あの夏のビーチサンダル

RAY

あの夏のビーチサンダル


 大学に入学した年の夏、サークルのメンバー数人と近くの海へ車で海水浴に出かけたときのこと。みんながそろって「いざ出発」となったとき、私はビーチサンダルを家に忘れてきたことに気づく。


 待ち合わせの場所はのロータリー。そこから私の家までは電車で三十分。みんなを一時間以上待たせてビーチサンダルを取りに帰るという選択肢はあり得ない。

 ただ、自分が焼けた砂の上を素足で歩いているシーンを想像したら、カエルのようにぴょんぴょん飛び跳ねている、水着の女が妙に情けなく思えて憂鬱ゆううつな気分になった。


 そのときだった。

 線路の向こう側に見えたのは、靴のチェーン店の看板――「渡りに船」とはまさにこのことだった。


「五分だけ待っててください!」


 そう言うが早いか、私は看板目指して一目散に駆け出す。

 人気ひとけのない地下道をくぐって線路の反対側に出ると、靴店は目と鼻の先。自動ドアが開くや否や、店員の「いらっしゃいませ」と陽気な音楽が耳に飛び込んでくる。

 それを無視するかのように、目を皿のようにして店内を見回す私。すると、前方にサンダルが無造作に積まれた一角を発見する。勢いよくサンダルの山へ突進すると手当たり次第に女性もののサンダルを探索した。

 ただ、品揃えが豊富なわりにサイズがなかなか見つからない。みんなを待たせていることもあり気持ちばかりが焦る。正直なところ、女性モノでサイズさえ合えばデザインはどうでもいいと思った。


 そんな私をサンダルの神様は見捨てなかった。

 不意にサンダルの山から白っぽくて可愛らしいサンダルが発掘される。

 サイズは二十四センチ。少し大きめながら十分許容範囲。ただ、値段は二八五〇円。サンダルとしては値段が高い。

 そのとき「KENZOケンゾー」というロゴが目に入った。それはファッションデザイナー・高田賢三のブランド。自分自身を納得させた私は足早にレジへと向かった。


 息急いきせき切ってみんなのところへ戻ると、私は申し訳なさそうな素振りを見せる。しかし、心の中では「海辺の情けない女」を回避できたことで、安堵あんどの胸を撫で下ろしていた。


★★


 出発時にトラブルはあったものの、私たちは予定どおり湘南の海水浴場へ到着する。

 時刻は午後一時を少し回ったところ。車を降りて海の方へ目をやると、夏の太陽が照り付ける浜辺はユラユラと陽炎かげろうが立ち上り、遠目からも灼熱の状態であることがわかった。


 海の家でワンピースの水着に着替えた私は、流行りのサマーソングを口ずさみながら、少しハイな気分でビーチへと繰り出す。そして、砂浜に入る手前で、買ったばかりのサンダルにゆっくりと足を通した。


 しかし、次の瞬間、想定外の出来事が起きる。


 一歩踏み出した瞬間、両足に激痛が走った。

 気のせいかと思い、二、三歩、歩いてみたけれど、気のせいではない。

 痛さのあまりその場で立ち止まってしまい、みんなから「どうしたの?」などと声を掛けられる始末。


「な、なんでもないの……先に行ってて」


 努めて笑顔で答えると、私は右足でつま先立ちをしながら左足のサンダルを手に取ってみた。

 そのとき、初めて気づいた――サンダルの表面に「無数の突起」が埋め込まれていることに。そして、それが私の足のツボを強く刺激していることに。


 私は究極の選択を迫られることとなる。


『サンダルを履いたまま突起の激痛に耐えるか? それとも、サンダルを脱いで砂浜の熱さに耐えるか?』


 ひたいにじんだ汗がひと筋の流れとなって頬を伝っていく。

 先に行ったみんながしきりに私の名前を呼んでいる。


 一刻の猶予も残されてはいなかった。

 すぐに決断しなければならなかった。


 両足のサンダルを手にとると、私は灼熱の砂の上をカエルが飛び跳ねるように裸足で走った。まさにそれは私が出発前に思い浮かべていたNGシーン。

 もしかしたら、既に運命として決定づけられていて、どうあがいてもカエル……いや、変えることなどできなかったのかもしれない。必死に無駄な努力をしていた自分が滑稽こっけいに思えて、乾いた笑いが浮かんだ。


 次の瞬間、足を止めて茫然ぼうぜんと立ち尽くす私がいた。

 それは、サンダルに書かれたロゴが私の目に入ったから。当時からそそっかしかった私が早とちりをしていたことに気づいたから。


 ――KENKO(ケンコー)――


 初めて行った、湘南の海。

 ひと夏の経験は熱くて痛いものだった。

 そんな経験を繰り返しながら、人は学習し成長していくのだろう。


 あの夏、私は少しだけ健康になれたのかもしれない。



 RAY

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