依子の章 三

「村長!」


 妙さんとの話し合いを終えて、私は妙さんに連れられるままこの村の村長さんの所に向かった。


「おぉ、妙か。どうしたんじゃ?」


「あの、初めまして…」


「何じゃその子は?」


 白い髭を、口の周りいっぱいにたくわえたお爺さんが、私を見て問い掛けた。


「この子、東風斎とうふうさい様のお弟子さんよ。昨日の妖怪騒ぎを何とかしたいって言ってきてくれたのよ!」


「なんと!東風斎一門のお弟子様でしたか…し、失礼ですが、名を申してはくれませぬか?」


「はい。」


 名を申す…実はこれが東風斎一門であるかどうかを判断する重要な証拠である。東風斎一門では、書面や直談判で寄せられた依頼の際には、依頼主にこの"名申なもうし"をしなければならない。ただし、名申しのちゃんとした作法を習うことが出来るのは、頭首、兼光かねみつ様に師事している弟子だけで、その中でも役職を責任持って遂行することのできる、ごく僅かな人物にしか許されていない。ただ、私はどうして出来るのかというと、まず、直接の師匠が兼光様である事が一つ。そして、兼光様の去り際の言葉………



"生きるために、名を申すことを許可する"



 そのおかげで、破門された身でありながら名申しを行うことが出来る。その名申しとは…



一に、正しく座し微塵の不揃いも許さず


「…申し致します。わたくし、東風斎とうふうさい一門…兼光かねみつ様が弟子、その真名は依子」


二に、己が身辺をイロハから明かすこと


「この村の大事に、助力したく馳せ参じました」


三に、用件を自ずから晒すこと。


四に、一片の曇りなく、名申しには常に"眼"を怠らないこと


「…うむ、確かに名申しを承った。どうやら本物の頭首門下であるようじゃな」


 四に書かれる"眼"とは、つまり毅然とした態度…依頼を受けた相手に、誠意を尽くすという現れである。しかし、実際の理由としては、依頼する人に、余計なことをさせないための"睨み"の意味の方が強いらしい。それというのも、妖怪を追い払ったり退治するに際して、様々な下準備をする必要があり、それを邪魔されると困るので、そのための暗示のようなものらしい。


「す、すごい…東風斎の名申しってのは、何時もこんなふうにやるのかい?」


 妙さんの問いに、小さく一息をついて答える。


「…はい。兼光様から直々に教わりましたので」


「何にせよ、お前さん…依子さんが本当の妖怪払いだってことはわかった。それで、これから一体どうするのじゃ?」


 そう。いくら名申しが立派でも、実際にやれなきゃ意味がない。まだ、私の妖怪退治は始まってもいないのだ。


「…とりあえず、誰かに東風斎の本家に行ってもらわないといけません。この村では、兼光様が書き上げた護封札が妖怪を拒んでいました。ですが、その護封札が力を失い、剥がれ落ちてしまったのが先日の妖怪騒ぎの発端になっているんだと思います」


 そこまで言って、私は村長さんに剥がれたお札を見せた。


「そうじゃったのか…それなら、早速誰かに向かわせねばならんが…」


 村長さんは、途中で話すのを止めた。


「…実は昨日のアレで、どいつも村を出たがらん状態なんじゃ」


「あっ…」


 そうだ、この村は代々護封札によって妖怪から隔離されていたんだ。私たち東風斎の一門とは違って、誰も妖怪と渡り合うことが出来ないんだ。それを、完全に失念していた。


「…じゃから、村から離すのは今の村の連中にとっては酷な話なんじゃよ」


「それじゃあ…どうすれば………」




「…あたしが行くよ」




「「えっ、」」


 私と村長さんの話の間に、一人凛とした声を上げたのは、妙さんだった。


「た、妙さんが…!?」


「他の人達が当てにならないんなら、後はあたししかいないでしょ?」


「けど、」


「あたしは何としても村を救いたいんだ。だから、やれることはやるよ」


 その顔は、二度目の真剣な顔だった。そうだ、妙さんはこうしてやろうとしてくれているんだ。私が弱気になってちゃいけない。


「………わかりました。本家への連絡は妙さんに任せます。その代わりに…」


 私は、懐に入れてあった紙を取り出し、そこに筆で文書を書き記した。


「…はい、どうぞ」


「これは…?」


「簡単な魔よけの文書が書いてあります。今の時間に人を狙う妖怪なら、大抵は追い払えると思うので持っていてください」


「ありがとう…それじゃあ行ってくるね」


 言うが早いか、すっくと立ち上がって、妙さんは家から出て行った。それを見送って、私と村長さんはこれからの事を話す。


「…あとは、本家から護封札が届くのを待つだけなのですが、気になるのは今宵です」


「うむ、依子さんの話なら、今この村は妖怪に対して無防備ということになるのう」


「はい。昨日の今日で何も起こらない筈はありません。もしかしたら今宵、人を喰らいにやってくることもありえます」


 妖怪は、少なからず強く、そして人並みに賢い。知恵を巡らされれば、人間に勝ち目はない。


「とりあえず、先程妙さんにあげた護封札と同じものを可能な限り作ります。そうすれば、少しは妖怪から守れるので…」


 そこまで言って、私は口を止めた。確かにあの護封札なら、力の弱い妖怪や昼間の妖怪なら対処できる。しかし、夜の妖怪相手には、手を叩く程度の効果しか期待できない。その上、人を喰うだけの気性を持った妖怪となれば、全くの無力になる。


「…とにかく、まずはやれることをやります。村長さんは、皆さんの気持ちを落ち着かせるように計らってください。皆さんきっと相当怖い思いをしているので…」


「わかった。何とかしよう」


 今は先々をどうするか考えている時ではない。とにかく出来るかぎりの事をするのが先だ。私は本家の皆さんのように場数も踏んでいないし、策を講じるような知識や実力も少ない。それなら、今出来ることを最大限成し遂げるのが、東風斎一門の人間としての道理だ。



………同日、戌の刻三つ



 季節の空気か、既に陽は西の山に沈み込み、辺りは昼の面辺おもべを疑うほどの暗闇に包まれた。


「…妙は、大丈夫じゃろうか」


「何もなければ、酉の刻には本家に到着できます。多分もう着いているんではないでしょうか…?」


 何かあっても、あの護封札が私の書いた文書だと分かれば、本家の周りに張り付く妖怪は手出しをしないはずだ。あの妖怪達は、私に手を出さないし、私が駄目といえばおとなしくしていてくれる。昨日の妖怪のような危険な相手じゃない限り、護封札の力を使うことすらなくて済む。


「妙さんもそうですが…何よりも今はこの村です。夜も更けてきた今、妖怪の力も格段と上がっているはずです。これで、集団で攻め込まれでもしたら…」


 言葉とともに、不安から頭が下がる。自分の考えた筋書きが、万が一にも現実のものになってしまったら、ただ東風斎の名を汚すだけではなく、この村の人を失いかねない。そんな重圧が肩に掛かって拭えない。


「…他の村人の皆さんは、どうですか?」


「うむ、皆には退治できる人間が来たといって聞かせてある。今のところは皆一様に安心しておる」


「…わかりました。村長さんも、これからは外に出ないでください。この時間から、妖怪も強くなりますので…」


「頼んだぞい」


 それだけ交わして、私は村長さんの家を出た。外は、半月の出る頃。煌々と光る未熟な月が、闇夜の村を照らし出す。


「…霜月、気配は感じる?」


「今のところは大丈夫のようね。昨日のアイツみたいなまずい奴の雰囲気は感じられないわね」


 外は静かだった。それは、今の私たちにとっては、良い静けさではない。自然が醸す音が感じられない、何かが近い静けさだ。


「…で、あんなのを相手にどうするのよ」


 霜月が問う。


「…とにかく、護封札は携えています。後は…なるようになるとしか言いようがありません。幸い今宵は半月の頂です。いよいよとなれば、私も…」


「…馬鹿なこと言わないでちょうだい。そうなるなら、私が一人で何とかするわ」


「…頼もしい相方ですね」


 霜月の言葉に、張り詰めていた緊張が少しだけほつれて、微かな笑みが零れた…


「………っ!!来るわよ!!」

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