エピローグ 農民様、畑を耕して世界をお救いください

「――ということで、ダンジョンが制覇されました。

 ダンジョンの発生から、わずか半日もかかっていないものと思われます」


 王城の一角にある、荘厳とした雰囲気の会議室。そこに二十名程度の人が集まっていた。

 上座には、赤と黄を基調とした衣装を身にまとった壮年の男性。

 この男性が勇者王の正当な末裔であり、この国の現国王である。


 今、国の政務を任された人たちが集まって定期報告が行われていた。

 部屋の入り口付近にいる文官と思われる青年が、緊張した面持ちで報告を続けている。


「およそ200人の冒険者がダンジョンの最下層にて主である黒龍を討伐。

 現在、およそ500人の冒険者が黒龍の素材の所有権を巡って言い争っています」

「なんで増えているんだ……」


 青年の報告に、会議室内がざわつく。

 素材を巡って冒険者たちが言い争うのは、いつものことだ。

 だが、戦闘に参加しなかった冒険者まで所有権を主張してくるのは、前代未聞だった。

 あまりにも予想外の事態に、国王は唖然とした表情を浮かべていた。


「増えた300人は何なのだ」

「どうやらダンジョンを攻略中だった人も、所有権を主張しだしたようです。

 先に入った冒険者たちによって魔物も罠もほとんど対処されていたため、安全にダンジョンを進んでいたようなのですが、そのせいで実入りが少なかったようで、黒龍の分け前がないと苦しいのだとか」


 今の時代、冒険者たちの懐事情はかなり苦しい。

 冒険者の稼ぎといえば、魔物の討伐やダンジョンの制覇が主であるが、それらは発生と同時に攻略されてしまう。

 昔は冒険者ギルドの掲示板に捌ききれないほどの討伐依頼が貼り出されていたが、今ではそんな依頼は一枚もない。


 そして、国の財政状況も全く余裕がなかった。

 冒険者たちがダンジョンを制覇しても、それに対して報酬を出すことなどできない。

 出来ることといえば、混乱を抑えるために、そのダンジョンで手に入った素材を国が主導して分配することだけだろう。


「ダンジョンで手に入れたものも、納税の対象となるはずだな」

「はい、そうですが……」

「では、黒龍と戦った200人には、いつも通り国が主導して素材を分配させれば良い」

「残りの300人については、いかがいたしましょうか?」

「黒龍の素材を、現金化して納税するとは思えん。素材のまま納税してくるだろう。

 だから、納税された素材の一部を、ダンジョン制覇に駆けつけたという名目で500人全員に分配する。

 それで、残りの300人も問題なかろう。もちろん、そこから再度納税してもらうことになるのだがな」


 話を聞く限り、今回討伐した黒龍はかなりの巨体のようである。

 これから黒龍の素材が大量に市場に出回り、一気に値崩れしていくと予想される。

 現金で納税をするには、その時の市場価格を基にしている。

 今、現金化して納税しようとすると、すごく高いのだ。

 そもそも、値崩れするのが目に見えている素材を、商人たちが高値で買い取るとは思えない。

 間違いなく、冒険者たちは素材のまま納税してくるはずだ。


 国王の決断に、報告していた青年が安堵の表情を浮かべる。

 すでに冒険者たちに、色々と詰め寄られていて困っていたのだ。

 500人全員に報酬が行き渡るのであれば、青年の負担もかなり軽減されるだろう。









「続いての報告なのですが、国内の総人口における勇者の割合が90%を超えました」

「なんだと!?」


 会議室に国王の怒号が響いた。その瞬間、場の空気が張り詰め、一瞬にして静寂に包まれる。

 大きく身を乗り出していることに気づいた国王は、イスに深く座りなおしてコホンと一回咳払いをした。


「続けよ」

「はい。それにより、冒険者以外の業種の減少がさらに進んでいます。

 特に農民の減少に歯止めがかかりません」


 勇者と表現しているが、正確には初代勇者の子孫で、勇者の力を身に宿した者のことである。

 勇者の子は、その全てが例外なく勇者の力を持っていた。

 ただ、勇者の力があるといっても、それ以外は普通の人間となんら変わりはない。

 勇者が農業をやっても問題はないし、ごくわずかながら農業をやっている勇者もいるにいる。

 だが、ほとんどの勇者は初代勇者の冒険譚に憧れ、勇者の力を存分に生かすことのできる冒険者になることを望んでいた。

 冒険者以外だとしても、城勤めや貴族付きの仕事を選ぶ者がほとんどだった。


 この場にいる人は、国王も含めて全員が勇者である。

 今この場にいる人たちが、城勤めの仕事を辞めて農民の仕事を始めたとしても、それで支障をきたすことはないだろう。

 城勤めは人気がある。すぐに別の人が今の仕事を引き継ぐことになるからだ。

 でも、いくら国のためになるといっても、今の仕事を手放してまで農民になろうという人はいなかった。


「農民の減少は対策を検討していたはずだが、それはどうなった?」

「様々な優遇措置を考えた上で農民の仕事を斡旋していますが、冒険者から農民に変わろうという人は、今のところ誰も出てきていません。

 しかも、農民から『新たに農業を始める人ばかり優遇するのか』という声も上がってきているため、優遇条件の調整も難航しています」


 国の食糧事情は危機的状況になりつつある。

 これまでは他国に勇者を派遣することで対価を得ることができていたし、食糧を輸入することもできていた。

 しかし、今では他国でも勇者が急速に増加しているため、勇者を派遣することができなくなっていた。

 食糧に関しても同様に、他国でも勇者の増加に伴い生産量が急速に減少していき、なかなか輸入できないようになっていた。


 食糧難であることは、この国に住む人であれば誰もが知っていることだ。

 しかし、問題を解決するために動こうとする人はほとんどいなかった。

 誰もが、この問題の矢面に立ちたくないと思って口をつぐんでいた。


「お父様、ひとつよろしいでしょうか?」


 国王の隣に座る美しい少女が、静寂を破るかのように声を上げた。

 国王を父と呼ぶ、この国の王女である。

 初代勇者を召喚した王女は、あまり着飾る人ではなかったという言い伝えから、この国の王族女性は立場の割には質素な服を好んで着る人が多い。

 この王女もその例にもれず、慎ましやかなドレスを身に纏っている。


 幼いながらも凛とした表情で重苦しい雰囲気を打破した愛娘の姿に、国王の頬が思わず緩む。

 とはいえ、この場で顔をニヤつかせているわけにはいかない。すぐさま顔を引き締めた。


「公共の場では父と呼ぶなと言ったであろう」

「も、申し訳ございません。陛下」

「それで、どうしたのだ?」

「はい。農民召喚の儀を行うというのは、どうでしょうか?」


 農民召喚の儀。

 勇者召喚の儀が勇者の力を持つ者を召喚するのに対し、農民召喚の儀は勇者の力を持たない者を召喚するためのものである。

 農民召喚の儀は、勇者召喚の儀と時を同じくしてその理論が確立されたが、今まで勇者の力を持たない者を召喚する利点がなかったため、過去に一度も行われたことのない幻の儀であった。

 ちなみに、勇者の力を持たない者を召喚する儀に、なぜ農民という名称が付けられたのかは不明である。


 国王自身も、もう農民召喚の儀に頼るしかないのではという思いを持ち続けていた。

 しかし、この世界と関わりのない人を、本人の意思と関係なく呼び出してしまって良いのだろうか。

 この世界の問題を、その人に落ち着けるようなことをして良いのだろうか。

 農民召喚の儀が頭をよぎるたびに、そんな思いが国王を踏みとどまらせていた。


 国王が顔を上げると、王女が不安そうな表情で見つめてきているのに気付いた。

 王女だけではない。この場にいるほとんどの人が不安や心配が入り混じった表情をしている。


 勇者召喚の儀によって召喚された初代勇者は、魔王討伐という過酷な使命を背負わされた。

 それでも勇者は果敢に魔王に挑み、魔王討伐後もこの世界に残ることを決意している。

 今回、農民召喚の儀を行ったとして、どのような人物が召喚されるかは分からない。

 ただ、どのような人物が召喚されたとしても、こちらの都合で勝手に召喚するのだから、その者には幸せになってもらわなければならない。

 それが召喚を許可した者としての、そしてこの国の王としての責任だろう。

 国王は揺るぎない覚悟を決めると、真剣な眼差しで王女を見据えた。


「分かった。私の責任のもとに召喚を行うことを許可する」

「ありがとうございます。それではこれから農民召喚の儀の準備を致します」


 王女はスカートを摘み優雅に一礼すると、周囲に安心感を与えるかのようにニコリと微笑んだ。

 その声は決意に満ち溢れていた。









 定期報告会が終了し、閑散とした会議室。

 そこには国王と、その一番の側近である大臣の二人が残っていた。


「魔王の最後の言葉を知っているか?」

「はっ? 確か『勇者が人間を破滅へ導く』でしたか」


 人々の記憶から忘れ去られつつある魔王の最後の言葉。

 それでも、王族だけは絶対に忘れてはならぬと代々言い伝えられてきていた。


 国王は返事を期待しないで大臣に問いかけてみた。

 それをきちんと回答して見せた大臣に、国王の頬が緩む。

 知っていてくれただけでも嬉しいと、そう思えたのだ。


「ああ、そうだ。ところで、今のこの国の状況をどう思う?」

「……まさか!? 魔王はこうなることを予見していたと?」


 魔王を討伐して平和が訪れた世界。

 勇者の力を持つ多くの優秀な冒険者たちが、人間にとって脅威となる魔物やダンジョンを制覇していく。

 そのおかげで、農民は安全に農業が、商人は安全に交易ができ、市場に良質なものが溢れる。

 人々の生活はどんどん豊かになっていき、辺境の地に住む平民でも娯楽に興じる余裕まで生まれてきた。


 だが、最近はそれに陰りが見えてきた。他ならぬ、勇者によってだ。

 今はまだ全国民の90%。それが、もし100%になってしまったらどうなるのか。

 破滅とまではいかなくても、間違いなく経済は破綻するだろう。

 飢えや渇きに苦しむ時代が来るかもしれない。


「子供の頃は、この勇者の力にただ無邪気に喜んでいたのだがな。

 今ではこれが呪いのようにも思えてくるのだよ」


 国王は、そうぽつりと呟いた。









 王城の地下にある、幾重もの結界によって封印されている大広間。

 ここは遥か昔、勇者召喚の儀によって初代勇者を召喚した由緒正しき場所である。

 結界は初代勇者が施したもので、勇者の力を持つものでしか解除できないようになっていた。

 つまるところ、ほとんどの人がこの結界を解除できるわけなのだが、勇者が溢れた世界で新たな勇者を召喚する利点が一切なかったため、誰からも見向きもされない場所となっていた。


 王女が結界に触れて魔力を込めると、まるでガラスが粉々に砕けていくかのように、結界が消滅した。

 王女が大広間に入っていくと、多くの人がそれに続いていく。

 大広間の中央には、初代勇者を召喚した時の魔法陣が、当時のままの状態で残されていた。


「これから、ここで農民召喚の儀を行います」


 大広間に王女の声が響く。


 農民召喚の儀は、勇者召喚の儀よりも難しいとされている。

 勇者召喚の儀は、勇者の力を持つものを見つけるのが大変で探すのに時間がかかるが、見つけてしまえば後は召喚をするだけで良い。

 一方、農民召喚の儀は、勇者の力を持たない者を見つけるのは簡単だが、見つけたからといってそのまま召喚するわけにはいかない。

 勇者の力を持たない者の体では、召喚の負荷に耐えられないためである。

 対象を保護しつつ召喚する、極めて強力で繊細な儀を行わなければならない。


「無事に召喚させるには、ここにいる皆様の協力が必要です」


 王女の言葉に、この場にいる全ての人が頷く。

 緊張しているのか、表情を強張らせている人が多いように感じる。


「それでは始めます。皆様は私に続いてください」


 王女はそう言うと、心を落ち着かせるかのように大きく一回深呼吸をした。

 そのまま膝をつき、両手を胸の前で組んで、目を閉じる。

 その姿は、優しくお海苔を捧げているかのようである。

 この場にいる全ての人が、王女に続いて祈りを捧げるような姿勢をとった。


 しばらくすると、魔法陣は不思議な力が集まってくるかのように淡く光り始める。

 光は徐々に強くなっていき、やがて目を閉じていてもはっきりと分かるくらい強い光を放つようになっていった。


 光とともに、不思議な力も強力になっていく。

 魔法陣からわずかに漏れ出た力が、ピリピリとした感覚となって肌をひどく刺激する。

 魔法陣の上では膨大な力が荒れ狂い、まるで雷でも落ちたかのような凄まじい轟音が大広間に響き渡る。


 全身から力が抜けていくかのような不思議な感覚が、この場にいる全ての人を襲う。

 しかし、この場にいるのは全員が勇者の力を持つ者。誰一人脱落することはなかった。

 呼吸は荒れ、額から汗は滴り落ちるも、王女は毅然とした姿勢で祈り続ける。


 不思議な力が収まっていくとともに、強い光も次第に弱くなっていった。

 光が完全に消えるかどうかというあたりで、この場にいる人が次々と目を開けていく。


「良かった。成功したようですね」


 王女は肩で息をしながら額の汗を拭うと、ほっと安堵のため息を漏らした。

 その言葉に続くかのように、この場にいる人たちから大きな歓声が沸き起こった。


 トラクターやコンバインなど、この世界では見慣れない道具とともに、数多くの人が魔法陣の上で佇んでいた。

 こことは異なる世界、地球という星の日本という国から、農家という農家がこの場所に召喚されたのだ。

 王女は、唖然とした表情を浮かべる農家の人たちに向けて優しく微笑みかけた。


「農民様、畑を耕して世界をお救いください」


 この世界に救世主たちが召喚された瞬間は、同時に日本に空前絶後の危機が訪れた瞬間でもあった。

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農民様、畑を耕して世界をお救いください。 小栗しおな @shiona

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