少年の名前 Ⅱ

 町はいつもより賑わっていた。

 秋のお祭りが近いから、何処もかしこも魔除け道具やカボチャが並んでいる。

「ねぇねぇヨハンっ!これなに!?ナニ!!」

「わかったから落ち着け!後で木苺のケーキを買ってやるから。」

 人が忙しなく行き交い、あちこちで物々交換やおしゃべりをしている。

 神父服の私は目立つため、人と通りすがる度に会釈をされたり声を掛けられたりとゆっくり買い物もできない。

 この時期ならいつもこんな感じだが、今日は初めて都会に出てきたような少年が一緒にいる。

「つ、疲れた……。」

 まだ町に来て1時間と経っていないというのに、すでに帰りたい気分だ。

 少年は市場で騒ぎまくり、商品に手を出し、走り回り、やっと捕まえたかと思うと露店のおじさんに怒鳴られ……。

 と、散々である。

「少年……頼むから、もう少しだけ大人しくしててくれ。このままだとお昼も買えずに帰ることになるぞ。」

 それまではしゃいでいた少年は、こくっと頷くと私の手を握って黙った。

 手を引くと素直について来るが、これはこれで調子が狂う。

(少し悪いことをしてしまったかな。)

 とはいえ、やっとこれで買い物ができる。

 バターとパンの膨らまし粉、牛肉、 レーズンやジャムに蜂蜜、チョコレート。

 カボチャも買ってシチューにしよう。少し牛乳も欲しいな。

 せっかくのお祭りだし、少年がいるのだからいつもより豪華にしたいという欲が出ていたのかもしれない。

 思ったよりも買いすぎてしまった。

「そろそろお昼にするか。」

「ほんとっ!ぼくおなかすいたー。さっきおいしそうなパイ売ってたからそれ食べたい!」

 買い物をしている間、大人しかった少年が急にはしゃぎだした。

「お金を渡すから、好きなものを買ってくるといい。食べきれる分だけにしとけよ。」

 少し離れたところに野原があったはずだから、そこで食べることにしよう。

 人混みをかけて行く背中を見送り、新聞を一部、木苺のケーキとシラバブを買い、ゆっくり歩く。

 市場を少し離れただけで、田舎町は閑散とした景色になる。

 後から小走りで追ってきた少年と、並んで歩き適当なところで座る。

 少年が買ってきたのは、蒸した芋で肉を平たく包んだミートパイだった。料理が苦手な私では中々作れないから、ご馳走といえばご馳走だ。

 新聞を広げると、騒がれている芋の病気についてと政治批判に溢れていた。

「何が書いてあるの?」

「もうすぐこのミートパイが食べれなくなるんじゃないかって書いてあるんだ。」

「えっやだ!ぼくこれすごく気に入ったのに。」

「芋が取れなくなってきているみたいだからな。ずっと食べれないってわけじゃないんだ。心配しなくてもいいだろう。」

 約束していた木苺のケーキも、喉を潤した甘いシラバブも気に入ったようだった。

「シラバブって何でできてるの?こんなん飲んだことないよ。」

「えーと……たしか、温めた牛乳に白ワインを入れて混ぜたんだったかな。これは青リンゴのお酒を使っているみたいだが。」

「へー。よくこんなの思いつくね。」

 何を見ても初めてのように騒ぎ、喜び、感動する。今までどういった生活をしていたのかわからないが、世間知らずもいいところだ。

「あちらではこういうものはないのか?」

「ないよー。食べ物はくだものがいっぱいあるから好きな時にとって食べてたし、水だって遊べるくらいあったから気にしたことなかったや。」

 なるほど、まさしく天国というわけだ。少年からすると、ここは不便で溢れかえっているのだろうか。

 朝から一日中掃除や家事に追われ、食事は一日二回。パンとたまにあるベーコンの細切れか肉の切れ端にスープだけ。

 他の家からしたらまだ食べてる方だが、それでも元々住んでいたところを考えるとここは地獄かもしれなかった。

(……帰る方法を、探すべきなのかもしれないな。)

 いくら追い出されたとは言っても、帰るべきところはあるはずだし、いつまでもここに縛り付けているわけにもいかない。

 少年は望まなくともそれが私のやるべきことではないのか。

「ヨハン、帰ろ。」

 唐突に少年が立ち上がって言った。

「ぼくたちの家に、帰ろう。」

 傾きかけた日の光に、金の髪が反射して美しく輝いていた。

 そうか、今は––。

「そうだな。」

 教会が、私達の家だ。

「それからね、ヨハン。ぼくに名前をつけてくれないかな。」

「は……?」

 間抜けな声を出してしまった。

「ちょっと待て、あんなに嫌がっていただろう。何か訳があるんじゃないのか。」

「だめ、かな。」

 訳がわからない……。わからないが、少年が何かを決意したことはわかった。

「いや、わかった。少し考えておくとしよう。」


 「名前……ねぇ。」

 丘を登りながら、日が沈んでゆくのを見る。

 夕陽に照らされた教会を見るたびに、ここへ来た時のことを思い出す。

『いい子ね。ママは遠くに出掛けてくるから、あなたはしばらくここでお世話になってちょうだい。必ず迎えにくるから。愛しているわ。』

 母親の言葉は嘘だとわかっていた。私がいては母は暮らしていけないのだと、幼いながら理解していたのだと思う。

 愛しているといいながら、私を手放した母の気持ちはもうわからないが、その言葉だけは嘘ではなかったと思いたい。

「ケヴィン––という名前はどうだろうか。」

 私は愛されて育った。

 母に。

 シスターに。

 友に。

 愛された分以上に、愛を返そう。

「ケヴィン……。」

 そっともらった名前を呟き、くしゃっと笑い顔を作った。

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