彼女は自分の夢の為に、高校を辞めた

風嵐むげん

彼女は自分の夢の為に、高校を辞めた


「私、高校辞めることにしたの」


 それは、無事に高校を入学してから約二か月程が経った頃。五月の末にしては蒸し暑く、しとしとと静かな雨が降っていた日だった。

 彼女とは中学校まで同じだったが特に親しいわけではなく、高校も別々だった。ただ同じ時間帯で、お互いに終点まで行くこともあり。いつの間にか二人は毎日同じ電車で、終点までの二十分程をお喋りで過ごすようになっていた。


 そんな友人からの、突然の告白。


「……え?」


 最初は聞き間違いだろうと思った。でも、違った。彼女はもう一度同じセリフを言った。雨が降っている為にいつもより乗客が多く、その為に声も小さかったが。聞き間違っているわけではなかった。

 彼女はどちらかと言うと真面目な性格で、頭も良く大人しい女の子だ。地元でも可愛いと有名な私立高校の制服が、良く似合っている。そのまま三年間過ごせば、高校など難無く卒業出来るだろう、それなのに。


「何で、何かあったの?」

「うーん、そういうわけじゃないけど……ほら、私って将棋やってるでしょ?」


 照れ臭そうに、彼女が言った。そういえば、彼女は小学校でも中学校でもちょっとした有名人だった。彼女は小学校の頃に父親の趣味だった将棋にのめり込み、中学生の頃には地方のアマチュアの大会で優勝する程の実力者となっていた。全校集会で何度もステージに呼ばれ、校長から賞状を受けていた姿を思い出す。

 

「私、将棋のプロになりたくて。プロになるには沢山勉強して、試験を受けなくちゃいけないんだ。でも、その試験を受けるには年齢制限があって。だから高校辞めて、来月東京に行こうと思ってるの」


 プロ棋士の世界どころか、将棋のルールさえ知らない私には理解出来ない話だった。要するに二十代の内にプロにならなければ、その夢は永遠に叶わないのだそう。


「……でも、それって高校辞める必要あるの?」


 思わず、そう訊ねてしまう。私の中では、高校卒業は今後社会に出る為に必須条件だと確信していた。高校を卒業して、良い大学に行かなければ。そういう漠然とした焦りのようなものがあったのだ。

 天性の才能を持った同年代の人達が、それぞれの分野で活躍しているのはテレビや新聞などで知っていた。でも、今こうして同じ電車に乗っている彼女はテレビの中の天才とは違う、普通の女の子としか思えなかった。


「高校卒業しても、私達まだ十九とかだよ? プロになるのは、それからでも良いんじゃない?」

「んーん、早い子は小学生の頃から準備してるもん。中卒なんて珍しくもない世界なんだって。私は遅いくらい」

「でも、もし――」


 言いかけて、慌てて口を噤む。もしも、プロになれなかったら? そんな無粋な質問を投げ付けようとした自分が、物凄く矮小な存在に思えてしまったからだ。

 不意に頭上から降ってくる、ガビガビと埃っぽいアナウンス。電車はいつものように、遅れることもなく定刻通りに終点へ到着した。

 此処から私は駅を出てバス停へ、彼女は別の電車へと乗り換えとなる。人が多い為に、波に流されるかのように二人共外に出た。この二か月で何度もあった光景だ。いつもと同じだったのなら、そのまま挨拶も適当にそれぞれの道へと向かう筈だった。私はそうしようとした。

 でも、彼女は違った。サラリーマンのおじさん達の流れに逆らって、ホームの途中で立ち止まって私の名前を呼んだ。


「バイバイ、元気でね!」


 大きく手を振る彼女に、私も何も言えずに。ただ、周りの迷惑にならないように手を小さく振り返して。やがて、迷惑そうな顔をしたおじさん達の波に埋もれて、彼女の姿は見えなくなった。私は、いつものように駅を出てバスで高校へと向かう。彼女と会って話をしたのは、それが最後だった。


 六月になって、彼女を電車で見かけることはなくなった。終点まで二十分。誰とも喋ることのない二十分が、やけに長く感じた――



 それから、数年後。二十代も半ばに差し掛かった七月の初め。不意に、彼女のことを思い出した。当時は今のように誰もがスマートフォンや携帯電話を持っているような時代ではなく、彼女は携帯電話を持っていなかった。だからあの日以来、彼女と連絡を取ることは出来ていない。

 だから、彼女が夢を叶えられたのかどうかはわからない。インターネットで検索してみると、彼女の名前はちらほら見つかるが、プロ棋士になれたかどうかはわからない。

 改めて考えれば、当時の私は幼くて世間知らずだった。高校中退でも、今は通信制や夜間の学校だってある。専門学校だって増えている。進路の決め方は、私が思っていたよりも多種多様だ。

 私は高校を卒業して、専門学校を出て定職に就いた。恐らく、今後も自力で食っていける程度には稼いでいけるだろう。でも、それが一体何なのだろう。


 ――あの日、電車の中で夢を語って。ホームで大きく手を振っていた彼女。あの時、私も周りを気にせずに大きく手を振り返せていれば。頑張れ、と言えれば何かが変わっていたかもしれない。


 でも、言えなかった。何だか、悔しくて。自分だけの夢を持てて、夢に邁進出来ることが羨ましくて、妬ましくて。


 彼女は自分の夢の為に、高校を辞めた。


 私は、そんな彼女を見送ることしか出来なかった――

 

 


 

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