依子の章 六
「あの村に妖怪が入れるようになった主な原因は、他でもない
「あら、どうやら本当に気づいていなかったのですね」
「そ、それは…どういう事なんですか………?」
件姫の言葉に、動揺を隠せなくなる。思ってもみなかった言葉が、喉元を突き刺すように私の心にぶつかる。その間、暫く沈黙が辺りを支配する。
「………仕方ありませんね。どうやら本当に知らなかったみたいですから、ここでご説明いたしますね」
件姫の投げ掛けに、目だけで合図をした。
「…まず、大前提として貴女の存在があります。貴女はご自身も理解している通り、半人半妖の身ですよね?」
「…はい」
「そんな貴女が、東風斎の長の張った妖怪除けに引っ掛からなかった…本来ならこの時点でおかしいはずです。半分とはいえ妖怪であるのなら、死にはしないにせよ何らかの影響が出ないとおかしい…とは、思わなかったんですか?」
確かに、妖怪を除ける兼光様の護封札があれば、私はきっとあの村には近づけない。しかし…
「…しかし、それには理由があります。この村の護封札は、風雨に晒されて文書が消えてしまっていました。つまり、元々この村には妖怪が入れるように…」
「それがおかしいんですよ」
「えっ」
会話を遮るようにして、件姫が言う。
「もっとよく考えてみてください。今まであの村に妖怪が来たことは一度たりともありません。それが、貴女が来ていたときだけお札が解けて、妖怪が入ってきているんですよ?」
「それは………」
返す言葉が見当たらなかった。そう、あの兼光様がこの村を思って作った護封札だ。高々風雨に晒された位では、まず間違いなく壊れはしない。
「それなら…それならどう説明するんですか…?兼光様が作った護封札を、一体誰が………」
そこまで問い掛けて、後に残る回答がほんの少しに限られることに気付き、口をつぐんだ。そして、件姫も私が察したことに気づいてか、やれやれといったため息をつく。
「…そうです。他でもない"貴女"が、東風斎兼光のお札を打ち破ったのです」
「わたし、が………?」
聞きたくなかった答えが、流れるように告げられる。私の思考は完全にそこで止まってしまった。
「つまり、こういうことです………貴女が村に着くまでは、東風斎兼光のお札は効力を発揮していました。しかし、半人半妖の貴女があの村に入ってきたことで、そのお札は無力化した…そのせいで、あの村に妖怪が入ってきて、やむなく貴女に退治を依頼した。これが今回の妖怪退治の概要です。わかりましたか?」
「私は………じゃあ、私が来なかったら、誰も怪我はしないし…あんなことに………」
私は、自分の中から沸き上がってくる疑問よりも、自分が犯した功罪の方に考えを巡らせてしまった。私が居なければ、これからも平和で暮らせていた。私が居なければ、今後妖怪への恐怖に震えることもなかった…そんな負の感情だけが流れ込んで来る。
「…はぁ、やっぱり貴女は人間ですね。うちの若長とは正反対です」
「若長………?」
うっすらと頬を伝うモノの感覚に怯えながら、件姫の言葉に反応を見せる。
「そうです。我々"遠野妖怪連盟"の若長…
「九尾の………狐……」
その名前に、聞き覚えはある。美しい狐の妖怪で、その容姿で各国の城や砦を荒らし回ったと有名な妖怪だ。
「あなたは…その九尾之狐の配下なのですか?」
「はい。私は九尾さまの使いとしてここまで来ました」
「…そんな妖怪が、私に何の用なんですか?私は…これでも私は妖怪退治の人間です。危害を加えるつもりならば…」
私は、しまい込んだ護封札を取り出すそぶりを見せる。
「とんでもない!他の人にも手を出さないのに、まさか依子様に危害を加えるなんて恐れ多くて出来ません」
そう言って、件姫は少し後退りする。
「では、どうして………?」
「あまり詳しくは言えませんが、かい摘まんで言うのならば、九尾さまが貴女を守るようにと私たち配下の妖怪に命令したのです」
「妖怪が、私を守る?」
俄かには納得できない話だ。妖怪を退治する事が本分の家に生まれた私を、敵対する妖怪が守るなんて、誰が聞いても信じようのない事…
「その目的は…?」
「それは、私からは言えません…と言うより、私は理由を知りません。訳を知っているのは、九尾さまか、
「そう、ですか…」
ようやく気持ちが落ち着いて、件姫の話を正面から聞く気力が戻ってきた。その上で考えると、やはり九尾之狐が私を守護するというのは不思議な感じがする。それは、半人半妖のこの身と何か関係があるのだろうか…?
「とりあえず、あなたが私について来る理由は少しだけわかりました。それで、あなたはどこまで私に着いて行くんですか?」
「それは依子様の裁量次第です。来いと言われれば
「厠…そ、そうですか…」
件姫のその言い回しに、一抹以上の不安が過ぎったが、昨夜の妖怪との戦いぶり、私に自分の身辺を話してくれる誠実さ、こういった所は大筋で信用してもいいのかもしれない。そして逆に、九尾之狐がどうして私を守るように言い付けたのか…それを知りたいという目的が生まれた。このまま件姫や他の妖怪を辿っていけば、それが掴めるかもしれない。空白だった旅の目的が、ここに来てようやく見つかった。この機会をフイにするのは惜しい。
「…わかりました。そういうことならついて来てもいいです。ただし、こちらから一つ希望を申し出てもいいですか?」
「はい、なんなりと」
「ちょうど旅の目的を探していた所だったので、あなたたちの住む遠野まで案内をしてください」
「と、遠野ですか!?」
件姫は、今の今までで初めて、心から驚いたような表情を見せた。そして、指折り何かを数えてから頭を抱えて幾許か悩んだ。
「…わかりました。貴女を私たちの里、遠野までご案内しましょう!」
「…はい」
………同刻、遠野の洞窟
「ふふっ、」
岩窟の奥深くから、狐の若長の、さも楽しそうな声が聞こえて来る。側についていた火車は、その様子を訝しげな眼差しで見ていた。
「どうしたんだよ
「いやいや、そのうちあやつがここに来ると分かっての。楽しさが込み上げて来たのさ。」
「あやつって………まさか、東風斎のガキの事か!?」
「なんじゃ?お主もあやつがここに来ることを望んでおったじゃろうに?」
「だが、あればほんの戯れで言っただけで、心底願ったつもりは………」
「何にせよ、じゃ。あやつは旅の目的を得た。いずれここにやってくるじゃろうて。」
「だが、どうするんだよ…?奴がここに来るってことは、あいつの………」
火車の言葉を、狐が今までにない剣幕で遮る。それは、氷のような言葉だった。
「騒ぐでない。」
「うっ…す、すまねぇ…つい…」
「お主が心配する必要はない。全てはわしの手の内で進んでおる。お主が危惧するような事態など、全てわしが把握しておるし、それに手を
「っ………そこまで言うのなら、狐姉に任せるぜ。」
火車は、九尾之狐の言葉にそれ以上言及が出来なかった。自分に比べて数段頭が回る事を知っている故に、彼女がそうまくし立てるのならぬかりはないのだろうと、全幅の信頼を寄せているのだ。そして、ここから退魔師・東風斎依子と、遠野の妖怪達との旅の系譜が始まる………
魍魎黙示録 黒羽@海神書房 @kuroha_wadatsumi
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