7月23日 晴れ時々曇りのち雨 3

そんなことがあったその次の日も、凡人は大学にある私のアトリエに訪れては、今度は床に頭をこすりつけ絵を教えてほしいとしつこく訪ねてきたのだ。昨日あそこまで散々なメを喰らわせてやったのに、まだこの凡人は私に関わろうとするのかと何も言わずただ目の前にあるキャンバスへと集中し私は筆を振るった。私は孤独でいい。他の物などいらない。金も地位も名誉も全ての物が醜悪な物でしかない。何故、この世の全ては子供の頃、頭の中を自由に想像や妄想した世界で思い描いたものでないのだろうかとあの頃は本気でそう思っていた。なぜなら物心つく前から両親のいなかった私には、この世界の常識を教えてくれるものがいなかった。物心ついた幼少時代の育ての親は初老の教会にいる神父だった。その頃から鉛筆やクレヨンを持って好きなように自分の思い描きたい絵を描いていた。神父は、私が描いた絵を大層気に入り様々な援助や手助けをしてくれた。この色が欲しいと言えば、どんなに高価であろうと与えてくれ、または教会の一室を子供の私に丸々、専用のアトリエまで提供してくれたほどだった。(敷地としては、決っして広くなく、他にもみなし児は大勢いた)私は、ただ好きに時も昼夜も食事も排泄も忘れそうになるほど教会では描くことばかりしていた。学校では、最初の頃はみんなで遊ぶということもしてはいたが、次第に教室でノートに鉛筆で絵を描くことに夢中になりクラスメイトとも疎遠になっていった。いや、むしろあのことがきっかけだったのかもしれない。授業で画用紙に絵を描くという課題があった時のことだ。私は他の子達と違い普通に普段から描いている私の絵を描いたが、クラスの子達はそれぞれ好きなコミックヒーローや動物、学校の回りにある景色、一番多かったのは家族の絵だったか明らかに独創性や私の頭の中に思い浮かんでいるものに差があったのだ。独創性とはいっても小さい子供が描いたものだ当然のことだろう。だが、当時の私にはどうしても他の子達の絵が許せなかった。孤性というものが消失されようとするそんなイメージしか他のクラスメイトの絵から何も感じられなかったのだ。今、思えば私の出生と環境的要因とが生んだ私という孤の絵しか私自身が認められなかったのだろう。そんな幼少時代もやがて時が経ち、私も成人に近い頃にある転機が訪れた。教会(ウチ)に法要の為に訪れた美大の教授が教会に飾ってある。私の抽象画を見て何か感じる物があったのか、美大の特待生として、私を迎え入れたいと申し出てきたのだ。私の育ての親は、それを教会のアトリエで絵を描いていた私の了承もなしに将来のためと言っては、大学に入れさせ私は再び、孤独(ひとり)で絵を描くだけの生活をしていたというのに、なんでこの凡人は私の周りをつきまとうのだろうとやがて数か月が経ち、奴が私のアトリエで絵を描いていることで飛んでいる羽虫程度のことだが疑問に思った。次第に、この大学の学長に許可を取っているのか? それとも独断で私のアトリエで絵を描いているというのか? とそんなことを考えていた。思えば、私が気になり出したあの時から、今もテレビでアナウンサーのインタビューに応じる凡人の底知れぬ才能に気付いていたのかもしれない。

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なにか描きたかった @inugami29

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