依子の章 四

 一瞬の違和感。そして、霜月しもつきの一言から僅か一時、私にも何かが近付く気配を感じることが出来た。


「…昨日と同じ奴ね、割と強いわよ」


「そうみたい、ですね」


 そんな会話を交わしながら、懐の護封札ごふうさつを取り出す様にして身構える。月の晩、まだ気配だけで確かな姿を見ることは出来ていない。けれど、確かに人ならざるものが近付く感じはひしひしと伝わって来る。何時…何処から…どう襲い掛かって来るのか…気配以外の、そんな重要な情報が伝わってこない。それは、普通の人間や見習いの退魔師にとっては致命的な要素になる。


「…速さがなくなったわ」


 つと、霜月がそうこぼす。


「さっきまでずいぶん素早かったのに、今はやけに静かになってる」


「…確実に、こちらを狙っていますね」


 一つの情報…他の村人ではない、外に出ている私たちを狙っている事。しかし、まだ足りない。もっと確実な…特に目から得られる情報が欲しい。


「物音がしないということは、まだそんなに近くには来ていないのですね」


「そうね、多少は遠くに………」




ザワッ………!!




「っ!?」


 その一瞬の事だった。自分達の目前の草木が音を立て、そして私達の予感が光の速さで強くなった。遠くにいると思っていたソレは、こちらがほんの微かに気を乱した隙をついて、一気に距離を詰めて来たのだ。私は足元を見て、すぐさま反射的に自分の真上を見上げた。それは、先の野太い四肢をした、間違いなく妖怪だった。


依子よりこっ!!」


「っ!!」


 向こうが降りてくる瞬間に、私は護封札を取り出して宙に放った。それとほぼ同時に、向こうの素早い一撃が飛び掛かって来る。護封札と妖怪の腕が触れ合って火花が散る。だがそれも僅かなこと、護封札はほとんどがちぎれ、あとに残ったのは私に向かって繰り出された一撃だけだ。


「きゃあっっ!」


「依子っ!!」


 護封札の力で、まともに喰らう事はなかったが、それでも人ならざる破壊力が私を襲った。その力に、痛みを感じる暇もなく身体が吹き飛ばされる。一時飛ばされて、地面にたたき付けられてから初めて、堪え難い痛みが全身に降り懸かる。


「あぐ…ぅ……ぁ………」


 向こうは、その醜悪な肢体を月の元に現し、ジワリジワリとこちらへ向かって来る。私は、にじり寄る妖怪の一発に、呼吸も満足に出来ない状態になっている。ただひたすら、身体が苦しい状態………


「依子っ!!」


 近づいて来た妖怪が、突如として激しい光を放つ。それと共に、さっきまでと違って明らかにもがいている。


「しっかりして!依子っ!」


「し………も…つき………」


 霜月が私の身体を揺する。多くは傷ついていないが、霜月の呼び掛けに返せる程の力もない。


「痛てえなぁ…お前、亡霊だな?」


 満身創痍の私たちを前に、妖怪が口を開いた。


「ふん、弱い人間に与する人間とは、滑稽だな!」


五月蝿うるさいわね!依子はあんたなんかには負けないわよ!それに私も戦える…命が惜しかったらさっさと消えなさいよ!」


「ハッハッハ…!!馬鹿め!笑わせてくれるわ!それなら、冥土の土産に教えてやろう…」


 そう言って、妖怪はその大手を広げて月を向いて吠える。


「我が名はエニシ!大和やまと妖怪のエニシ様だ!!」



大和やまと妖怪の民話級

エニシ



「そこの人間、さっきの術は普通の人間のものじゃないな?」


 妖怪の問い掛けが、頭に入ってこない。辛うじて開いている瞳も、妖怪の姿をはっきりと認識することが出来ない。


「…お前、向こうの妖怪退治屋の人間だな」


「だ、だったら何よ………?」


 私を抱き抱える霜月が、妖怪の問答の相手をする。私の方は、漸く息をつく気力が戻ってきた具合だ。


「当然のことだ!妖怪に仇成す人間を始末する…そこの幽霊も、そんなに強くはなさそうだから、ついでにお前も消し去ってやる!!」


 そう言い残して、妖怪エニシは空に向かって大きく吠えた。それとともに、醜悪な四肢が更に悍ましさを増して、片手で私たちを一ひねりできるほどにまで肥大した。


「さぁ!人喰いのはじまりだあぁぁぁっっっっっ!!!」



………



 エニシの雄叫びを聞いて、襲われる恐怖から目を瞑って僅か。閉ざされている視界の先から感じるのは、死の恐怖以外の何かだった。そして、恐る恐る目を開ける…


「あらあら~、大事な上客を虐めてあげないで下さいな」


 そこにいたのは、今までに見たことのない人形ひとがただった。容姿は完全に人間の様をしているが、その纏っている気質が明らかに人間離れしている。まるで、羽衣を着るかのようにその人を包む気質。人間とも、そして襲ってきた妖怪とも明らかに違う、もう一つ上の存在…


「何だ貴様!せっかくの獲物の邪魔するんじゃねぇ!!」


「あなたこそ、私達の邪魔はしないで下さいよ。この子は、我々が預かるつもりなんですから」


 血気のついた妖怪エニシ。そして、先程からそのエニシの気迫にも動じず、飄々とした雰囲気で切り返す女性。気質の羽衣は、微塵も変化を見せてはいない。そこから見るに、虚勢などではなく、本当に目の前の相手に動じていないのだと見える。


「てめぇ…名は何だ!名前を明かせ!!」


「え~、本当に言っちゃっていいんですか?」


「名乗りやがれって言ってんだ……よぉっ!!」


 エニシが何かを言い切るより先に強い拳を女性に放った。しかし、その拳は地面を抉るにとどまり、先程まで私達の前にいた彼女は、エニシの後ろ側に立って微笑んでいた。


「仕方ありませんね。余り気は進みませんがこのままでは埒が開きません。お互い名前を明かしましょうじゃないですか」


 その言葉に、一つ間を置いてエニシが下がる。そして、先程に同じく夜の月をその身に受けて、大手を振って答えた。


「ふん!俺は世紀の大軍団、大和妖怪のエニシ様だ!よーく覚えとけ!!」


 自信満々に言い放ったエニシ。しかし、視線の先には、そんな事はお構いなしと言わんばかりの風体の彼女がいた。


「まあ、あなたが自ら明かしたのですから仕方ないですね。私も名を名乗らなくちゃ行けません」


 そういうと、女性は纏っていた気質の羽衣に手をかける。


「…あなた、民話みんわ級ですね?」


「あぁ?何だそれ?」


 身体から羽衣が解かれ、女性がゆったりと空を見上げる。すると、さっきまで穏やかだったあたりの鬱々とした空気が一気に吹き飛んだ。人の身では感じられないが、それは今までに感じたことのない、圧倒的な何かが流れ出している。


「な………」


 今まで勢い付いていたエニシが、急に表情を変えた。そして、未だ身体は動かない私も、この女性から放たれる強い何かに、無意識に身体が震える。


「私は件(くだん)…神話級妖怪、遠野件姫とおののくだんのひめ。この少女の護衛として、馳せ参じました」



神話級妖怪、伝える者

遠野件姫



「と、遠野、だと………」


「あら、貴方も遠野の事は知ってるのね。それじゃあ今目の前にいる私がどんな妖怪なのかも解るわよね?」


 件姫は、たじろぐエニシにゆっくりと近づいていく。エニシの方は、近づいて来る圧倒的な件姫に、反撃する気力を削がれて、ただただ間合いを開けるように下がっていく。


「あらら、名前を名乗ったのに退却するの?"妖怪同士の名申しは死合いの契約である"酒呑童子しゅてんどうじの決めた掟を破るつもりかしら?」


 件姫の言葉に、エニシの足が止まる。私の方は、何時しか身体の痛みが和らいで、どうにか近くの気にもたれ掛かって霜月と共にその様子を伺っていた。


「ち、ちくしょおっ!!こうなったら下剋上だ!テメエを倒して俺も遠野妖怪に成り上がってやる!!」


 そう猛り狂ったエニシは、グッと脚に力を入れて件姫目掛けて一気に間を詰めた。そして、人間には見えない早さで件姫の懐に爪を立てた。



「死ねやあぁぁーーー!!」

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