コズミック・モノトミー

結木ユウキ

第1話 ジャーラ・ダ・プリンセサ

 地球先遣軍所属〈ダイアナ〉の後部格納ベイは異様な雰囲気に包まれていた。デッキクルーたちが帰ってきたSF〈スペースファイター〉のダメージチェックを淡々と進め、キャットウォークに帰還したパイロット達が溜まっている光景は、いつもの戦闘後の風景とさほど変わったものではなかった。しかし、そこにはあるはずの笑顔や安堵といった感情はなく、かといって代わりに悲しみが渦巻いているわけでもなく、それはまるで各々が心にぽっかりと大きな穴を作ってしまって呆然としているような感じだった。

 そしてクロウ・ミルトンもその例外ではなかった。パイロットスーツの磁気靴がかろうじてキャットウォークに引き留めていたが、今にも無重力の中で漂いだしてしまいそうなほど力の抜けた体で、デッキのほうを輝きを失ったコバルトブルーの目で見ていた。

 クロウは受け入れられずにいた。ヴェールの死を。

 彼にとって、ヴェールは母も同然だった。

 ヴェールはかつて、彼を『ジャンク・ポッド』と呼ばれる、戦災孤児を使ったジャンク屋の無人の回収艦から助け出した。そして彼のジャンク回収のうちに覚えたその卓越した操縦技術を見出して、銀河同盟地球軍のFPGP〈フロンド戦線パイロットグランプリ〉でのエースパイロットとして活躍する傍ら、彼に宇宙空間での戦闘技術を教え、いわば彼の保護者としてこの五年を共にしてきた。

 またクロウにとってヴェールは憧れでもあった。

 彼女がどんな時も死を恐れず『閃光』とも呼ばれた信じられないほどの移動速度でもって敵を撃ち倒していく様や、何よりもその仕事に対する愛をクロウは尊敬していた。

 ヴェールはパイロットという仕事そのもののみならず、仕事に関わるものも一様に愛した。クルーや他のパイロットを誰よりも尊敬し、彼らが死んだときは人一倍悲しんだのだった。

 そしてそれは、ヴェールに対してもそうだった。ヴェールは地球軍のみならず他の銀河同盟所属の軍人からも愛された。誰にとっても偉大な存在だった。

 そんな仕事に懸命な人物だったからこそ、クロウやクルー達は彼女の戦闘での死を悲しいの一言では言い表せなかった。クルー達も軍人として、クロウもまた自身もパイロットとして、軍人やパイロットに死がつきものであることは覚悟していた。彼女が精一杯仕事と向かった先にあったのが死であったのなら、それを後悔することも、慈しむことも、ましてや間違いだと責めることもできなかった。それは受け入れねばいけなかった。

 しかし、それをわかっていてさえ、クロウはヴェールの死を受け入れられなかった。何かとの関わりの記憶が『ジャンク・ポッド』のマザーコンピュータが流す教育ビデオだけだったクロウを、そんな孤独から『救い』、助け出してくれたかけがえのない存在が消え去り、また自分が孤独になり『救い』を得られようもなくなったことが受け入れられなかったのだ。

 クロウはそれを受け入れることは、本当に自身を再び孤独にしてしまうような気がしていたのだ。

 ふとクロウは自分の肩が叩かれたのを感じた。振り向くと、そこにはフェイン・アルスターが居た。普段は寸分たがわずきっちりと被られているはずの彼の艦長帽は、気持ち傾いていた。

「信じられないか?」とフェインはクロウに語りかけた。

 そのとき、フェインの唇は震えていた。それはむしろ彼自身が、パイロット時代からのライバルの死を受け入れられないことを示していた。

 しかしクロウはデッキのほうを見つめたまま、顔の筋肉を微動だにせず黙ったままだった。

「我々の職業が、こういうことと隣り合わせであるというのは、常に自覚していたつもりだったんだがな…… だが、よもや彼女が……」とフェインが続けた。

 それを聞くとクロウは、下唇を噛みながら「でも、受け入れなきゃいけない」と小さく呟いた。フェインはその言葉をかみしめるように頷いて「そうだな」と言った。

 二人はしばらくうつむいて立ったままだった。

 クロウも、あるいはフェインもまだ、ヴェールの死を受け入れられずにいた。

 それからフェインが思い出したように艦長帽を正し、顔を上げた。

「そうそう、本題を言おう。まだ全クルーに向けて知らせていないのだが……」そう言うとフェインはコホンと咳をした。「先刻先遣軍司令部から、この『ステファン級ダイアナ』に向けて極秘指令が出た。『コレーズ』として、太陽系D3―5―6―8宙域に向かい、『ジャーラ・ダ・プリンセサ』内のエリア3第一皇位継承者、ミケラ=サラ=キュブローブを暗殺せよ、とのことだ。それにあたって……」

 そこでクロウはフェインが続けようとしているのをを遮って、「俺に殺せというんですね。」と諦めを含んだ声で言った。

「あぁ。本来はヴェールの予定だったんだが……」とフェインは申し訳なさそうに認めた。

「わかりました。あれの防御線を突破できるのはヴェールと俺くらいでしょうから。」

それを聞くとフェインは小さく頷いて、「指定宙域到達予想は8時間後だ。」と言うと、キャットウォークを歩いていって、途中の壁に埋め込まれた艦内移動ポッドに乗って消えた。

 クロウは相変わらずデッキを虚ろな目で見たままだった。

 クロウはまだ、ヴェールの死を受け入れられずにいた。



                 *

 クロウは宙空に投射されているコントロールパネルで、コクピット・ハッチを閉めた。空気音がして完全にコクピット・ハッチがコクピットを密閉すると、直後駆動音が響き、コクピットが揺れる。パイロット乗降時には機体の前方にあったコクピットポッドが球形の機体の中心に移動しているのだ。

 揺れが収まり、完全にコクピットポッドが中心に来ると、アカウント認証の可否を問うグラフィックがクロウの右手の前に投射される。クロウは慣れた手つきで‟認証„をタッチする。すると、磁気ハーネスが体をリニア・シートに固定し、そしてリニア・シートの下方から透明の液体がコクピット・ポッドに流れ込んだ。衝撃緩和液体、SRLだ。ポッドが完全にSRLで満たされた後、それまで投射されていたのがコントロールパネルだけだった宙空に、スピード表示やレーダーなどの計測ディスプレイやステータスボードなどが現れ、そしてコクピットポッドの壁の一面を取り囲む全天周囲モニターがSFデッキを映し出す。

 クロウはそこで、深く息を吸って吐いた。普段はしないことだった。クロウはまだ、ヴェールの死を受け入れられないままで、作戦に気乗りしていなかった。私情と作戦はきちんと区別するのが軍人の矜持であることは、クロウも重々承知していたし、それはヴェールがよく言っていたことだった。それがヴェールの死のおかげで守れなくなるとは、何とも皮肉なことか。そう、それはヴェールのモットーでもあった。何があっても仕事だけには命を懸けて一生懸命に向き合う、その姿がクロウを含め多くの人を惹きつけ、それは自分たち自身がそんな風にいられないからでもあった。

 クロウはやっとのこととりあえず気持ちを作戦のことに移して、左手のコントロール・ボールを横に動かし、SFデッキの中央に通るリフトレーンに移動する。磁気リフトがクロウの乗るRig―49をけん引し、SFデッキとは打って変わって薄暗く、無機質な艦内連絡通路へと誘う。連絡通路内で数回のライン変更を経たのち、前方に光源が現れ、防眩補正され不自然に光を散らした。そこは作戦に応じた装甲や装備の付け替えがなされる換装デッキだ。

 デッキに入ると、機体が球形から人型に強制変形する。リフト移動が遅くなると、天井から何本もの換装ロボットアームと、一人の整備員を載せた昇降機が降りてくる。そしてロボットアームが機体に軽量プルパップガンや軽量装甲を付けていく。昇降機上の整備員は換装状況を手元のディスプレイで確認している。顔はヘルメットで見えないが、クロウにはスペーススーツ越しの彼の動きが心なしか覇気のないものに見えた。自分だけではない、皆ヴェールの死を引きづったままなのだと、クロウは納得した。

 換装が終わり、ロボットアームが頭上に消えていくと、整備員が何とも腕に力のないグッドラックサインを出した。リフト移動が速くなり、再び薄暗い連絡通路に入る。しかしこの連絡通路はSF射出レーンに直通している。

 すぐにBレーンとペイントされた隔壁が見えてきて、その前でリフトが外れ、代わりに両足に電磁カタパルトが装着される。ローンチランプサインが赤色に点灯し、後方にも隔壁がスライドしてくると、艦内空気が抜かれ、前方の隔壁がスライドし消える。クロウは遠くの射出口に、CG補正され肉眼より光って見える星を認めた。しかしクロウが感傷に浸る間もなくすぐに五つの赤色のローンチサインが一つ、また一つと消える。

 クロウは今一度左手のコントロールボールと右手のコントロール・スティックを力強く握りしめた。五つ目のレッドランプが消えると同時に五つのランプが全て緑色に点灯した。クロウは思いっきりスラスターペダルを踏んだ。SRLで軽減されているとはいえそれなりの慣性力がクロウを襲う。普通のパイロットならホワイトアウトしてしまうほどの慣性力だったが、『閃光』ことヴェールと同じく細かな動きを得意とし、細かく方向転換するごとに慣性力を受けることに慣れているクロウにはどうということはなかった。

 レーンから射出された先では、『コレーズ』となった『ダイアナ』の部隊と、地球圏防衛軍の『ジャーラ・ダ・プリンセサ』防衛隊の間で既に大規模な戦闘が行われていることを知らせる、飛び交う光線と爆発の光が『ジャーラ・ダ・プリンセサ』の手前に認められた。しかしその実際の目的は、そこから防衛線を突破することではなく、防衛隊を一か所に誘導することだった。そしてもちろんそれは、クロウの侵入を容易にするためである。

そして戦線のの向こうには、灰色の球形のデブリベルトが見えた。デブリベルトが囲んでいる、その中心にあるものこそ、ミケラ=サラ=キュブローブの居る『ジャーラ・ダ・プリンセサ』だ。

 ふと接触回線の開通を知らせる表示がステータスパネルに出たことをクロウは認めた。クロウが後方を振り返り見ると、全天周囲モニターには、『コレーズ』仕様に黒く機体をペイントしたトレント中尉の乗るRig-46が、クロウのRig―49の肩のあたりを掴んでいるのが見えた。

(どうにも気乗りしない作戦だよなぁ、クロウ……)いつものお調子者の口調はなりを潜め、音声だけでもうつむいているとわかる声でトレントは切り出した。

(そうだな。)とクロウは心のこもっていない相槌を打った。

(まぁ俺がなにを言ったところで、お前のつらさにはかなわないがなぁ。あんなバカみたいなデブリの壁をすり抜けて、お姫様殺さにゃいかんなんてなぁ……)

(仕事、だから。)

クロウが心無く返したその言葉は、しかし実際彼を突き動かす全てだった。

 『コレーズ』は〈ダイアナ〉の真の姿だ。『コレーズ』は表向き地球防衛軍に対するレジスタンスだが、その内実は先遣軍の工作特殊部隊だ。先遣軍として防衛軍に表立った攻撃が出来なくなった銀河同盟加盟以後に、防衛軍に対する牽制を維持するために作られたのが『コレーズ』だ。そして〈ダイアナ〉は『コレーズ』としての活動を前提とした艦で、『コレーズ』活動時に先遣軍だとわからないよう、各SFの偽装装備などがそろっている他、〈ダイアナ〉自体も『コレーズ』時にはその形を変え変装する。

〈ダイアナ〉は地球軍のFPGPにおけるフラッグシップとして活躍する傍ら、地球防衛軍に対し多くの攻撃や工作を行ってきた。それらの攻撃や工作は、先遣軍参謀が先遣軍の仕業とわからないように地球防衛軍に打撃を与えるために発案したものだ。

 今回の作戦もそのような工作の一部だ。それが例え、有力な地球圏コロニー群一つであるエリア3の皇室の第一皇位継承者を暗殺するという冷酷なものであっても、それは確かに先遣軍の軍務であるのだ。仕事なのだ。

 (流石……だな。)とトレントは呟いた。

 クロウはその言葉の間の沈黙に、ヴェールの弟子、が入っていたであろうことを察した。

(そういえば、)とトレントは切り出した。

(知ってるか?教育は全部ビデオで、食料の配達は無人機で、生まれてこの方生身の人間を見たことがないらしいぜ。)

 トレントがいつも通り冗談のように笑いながら言ったその言葉は、クロウに言葉を失わせた。

 『ジャーラ・ダ・プリンセサ』はエリア3の皇位継承者が続々と暗殺されたことを受けて、当時皇位を引き継いだばかりのキュブローブ16世の第一子を保護するために作られた施設で、火星と木星の間のアステロイドベルトを公転している。キュブローブ16世の娘ミケラ=サラ=キュブローブは生まれたと同時に親元を離れそこにかくまわれた。

 クロウは、『ジャーラ・ダ・プリンセサ』では皇位継承者と外部の人間との接触は最小限に抑えられているとは聞いていた。しかし生まれてから生身の人と会ったことがない、というのはまるで『ジャンクポッド』に居た時のクロウと同じ状況だった。

 クロウは、つまりミケラサラキュブローブがクロウがかつて経験した孤独の中に居る、ということを悟った。

(おい、おい!聞こえてるか!)

トレントの声がコクピット・ポッドに響き、クロウは我に返った。

(あ、あぁ。大丈夫。)とクロウは慌てて返して、(まぁトレントも頑張って。)ととりあえず付け足した。

(おうよ。)と言うとトレントは肩からマニピュレータを放し、グッドラックサインをすると、すぐに機体を球形に変形させて戦火のほうに向かって行った。

 Rig―49は取り残されたまま、しばらく動かなかった。

 クロウは体を動かせないでいた。やはりミケラ=サラ=キュブローブの境遇が気になっていた。ただの皇位継承者ならまだしも、自分と同じ孤独に苛まれている人間を殺すことなんてできなかった。クロウはこんな時にヴェールが居れば、どうすればいいか指し示してくれただろうと悔しんだ。クロウは、ではヴェールが居たらどんな風にアドバイスしただろうかと自問した。きっとヴェールは、自分の仕事を全うせよというに違いなかった。

 クロウは、ヴェールが言うんだから、仕事なんだから、と自分に言い聞かせがら、ようやく機体を動かした。


 全天周囲モニターに表示されたポイントマーカー通りに迂回ルートを取りながら、クロウは終に『ジャーラ・ダ・プリンセサ』の周りを球状に取り囲む高密度のデブリベルトに到達した。

 デブリベルトとはいうものの、その動きはそれぞれのデブリに取り付けられた小型スラスターを使って『ジャーラ・ダ・プリンセサ』内のコンピュータによって制御されている、認証された食料輸送艇以外の侵入を拒む鉄壁の壁だ。『ジャーラ・ダ・プリンセサ』内のミケラ=サラ=キュブローブが皇位を継承するその日まで侵入者を拒み続ける。

 しかし、クロウの前では余りにも薄すぎる壁だ。『ジャンクポッド』時代にまさに戦闘が行われている中で価値あるスペースデブリを拾い続け、時にはデブリの海とも形容できるほどのデブリ群の中で仕事をしたクロウにとって、目の前のデブリベルトは言えても混雑した食堂で人にぶつからないように食事を運ぶ程度のものだった。

 クロウはコントロールパネルで機体変形スイッチを押した。球体の機体がコンマ一秒と経たず人型になった。

 クロウはスラスターペダルを踏んで、デブリベルトに突っ込んだ。そして次々とデブリを足で蹴り、時には機体を横にしてすり抜けながら、ものの見事にデブリベルトを突破してみせた。

 デブリベルトから出ると、その先の空間にはポツンと全長500メートルほどの一応は円筒のコロニー型をした『ジャーラ・ダ・プリンセサ』があった。クロウはコントロールパネルで自動自転軸同期を選択し、機体を回転させながら近づいていき、そしてあまりにも小さなドッキングベイに接舷した。

 ステータスボードにドッキング完了済みの文字が浮かんでいることを確認し、クロウはコントロールパネルでコクピットハッチを開ける指示を出した。コクピット内のSRLがゴポゴポと音を立てながら消え、コクピット・ポッドが揺れた後コクピット・ハッチが開いた。コクピット内の空気が一気に外に流出し、クロウは磁気ハーネスがあるものの身を放りだされそうになった。流出が止まると、磁気ハーネスが外れ、クロウは久しぶりの無重力を味わった。クロウはうまく体を流して、足でリニア・シートの背もたれを蹴ってドッキングベイに出た。

 ドッキングベイに出ると、可変伸張乗降機がコクピットにドッキングしていて、クロウは乗降機の手すりに付いているリフトグリップに掴まった。リフトグリップは乗降機の伸びた先にあるドッキングベイの中心のエレベータの扉の前で止まった。クロウはためらわずエレベータの下降ボタンを押した。するときしむように扉が開き、何年も使われていないであろう埃を被ったエレベータが姿を現した。クロウは見たことの無い光景にたじろぎながらも、エレベータの中に入った。  

 中にはボタンは無く、入るとすぐにドアが閉まり、そして重力区に向かって下降し始めた。だんだんとクロウの体に重力が伝わった。そして『ダイアナ』の重力ブロックとほとんど差が感じれないほどの重力になると、エレベータの下降が止まり、扉が開いた。

 降りた先はすぐ気圧調整室だった。後背のエレベータのドアが閉まり、大きな空気音と共にほこりまみれのランプが赤から緑に変わり空気が入ってくると、気圧調整室のドアが開く。 

 クロウはヘルメットを取った。目の前にはいかにも宮殿らしい赤いカーペットが敷かれた細い通路が、100メートルほど続いていた。しかしそこには衛兵は居なく、その先に姫がいるとは思えないほどに侵入者に対して静けさを保っていた。クロウはその雰囲気に違和感を感じながらも、歩を進めた。クロウは歩きながら太もものホルダーからから拳銃を取り出した。そして弾倉を出して弾がきちんと装填されていることを確認し、また差し込み、最後にスライドを引いて、右手に持った。冷たい拳銃の感触が、スペーススーツ越しに伝わった。

 ようやく突き当りのドアの前まで着いて、クロウは大きく息を吸った。そして、仕事なんだ、と自分にまた一度言い聞かせた。

 クロウはドアを開けた。するとそこには決して広いとは言えない部屋があった。そして部屋の奥の鏡台の前に、否応でも目に付く白い長髪を垂れ下げながら、真珠色のドレスを着たエリア3第一皇位継承者、ミケラ=サラ=キュブローブが背を向けて立っていた。

 クロウは生唾を飲んでまた、仕事なんだ、と自分に言い聞かせた。

 クロウはゆっくりとミケラのほうに歩いていって、2メートルほど前で立ち止った。

 近くから見ると、ミケラはドレスの上からでも驚くほどに華奢な体つきをしていた。少しでも触れれば崩れ落ちてしまいそうなほど、彼女はとても儚げだった。

 すると突然、ミケラがクロウのほうにに体を翻した。クロウは咄嗟に拳銃を構えた。

 彼女の整った顔の頬には涙が光っていた。ずいぶんときれいな涙だった。

 クロウは自分の右手が震えているのを感じた。クロウは自問した。

 ―――そんなに同じ境遇の人間を殺すのが嫌なのか?いや、今人を殺すことに躊躇は無い。少なくとも、自分と同じ境遇の人間を含めて。仕事なんだから。なら、そもそも実際に人を殺すことが怖いのか?いや、違う。 SF〈スペースファイター〉でいくら敵機を撃墜してもどうということは無かった。相手が見えるからか?いや、違う。SFで相手を殺した時だって、相手が憎しみのまま死んでいく姿をまるで見ているように感じている。それに死ぬ姿を見ることなんて、『ジャンクポッド』に居たときに何度もデブリと一緒に漂流する軍人の死体を見た。では何か、相手が女だからか?それも違う。女のパイロットだって宇宙空間で何度も殺してきた―――

 そんな自問自答の中、クロウはの涙をもう一度見て、終に悟った。彼女の泣いている姿が、ヴェールのそれに似ていることを。顔が似ているわけではないし、もちろん、恐怖に打ちひしがれ泣いているミケラと、同僚の死を悲しんで泣いていたヴェールとでは心情にあまりにも差があったが、それでもその姿は似通っていた。

 自分と似ている境遇の人間ならまだしも、クロウには、ヴェールに似た人間は殺せなかった。

 クロウは、ヴェールに似ているミケラなら彼自身を、かつてのヴェールと同じように、救ってくれるかもしれないと思った。彼女が、ヴェールになってくれるかもしれないと思った。結局のところ、クロウはまだヴェールの死を受け入れられていなかった。

 クロウは、第二のヴェールになってくれるかもしれない人間を殺せなかった。

 クロウはそこで決心した。自分を救ってくれるかもしれない存在を守ることを。ヴェールという存在を二度と失わないことを。

 クロウは突き出していた拳銃を虚空に撃ってから下げ、ホルダーにしまった。彼女はあっけにとられたような顔をしていた。

「ついて来い。」

 そう言ってクロウは彼女の手を握った。その手は、やけに冷たかった。クロウはジャンクポッドからを救ってくれたヴェールの手も、とても冷たかったことを思い出した。



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