依子の章 五
「死ねやあぁぁぁーーー!!」
エニシの爪が、
「なっ!」
「ダメですよ。ちゃんと狙わないと当たりません」
その声は、またもエニシの後ろから聞こえて来る。そして今度は、エニシが何かするよりも早く、件姫の手がエニシの首元にかかる。それを辛うじて認識出来なかったエニシは、前にけり出して間合いを取ろうとする。
「ぐぁっ!!」
頑強な脚で地面を蹴りだしたにも関わらず、件姫のしなやかな細腕もその身体もびくともせず、エニシは自分の脚力に首を絞められる結果となった。
「あら、この位でも止まるんですか?そんな力じゃ、そこにいる子には勝てませんよ?」
「ふざけ…なっ!離しやがれっ!!」
「離したら、あの子を襲うつもりなんでしょ?だったら離しませんよ」
件姫に首を捕まれたまま、必死に身体を動かして抜けようとするエニシ。しかし、どんなに動かしても、たおやかな女性の姿をした件姫の腕から逃れられない。
「てめぇ…い、いいのか…?俺が死ねば間違いなく
「はぁ、そうですか。だったら早めに始末した方がいいみたいですね」
「え、ちょっ…ま………」
件姫の屈託のない笑顔に、本心から恐怖を感じたエニシが、さっきよりも必死になって逃れようとする。しかし、死に間際の全力を以ってしても、件姫は微動だにしない。そして、エニシの首にかかった件姫の手が力を強める。明らかに違う力にエニシがもがき苦しむ。
「それじゃあ、さよならです。」
「っ!!」
その一言と共に、エニシの首が血の一滴も零す事なく身体からもがれた。首の無くなった身体は、その場で崩れるように倒れ、夜の闇の中で砂のように散っていった。
「…さて、これでもう大丈夫でしょう」
ホッと安堵の息をつく件姫。そして、事もなげに腕を振り、辺りを漂っていた気質を羽衣状に織り上げる。件姫がその羽衣を作り終えると、さっきまで周りに充満していた圧倒的な気迫がピタッと止んだ。
「依子様、随分激しくやられちゃってましたが、大丈夫ですか?」
件姫が振り向いて、私にそう問い掛ける。
「は、はい…いたた………」
少し暢気なその問い掛けに、私はつい大丈夫だと答えてしまう。
「まあ、明日には身体も完治しますよ。きっと何事も無かったかのように活動できます」
今までで一番明るい笑顔で、件姫は言い放った。
「あの…貴女は一体………」
ある程度身体が楽になった所で、彼女に問う。
「あぁ、それなら、今私が語る必要はないと思いますよ。そのうちすぐにわかりますから。それよりも、今はその身体をご自愛くださいませ」
そう言って、私の身体を抱きしめる。抱えた瞬間に、身体に残る痛みと、さっきまであの妖怪と戦っていたという記憶から来る恐怖に浸されていたが、彼女の腕に包まれると、まるで揺り篭に抱かれるような心地よさを感じる。さっきまでの強い力とは縁遠い、柔らかくてしなやかな力が、私を支えている。
………
………かい
………おい、起きなってば!!
「………えっ」
知らないうちに閉じていた瞼を開けると、自分が思っていた夜の暗闇は晴れて、いつの間にか、朝の陽の光が差し込んでいるのがわかった。そして、誰かが身体を揺らす感覚に気づいて見回してみると、そこには東風斎の本家まで行っていたはずの妙さんがいた。
「妙さん…?」
「よかった、気がついたんだね…外で倒れてたからどうしたのかと思っちゃったよ」
そうか、私はいつの間にか眠ってしまって、そのまま朝を迎えたんだ…
「妙さん、護封札は…?」
「あぁ、どうにか受け取ったよ。ちょっと大変だったけどね」
そう言って、少し苦笑いを見せる。よく見ると、妙さんの着物が少し土埃をかぶってる。
「その汚れ…もしかして妖怪ですか?」
「いやいや、確かに妖怪も出てきたけど、あたしが驚いてる間にみんな逃げちゃったよ。これは、時折すっ転んだせいだよ」
「そうでしたか…よかった………」
そこまで聞いて、私はようやくすべてがうまくいった事に安心できた。そして、横になっていた身体を起き上がらせる。その間際、私は自分の身体が思いのほか楽に動く事に気づいた。昨日の夜、妖怪の一撃で全身を激痛に縛られていた筈なのに、今は、さも何事も無かったかのように身体の自由がきく。
(まあ、明日には身体も完治しますよ)
昨日、動かない私に向かって告げられたその言葉を思い出す。
「さあさあ、とりあえずその着物を洗いましょ。あたしもすっかり汚れちゃったし…」
「あ…はい!」
妙さんに案内されるまま、私は昨日泊まらせてもらった妙さんの家に戻ることになった。そして、昨日に引き続き妙さんのお家でお世話になることになった。
………
「二日間、お世話になりました」
「本当に、行っちゃうんだね…」
着物を洗い、昼の日差しで乾かして着直す。そして、着直した着物に護封札をしまい込んで、新しい旅の支度をする。旅の見送りには、村長さんや妙さんのほかに、今まで目にしなかった他の村人の姿もあった。
「村の恩人を手放すのは誠に惜しいのう」
「仕方ありません。私はこれでも東風斎には居られない身…その東風斎と密接に繋がっているこの村に、いつまでも居ることは出来ません」
そう、この村は東風斎の息のかかった場所。しばしの休憩は許されても、居座ることまでは許されない。もっと別の場所へ行かなければならない。
「また、来てくれるかい?」
妙さんが、少し不安げに聞いてくる。
「そうですね、いずれまたこの村に来るのも、また旅の楽しみかもしれません」
「…そうかい、それを聞いて安心したよ」
そう言って、妙さんが私の頭を撫でる。子供扱いされているような釈然としない感じもしたが、それよりも今はこの村での思い出を残したいという気持ちが先行して、クスリと笑顔が零れた。そして、村の人達に見送られて、私は次の場所を目指して目新しい道を進んでいった。いつか、一人前になったときには、この村に戻って来よう…そんな決めごとを自分にする。
「こんにちは」
「えっ、」
歩き出してすぐに、前にも聞いたような声に気づいた。辺りは草木の茂る林…まだ昼間だが、その声は夜を想起させる。
「あらあら、綺麗にしてもらったのですね。美しいですよ~」
真上を遮る影に空を見上げると、次の瞬間には、私の直前にふわりと着地していた。
「貴女は…たしか件姫、ですね」
「まぁ!私の名前を覚えていてくださったんですか!?」
件姫は、私が名前を呼んだことをとても喜んでいた。あまりの喜び様に、進めていた歩が後退する。
「ああ!妖怪にとって名を覚えてもらうとは…しかも、あの依子様に…!これ以上の至福はありません………」
「そ、そうですか…」
昨日の
「…それはさておいて、あの村の皆さんも随分とお優しいのですねぇ」
「はい、皆さんとても優しい方達でした」
「そうではありません。あの村人達は"あなたに"優しいのです」
「それは…どういうことですか?」
件姫の言わんとすることがよくわからない。
「あら、半人半妖である貴女なら気づいていたと思っていましたが…どうやらまだまだ世相に疎いようですね」
「?」
言葉もなく、ただ疑問だけが渦巻く。
「…ちょっと酷いことを言いますが、宜しいでしょうか?」
件姫は、私の方を見据えてそう断りを入れた。私は、彼女の前に見たようなその眼差しに、自然と首を縦に振った。
「…あの村に妖怪が入り込んだのは、貴女のせいなんですよ?」
「…えっ」
件姫の言葉に、辺りの空気がざわめいた。いや、ざわめいたのはきっと私の心…私の心のざわめきが、外の風と偶然にも一致したのだ。
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