っている間に誰かに見つかってはいけない⑤掘る場所をどこにするかは私が決めてよい⑥もし穴を掘ることができれば、B子さんが私とA男くんに焼き肉をおごる⑦失敗した場合は、私とA男くんがB子さんに焼き肉と寿司をおごる、という具体的なルールが決定した。



 次の金曜日の夜中、午後十一時三〇分を過ぎたころ、私はA男くんの運転する車に乗って、とある林道に入った。

 この道は、細い峠道から枝分かれしているように伸びている。といっても未舗装で、ふだんは誰も通らないような道。

 峠道の途中から、かつて頂上付近に小さい城があった山への登山道になっていて、私は過去に何度か叔父に連れられてそこを登ったことがあった。昼間なら登山を楽しんでいる人が少数ながら居るが、この林道へはほとんどいない。

 道路の広くなっている部分に停車すると、私たちは車を降りて、真新しい大きな作業用スコップと懐中電灯をトランクから取り出した。

 林道に街灯などは一切なく、あたりは不気味なほど真っ暗で、スイッチを入れた懐中電灯の光だけが足元の土や小石を照らしている。

 私はここから数分歩いたところの地面を、死体を埋めるための穴を掘る場所として指定した。

 ちなみに私たちのこの行為は、厳密には違法となるのかもしれないが、そこはご容赦いただきたい。私有地ではなく国有地であることは確認済み。国有地だからと言って、勝手に穴を掘っていいという理屈にはならないのだが。

 B子さんには峠道のふもとで待機してもらい、もし警察のパトカーなどが来たらこちらに電話をしてもらって、私たちは逃げるという算段になっていた。

「めんどくさいなあ」とA男くんはあくびをしながら言った。

「そんなこと言っても、実際掘ってみようと言ったのは君じゃないか」と私がつっこむと、

 まあそうだけど、とA男くんは言い、もう一度あくびをした。

 そんなA男くんとは対照的に、私はワクワクしていた。いい歳をしたおっさんが真っ暗闇の山の中で一体何をやってるんだと我ながら思いつつ、まるで小学生の遠足のような気分を抑えられなかった。

 午前零時を迎え、日付が変わったことをスマホで確認してから、私はB子さんに「それじゃ、今から開始します」とメッセージを贈った。

 私たちは林道から外れて十メートルほど奥に入り、ほぼ水平になっている地面の上に立った。この場所だけ、たたみ十畳分ほど木も生えておらず何もない空間となっている。焦げ茶色の、いかにも腐葉土が長年堆積したような土も、乾燥しているわりには軟らかい。

 私は懐中電灯を地面に置くと、その光が照らしている場所にスコップを突き立てた。やはり容易に地面に突き刺さる。

 A男くんも同じようにした。

 こうして、死体を山に埋められるかどうかの実験が始まった。


 汗をかいて、何度か休憩を挟みながら、私たちは穴を掘り続けた。途中、直径二〇センチほどの石が現れたり、ボロボロに錆びた昔のジュース缶のようなものがいくつか出てきたが、想像していたよりもはるかに木の根などの障害物は少なかった。掘り進むうちに土が湿り気を含むようになり、動かすスコップが重くなったのは予想外だったが。

 そして、午前三時を過ぎたころに、

「もうそろそろ、いいんじゃない?」とA男くんが言った。

 成人男性ふたりが掘り進めた穴は、すでにかなりの大きさになっている。自分で言うのもおかしいが、素人のわりに効率的に作業ができた気がする。言うまでもないが、それまで誰にも目撃されることはなかった。

 私は懐中電灯で掘った穴を照らして、その大きさをおおまかに目測した。深さは八〇センチには足りないであろうが、あと一時間内に八〇センチまで掘り下げられることは明らかだった。縦と横の長さは、じゅうぶんに要求を満たしている。

 完成と言っても、問題ないだろう。

「じゃ、B子さんに連絡してみよう」

 私はそう言って、「完了しました。こっちに来てください」とメッセージを送った。

 十五分を要せず、峠道のふもとで待機していたB子さんは、軽自動車のエンジン音を立てながらやってきた。

 私は懐中電灯のライトを左右に振ってB子さんに合図をする。

 そして、軽自動車から降りてきたB子さんを林道の奥に案内して、私とA男くんが掘った穴を見せた。

 それを見たB子さんは、夜中なのにやたらと興奮した様子で、

「すごい。こんな掘ったの? 本当に、すごい」と言った。

 とにかく誉められたようなので、私は悪い気はしなかった。

「じゃあ、穴はこのままにしとくわけにもいかないので、戻すよ」

 私はそう言って、掘り出した土をスコップの腹で掘った穴の中に落とし始めた。穴を掘るのは三時間を要したが、穴を埋めるのは二十分ほどで完了した。

 まだ真っ暗だが、夜中というよりも明け方が近くなっている。

 夜通し行っていた作業で、私は全身に汗をかき、今になって疲れに襲われる。


 翌日の日曜日の夕方、私たちは焼き肉屋に集まった。

 もちろんB子さんのおごりだ。

 私とA男くんは遠慮なしに肉を焼きながら、B子さんは肉はほとんど食べずに、最初に注文したビビンバだけを食べていた。

 しかしB子さんは気分が沈んでいたわけではない。賭けに負けたにも関わらず、むしろハイテンションだったと言ってもいいくらい。

 私とA男くんは独身で恋人もいないから、土日は好きなように過ごしていいのだが、B子さんは金曜の夜中に出かけたり、日曜の夕方から創作仲間と焼き肉を食べに行ったりしても大丈夫なのだろうか、と私は思い、

「同棲してる人は一緒に来なくても大丈夫?」とB子さんに尋ねてみた。

 すると、

「全然問題ないよ。私の彼氏、家いるときはずっと寝てるから」というそっけない答えだった。

 やはり恋人のことに関してはあまり触れらたくないらしい。

 焼き肉を食べながら私たちはいろいろと話し合い、疑問であった、「死体は山に埋められるか?」ということは、だいたい以下のような結論となった。

 場所を選びさえすれば、死体は山に埋められる。しかし、最低でも男二人の体力が必要。男一人でもできなくはないが、その場合は時間を長く要するため、よほど人目がなく一晩中誰にも遭遇しないことが条件となる。女一人の体力では難しい可能性が高い。

 つまり、私が私の小説に書いた「死体を山に埋める」という描写は、決して的外れなものではなかった、ということになる。

 夜中に山で穴を掘るのはたいへんな労力を要したが、今後の創作の参考にできそうな体験だった。



 さて、議論のきっかけとなった私が途中まで書いていた小説は、まだ完成していない。というよりも、最後まで書くべきかどうか、悩んでいる。

 B子さんがずっとウェブ上に連載していた大長編の恋愛小説は、急転直下のエンディングを迎えた。なんと主人公の女が男を殺害して無理心中を図るという、予想だにしない結末だった。

 創作仲間としては、完結した大作に是非感想を送るべきなのだが、あまりに意表を突かれた展開だったため何と書いていいかわからず、私は困っていた。

 そして数日後、いきなり私にひとつの強烈な疑問が湧きおこってきた。

 B子さんはどういう経路で、例の元受刑者の人が投稿した動画にたどり着いたのだろう。

 私のようにミステリー小説やホラー小説などを書いていれば、描写のリアリティを得るために死体の様子やその処理方法を調べる必要も出てくるかもしれないが、普通に生活して、恋愛小説ばかり書いてる人が、いかなる動機で「死体は山に埋められない。その理由」という動画を視聴したのだろうか。

 私は試しに、「死体 山に埋める」とスマホで検索してみた。

 すると、上から二番目に、例の「死体は山に埋められない。その理由」の動画が現れた。検索エンジンは、おそらく検索履歴やブラウザの履歴などによって上位に表示されるリンクが異なるようだが、もしかするとB子さんは何らかの理由で、「死体 山に埋める」に類する単語を検索したのではないだろうか。

 ひとつの疑問から連鎖するように、次々といろんな疑問が生じてきて、嫌な予感に捕われる。


 私は夕方からひとりで車を運転し、林道に入った。そして、おそるおそる私たちが穴を掘った山に行く。

 陽はまだ落ちてないはずだが、雑木林に覆われた空はすでに暗い。

 数日前の夜中に、汗をかきながら穴を掘った場所にたどり着いた。

 掘って穴を埋めた場所は、きれいにスコップの腹で平らにならしたはずなのに、なぜか不自然に盛り上がっている。まるでその下に何かが埋まっているかのように。

「女一人の体力では、死体を山に埋めるのは難しい」という結論に我々は達したが、一度掘って埋めた場所ならば、土が柔らかくなっているので、女一人で掘り返すことも、それほど難しいことではないかもしれない。

 まさか……とは思ったが、確認する勇気は私にはなかった。

 B子さんとは、以来連絡が取れなくなっている。




※筆者より


懲役太郎チャンネルさんの動画、


【事件解説】死体は山には埋められない、その理由

https://youtu.be/s3W4IePr2Kw


を引用させていただきました。


本作品はフィクションです。筆者は穴を掘る実験は行っておりません。

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