第10話 「あの派手なお姉ちゃん、誰?」
タカシは変わり果てた姿で、ナヅキの前に佇んでいた。
変わり果てていたが、その顔をよく見ると、やはりあの幼馴染のタカシの顔だった。
「クソ、めっちゃ強くなりやがって。へへへ、でもな、俺はここじゃ死ねないんだ。タカシ、お前をもとに戻して、この変な研究施設を作った奴をぶっ飛ばして、マナを倒して、エヴォルヴが安心して暮らせる世界を作るんだ。だから、ここでは終われない」
ナヅキは力を振り絞ったが、もう立つことすら出来なかった。
タカシは、拳を振り下ろした。
ナヅキは最後まで諦めなかった。拳にオーラを込めて、戦おうとした。
しかし、意識がふっと遠のいた。
そして、爆音。
ハッとし、ナヅキは寸前のところで意識を保った。
目を開くと、サカグチがナヅキに手を差し伸べていた。
「大丈夫ですか?」
サカグチは眼鏡が割れており、スーツも顔もボロボロになっている。
隣には、アサを抱えたハギワラが立っていた。
「暫く見ない間に成長したね、私の研究の成果かな? ククク」
そして、2人の後ろには、タカシの拳を片手で受け止めるマナがいた。
「マナ……助けに来てくれたのか?」
「勘違いするな。もとはと言えば俺の会社の管理不十分が原因で起きたことだ。その責任を取りにきただけだ」
サカグチは口元を綻ばせた。
ナヅキ君達の為にあれだけ本気で暴れておいて、よく言いますよ。
マナは、サーヤ達監視役8人とは戦わなかった。マナとサカグチが戦っている途中で、会長から許可が出たのだ。
こうなる事を予見していたサカグチが、裏で手回しをしていた。
ハギワラも強力し、シャバーニ社が行っている不正を徹底的に調べ上げた。
攻められるだけの十分な証拠をこれでもか、というくらい用意し、必死に会長を説得していた。
「マナ、タカシを殺さないでくれ……」
「難しいな」
マナとタカシは、互角に打ち合った。拳がぶつかる度に、大きな衝撃が起こる。
「サカグチ、アサさんとナヅキくんを外に連れ出してくれ。私は、盗まれたものを取り返さないといけないのでね。ククク」
そう言って、ハギワラはサカグチにアサを渡した。アサは、微かに意識が戻っていた。
「ナヅキ……」
「アサ! 大丈夫か?」
「さて、ナヅキ君も行きましょう」
そう言うと、サカグチはナヅキを背負った。
「ダメだ、俺も戦う!」
しかし、もうナヅキの身体は動かなかった。
大人しく、サカグチの広い背中に身を任せた。
「君は良く戦いました。あとはマナ様に任せましょう」
サカグチの肩の上に、ナヅキの涙がこぼれ落ちた。
「マナ、タカシのこと、頼む」
「黙って休んでいろ」
サカグチは、ナヅキを背負い、アサを腕に抱いて歩き出した。
「さて、可愛い可愛いゼラを救出するかな」
ハギワラは、大きな扉の隅に備え付けてあるコンピュータを起動させた。
「うーん、実に甘いセキュリティーだね……ゼラを盗まれておいて言えることじゃないが」
その時、マナが吹き飛ばされた。
「マナ様! 大丈夫ですか?」
ハギワラは慌てた様子でマナに駆け寄った。
「案ずるな。しかし――」
マナはオーラを集中させた。
「信じられないが、オーラの量だけなら、サカグチよりも多い」
マナは瞬間的にタカシの前に移動して、拳を1発入れた。
しかしタカシは倒れることなく、すぐに殴り返してきた。
「これだけのオーラを注入されて、並みの人間なら耐えられない。タカシ、お前は大した奴だよ」
「マナ様が褒めるとは珍しいですね、ククク」
マナは高く飛んだ。
「手加減するのが難しいだけだ。俺の敵ではない」
マナは天井に手をつき、そして再び下降した。
マナの蹴りが、タカシの後頭部に直撃する。
しかし、タカシはビクともせず、マナの脚を掴んだ。
「くっ」
タカシは、砲丸投げの要領でマナを投げ飛ばした。マナは天井に直撃し、地面に落下すると、落ちてきた所を狙ってタカシが蹴りを放った。
しかし、その蹴りをマナは受け止めた。
「調子に乗るなよ」
マナはタカシの脚を引っ張ると、その巨体を先ほどのタカシと同じ様に投げ飛ばした。タカシは天井に直撃し、上のパネルに食い込んだ。
その時、人工知能の音声が研究所全体にアナウンスを告げた。
「自爆装置が作動しました。10分後にこの施設は爆破されます。直ちに施設外へ退避して下さい」
そのアナウンスの後、警報とともに照明が真っ赤になった。
「時間がない、急ぐぞハギワラ」
「かしこまりました」
マナは、エメラルドグリーンの色をしたオーラを出現させた。
「タカシ、耐えろよ」
ナヅキ達も、長い廊下の途中で自爆のアナウンスを聞いていた。
「じ、自爆!?」
「施設を爆破して、証拠を隠滅するつもりかもしれません。でも、おかしいですね。この研究所のコントロールルームは制圧したはずですが。外部から操作しているのか……」
機械的な音声が鳴り響く。
先ほどよりもノイズが入り、聞きづらい声になっている。
「マナ、クソガキ共。お前らはここで終わるんだぁ。はは、あははははははは」
そして、それを合図にして、各部屋、通路の全ての扉が閉まり、ロックされた。
ナヅキ達は、通路の間に突如現れた扉と扉の間に挟まれ、通路に閉じ込められた。
「と、閉じ込められた?」
「そのようですね」
この緊急事態に及んでもなお、サカグチは冷静であった。
「ナヅキ君、最後にもう1度、力を出してくれませんか?」
「あぁ、わかった」
サカグチは、背中に背負っていたナヅキを下ろした。
「立てますか?」
「平気だ」
ナヅキの足は、ガクガクと震えていた。
「では、アサさんを頼みます」
「おう」
サカグチは、アサをそのままナヅキの背中に乗せた。
「ごめん」
「大丈夫だよ」
背中に感じるアサの感触と、におい。
でも今は、それよりも、ナヅキが興味あったのは、サカグチだった。
恐らく、羅刹区ナンバー2の実力であろう男の能力が目の前で見られるのだ。ナヅキは身体に力を入れ、目を見開いた。
サカグチの身体から、ゆらゆらと黒いオーラが湧いて出た。
そして、閉じられた扉の前まで行くと、右手にオーラを集中させた。
その高濃度に凝縮されたオーラは、黒真珠のような艶をもって輝いていた。
ナヅキは唾を飲んだ。
次の瞬間、サカグチは非常扉を殴り、大穴を開けた。
「力技かよ!?」
「おやおや、何を期待してたんですか?」
サカグチは、右手をハンカチでさらっと払った。
「ナヅキ君は、やがては我々を倒すつもりなのでしょう? ならば、私の敵、ということになる。敵にわざわざ能力を明かす者がいますか?」
サカグチはにっこりとして言ったが、ナヅキは冷や汗を垂らした。
俺が目指す先には、こんな化け物が待ち構えているんだ。
「さぁ、時間がありません。急ぎますよ」
そう言うと、サカグチはドンドンと頑丈な扉を突き破り出口へ進んで行った。
ナヅキは、少しだけ後ろを振り向き、そして前に進んだ。
最後の扉、エントランスの頑丈な柵を突き破ると、研究所の外に出た。
そこは森になっており、少し離れたところに夜空に映えるえんぴつタワーが見えた。
「爆発します、早くこちらへ」
防弾チョッキを着たガタイの良い男性が近づいてきた。恐らく、治安庁の職員だろう。
研究所の周りは、爆発に備えてか少し間をあけて、治安庁の装甲車両と、重厚なシールドを持った治安庁の職員が施設を囲んでいた。
「待ってくれ、まだ、中に人がいるんだ」
ナヅキがそう訴えた直後、背後から激しい爆発音と衝撃、熱風が巻き起こった。研究所が、爆発したのだ。
職員は素早くナヅキ達の後ろに周り、シールドでガードした。
衝撃波が去った後は、施設は燃え盛る炎に包まれていた。
物凄い熱で、とても近づくことは出来そうにない状態だった。
しかしナヅキは、大きなシールドの間を抜けて、研究所に向かって走り出した。
「おい、君!」
ナヅキはすぐに腕を掴まれ、取り押さえられた。
それでも、前に行こうとした。
待ってくれ。
まだ中にタカシが、マナが、ハギワラさんが――
伸ばした指の先が、チリチリと熱い。
無情にも、炎は増し、また爆発が起きる。黒い煙が立ち上る。
しかしナヅキは、前に進もうとした。
炎の中に飛び込もうとした。
嫌だ、嫌だ、諦めない、絶対にタカシを助けるんだ。
しかし、無情にも、建物は崩れ落ちる。
炎と煙が巻き起こる。
その煙の中から、微かに人影が見えた。
「あ……」
聖人が起こした神秘的な奇跡を目の当たりにしたかのように、ナヅキとアサはその光景に見入っていた。
タカシを背負ったマナが、炎の要塞と化した研究所のエントランスから、ゆっくりと歩いてきた。
「タ、タカシ!」
ナヅキとアサはマナの元へ走った。
それに気づくと、マナはタカシを降ろした。タカシの容姿は変わり果てたままだったが、気を失っていた。
「マナ……無事だったんだな」
「ふん。早くそいつを科学館に連れていけ。意識を取り戻すと厄介だ」
マナはそのまま立ち去ろうとした。
「マナ、ありがとう!」
「ありがとう」
ナヅキとアサは、揃って礼を言った。
マナは立ち止まったが、振り向かなかった。
「お前達も、早く手当してもらえ」
そう言って、サカグチと共に大きな黒塗りのリムジンの中に消えた。
扉を閉める直前、サカグチが穏やかな笑顔で微笑んだ。
「あ、ハギワラさんは?」
「ここにいる」
焦がした髪の毛がアフロのように広がって、昭和の博士像然とした様相のハギワラがどこからともなく現れた。
「ハギワラさんも無事だったんだ、よかった」
「これぐらいでくたばるようでは、マナ様の下では働けんよ。さて、タカシ君は私が預かっていくよ」
「まさか、ハギワラさんはタカシを実験台にしたりしないよな?」
「タカシ君は、私の実験台だよ」
「え……」
「君たちは、私の大切な研究の被験者だからね。ただし私は、あのシャバーニ社の下品な研究員と違って被験者にも愛情をもって接する。大丈夫だよ、タカシ君は、私に任せなさい」
「うん、頼んだぜ、ハギワラさん! ありがとな」
「あぁ、君たちもゆっくり休みなさい」
タカシは、白衣を着たハギワラの部下達が運んでいった。
ナヅキとアサは、サカグチが手配した救急車両で羅刹区の病院に連れていかれ、治療を受けた。
1週間ほど、ナヅキは身体を動かす事が出来なかった。
ずっとベットに仰向けで寝たまま天井を見つめていた。
アサは1日寝たらすっかりピンピンしてた。
しかしナヅキと同じように1週間は入院するように言われていたので、検査の時意外はナヅキの病室に行き、ナヅキのベッドの傍で本を読んでいた。
「何読んでるんだよ?」
「ひみつ」
「俺に読んで聞かせてくれよ、退屈でさぁ」
「いや」
「ケチ!」
次の日、アサは芥川龍之介の羅生門を読んで聞かせてくれた。
羅生門の内容は、ナヅキのサンチマンタリスムに影響した。
それを察したのか、アサはナヅキの手を握ってくれた。
手を握ってくれるのはいいが、とりあえず次は楽しい気分になる本をもってきてくれよ、とナヅキは心で思った。
病院での1週間は、そんな穏やかな日々だった。
退院すると、ナヅキ達は今まで通りに学校へ通った。
折れた右腕以外は変わらない日常だった。
「よう、アサ。おはよ」
「おはよう」
1つだけ違うのは、タカシがいないことだ。
いや、もう1つ違う事があった。
「マ、マナ……なんでいるんだよ」
教室に入ると、何事もなかったようにマナが制服姿で机に脚をのせた図々しい姿勢で座っていた。
「居ては悪いか?」
「わ、悪くはないけどよ……身体は大丈夫なのかよ?」
「問題ない。1週間も寝込んでた奴とは身体の鍛え方が違うんだよ」
「なんだとコラ」
ナヅキがマナに突っかかろうとすると、アサに首根っこを掴まれて席に座らされた。
そのままアサも自分の席についた。
「あ……、ということはサカグチさんも」
ナヅキが教室の後ろを振り返ると、眼鏡を新調したサカグチと、その隣りにピンク色の髪をしたスーツ姿の女性が立っていた。
「あの派手なお姉ちゃん誰、教育実習生?」
「俺の監視役だ」
「あ、あれで監視役!?」
「増えたんだ?」
「この前のことが問題になってな」
「お前も大変だよなぁ」
そう言ってナヅキはニヤニヤと笑った。
マナはごまかすように視線を逸らした。
「学校終わったら、少し付き合え」
「うん?」
放課後、校門の前に場違いな黒塗りのリムジンとセダンが止まっていた。
嫌でも目立ってしまうので、エヴォルヴの学校にこの車で来るのはやめろよと訴えたが、マナは聞き入れてくれなかった。
マナ、ナヅキ、アサはリムジンに乗り込み、サカグチとサーヤは後ろのセダンに乗り込んだ。
リムジンが辿りついた先は、羅刹区の科学館だった。
中に入ると、最初に来た時のようにハギワラが出迎えてくれた。
「やぁ、ナヅキくん、アサさん。体調は良くなったかね?」
「あぁ、おかげさまで」
「それはよかった」
ハギワラは後ろの方に腕を伸ばした。
「タカシ君に、声をかけてやってくれ」
声をかけてやる、とはどういった状態にあるのだろうか。
ナヅキは、カシがどんな状態であれ現状を受け止めようと、心を強く保とうと務めた。それはアサも同じだった。
エレベーターに乗り、地下に深く潜った。
エレベーターを降りるとクリーンルームがあり、身辺を洗浄した。
その先の部屋に、厚いガラスを隔てた向こうにタカシはいた。
右目に眼帯をしているが、肌の色、体格、穏やかに眠る表情は、もとのタカシそのものだった。
「タカシ、もとに戻ったのか!?」
「あぁ、意識意外は全て元通りになった」
「意識意外?」
「そうだ、検査した結果、脳機能に異常はみられない。あれだけオーラを注入されて、信じられないがな。それはタカシ君の強靭的な精神力の為かもしれない。しかし、意識だけは戻らなかった。まるで魂だけが抜けてしまったみたいに」
ナヅキは、蹴りを入れれば今にも飛び起きそうなタカシの寝顔を見た。
「タカシは、このまま目覚めないのか?」
「それは、分からん。何しろ、原因が不明なのでな。だが……」
ハギワラは、ナヅキと並ぶようにガラスの前に立った。
「少し、同じ様な事例がある。全く当てがないわけではない。タカシ君を目覚めさせる為、研究を続けるよ」
「お願いします、ハガワラさん。俺も、タカシを目覚めさせる為に何でも協力するよ」
そう言ったナヅキの後ろで、アサは妙な気配に気づいていた。
ハギワラが、少し言葉を選んで話している事。
それについて、マナ、サカグチ、サーヤが微かに警戒していたこと。
マナ達は、何かを隠している。
羅刹区はまだ、深い闇を秘めているという予感を、アサはひしひしと感じ取った。
しかし、それを微塵も表情に出さなかった。
その夜、ワタと海坊主が帰国した。
どうやって帰ってきたのか詳しく話してくれなかったが、海坊主曰く「久々に大暴れした」ということだった。
フーカは泣いて喜ぶかと思いきや、いつもの少し不機嫌そうな面持ちでネイルを気にしていた。
ワタが帰ってきたこともあって、ドラスティ社社長室でみんな揃って食事をした。
ワタの手下のトシ、青バンダナ達や、サーヤ率いる8人の監視役も混ざって賑やかなものになった。
そんな中、ナヅキは、マナが1人で上の階に上がって行くのが見えた。
ナヅキも後を追ってついて行くと、そこは屋上のヘリポートだった。
奈古屋の全てが見下ろせる、夜空の下の玉座だ。
そこで、マナはヘリポートの真ん中に立って、星の見えない夜空を見上げていた。
「お前にもセンチメンタルな一面があるんだな」
ナヅキが言ったが、マナは振り返らなかった。
ナヅキは、マナの背中に向かって拳を突き立てた。
「マナ、お前は俺が必ず倒す。そして、エヴォルヴが安心して暮らせる世界を作る!」
マナはゆっくりと振り返った、金色の髪が風になびく。
マナは無表情で言った。
「できるものならな」
この夜、ナヅキがかざした拳の先から、劇的に変化する未来が広がっていく。
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