裏・箱根駅伝
naka-motoo
裏・箱根駅伝
ぼくの大学の陸上部はぼくが所属していた4年間、一度も箱根駅伝に出られなかった。
いや、そもそもぼくの大学は創立以来、箱根駅伝に出場したことがない。予選は毎年出ているのに。
就職活動の面接で、陸上部で駅伝やってましたと言うと、
「おっ、箱根駅伝かー」
という反応をされた。
「いえ、箱根は出てません」と返事をすると、
「いや、でも駅伝で鍛えた体力と精神力は社会でも役立つよ」と更に返ってきた。
けれども、駅伝をやってた自分自身、もし社会がそんなんだったら嫌だな、って思う。
たとえば。大学と高校の違いはあるけれども、大学で陸上なら箱根、高校野球なら甲子園、ラグビーは花園、サッカーは国立、とかどうなんだろうと思う。
他の部活でも地区予選を行い、インターハイやインカレに出たりという手順は同じなのに、駅伝のランナーだからとか、高校球児だから、とかいう括りをされることに何か違和感を感じる。高校野球やってる高校生全員が甲子園を目標にしてるとはとても思えない。純粋にスポーツとして、学校の課外活動たる部活動として野球を楽しみたい、という高校生だっている筈だし、そうでないと野球はスポーツではなく、ただの’見世物’に成り下がってしまうだろう。
箱根駅伝の常連校も確かに凄いし、ぼくなんかよりも社会の役に立つ人たちなんだろうとは思うけれども、社会はきちんとマネジメントされた大学の陸上部という組織とは違う。無数にある企業や組織の大半はマネジメントされていない無秩序な状態にあるのが普通だと思う。その混沌とした中でそれぞれの人生の目標を互いに認め合いながら仕事をしていくしかないのだ。全員が最初から’箱根優勝!’、みたいな目標を持っている組織だったらこんなに楽なことはないと思う。
ぼくは結局、大学で駅伝やってました、と言ったら、
「ふうん。それで?」と応対された会社に内定を貰った。
単なるひがみでしかないんだろうけど、もともと箱根に出てもいないのだから、ぼくの社会人としてのレッテルは特に何もない状態から始まる。
裏・箱根駅伝 naka-motoo @naka-motoo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます