或る画家

金輪斎 鉄蔵

或る画家

1.あたらしいカンバス

 オーク製の頑丈がんじょう木枠きわくに、にぶく光る鉄釘てつくぎで、上等の画布が張られていく。男は小柄だが頑健がんけんそうな背中を床にかがめて、トントントンと、軽快な槌音つちおとを、小さいながらも天井の高く快適そうなアトリエに響かせている。アトリエの木の床には、まだ荷をほどかれていないダンボールがいくつか転がっている。三階建てのビルの一階に越してきたばかりのこの画家がかは、この十年間ずっと暖めてきた大作に、ついに取り組むことに決めたのだ。

 いつか、このカンバスは、職人の手になる上質ながくに包まれて、いかにも育ちの良い、上品な学芸員の、白い手袋をめた手で、立派な美術館の一番奥の特等席に掛けられるに違いない。ちょうど、レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザがそうされたように、あるいはクロード・モネの描いた数多くの睡蓮すいれんが世界中でそういう扱いを受けているように。とすると、この小さなトンカチの一振り一振りは、重大な仕事だぞ。数百年の時を超えても、木と布をしっかりと、ゆがみない方形に保たなくてはならないのだから、釘の一本たりともおろそかにはできないぞ。そんな風に考えて画家は、手先を厳しく見つめつつも、穏やかな笑みを浮かべた。

 やがて、その1.5メートル四方はあろうかというカンバスは、一部の隙もない緻密ちみつな四角形に仕上がり、あらたに画家のあがなった特大のイーゼルの上、窓辺からやわらかな光の差し込む壁際かべぎわにおさまった。

 五メートルほど離れた木製の寝台に腰掛こしかけた画家は、紙巻かみまきタバコに火をつけ、カンバスを満足そうにながめている。やがて日は傾き、オレンジ色の残照ざんしょうが壁をい登って、やがて夕暮れのあおい光にアトリエが満たされるようになっても、画家は指先ゆびさきからゆるゆると紫煙しえんを立ち上らせたまま、かずカンバスを見つめていた。



2.パンとチーズとソーセージと、ワイン

 アトリエには寝台しんだいと、白いカンバスと、木製の大テーブルと質素しっそ椅子いすがあり、入り口のドアのわきに小さな白い陶器製とうきせいの流しが付いている。ほかに家具らしいものはなにもない。椅子に座った画家は、慣れた手つきで、紙の上にさらさらと木炭を滑らせている。テーブルの上にはたくさんの木炭紙に女のデッサンが描かれている。寝台の上には、裸の女が身を横たえている。画家はときおりかたわらに置いた冷めたコーヒーをすすりながら横目でカンバスをにらみ、また再びデッサンへと戻る。

 「今日はこのへんで終わり」と画家が言うと、女はポーズを取り続けてった身体をほぐすように、肩や背中を動かして、「ああ、お腹が空いちゃった」と笑った。画家はテーブルの上に広げていたデッサンを丁寧ていねいに片付けて、黒く汚れた手を流しで洗うと、食卓の準備に掛かった。女は質素しっそなワンピースのボタンを留め終わると、「今日は、安かったからワインを二本買ってきたんだ」と、寝台のかたわらにおいた茶色の紙袋を持ち上げて見せた。ふたりはこのアトリエへの引越しを期に結婚したばかりだった。

 テーブルにパンとチーズと、ソーセージ少々を並べ、ワイングラスをカチリと触れ合わせて、ふたりは遅い夕食を始めた。椅子は一脚いっきゃくしかないので、テーブルを動かして画家は寝台しんだいを椅子代わりに座っている。白ワインで始めた食事は、赤ワインを半分あける頃には、あらかた食べつくし、チーズのかけらをつまみに、他愛のないながらも和やかな晩酌ばんしゃくへと移った。女は若くほがらかで、すずのなるような美しい声で笑った。画家もまた幸せな笑いを楽しんだ。小さなアトリエに、夜更よふけまでふたりの笑い声が、絶えることなくひびいていた。


3.絵筆を下ろす準備は整っていた

 ふたりの生活は、まもなく三年になろうとしていたが、大きなカンバスは白いままだった。画家はなまけていたわけではない。カンバスのまわりの壁に貼られた数々の下絵は、精緻せいちに仕上げられ、カンバスにたっぷりと油絵の具を含んだ絵筆えふでを下ろす準備は整っていた。しかしその一方で画家は、とても忙しくなっていた。テーブルの上には雑誌の表紙から、小説の挿絵さしえ、絵本の下絵、広告のレイアウト案まで、仕事が山と積まれていた。

 以前から生活のために、画家は広告やら雑誌やらの仕事をしばしば引き受けていたのだが、女が大学を卒業して出版社に勤めるようになると、状況が大きく変わってきた。もともと器用で、写実的な絵も描ける画家のもとに、仕事の依頼は殺到さっとうしはじめた。経済的な成功はふたりにとって幸せなことだから、大作に取り組むのは、仕事が一段落してから、と、そう思ううちに一年二年は飛ぶように過ぎ去った。

 だが、ふたりはまだ若く、時間は無限に残されていたから、とくに気に病むこともなかった。アトリエには真新しいチェストやソファ、食器棚にそろいの食器が入って、暮らしやすそうな空間に変わっていた。入り口の流しは、炊事すいじのできる台所にしつらえ直されていた。ときおりふたりは、大きなカンバスの前に脚立きゃたつを立てて、羽箒はぼうき丁寧ていねいにホコリを払った。だから、カンバスは相変わらず、真新しく、白く輝いて、絵筆えふでの下ろされるときを待っていた。


4.若いツタ

 カンバスに画布がふが張られて十年が経ったが、それは相変わらず白いままだった。画家は忙しくテーブルに向かって絵筆えふでを走らせている。女は北向きの窓際まどぎわに置かれた医療用の無機質むきしつ寝台しんだいでまどろんでいる。女が体調をくずしたのは五年ほど前のことだ。春先の雨に当たってひいた風邪かぜをこじらせて、寝込んだ女に下された診断は、肝臓かんぞうやまいということだった。充分栄養を摂って一年も休養すればよくなると医者は言ったが、やまいは女の身体から、一向に離れようとしなかった。

 往診の医者は「こんどの薬はよく効くはずですよ」とたびたび新しい処方を出したが、病状はなかなかよくならなかった。男はかさむ薬代のために、一層仕事に精を出し、女のために消化の良い、栄養のある食事を用意した。 女は、病にせってからも明るさを失わず、秋には「雪が積もる頃には、きっと直っているから、ふたりでスキーに行こう」と笑い、春には「夏になるころには、きっと元気になって、力も戻ってくると思うから、海水浴に行こう」と笑った。

 いまや夏も盛りとなっていた。昼下がり、暑さにんだ画家は手を休めて窓辺の女の元に行き「今日も暑いねえ」と女に氷水こおりみずを手渡した。枕を積んで体を起こした女は「夏だもの、暑くなくっちゃ、気分がでないしょ」とほがらかに笑って、窓の外に目を細めた。「ほら、向こうの家、春先に植えたツタがずいぶん伸びた。壁一面に茂ったら、ずいぶんすずしげになるでしょうね」と女に言われて窓のそとに目をると、頼りなさげな若いツタが一メートルほどの高さまで、ちょろちょろと壁をい登っている。


5.空いたベッド

 その年の12月、画家の看病かんびょうむなしく、女は死んだ。葬式そうしき埋葬まいそうを終えてアトリエに戻った画家は、ソファに身を横たえて、白いカンバスをじっと見つめたまま、しばらくの間、動かなかった。

 年があたらしくなり、画家はあるじを失った白い寝台しんだいに、花束を置いた。そして、それらを丹念たんねんにスケッチした。そのさびしい絵を、仕事場の正面の壁に貼った一週間後、画家はベッドと花束を処分しょぶんした。広くなってしまったアトリエにひとり立つ画家は、すっかり葉が落ちて、枯れ木色のつるを煉瓦壁れんがかべわせるばかりのツタをじっと見ていた。そして、ひとりには大きすぎるソファに座って、大きな白いカンバスと、寂しいスケッチとを交互に見やってから、紙巻かみまきタバコをに火をつけた。

 あの大きなカンバスを張った日と同じように、オレンジ色の残照ざんしょうが壁をい登っていき、やがて夕暮れのあおい光にアトリエは満たされた。


6.霧の中で

 次第次第に、画家の仕事は減っていった。ジンの酩酊めいていに頼って描く線は、荒れてしまっていたし、生きるのに必要な最低限の収入のほか、画家には働く理由がなくなっていた。めども尽きることのない井戸も、ただ無為むいに人知れず水をたたえているだけの年月が長すぎれば、にごり枯れてしまう。画家の心と身体は、無人のまま放置され、ゆっくりと確実におとろええていくばかりだ。

 ときおり画家は、脚立きゃたつを立てて、カンバスのホコリを丁寧に払い、ソファに身を沈めて白い四角形を見つめ、しばしばそのまま眠り、その眠りからめてもじっとそのまま動かなかった。葬式そうしきを終えて戻ってきたときから、画家の時間は止まってしまったのだろうか。大きな白いカンバスは白いまま、画家はジンをすすってアルコールの霧に沈んだまま、五年が経ち、十年が経った。窓の向こうのツタばかりが、青々と赤い煉瓦壁れんがかべを這い登っていった。


7.二十年

 カンバスが張られてから二十年。もはや画家は、絵を描くよりも、人の描く絵をはすに眺めて、長年画業がぎょうに付き合ってきたものならではの知恵を駆使くしし、一瞥いちべつもとに回りくどく機知に長けた批評を、描き手を嬉しがらせもせず、怒らせもせず、ただただ、少しずつ少しずついやな気持ちにさせ、芸術への若い情熱をえさせるように、巧みに語って、それを酒のさかなにすることのほうがつねになってきた。

 画家は、過去の仕事の評判だけに頼ったものであっても、若い芸術家から一応の尊敬を集めていた。だから、薄めた砒素ひそ浄水場じょうすいじょうに流すように、気晴らしの言葉の毒をき散らすのに不自由はなかった。それだけでなく、ときには若者たちをアトリエにまねいて、サロン風の楽しいときを過ごしもした。

 しかし、話が進むにつれ、ジンをあおっては、真っ白なカンバスをあごで指し示して「なに、おれの傑作けっさくは、あれだよ。二十年来取り組んでいる本当の仕事は、あれだ。あいつが仕上がりさえすれば、俺の言っていたことが、すべてわかるようになる。絵は言葉でどんなに語ったところで、本当のところは描いて見せなきゃわかりゃしない」と煙に巻くばかりだから、本物の尊敬や信頼を寄せるものは、誰一人として居なかった。


8.三十年

 カンバスが張られて、ついに三十年が経った。画家はもうほとんど絵を描いていない。アトリエの周辺は、この十数年の間に芸術家の集まるちょっとしたコロニーとなっていたが、彼はもはや画家ではなく、彼ら若き芸術家たちに、酔って無益な議論を仕掛けるばかりの偏屈へんくつな老人に過ぎない。身をうずめて日々を無為に過ごすソファは、古ぼけて老人の身体の形にへこんだ奇妙なまゆだ。

 老人は時々、若い頃の画家を知る人から仕事を引き受けて、そのたびに相手をひどく失望させた。その絶望的な仕事のほかに、老人の収入は今や若い芸術家たちのモデルをするくらいしか、残されていない。芸術への強い情熱を、悲しみのまどろみのなかでひたすら醗酵はっこうさせてきた老人の顔には深いしわが刻まれていて、確かに画題がだいとしての魅力があった。老人はときおり鏡の中の顔を見つめて、いつの間にこんなしわだらけの顔になったのだろうかと、いぶかしく思い、苦笑いする。そして、瑞々みずみずしい顔をして、老人をデッサンする若者たちを見て、嫉妬しっとに似た苦い感情を覚える。

 老人のアトリエはもはや廃墟はいきょだ。夢を、数十年も放置しておくと、こうなる。老人の身体も廃墟の一部になり、そこにジンが注がれて、灰色の霧の中に沈んでゆく。廃墟の窓の外にツタが見えた。春、新緑が芽吹いては、夏の緑の王国を築き上げ、秋に枯葉を舞わせ、冬、雪化粧ゆきげしょうに凍りつき、やがて春を待つ。季節はメリーゴーラウンドのようにグルグルとめぐり、その回転速度はいや増してゆく。老人には、生きることのほか、もう、あまりすることがない。


9.鈴の音

 老人は相変わらず壊れかけのソファに埋もれて、毛布をかぶっている、が、眠っているわけではない。最近の老人の楽しみは、遠くなった耳を、ジッと澄ませて、二階に越してきた画学生ふたりの声を聞くことだけだった。といっても、盗み聞きというわけではない。もはや老人の耳には、二階の会話の内容を聞き取る力は残っていない。ただ、すずの鳴るような若い娘たちの声を聞いていると、昔、あの白いカンバスを張った頃の自分に戻れるような気がして、すこしだけ、元気になるのだ。

 階上のふたりは、まだ二十歳にもならない。芸術が、砂漠を船でゆくような、海原を馬でゆくような、無謀むぼうな仕事だと、まだ気づいていない。無邪気むじゃき絵描えかきになろうとはしゃいでいるばかりでは、きっと矢尽やつき、刀折かたなおれ、若木わかぎしもにやられてしまうように、ボロボロにされてしまう。おれが。体も心もおとろえて無力だが、芸術の怖さだけはよく知っているおれが、なにかれにつけ、見守ってやらなくては。

 自分こそボロボロになっている老人が、そんな風に考えるのは皮肉なことだったが、老人の優しさは今や本物だった。もう、誰かを攻撃して気晴らしをする必要も、体力も、老人にはなかったからだ。


10.オレンジ色のストーブ

 夏が終わり、秋が来ると、毎年老人は「この冬を越せるだろうか」と思う。年々寒さが身にこたえるようになり、冬場には、わずかにもらっている絵の仕事も、手がかじかんで動かなくて、なかなかはかどらない。秋も深まった夕暮れに、老人はストーブに火をともしながら、二階に耳を澄ませる。このところ、ふたりの声があまり聞こえない。なにか困ったことになっているのだろうか。心配だが、かといって、階段を息を切らせて登っていったりしても、迷惑がられ、気味悪がられるだけだ。そう思うから、老人はひたすら耳を澄ませる。

 ストーブのあわいオレンジ色に照らされながら、老人はいつものまどろみに沈んでいる。と、そこに階上かいじょうの娘のうちの一人がドアをノックした。老人は浅い眠りからすぐにめ、身を起こすと「どうぞ、お入り」とガラガラ声で返事をした。

 ふたりの声が、このところ聞こえなかった理由を、老人は娘から聞いた。もうひとりの娘が、一週間前から風邪かぜをこじらせて病にせっている。そうして、日に日に元気を失って、今では早く死にたいと願うようになってしまった。窓辺にえた寝たきりのベッドから見えるツタの葉を数えては、最後の一葉が落ちたら、自分も死ぬのだと言い張って、スープも飲もうとしない。と、娘は泣きじゃくっていた。


11.嵐の晩に

 娘の話を聞いた晩、老人はひとり椅子に座って、ジンも飲まずにじっとあの白いカンバスを見つめ、考えている。冷たい雨と風が、ときおり窓をガタガタと鳴らしている。

 あの、ちょろちょろとツルを伸ばしていた、あのツタだ。あれから何年経っただろう。確かに夏には鮮やかな緑で、確かにすずしげだが、おれと同じで、ずいぶん年寄りにもなった。こんな雨と風では、今晩中にも、葉っぱは全部落ちてしまうだろう。それにしても、風邪かぜをこじらせるなんて、思ったとおり、柔弱にゅうじゃくな若木のような娘たちだ。なんとも困った娘たちだ。ツタの葉一枚に命を預けようなんて、なんて、芸術家らしい、馬鹿馬鹿ばかばかしい空想だ。

 老人はイライラと思いを巡らせ、やがて、カンバスの前に立てっぱなしになっていた脚立きゃたつを、不器用にたたんで倒し、外へと持ち出した。

 激しい雨と風の中、老人はツタの正面に脚立きゃたつを立て、そのてっぺんに懐中電灯かいちゅうでんとうをゆわえつけて、葉の全て落ちてしまったツタの枝ぶりをにらみつけていた。なんて、図体ずうたいがでかくなったんだ、こいつは。あれから何年が経ったのだろう。ツタはずんずん伸びたが、おれはなんにもできなかった。なんにもだ。これから描くのも、茶番ちゃばんに過ぎない。きっとすぐに見破みやぶられてしまうに違いない。芸術家くずれのおじいさんが、とびきり下手な葉っぱを描いたと、笑いものになるだけだ。それにしても、なんて雨だ。なんて風だ。なんと暗いのだ。

 老人は拾ってきたツタの葉を、丁寧に壁に押し当てて、輪郭をなぞり、手にしたパレットと、ツタの葉を見比べつつ、慎重に筆を煉瓦れんがの上に滑らせる。雨にぬれた壁に、油絵の具はまるでなじまない。が、何度も何度も、筆を重ねるうちに、やがてなつかしいような、ツタの葉の緑がよみがえってくる。老人は震える手で、パレットに筆をなすり付け、丁寧に、丁寧に、ツタの葉を描いた。二十年以上に渡って、老人をさいなみ、はげましてきたツタだから、老人の脳裏のうりには、春の、夏の、秋の、冬の、一年のあらゆる一日のツタの姿が、刻み込まれている。老人の絵筆えふでは、もう、アタマの中のツタを、壁によみがえらせることだけに執着しゅうちゃくしている。あのときの、あのときの、あのときの。老人は一万数千日に渡るツタの記憶を、絵筆で辿たどるだけだ。


14.ソファの繭へ

 日の出の時刻、相変わらずの風雨でまるで闇夜のままの煉瓦壁れんがかべの前で、老人はもうほとんど視界を失っていた。懐中電灯かいちゅうでんとうは弱り、暗いオレンジのシミにしかならず。老人は電灯を手に持って、壁ギリギリに近づけて、目をこらして作品の出来できを確かめている。皮肉屋ひにくやの芸術家の顔は、やがてテストを終えたばかりの学生のように不安げな、真面目な顔になり、そしてすこし苦笑すると、懐中電灯を消した。

 ゆっくりと、ナメクジのように脚立を降り、片付けた道具と脚立をずるずると重くひきずって、老人は部屋へと戻った。身体は冷え切って、力は使い果たしてしまって、もう、ストーブにともすマッチをることも、老人にはできなかった。ただ、そのまま、ソファのまゆに倒れこみ、眠る力もないままに、老人は目をうっすらと開けて、壁際かべぎわの大きなカンバスを見上げる。

 ああ、あれにそろそろ、手をつける頃合ころあいだ。あまりにも長い間、寝かせておいてしまった。おれは、慎重しんちょうになりすぎたのだ。明日、いや、もう今日だ。つぎに目が覚めたら、あのカンバスに筆を下ろそう。よい頃合だ。あのツタがあれほど大きくなったのだから、もう、充分、時間は経った。おれも、ずいぶん、絵のことが、わかって、来たのだから。 明日、目覚めざめたら、そうだ最初の、一筆ひとふでを。


15.光のなかで

 翌朝、雲が切れ、青空がのぞいたかと思うや、すいすいと空は明るさを増して、太陽がそのほがらかな顔を見せ、昨晩がうそのように、街は光に包まれた。朝の青白く力強い陽光ようこうのもと、緑のツタの葉が一枚、ツヤツヤと濡れ光っている。

 階上のふたりは目覚めざめ、やがてブラインドをゆっくりと上げ、あっ、と息をむ。

 老人はしずかに、しずかに、ソファのまゆの中に、沈んでいる。

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