ep.07 伝心
”刀槍訓練場”と名づけられた荒野で、海衝(カイツ)はいつものように短刀を振っている。
別段、この場所に思い入れがある訳ではなく、昔から習慣的にここへ来ていた延長で、今でも足を運んでいるだけだ。
成績のよい生徒達は皆、それぞれ自分に合った学習法を自ら選択しており、結果、ほとんどの生徒が施設内にある訓練用ルームを利用している。
用途に応じてあらゆる器具やマシンが使えるので、効率的な学習ができるらしい。
しかし海衝は、ひたすら基礎の型で短刀を振るうばかりだ。
(そういえば……)
あまり思い出す事はないのだが、自分が初めて武器……この短刀を手にしたのが、この場所だったような気がする。
短刀は馬裟羅の長剣と同じ素材で作られており、長さは五十五cm刃渡り三十cmで、元々は二本で一組のセットだったようだ。
どうしてこの場所でそれを手にしたのか。まったく覚えていない。
通常、生徒が初めに手にする武具は教官から渡されることが多いが、海衝のバイオグラフィーにそういったデータは残っていない。
記憶が曖昧なのは本当に幼かったせいでもあるし、海衝が非常に訓練を嫌っていた時分だったのも理由に入るだろう。
今では信じられない事だが、幼少の頃の海衝は教官ですら手を焼くほどの、相当に気の強い、我が侭な子供であったという。
一体、いつから自分はこうなってしまっただろう?
思い出せない。きっかけは何だったのか。記憶の糸を手繰り寄せてみても、いつも途中から途切れてしまって、そこから先はいろいろな情景や感情の断片のるつぼと化し、ごちゃ混ぜになってしまう。
まるでまとまりのない夢のようだ。
「……………。」
一瞬だけ、”腕が千切れとんで宙を舞う光景”を思い出す。いつもそうだ。まぶたの裏に鮮烈に焼きついている。これは一体何なのだ。
場所が場所であるだけに、その手の事故は頻繁に目にしてきた。どうも、その辺の記憶が混ざってしまったような気がしないでもない。
「魔理亜さん、ですね」
「すごい、どうして分かったの」
廊下の大きな石柱の影から、あどけない表情の少女がひょっこりと姿を見せた。
海衝は背を向けたまま、全神経を背後に集中させる。
とてつもなく危険だ。
このとき海衝は静かに息を吐きながら、まるで相手の虚を突くように無防備に、どこも力まずにくるりと振り向いてみせた。淡く笑いかける。一つ一つの動作が命がけだ。
「香水ですよ。魔理亜さんの匂いは、独特だから」
「匂いって、ひどい。香りって言ってよ」
「あ、失礼」
零れ落ちそうなほど大きな少女の瞳が、真直ぐに海衝を射抜く。宝石のような、黒い瞳。思わず目を伏せる。
読めない。この人の心は、まったく読めない。
――――危険な人だ。
「……自分に、何かご用ですか?」
「そんな言い方ないんじゃない?キミに良い報せを持ってきてあげたのに」
「あ、いえ……すみません。自分は、こんな言い方しか出来ないもので」
「ふーん」
つんと口を尖らせる少女。分からない。
「それは、私に対してだけってコト?」
「そ、そんな事はないですよ。自分は誰に対しても、一辺倒な言い方しか……」
ますます、不機嫌な表情になっていく少女。まずい。
「あ、でも、その、魔理亜さんは、特に、そうですね。上手く言葉が返せません……」
へどもどと狼狽える。背中に、嫌な汗がにじみ出る。
「そうなんだ」
急に悪戯っぽい笑みを口元に浮かべる。解らない。どうすれば”正解”なのだ。
「あ、あの……それで、良い報せというのは?」
「うん。馬裟羅くん。キミのお兄さんがもう帰ってるんだって。もうちょっと長引くって聞いたけど、早めに片付いたのかな」
思わず自然と笑みがこぼれそうになってしまった。危ない。
また”ハズレ”を踏んで怒らせてしまうかもしれない。
「そうですか。兄さんが」
「あれ、嬉しくないの?」
冷静になれ。
「そうですね。昔からずっと一緒に過ごしてきましたから……色々話したい事はあるんですが、すぐ会いに行こうと思うほどではありません」
「ふーん、そうなんだ」
「あの、わざわざ報せてくれて、ありがとう御座います」
「あ……まだあるの」
黒い大きな瞳が、海衝の左の頬をじっと見つめる。
ああ、なる程。このアザの件――――
(俺らの後ろには、あの魔理亜が……)男は確かに、そう言った。
だから背後に気配を感じた瞬間もすぐそれと察知し、警戒していた。
(まあ、警戒したところで……)
まず勝ち目のない相手である事ぐらい、理解しているのだが。
少女が口を開く。
「その、ほっぺたのアザ…………」
「………………」
どうした、なぜ続けない。
相手の意見を引き出してから、自分の振る舞いを定めようとする駆け引きだろうか。おそらくそうだ。違いない。
その証拠にそれっきりで彼女は黙りこんでしまった。恐らく、それについて尋ね返せば……
「あ、はい。このアザが何か?」
「………………」
思ったとおりだ。困ったような、心配するような視線を向けたまま、黙ってしまう。
いいだろう。こちらが”後の先”を打たれるとして、
やはりこの得体の知れない相手には、事実……それも上手くライトが当たる角度を調節しながら、事実を話すに越した事はない。
下手な取り繕いはかえって危険だ。後手に回るな。行け。
「そうですね。これは、先輩方に対して、自分が非礼を働いてしまった結果です。最近の自分はまったくどうかしていました……そのことを身をもって、教えて頂いたのです」
間違った事は言っていない。事実に沿った言葉だ。さて、どう出る――――
「馬鹿」
海衝は己の耳を疑った。それは本当に、予測し得ない言葉だった。
(な、何を言っているのだ、この人は……)
少女が口を開く。
「話は聞いてるの……あの子達、勘違いしてたみたい。だからね、それは謝る。ごめんなさい」
「え……?」
「私をね、味方につけてると思ったんだって。その傷、馬裟羅くんへの逆恨みのとばっちりでしょう?あの子達、馬裟羅くんに嫉妬してたみたいだから……」
そう言いながら、憂いた瞳でこちらへ手を伸ばしてくる少女。
それが”命の危険”を意味しているのが解っているのに――――
動けなかった。
少女の掌がそっとアザのうえに触れる。しっとりとして、柔らかい。
「ひどい事するね……でも、キミも馬鹿」
大きな瞳に、自分の顔が映っている。
僕はこんな顔だったっけな、などと、どうでもいい事を思った。
「いい?君はなんにも悪くないんだから、やり返さなきゃ。男の子でしょう?」
少女の掌が頬から耳のあたりへ移っていく。くすぐったい。なでている……のか。
君は、良い子すぎるよ。
ぴしっと左頬をはたかれた。
その平手にまったく痛みはなかったが、何故か、
何故か―――胸の奥のほうまで振動が沁み渡った。
「う……」
がくりと肩の力が抜ける。狼狽え、彼女の瞳を見つめる。大きい。宝石のようだ。
急に、海衝の中にある何かが瓦解していくような気がした。
あの兵陰と話した夜から――――人殺しに向かう友の背中を止めもせず、見送った夜から、ずっと胸の奥でわだかまっていた、硬くて歪つだった何かが溶けていく。
一瞬で醒めた。いつもの海衝に戻った。大丈夫だ。
「目が……覚めるような、思いです」
「やっと覚めたんだ」
そう言って、にこりと笑みを浮かべる少女。わかる。今はこの人の心情がよくわかる。おはよーと言って手を振る。まるで子供だ。
「いまは夜ですよ、魔理亜さん」
「あら、夜でも起きた人には”おはよう”じゃない」
「そうですが、何だか少し可笑しいです」
「そうかしら」
「そうですよ」
うふふ。と、少女が微笑む。わかる。手に取るようにわかる。わかるからこそ思う。
この人は―――
「所で、もう一つの良い報せとは、何ですか?」
「あ、そうそう」
ぱっと手を叩いて言う。無邪気だ。
「君をぶった子達ね、悪い子だったから」
―――ちゃんとお仕置きしておいたよ
なんて、恐ろしい人なんだ。
Ogre(オグル) よるの獅子 @yorushishi
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