悪魔の住む教会 I
「エー、ビー、シー……。」
広い礼拝堂の端で、少年––ケヴィンに文字を教えていた。
文字は書けると言っていたが、ケヴィンが紙に書いた文字は読めるものではなかったからだ。
「おい、なんだこれは。」
「ヨハンと、ケヴィンって書いた。」
差し出された紙には、AやVが横向きになっていたりXやLが入り乱れたりしていた。
「ケヴィン、これはどこの国の文字だ……。」
「わかんないけど、昔教えてもらったのはこれだよ?」
きょとんとした、可愛らしいとも言える顔でそんなことを言う。
それはどのくらい昔なんだ!と叫びそうになったが、必死で我慢した。
ケヴィンいわく、彼は五千年生きている。誰も知らない古代の文字を書いたところで何の不思議もない。不思議ではないが……。
「人前でこの文字を書かせるわけにはいかないな……。」
そういうこともあり、しっかりと文字を覚えさせることにした。
いくつか単語も合わせながら、アルファベットを順番に教えていく。
どのくらい覚えられるのかはまだわからないが、素直な姿勢は好ましかった。
落ち着いた時間が流れる中、突然の大声が教会にこだました。
「ヨォハアアーン!!かえったぞーー!」
この声は……!
「レイモンドっ!」
まずい、まずいまずいマズイっ!ケヴィンを隠す暇がないっ!
あいつにだけは……いや教会の人間と悪魔のケヴィンを会わすわけには––!!
扉が開き、ずかずかと遠慮もなく入ってきた男は––
「いやー久しぶりだなぁっ!相変わらず結婚もしねーでこんなだだっ広い田舎の教会に1人でいるのか?」
「……そちらこそ、相変わらず騒がして何よりだ。レイ、歓迎するよ。この子はケヴィンだ。少し前に教会の近くで見つけて、ここで仕事を手伝ってもらってる。ケヴィン、こいつは幼馴染みたいなもんだ。一緒にこの教会で育った。今はその……異端、審問官をしている。」
レイモンドはここを出て
なぜ異端審問官になったのかは知らないが、ケヴィンが悪魔だとばれると殺されてしまうかもしれなかった。
内心ハラハラしているのをよそに、レイモンドは馴れ馴れしくケヴィンに話しかけている。
「坊主、ここはどうだ?だだっ広いだけでなんもねーだろ。飯はまだ美味いけどな。」
「そんなことないよ。こうして文字もならってるし、市場には人がいっぱいいたし。」
「レイ、今日はどうしたんだ。用事があったんじゃないのか?」
2人の間に入り、レイモンドに聞く。
ケヴィンの口からボロが出る前に、レイモンドに帰ってもらうしかない。
「どうしたって、定期訪問みたいなもんだよ。違法なことやってませんかってね。3年前にお前がウチの新人追い返しちまってから、誰もここに来たがらないんだしよ。」
「追い返してはいない!……出迎えたときに、ちょうど子供たちから渡されたお化けのお面をつけてただけだ。それにちゃんと一晩泊まってもらったぞ。」
レイモンドは豪快に笑いながら背中をバシバシ叩いてくる。
痛い。
「それにしても、今年は少し早くないか?秋の祭りが終わったばかりじゃないか。」
「ああ、ちょっとな……。」
ちらりとケヴィンの方を見て、場所を変えよう、喉も渇いてるんだ。
そう言って食堂の方へ歩いて行った。
嫌な予感がする……。
ケヴィンに私の部屋にいるように、万が一のことがあれば逃げるように指示をしてレイモンドのあとに食堂に入った。
レイモンドは勝手にワインを引っ張り出し、酒盛りを始めていた。
くそ、チーズのある場所なんて教えてないぞ。
「で、どうしたんだ?ケヴィンの前では話せないことか?」
「まあな。」
レイモンドは簡単に肯定した。ドキリと心臓が跳ねる。
レイモンドは陰鬱な表情でグラスに注いだワインを一気に飲み干し、ゆっくり話し出した。
「……2週間前のことだ。子供をサーカスに売り飛ばしているっていう情報が入った。真偽を確かめる為にも、子供の扱われ方を確認するためにも、そのサーカスを見に行ったんだ。ここへは帰りに寄った。」
……ケヴィンの話じゃないのか。
がっくりしたようなホッとしたような妙な気分だが、そのサーカスの話が気になってきた。
「で、そのサーカスがどうしたんだ?子供が小さな頃から芸を仕込まれることもあるだろう。」
グラスに安くはないワインをドボドボ注いで、またグイッと飲み干す。
「サーカスじゃなかったんだ。見世物小屋だった。頭が2つある人間、狼少年と呼ばれてる毛むくじゃらの少年、足が4本ある少女……逃げられないように鎖につながれて、痩せて酷い格好をしていた……。」
可哀想に……。
そう呟き、黙ってしまった。
こういった見世物小屋はたまにある。
奇形児や変わった特技を持つ者を集め見世物にする。それぞれ得意のパフォーマンスをすることで客を楽しませ、熱心なファンが付くこともある。……が、今回は従業員として雇うわけでもなく、随分と悪質なことをしていたと––。
「酒ばかり飲んでるんじゃない。もう解決したんだろう。」
「それだけじゃなかったんだ!子供が売り飛ばされてるって言っただろ。……見世物ついでに、奴隷市場までやっていたよ。全部潰して、子供は孤児院に放り込んだ。見世物になってた奴らは、病院行きだな。口も聞けない奴が多かったよ……。」
ため息をつきながら、またワインを空けた。チーズを口に放り込むが目は虚ろだった。
間に合わなかったとしても、助けられた子供はいるのに、難儀なやつだ……。
「レイ、そのチーズ特別なんだぜ?そんなしけた顔で食べないでくれ。子供たちに指をくわえて見られたくなかったらな。」
ピタッ、とレイモンドのチーズを食べていた口が止まってしまった。
口だけでなく全身が石のように固まってしまっている。
しまった!流石にブラックジョークが過ぎたか……。
「……おい、レイモンド。大丈夫か?」
「…………勘弁してくれ。お前がいうと洒落にならないんだよ……。」
ゆっくりと、口を噛みしめるように動かしながら力のない声出す。
「?あ、あぁ。すまなかった……。せっかくだ、今日はシチューを作るから食べてってくれ。」
「シチューなんて、
陽気に笑うところを見ると、持ち直したらしかった。ケヴィンも呼んで夕飯にするとしよう。
「んでよー。あんとき逃げ帰ってきた新人が言うにはこの教会には何かいる!らしいぜ。」
「なにかってなんだろう。ぼく見たことないや。ヨハンはなにか知ってる?」
「たぶん、泊まってもらった部屋から見える木のせいじゃないか?この時期になると、その木から唸り声みたいな音が聴こえるんだ。」
前もってレイモンドにはケヴィンの過去を聞かないように、ケヴィンには悪魔であることがわからないように話すよう言い含めておいた。
そのお陰かはわからないが、今の所何事もなく済んでいる。
「うなり声って……それ充分こわいよ。」
「怖くないさ。木のうろに風があたって、口笛みたいに音がなっているだけだ。今日レイが泊まるのもその部屋だよ。」
「おいおい、別の部屋にしてくれよ。万が一何かいたらどうすんだ。」
「大丈夫だ。いたとしたら私は今ここにいない。」
食卓がいつもより賑やかだ。
私はいつも静かに食べるから、もしかしたらケヴィンは寂しく感じているかもしれない。
「あーいい気分だ……そろそろ寝るかな。ケヴィン、よければ部屋まで案内してくれないか?去年もそんなに中は歩いてないんだ。迷っちまう。」
「いいよー。案内するね。」
すっかり仲良くなったレイモンドとケヴィンは、そろって部屋を出て行った。
食事の片付けをしながら、このままケヴィンが悪魔だとバレなければいいが、と思い、はてと疑問に思う。
––なぜレイモンドはケヴィンを連れて行ったんだ……?
私と一緒に孤児としてここにいたレイモンドが、部屋の場所がわからないなんてことがあるはずないじゃないか!
洗っている皿を放り出し、廊下へ飛び出す!
案内するはずの客室は、食堂からそう離れていない。扉が開けっ放しになっているその部屋に飛び込んだ––!
「ア゛ァア゛ア゛ア゛ア゛ァッッ––!!!」
人のものとは思えない、叫び声にも聴こえる奇怪な音が窓の外から聞こえた。
「ケヴィンッ!」
一瞬体が竦んだが、ケヴィンがそこにいると思った。どうしてかはわからない。
窓の側にある、あの唸り声のような音をたてる木の下。
そこに、小さな手が生えた黒い塊があった。
堕天悪魔の生活譚 玻璃Si @harishi
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