ep.06 無心

鬼だ――――鬼神が通る――――


おい目を合わせるな、殺されるぞ――――



半月ほどの任務を終え、馬裟羅(バサラ)はひさしぶりに施設に帰還している。


今回の任務終了を報告するため、教員棟へと向かう廊下を歩いていた。


「………………」


自分へと向けられる、幾つもの視線。


あらゆる種類の視線。ちいさな囁き声。顔を伏せる面々。


馬裟羅は、それらを避けるように身を屈めるでもなく、跳ねつけるように肩をいからせるでも無く、ただ淡々と歩を進める。


腰から下げた金色の長剣が鈍く光る。


任務とはいえ、どれほどの数の命をこの剣で奪ってきたか、今となっては馬裟羅にも分からぬ。


「ひっ……」


曲がり角から出てきた生徒が、不意に馬裟羅と鉢合わせになった。突然のことで腰が砕けたのか、尻餅をつく。


「………………」


しかし、馬裟羅はちらりと一瞥だけして通り過ぎる。まったく歩みを変える事は無い。”どうでもいい”のだ。


飛び級で最高ランクに上り詰めた生徒というのは今までに前例がなく、それゆえ施設内での馬裟羅の知名度はきわめて高い。


自分に関するあらぬ噂も、いくつか耳にした事がある。例えば目が合ったからという理不尽な理由で人を斬り殺したとか。例えば女を生きたまま切り刻むのが何よりの愉しみだとか。例えば月に一度は恐ろしい鬼の姿になって暴れ狂うとか。


例えば――――Aランク内はいま馬裟羅と魔理亜に分けられていて、二つの勢力が互いに対立しているとか。


「………………」


だが馬裟羅はどんな噂をされようと、まるで相手にしない。


「真実だけあればいいんだ」


あちこちで飛び交う友人へのでたらめな噂に、腹を立てていた兵陰(ヴェイン)に、馬裟羅はそう言った事がある。


「俺はいままで疾しい事なんか何もしてない。それを俺は知っている。それでいいんだ」


そう言われて兵陰は、少し困ったような顔をした。


教員棟まで着いた。生体認証センサーをパスし、ドアが開くと、中には貝紋教官と数名が居た。


貝紋は一瞬戸惑うように視線を泳がせて、それから声をかけた。


「お、おお……馬裟羅か。どうした、何か用か?」


「………………」


任務から帰ったというのに、”何か用か”もないだろう。


無言で目もくれずに通り過ぎる。


馬裟羅を追う貝紋の眼が、じわじわと暗い色を帯びる。僻みと、畏怖と、劣等感。


しかし、愚鈍な貝紋がそれを自覚する事はない。


よく通る声が響いた。


「これ、挨拶ぐらいせんか。教官に対する礼儀を欠いているぞ。さておき遠い国での任務、ご苦労だったな。何か好きなものを用意させよう、何がいいかね」


と、異様に早口でまくしたてる長身の教官が馬裟羅の前に立った。坂機(サカキ)指揮官である。


そして貝紋はここにきて、ようやく任務完遂の報告に来たのか、と理解した。


坂機が続ける。


「報告は私が受けよう。こちらへ来なさい、鬼の子」



馬裟羅はやはり無言で、司令室の扉の向こうへ続いていった。









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