第五話 素材を傷つけてはいけません
空間の歪みを幾度も超えたその先、ダンジョンの最奥には、そのダンジョンの主がいる。
アレクとカイルの二人は、幾つもの屍を踏み越え、何度もトラップを踏みつけて、ついにその場所に立っていた。
「くそっ、なんでお前は平気でいられるんだよ」
「どんな罠でもきちんと対応すれば問題ないからね」
アレクの声がやたらと高い。罠を踏んで発生した、声を変えるガスを吸い込んだからだ。
髪は大爆発を起こし、顔中が腫れ上がっている。そんなぼろぼろの体に対し、剣と鎧だけは美しい状態を保っていた。
一方のカイルは、ある時は魔法で身を守り、ある時は息を止め、ある時はアレクを盾にしてトラップを回避してきた。
とてもアレクと同じ場所と通ってきたとは思えないほど、その姿は美しい状態を保っている。
二人は遥か上空を見上げる。
視線の先にあるのは、まるで山を思わせるような巨大な黒い塊だ。
「これは大きいね」
「でかすぎじゃね?」
燃えるような真紅の眼に、漆黒の鱗。鋭利な爪が森林もろとも地面をえぐり、美しい白い牙が黒い体に映える。
その圧倒的な巨躯から常に大地を振動させ、翼を羽ばたかせれば激しい突風が巻き起こった。
赤眼の黒龍。これこそが、紛うことなきダンジョンの主である。
「つーか、ドラゴンなんだな」
「ダンジョンができた場所に依存するのは、そこに生息する魔物もそうなんだよ。
途中で狼がいたのも、主がドラゴンなのも、狼やドラゴンが生息する森だからだね」
黒龍の足元には大勢の冒険者がいる。数十人、いや、百人以上いるだろうか。
皆一様に剣を握り、黒龍に立ち向かっていた。
「ちっ、やっぱりマスターもいるじゃねえか。盗み聞きしやがって」
「本当だね」
黒龍と戦う冒険者の中に、居酒屋のマスターの姿があった。
アレクは小さく舌打ちをし、それを苦々しく見つめる。
こちらに気づいたのか、マスターが剣を収めてゆっくりと近づいてきた。
その執事風の服装は、居酒屋で見た時のままだ。違う点があるとすれば、腰にレイピアを携えていることくらいだ。
「これはこれは。カイル様の声が聞こえたのですが、こちらにいらしたのですね」
「いらしていたのですね、じゃねえよ。つーか、この距離で声が聞こえてんのかよ」
「はて、こちらの方はどなたでしょうか?」
「……アレクだ」
マスターはアレクをまじまじと見つめ、大きく目を見開いた。
顔も声も、髪型さえも、マスターの知っているアレクからは程遠い。
かろうじて身につけている鎧と剣だけは、アレクの物だと認識できた。
「アレク様でしたか。店を経営する者として常連客を見間違えてしまうなど、いやはや、面目もございません」
「それは別にいいさ。だが、ここにいるってことは、俺たちの会話を盗み聞きしたんだよな?」
「盗み聞きだなんて人聞きが悪い。たまたま聞こえただけですよ」
「まぁ、ここでの会話も聞こえたくらいだから、相当耳は良さそうだよね」
「はぁ、そういうことにしといておくか。で、客を置いて飛び出すのはどうなんだ?」
「私は居酒屋の経営者ですが、冒険者でもあるのです。これも仕事の一つですよ」
肩をすくめるマスター。悪ぶる素振りなど一切ない。
それを見たアレクはため息をついた。
年の功とでも言えばいいのか、何を言っても適当にかわされてしまう。
これ以上は何を言っても無駄だろうと観念したアレクは、意識を黒龍へと向けた。
「それにしても、戦い方がなってないね」
「あれの何が悪いんだよ?」
黒龍に立ち向かう冒険者たち。
巨躯から揺るがされる大地にも動じず、翼から生み出される突風にも耐えている。
爪や牙による攻撃も全て避け、誰一人傷を負っている様子はない。
何も分かっていない様子のアレクに、マスターは哀れみの眼差しを向け、カイルは苦笑いをして見せた。
「ここに来る途中にも言ったけど、冒険者の仕事は素材を持ち帰ることだからね」
「その通りです。あれでは折角の素材が台無しになってしまいます」
「ああ、なるほどな」
冒険者たちの振るう剣は鱗を容易に切り裂き、魔法で生み出した炎が皮膚を焦がしている。
素材を持ち帰るべき冒険者が、その素材を傷つけている。そんな戦い方は、二流三流のすることだ。
「あの傷一つなかった狼のように仕留めるのが理想ってことだな?」
「うん、そうだね」
「傷一つない狼……もしかして、白銀の毛の狼の魔物のことですかな?」
「そうだけど、なんでマスターが知ってんのさ?」
「あれは私が仕留めましたから」
思い出し笑いをするかのように、マスターは口元を緩める。
「試したい技があったものですから、その練習相手になってもらいました。
外傷は一切ないですが内蔵はかなり傷んだはずなので、素材としてはあまり価値がないかと」
「えっ!? 俺、そんなんに必死になったのか?」
「あー、さすがに中までは分からなかったからね。でも毛皮は問題ないでしょ」
「そうですね。あれでも毛皮だけなら問題ないかと」
アレクががっくりと項垂れる。
必死になって執着していた素材が実は価値がなかったのだと言われると、心にくるものがある。
とはいえ、仮に価値があったとしても、罠のせいで全部ダメにしてしまったのだ。今さら悔やんだところで仕方がない。
「それよりも、今はあれをどうするか考えないとね」
「お二人は、綺麗に仕留める手段がおありですか?」
「ないな」「ないね」
「私も、ただ倒すだけで良いのであれば、いくらでも方法はあるんですがね」
アレクはお手上げといった感じで両手を挙げ、カイルは力無く首を横に振る。
もともと期待していなかったマスターは、小さくため息をついた。
黒龍のその巨躯に、剣で切り捨てることは難しいだろう。
剣が無理だとすると魔法になるが、この大きさを一撃で仕留める大魔法となると、わずかな素材すら残らないほど木っ端微塵にしてしまう恐れすらある。
三人は、ただいたずらに黒龍が傷つけられているのを呆然と眺めることしかできなかった。
三人は、一旦落ち着こうというマスターの提案で、コーヒーを飲んでいた。
一体どこから取り出したのか、テーブルと椅子が準備され、優雅にコーヒーブレイクのひと時を楽しんでいる。
その傍らでは黒龍が激しく暴れ回っている。その衝撃は、地震と台風が同時に来たかのようだ。
にも関わらず、テーブルは微動だにせず、その上に置かれたカップからコーヒーがこぼれる心配がない。
ちなみに、マスターは二人からはきっちりをお金を取っている。
「あれぇ? アレクさんにカイルさん、それにマスターさんじゃないですかぁ」
そこに黒龍とは逆の方向から、聞きなれた女性の声が聞こえてきた。
冒険者ギルドの受付嬢マリーが、ゆっくりと歩いてくる姿が見える。
服装は受付の制服のままで、武器は腰に差した短剣が一本だけ。
「よくアレク様だと分かりましたね?」
「それは分かりますよぉ。って、あれぇ? なんで分からないと思うんですかぁ?」
信じられないといった様子でマリーを凝視するマスター。
なんでそんなことを聞かれたのか分からないとマリーは首を傾げる。
「アレクってさ、ギルドではいつもそんな顔してるの?」
「別にギルド行く時も普段通りなんだが? 今の俺って、どんな顔になってんの?」
「すごい腫れ上がっているよ。もしかして、マリーの前だとかっこつけてるとか?」
「しねえよ!? つーか、かっこつけると顔が腫れ上がるって悲しすぎるだろ!?」
アレクが不機嫌そうに眉をひそめる。
だが顔が腫れ上がっているせいで、その変化は周りには伝わらなかった。
「こんなところに来ていていいのかよ? 受付の仕事はどうした」
「どうせ誰もこないんだから、いいじゃないですかぁ。
それにダンジョンが出来たのに、こんな時にギルドに来る人なんか、放っておけばいいんですよぉ」
確かにギルドには全くと言っていいほど人が来ない。受付のマリーも寝てばかりだ。
それでも給料がもらえるのだから羨ましい限りである。
だが、今は仕事中のはず。そう簡単に抜け出してきて良いものなのかと、アレクは首をひねった。
「ま、まあ、そんなことはどうでもいいじゃないですかぁ。
それよりも、なんでこんなこと路で油を売っているんですかぁ?」
「あー、なるべく傷つけずに仕留める方法が思いつかなくてな」
目が泳いでいたマリーが、とっさに話題を変える。
汚れひとつないテーブルでコーヒーカップを片手に談笑する三人の男たち。
どう見ても場違いだ。
「ほらほらぁ。ぼーっとしてると踏み潰されちゃいますよぉ」
「うおぉっ!?」
気がつくと、アレクたちのいる場所に大きな影ができていた。
いつのまにかすぐ隣にまで来ていた黒龍の体が日の光を遮り、前足で踏み潰さんとばかりに上から迫ってきていたのだ。
アレクは飛び退きながらも、手に持つコーヒーを一気に飲み干す。
金を払って買ったものだ。残すなんてありえない。それはカイルも同様だ。
マスターはさらにテーブルと三脚のイスを抱えながら避けていた。
直後、鋭い斬撃のようなものがアレクの体に襲い掛かった。
「アレクっ!!」
「おおお、俺の一張羅がぁっ!?」
「はぁ。アレクさ、気を緩めすぎだよ。
魔物の攻撃ならいいけどさ、冒険者の流れ弾は本当に危険なんだからね」
アレクの身につけていた鎧が、斬撃によって真っ二つに別れる。
貧乏冒険者であるアレクだが、冒険者としての体裁か見栄か、身につけている鎧はかなり値が張り質が良い。
これを修理するにはいくらかかるのか、これと同等以上のものに買い替えるにはいくらかかるのか。
アレクの表情が絶望に歪み、両手を地面について動かなくなっていた。
魔物の攻撃は、それほど威力があるわけではない。
不意を突かれようが直撃しようが、それが冒険者にとって致命的になることなどまずないだろう。
それはダンジョンの主である黒龍にも言えることだ。
だが、冒険者の攻撃となると話は別だ。
その威力は、魔物のそれとは比べるまでもなく強力であり、もし直撃してしまうと致命傷になる可能性もある。
もちろん冒険者を狙って攻撃することなどない。全て魔物を狙ったものだ。
それでも、その全てが魔物に当たるとは限らない。流れ弾が冒険者に牙を向く可能性も否定はできない。
アレクは飛びのいた位置が悪かったのか、黒龍を狙ったであろう冒険者の攻撃を受けてしまった。
被害が鎧だけで済んだのが不幸中の幸いと言える。一歩間違えれば、命を落としていた危険もあったのだから。
「まったく、アレクさんはダメダメですねぇ。誰もやらないんだったら、私がやっちゃいますよぉ?
うふふふふ――」
「おーい、マリー? ……ありゃスイッチが入っちまったか?」
マリーが腰の短剣に手をかける。
逆手に持つその短剣は、新米冒険者がわずかな資金で手にするような、鈍色の質素なものだ。
アレクの位置からは、マリーの背中しか見えない。
だが、その甲高い笑い声からは、間違いなく笑っていることがうかがえる。
黒龍の動きは相変わらず激しい。荒れ狂う突風に、激しく揺れる大地。
マリーはそれを物ともせず、一歩一歩踏みしめて黒龍へと近づいていく。
そして跳躍。狙うは黒龍の首。マリーは一気に遥か上空へと移動した。
それはほんの刹那の出来事だった。
一閃。
マリーは黒龍の手前で短剣を振り抜く。その瞬間、黒龍の動きがぴたりと止まった。
黒龍の頭部が、胴体からゆっくりとずり落ちていく。
真っ二つにされた首の断面は、漆黒の体からは想像もつかないほどに白い。
だが、これは黒龍の体内が白いわけではない。斬った瞬間に、マリーが断面を凍らせていたのだ。
「これほどまでに強力で繊細な魔法は初めて見ます。実に素晴らしい」
「間違いなくアレクには無理だよね。あれくらい強力な魔法となると、アレクじゃ吹き飛ばしちゃうよね」
「大魔法にロマンを感じて何が悪い!? つーか、カイルにも無理なんだろ?」
マリーは体を翻しながら落下し、華麗に着地した。
「これでお終いですねぇ。じゃあ、帰りましょうかぁ」
マリーが腰の鞘に短剣を収める。
直後、上空から墜落した黒龍の頭部が、轟音とともに大地を大きく揺るがした。
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