013
ぼくらが十秒ほど呆然としていたあたりだろうか。
目の前にあったメリーゴーランドがきらきらと黄金に輝きだして、陽気なメロディを奏でながら回り始めたんだ。
暗闇の中で輝くそれは、なんだかとっても綺麗に見えたな。
そう、昨日あのホテルからみた景色よりずっとずっと、綺麗に見えたんだ。
「乗れって言われてるみたいですね」とアカリがつぶやくから、ぼくはアカリの手を引いて、メリーゴーランドへと近づいた。
まさにアカリの言うとおりのようで、近づいてみるとメリーゴーランドは動きを止めたんだよ。
乗れと言わんばかりにね。
仕方ないから、ぼくとアカリは隣り合った木馬に腰かけてみると、メリーゴーランドはまた陽気なメロディと共に回りはじめた。
この数日、いくつもの筆舌に尽くしがたい感情をしてばかりだったけれど、このとき以上になんとも言えない感情になったことはなかったな。
暗闇に沈んだ世界で、黄金に輝くメリーゴーランドと共に回り続けるぼくら。
なんともばかばかしい光景だったことだろう。
陽気な音楽がまた、ちぐはぐな感情を
気恥ずかしいような、感動するような、もう、本当に、挙げつくせない程度にはうんと、たくさんの何かが一気に込み上げてきてさ。
きっとアカリも、ぼくと同じような気分だったんだろうな。
「わたし、大嫌いなんですよ。自分も、こんな世界も、全部、全部」
じゃなきゃ、こんなこと口走るはずなかったと思うんだよ。
だから、だからさ。
「いまさらだな」
ぼくは心の底から、そう言ったんだ。
「きみのぶち壊した部屋にあった写真立て、あれにはきみが写っていたよ」
そう。タンスから出した白いワンピースがアカリによく似合うのも。似合いすぎるくらいに似合ってたのも、当然だったんだ。
「あの部屋は、きみの部屋だったんだろう?」
ぼくは、当たり前に、きっと彼女が触れてほしくなかったであろうことに触れてしまったんだ。
でも、ういうことに気がついたときってのはだいたい手遅れなんだな。
幸いだったのは、ぼくはそれに触れたところであまり罪悪感を覚えなかったところだ。
アカリがそれに触れられたくないであろうことくらい、わかっちゃいたんだ。
わかっちゃいたんだけど、
なんせ、触れたくてたまらなかったからさ。
ぼくはきっと、触れたくてたまらないものに触れてしまったことを肯定できるくらいには、いかれた人間なんだな。
ただ、それに触れてしまったことまで、この何もかもがちぐはぐに編み込まれたようなメリーゴーランドのせいにするほど、いかれていやしない。
「何もかも、思い通りになんてならなくて、くだらないことだらけで。つまらないことばかりに溢れていて、ごみのようなものばかりで……飽和していて……すごく、すごく退屈な世界だなって」
そう毒づく彼女を見て、ぼくは初めて彼女の本音を聞いた気がした。
そりゃあたくさん、ここに書いてないような会話もたくさん重ねたわけなんだけどさ。
ぼくとアカリはこの数日で、数えきれないくらいのくだんなくて話を繰り広げ続けていたんだけど。
でも、この言葉ほど彼女らしい言葉はないな、と思ったんだよな。
"彼女らしさ"なんてものは一ミリだってわかる気はしないんだけど、そればっかりは胸を張って言えるくらいだったよ。
あえていうならそうだな、きっと彼女の言った愚痴ってのは常々ぼくが思い続けていたことだからなんじゃないかな。
彼女のいうところの世界ってやつが人に溢れていた頃のことを言ってるのか、それとも今の、人のいない世界のことを言ってるのかなんてわかりゃしないけどさ。
どっちにしろ、この世界ってのはくだんないことで溢れてるんだよ。
どこまで突き詰めたってぼくらのいるここは、くだんない世界なんだよな。
人がいようと、いまいと、そこは変わりゃしなかったんだ。
「アカリは世界ってのが嫌いなのか?」
「えぇ、とっても」
アカリは、ぼくのいうところの世界がどちらかなんてことすら聞きもせずに、そう言うんだ。
だったら、迷うことなくどっちも嫌いなんだろうな。
ぼくらは、神様の気まぐれでこんなアリスばりにへんてこな世界に迷い込んだわけだけど、どうやら最後の最後まで神様ってのは気まぐれらしかった。
不意に、耳を喧騒がつんざいたんだな。
たまらなくなって、耳を塞ぎながら、あたりを見渡してみると、ながらく見ていない人混みってのがそこにあった。
そう、世界が喧騒を取り戻したんだ。
耳を塞いでいる手を退けてみると、久しぶりの雑踏ってやつは思ってたより衝撃的で、流れるような足音が耳を突き刺す度に、脳がぴりぴりするような、目の前がちかちかするような、そんな不思議な感覚になった。
ぼくは共感覚ってやつに懐疑的なんだけど、あの瞬間ばっかりはわかる気がしたな。
「ほら、何も私の思う通りになんてなってくれやしない」
場違いな話かもしれないけれど、そんな雑踏の中でも、はっきりとアカリの言葉が聞こえたのにはちょっとばかし安心したな。
カクテルパーティー効果というものの偉大さを、ぼくはこれから先も含めての一生、このとき以上に痛感することはないだろうね。
確かに、この世界はくだんないことだらけだ。
ぼくは、そんなくだんない世界ってのが気にくわなくて仕方ない。
ラジオってのはノイズ混じりでくだんない曲を垂れ流すし、電車の揺れも、海の波の音も、溢れる雑踏も、日常の中の雑音でしかない。
音楽だって、映画だって、人間ってのは同じようなくだんないものを延々と作り続けて、狂ったかのようにループし続けるし、炎天下のコーラも、背伸びして手を伸ばした缶チューハイもいつだって想像よりずっと期待外れだ。
世界ってのは本当に、最高に、くだんないものばっかで、くだんないものにまみれてばかりなんだ。
本当に、この世界ってのは救えなくて、ばかばかしくて、大嫌いなんたけど。
世界ってのは、死ぬほどくだんないものにあふれているんだけど。
でも、ぼくはさ。
そんなくだんないものの数々が、たまらないほど、大好きなんだな。
きっとこの数日の疲れとか、溜まりに溜まった鬱憤だとか、そんなものがここで弾けたんだろう。
「退屈になったら、海に行けばいいんだよ」
柄にもなく、口が滑りに滑っていくんだな。
回り回るメリーゴーランドの上でこんな、くだんない人生観を吐き捨てるようないかれた人間ってのは、ぼくくらいだろうね。
「最高に退屈になったら、映画ってのは数時間程度、音楽ってのは数分程度くらいなら退屈を紛らせてくれる。それでも退屈で仕方ないってんなら、カラオケとか、ボウリングとか……はたまた、遊園地とか。そんな、くだんないことをすればいいのさ」
ぼくの語っているものごとは、ここ数日のぼくらの行動をなぞっていくようだった。
「確かに、ぼくらの生きてる世界ってのは、くだんなくて仕方ないけれどさ」
それでも。
「つまらなくはないんじゃないか?」
アカリは、泣いてるような、笑ってるような、どっちだかわからない表情をしていた。
いや、きっとどっちでもあるんだな。アカリは、泣きながら、笑ってたんだ。
「そんな娯楽もいつかは飽きますよ」
「退屈な世界ってのは存外簡単に壊せるもんだ。部屋を壊すよりずっと簡単に」
「海にも、映画にも、遊園地にも、カラオケにも、ボウリングにも、飽きたときにはどうしたら、いいんでしょう?」
「そんときは、そうだな」
ぼくは、それこそくだんないようなことなんだけど、仕返しとばかりにちょっとばかし溜めてから、アカリに笑いかけた。
「ぼくが話し相手にでもなってやるさ」
そんな、ありきたりな話をして、ぼくは、ぼくらはやっと気がついたんだな。
ぼくらが欲しかったものは誰もいない世界への逃避行でもなんでもなくて。
くだんない話とかを気兼ねなく話せるような、友人だったんだ。
そんな、ありきたりなものだったんだな。
ばかげた話さ。
ライ麦畑をとびおりて ゆきの @yukiny
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