どこに居る、どこにでも行ける
――何か言う事あるだろ。
ロイにそう言われた時、背筋が凍った。
師匠に怒られた時のような寒気だった。ロイにビビってしまった自分を情けないと思うと同時に、悪い事したと後悔した。
一通り料理を出し終わり、一息ついたフロンはコップの水を一気飲みした。
生ぬるい水が、もやもやを身体の底へと溜めていく。気持ち悪い。気持ち悪くて良いのだ、これは罰なのだから。
「……」
台所で一人座り、フロンは大きく息を吐いた。
そのフロンに、こそりと近づき、エナはそっと囁いた。
「ねえ、わたしを殺すの、諦めたの?」
「! あー、びっくりした、えーびっくりした!!」
「落ち着いて」
「あ、すいません」
驚いて飛び上がった椅子に座り直し、フロンはエナに向き直った。エナは真正面からフロンを見据え、もう一度言った。
「わたしを殺すの、諦めたの?」
「……坊ちゃんの計画がうまく行かなかったら、考えます」
「そう……諦めないでね?」
「私が言うのもなんですが、あなたは死にたいんですか?」
「分からない」
「そうですか」
「あのね、さっきはどうしてあんな変に元気だったの?」
「……笑わないで聞いてくださいね?」
「うん」
「さっきまでの私は、地下に居た時の私は、とても自分に酔ってたんだなぁと、自覚しちゃいましてね、それが恥ずかしくて……あははは」
「?」
ぽりぽりと頬を指でかくフロンを、エナは首を傾げて尋ねた。
「どういう事?」
「だからね、さっきまでの私は、自己陶酔の気持ち悪い野郎だったというのを、自覚いたしましてね、」
「気持ち悪くなんかないわ、あなたは、一生懸命だった。きらきらしてたわ」
「マジすか。それも恥ずかしいなぁ……ああー」
「……ねぇ、それって、黒歴史ってヤツ?」
「ああー、そうですねー、出来立てほやほやっすわ~。というか、黒歴史なんて言葉知ってるんですね」
「この前読んだ本に出てた」
「そう、なんの本ですか?」
「『ラスカの冒険』」
「へえ、低俗とか言われそうですけどね、あれ。結構過激ですよね、主人公が裏社会のギャングと戦う少年魔法剣士っていう、訳分かんない設定だし」
「良いギャングも居たわ」
「堅気には迷惑をかけずに、仁義を通すってね」
「仁義の為に、死んじゃった」
「残された方は、たまったもんじゃないですよねぇ」
「そうね、悲しいけれど、でも、勇気をもらったわ」
「違いますよ、彼らはね、彼の死を無駄にしたくなかっただけ。私と同じですよ」
「あなたも同じことをしようした?」
「私は、ちょっと違うかな……ははは」
溜息一つ。
フロンはぽつりと言った。
「私はね、逃げたかっただけです」
「痛いのから?」
「それもありますけど、王様と師匠が居なくなった世界から、ですね」
「あの人達が居るのに?」
エナの問いに、フロンは笑って答えなかった。
答えられなかった。
「……」
沈黙。
微笑んだまま、フロンは答えない。
その笑みは、屋根の上でみた笑みに似ている。あの時と違うのは、フロンの目に涙が浮かんでいる事だけだ。
抱きしめてあげたい、と、エナは思った。
『ラスカの冒険』に出てくる、あの死んでしまったギャングの奥さんのように。
彼女は良いギャングだった夫の死に泣くラスカを、優しく抱きしめて一緒に泣いた。読んだとき、エナの瞳には涙は出てこなかったけれど、一緒に泣いてみたいと思った。浮かんだ光景はとても綺麗で尊いものだった――と、フロンを抱きしめながらエナは気付いた。
まるで、聖母のようなギャングの奥さん。彼女にみたいになりたかった。何の力も持っていないけれど、彼女は人を癒やす力があった。とても、大きな力だと思う。
優しい力。
「あははは、まるでラスカとギャングの奥さんみたいですね、笑える」
「そうね、わたしは、あの人みたいになりたかった」
「……何でもなれますよ」
「人形だから?」
「子供だからです!」
しんみりとした空気は一変。
フロンは涙を拭いながら勢いよく立ち上がり、驚いてフロンを見上げるエナの頬を両手で包み込み、額をくっつけた。
「大丈夫、私以外には殺させません。傷つけもさせない、誰からも、何からも」
くっついた額が、熱い。触れ合った額と額から火が出そうなくらいに。っていうか、唐突に距離なさ過ぎじゃないだろうか。
「ちょっと――ああっ!!」
抗議の声を上げようとしたら、額の熱さに悲鳴となった。それ程までに熱い。火傷しそうな程に。
額と、項が得に熱い。項の中で、何かがのたうち回るよう。そして、額からは、何かがフロンの方から押し出されてくるような――入ってきた。何かが、入ってきた。
額から入ってきた何かは、ずるずると項へと移動する。痛みはない、熱さも治まった。項では何かが暴れ回っている。これも痛みはない。ぐちゃぐちゃに傷つけられそうだが、痛みはない。異物がうごうごしている違和感だけが、ある。
そして、入ってきた何かはたちどころに項へと辿り着き、そこで暴れ回る何かを飲み込んだ。飲み込み、大人しくなった。そこが定位置だとでもいうように。
フロンが身体を離した。
ぽんぽんとあやすようにエナの頭をなで、最後にしっかりと両手を重ねてエナの頭に置いた。
「これで大丈夫。私からのおまじないです」
おまじない、というにははっきりと異物混入の感覚があった。おまじないというと、もっとこうふわっとしているものじゃないだろうか。
「……のろいの間違いじゃないの?」
「ちょっと、洒落にならない冗談止めてくださいよ。ノインちゃんが聞いたら何ていうか、」
「おーい、何話してんだ?」
「そろそろ向こうに戻ってやれ、神官騎士さんが可哀想だ」
「おっと、無粋な輩が来ましたね、折角秘密の女子会を開催してたのに」
あはははー、と笑うフロンに、トーマスはなんだそれと笑う。しかしロイは短く一言。
「おまえ、意地悪いな」
それだけ言うと、踵を返して食堂へと戻った。
トーマスはロイのきつい物言い驚いたが、思い当たる所はある。フロンも同様。エナだけが、分かっていない。ノインがどんなに今、エナの身を案じ、己の無力感に憤っているのか。
フロンはしゃんと背筋を伸ばし、エナの肩に両手を置いて念を押した。
「私があなたにしたおまじない、のろいでも良いですけれど、ノインには内緒ですよ」
「何故?」
「私がノインに怒られるからです」
「怒られとけば?」
「坊ちゃんひどい、冷たい!」
「いやお前は怒られた方が良いだろ、直ぐに調子に乗るし」
「まあまあ、兎も角。ノインが心配してるでしょうから、そろそろ戻りましょうか」
「心配してるどころじゃないぞ」
むしろ怒っている。
トーマスは肩をすくめて見せた。
「あはは、やっぱりね……」
その様子は容易に想像でき、フロンは肩を落とした。
「ま、良いです。今日はとことん怒られましょう。そういう日です!」
なんたって、人を殺そうとしたんだし。
気落ちした腕を無理あり伸ばして肩をぐるりと回して。
フロンは腰に手を当てて、フロンを見る少年少女に笑いかけた。
その笑みは少年にとってはいつもの胡散臭い笑みで、少女にとっては強がった笑みに映った。
「なー、これからどうするんだ?」
意気揚々と食堂に向かうフロンの背に、トーマスはついて行きながら尋ねた。
「そうですねぇ、破壊竜を倒すには外から直接破壊、内部から操作して誤作動を起こさせるっていうのしか思いつきませんが、どっちも難しそうですよね。まあ、しばらくは破壊竜は誰も使えない状態ですし、そんなに急がなくても大丈夫ですよ」
「そうか、無駄足じゃあなかったんだな」
「ふ、この私が、転んでもただで起き上がるとでも?」
「お前は、無駄に騒ぎをでかくしすぎじゃないか?」
「あはっはっは」
食堂に向かうフロンとトーマスの後を、なるだけゆっくりとついて行きながら、エナは今日一日を振り返った。
神殿を出て、罰を受けて、秘密の蜜を飲んで、ここに居る。
明日はどこに居るんだろうか。
どこに、行けるのだろうか。
少しの罪悪感と、罪悪感なんか吹き飛ばしてしまうワクワクの期待感に、エナの胸は震えた。
――神官騎士の怒りで大気が震えたのは、そのすぐ後の事。
巫女にとっては、それもまた楽しい思い出の一つとなった。
終わり。
リンドブルム ~大量破壊兵器の壊し方~ 杉井流 知寄 @falmea
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