依子の章 二


「よ………」


「妖怪…が………?」


 私と妙さんは、霜月しもつきの言葉に耳を疑った。ここは、東風斎とうふうさいの頭首…兼光かねみつ様が直々に降霊を行った場所のはず。それなのに、それを越えてこの村に妖怪が入ってきたなんて、俄かには信じられない。


「…しかも、普通の妖怪じゃない。依子よりこには懐かない、悪意のある妖怪だ」


「そんな…どうして………」


 悪意のある妖怪…つまり、私達退魔師が退治すべき存在。それが、守られているはずのこの村に入ってきている。


「…っ!」


「あぁ、ちょっと!依子ちゃん!」


「妙さんはお家の中に居てください。私、様子を見てきますから」


 そう言って、妙さんの制止も聞かずに私はお家を飛び出していった。



………



 外は宵闇、だが時はまだ酉の刻になって早い。普通に考えれば妖怪の活動も決して活発ではないはずの時間。それなのに、人を脅かすほどの力を持った妖怪が…霊の力を打ち破るほどの力を持った妖怪が居るというのも気になる。一体なにが起きているのだろう…?


「いたっ…!あそこに!」


 駆け出してすぐに、霜月が向こうを指差した。そこには、腰が抜けて尻餅をついている村の男性がいた。


「大丈夫ですか!?」


「ひ、あ…ば、化け物が…よくわからねぇ形の化け物が…い、いきなりおれっちに襲い………」


 目の焦点が定まっていない、よほど驚いたのだろう。私はその人の状態を一通り確認して、すっくと立ち上がった。そして、辺りの気配と妖気に集中する………






「………いません、ね」


「あんなに気配が強かったのに…もうかけらも残ってないわね」


 二人して、見合わせて、今までに経験したことのない不思議なソレに頭を悩ませる。このまま居ても仕方がないので、とりあえず倒れていた男性を妙さんに言って運んでもらった。その間も時折気配を探ってはいたけれど、やっぱり兆候はなくて、結局謎の妖怪を取り逃がしてしまった。



「…何だったんだろうね?」


 夜の帳の中、二人で寝床に就いているところで妙さんが言う。


「…わかりません。霜月が気配を察知したのですから、きっと人以外のモノには違いないと思います。けど、結局正体も分からずじまいです」


「そっか…」


 深くため息をついて、妙さんは仰向けになる。そして、木張りの屋根を見ながら、少しだけ呟いた。


「…あたし、今までまともに妖怪を見たことなかったから、こうやって人が襲われるのを間近で見ちゃうと…ね」


 そう、この村は兼光様が長らく守ってきた村。村の外にでも行かないかぎりは妖怪に出くわすこともない…はずだったのに、


「…これから、この村はどうなるのかな」


 言葉尻が、僅かに震えているのがわかった。妖怪が入れるようになった以上、今までのように安穏に暮らせる保証はなくなった。この村も、誰かが戦わなければならなくなるかもしれない。私が…私の力が……もっと強ければ………



………翌朝、巳の刻



 朝。村の中は静かだった。畑を耕す音も、通る人の声もなかった。住んでいる人に覇気がない。どうやら昨日の一見は村の皆さんに知れ渡ってしまったみたいだ。


「本当にお世話になりました」


「本当に大丈夫かい?昨日の今日だってのに…」


「心配しなくても、私には霜月がついています。いざとなったら、守ってくれます」


「まかせてよ!」


「それならいいけれど…ほんと、気をつけてね」


「ありがとうございます」


 一宿一飯のお礼をして、私は早朝からさらに東を目指して出発した。結局、この村の事を解決出来ないまま、私は村から森の中へ入る道へと足を進め…



「………あれ、」



 それは、森への入口での事だった。私はその空間の違和感に気づいた。


「どうしたの依子?」


「………あのお札」


「へっ」


 森の入口を指差す。そこには、どこかから剥がれたのであろうお札が落ちていた。


「…お札ね」


 近寄って、ひょいと持ち上げてみる。その表は、風雨に晒されてすっかり文字が消えてしまっている。辛うじて、真ん中に色濃く書かれていた"禁"の文字は判読出来るけれど…


「これ、護封札でしょうか…?」


「護封札か…ということは、これが効力を失って剥がれたせいで、妖怪が入ってきたのね」


 退魔師が使う主な道具の一つ…護封札ごふうさつ。特殊な文書を記した手漉きの和紙で、書かれる文書によって"何を"、"どの程度"防ぐかが変化する。退魔の素質を持っていなくとも、ちゃんと文書を記した手漉てすきの和紙なら力が宿り、人やモノを守護してくれる。もし、これがこの村を守ってきた降霊の札だとしたら、それはつまり兼光様が書いた文書であるはず。そうなれば、これを復元させられるのは、他でもない兼光様だけだ。


「…どうしましょう。護封に使う和紙は私も持参していますが…」


「肝心の文書がないわね」


 護封札の文書は、その強さによって複雑になる。村一つ分を守れる文書となれば、表裏に隙間なく書かれて然るべきものになると思う。


「…兼光様にお伝えしましょうか」


「けど、今戻っても………」


 そう、今戻ってもどうなるなかんて目に見えている。私は東風斎から破門された身、そう安々と戻ってきては申し訳ないし、そうすることを他の兄様達も許さないだろう。特に長兄の雪花せっか兄様は、私を日頃から気にかけていた。勿論、悪い意味で…だ。


「…じゃあ、」


 そこまで言って口をつぐむ。こんな私が、兼光様の力に叶うだけの物を成し遂げることが出来るのだろうか…他の兄様や姉様ならまだしも、イロハのイを漸く習得した程度の私に、それが出来るのだろうか…


「…私は、兄様や姉様とは違います。やはりここは、正規の東風斎一門に任せましょう」


「本当にそれでいいの?」


 霜月のその言葉が、頭の中で繰り返される。


「…しかし、私では力不足です。いくら半妖であっても、その力はどれも成熟していません。そんな中で私が出てきても、迷惑になるだけです」


「けど、ここで食い止めないと、このままじゃこの村は………」


「………」


 そう、誰がここで東風斎に依頼をするか分からない。おそらく兼光様は引き受けて下さるだろうけど、だからといって悠長に待つような時間もない。今日の夜にも、まだあの妖怪が村を襲いに来て、あまつさえ誰かを死なせるとなったら…


「依子!」


 霜月の、最後の一声。それを聞いて、私は覚悟を決めて踵を返した。




………




 村の中は、未だに閑散としていて、人の声も、他の生き物の声もあまり聞こえてこない。


「まだ、警戒が続いていますね」


「とりあえず、昨日の妙さんの所に行ってみる?」


「そうですね」


 それから、私はすぐに妙さんのいた家に赴いた。


「妙さん!」


「えっ、依子ちゃん!?」


 そこには、昼時の準備をする妙さんがいた。


「どうしたの?用心して戻って来たのかしら?」


「…妙さん、私に、村を守らせてください」


 そう言い放った後の妙さんの表情は、かなり驚いていた。


「ど、どうしたのいきなり…?それに、守るって…」


「…妙さん、私、嘘をついていました」


「嘘、って…?」


「私の名前…私の本当の名前は東風斎とうふうさい依子よりこ…今は正式な門下ではありませんが、退魔師"東風斎一門"の人間です」


「と、東風斎って………じゃああんた、妖怪払いが出来るのかい!?」


「まだまだ未熟ですが、これでも頭首から教えを受けた身です。ある程度の相手なら対処できます」


 妙さんは、しばらく唖然とした表情のまま私を見ていた。そして、少しくいぎみだった私の表情を見て、ゆっくりと頭だけをを下げた。


「…本当に、守ってくれるんだね?」


「…可能な限り、尽力します」


 その言葉に、妙さんは何かを決めたような表情で顔を上げた。


「…依子ちゃん、あたしはこの村が好きだ。好きだと胸を張って言える。だから、そんな村を」


「………守ってくれないか」


 覚悟の織り込まれた妙さんの言葉に、私は一呼吸置いて応えた。



………はい

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