おくさんへ
藤村 綾
おくさんへ
《あやちゃん、俺のことをさ、Twitterとかに書いてない?また、嫁さんにいわれた》
お昼休みに彼から電話があった。歯にものが挟まっている物言いにあたしは、ちよっぴり苛立ちながらも、
《最近はなにも書いてない。だって書いたらばれちゃうじゃない》
トイレにいたけれど、外にもれる声音で怒声まじりにまくしたてた。
電話越しの彼が眉間にしわを寄せている顔が容易に想像できる。
《てか、どうでもいいけど、俺のことは絶対に書かないこと》
《わかってる》
彼は言いたいことだけゆって、通話を終えた。(ツーツー)虚しい音が耳の中に否応無しに入ってくる。目の前が潤み、水の中にいるような気がした。吐き気を催し、お昼でお腹が空いているはずなのに、胃液がこみ上げ、胸焼けがし、喉の奥から酸っぱいものがあふれ出るのがわかり、右手の人差指を喉の奥に突っ込み、苦い液体を便器の中吐き出した。
ここのところ、食欲もなく、体力も落ち、顔色も悪く、立っているのがやっとの身体と精神状態だった。
不倫に疲れていた。
奥さんにばれている理由はわかっていた。知らないよ。そう、しらを切ったけれど、こうやって小説を書いている以上、バレバレなことはわかっている。
奥さんは多分あたしと彼の一部始終を書いた小説を全て読んだに違いなかった。あたしのTwitterから入り、隈なくみたに違いない。
けれど、直接あたしに文句を言ってこればいいのに、彼にいうのだけはやめてほしい。彼は疲れている。家庭に、仕事に、あたしに。そう、あなた。奥さんに。
あたしは悪いことをしている。彼も確かに奥さんを裏切り、家族に嘘をつきあたしにあっている。彼とあたしはなんども別れた。けれど、なんども結局求めあった。情とか、そんなうさんくさいものではない。ただ、セックスがあうからだ。
身体が互いに求めあい、乖離することを阻んだ。顔をみたいから。は、セックスがしたいサインだった。後ろめたさが快感に変わった。悪い、悪いと思いながらも、あっては抱かれた。帰りぎわは、離れたくなくてなんども泣いた。泣いて、泣いて、彼をなんども困らせた。頭を抱え、『俺が悪い。俺が悪い』連呼をし、あたまを垂れた。あたしもそのときはその確固たる意思を崩さないよう、たくさん彼に抱きつき思い切り泣いて、忘れようとした。忘れようとするたび、余計に思いが募り、また、同じことを繰り返した。
「好きってゆってよ」
その言葉が欲しくて彼になんども、懇願した。けれど、ゆってはくれなかった。
安易な言葉を吐けない優しさ。軽口を叩けない彼に尚更惹かれた。あたしは、本気に彼を愛してしまった。とりかえしがつかないほどに。
おくさん、お願いだからもう彼になにもいわないでください。
もう、あわないし、彼に嫌われたくないから。
なにもいわなでください。お願いします。
奥さんに何かゆわれる原因があたしならば、その原因を取り除くことができるのは、あわないという選択だけしかない。
だからもう、あたしことを彼にゆわないで。
あわないから。ぜったいに。
お願いします。
奥さんに責められるのが一番辛いと嘆いていました。
現場監督は過酷な仕事です。
あたしはそんな彼を好きになりました。
奥さんが羨ましいです。
何年も苦しめごめんなさい。
あたしは、奥さんに手紙を書いた。
家を知っているから切手をはらず、ポストに投函しようと決め、汚い字で書いた手紙に封をする。彼と思いを封するよう、手紙に封をし、カバンにしまった。
秀ちゃんにもらったボールペンで書いた手紙を出す。滑稽な話だ。
さようならが最後ではない。さようならが始まりだと思っている。
先に進めないのは彼のせいにしてきた。いや、違う。
あたしが悪かったのだ。彼に執着をしていたあたしに今日終止符を打つ。
梅雨明けの夜空はまだ雲がぼんやりとかかっている。
おくさんへ 藤村 綾 @aya1228
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