第四話 罠は踏んでから考えます
ダンジョン。
それは、現実とは隔離された不思議な空間だ。
内部には数多くの魔物や罠が存在しており、非常に危険な場所として認知されている。
しかも、適切に対処しなければ魔物が溢れ出てきて、その周辺が危険に晒されてしまうという厄介なものだ。
ダンジョンを制覇することができれば一番良いのだが、最低でも定期的にダンジョン内の魔物を間引かなければならなかった。
「ここ、ダンジョンの中なんだよな?」
「うん、そうだね」
森の中で見つけた空間の歪み。
肉眼でもはっきりと分かる揺らめきは、蜃気楼のようにも感じられた。
この歪みの先こそが、現実とは隔離された空間、ダンジョンである。
アレクとカイルの二人は、その歪みに触れ、さらに奥へと突き進んでいった。
「なんか、思ってたのと違うな。普通っつーか、外とほとんど変わんないじゃないか」
「ダンジョンは出来た場所に依存するらしいからね」
森の中に出来たダンジョン。そこも、見渡す限りに木が生い茂っていた。
空には太陽が浮かんでいて地面を照らし、木々の隙間を爽やかな風が通り過ぎていく。
本当にここがダンジョンの中なのかと疑いたくなるほど、外の森とそっくりだ。
「こりゃまた、随分と酷いありさまだな」
「ダンジョンの中は、ほぼ全て魔物だからね」
二人の目に映るのは、美しい緑では無い。赤黒く染まった血の色だ。
魔物の亡骸がそこらじゅうに散らばり、死臭が充満している。
魔物は保護対象では無い。例外なく全て討伐対象だ。
自分たちよりも先に来た冒険者によって、狩り尽くされたのだろう。
まるで地獄でも見ているような気になってしまう。
胃液が喉元まで上がってきたのか、胸が焼け、吐き気を催す。
アレクは、初めて見る惨状に生唾を飲み込み、必死に気持ち悪さに耐えていた。
「ほぼ全てってことは、動物と会うこともあるのか?」
「動物は本能的にダンジョンを嫌うから、基本的にはあり得ないんだけどね。
とはいえ、何かに追われて逃げてる最中にダンジョンの中に迷い込むとか、可能性はゼロではないよ。
まあ、好き好んでダンジョンの中に入るのは人間くらいのものだね」
「そりゃやっかいだな。ところで動物と魔物って、どう見分ければいいんだ?」
「んー……勘?」
答えになっていないとアレクは小さくため息をついた。
もし誤って迷い込んできた動物を仕留めてしまったら、目も当てられない。
「それにしても、もったいないよね。魔物は、ほぼ全て素材として売れるのにさ」
「えっ!? カイル、お前にはこれがお宝の山にでも見えてんの?」
「ふふっ、お宝の山かぁ。それはまた、言い得て妙だよね」
カイルがニヤリと笑みを浮かべる。
惨状を前に嬉しそうに笑う姿は、傍から見たら完全にヤバい人だろう。
だが、そこに気持ち悪さは欠片もない。憎たらしいほどに爽やかなイケメンスマイルだ。
アレクはそのことに、ひどい理不尽を感じた。もしアレクがこの場で笑顔を見せたら、間違いなく通報されるレベルだろう。
「ほら、あれなんか状態が良さそうだよね。あれを倒した冒険者は良く分かってると思うよ」
「ほほう、あれが金になるのか」
魔物の素材は、傷や汚れが付くと、その価値が極端に下がってしまう。
討伐した魔物の素材を持ち帰ることで生計を立てる冒険者にとっては、いかに傷つけることなく魔物を仕留めるかが重要となる。
さらに、血で汚れることのないようにも注意しなければならない。
カイルが指差す先には、白銀の毛に覆われた巨大な狼の魔物が横たわっていた。
どのように仕留めたのかは分からないが、外傷は一切見当たらない。
その毛並みは、刃物で傷つけられた様子も血で汚れた様子もなく、美しい状態を保っている。
金になる素材と聞いて反応してしまうのは、貧乏冒険者の悲しい性だ。
つい先ほどまで気持ち悪さと戦っていたアレクだが、今はもう微塵も感じなくなっていた。
金の匂いが気持ち悪さを消していた。これは惨状ではなかった。確かに、お宝の山だ。
アレクはキョロキョロと辺りを見渡した。この魔物を仕留めた冒険者は、すでにここにはいないようだ。
怪しげな笑みを浮かべたアレクは、腰の短剣を手に取り、魔物の亡骸へと近づいていった。
「ちょっと、アレク? なにしてるのさ」
「えっ?」
狼の白銀の毛を剥ぎ取り始めたアレクと、それをジト目で見つめるカイル。
カイルの言葉に口で反応するものの、体は正直だ。
剥ぎ取りを止めることはなく、白銀の毛をせっせと袋に詰め込んでいた。
「おおお、落とし主に届けようと思ったんだよ! ね、ねこばばじゃねえからな!」
「いや、別にねこばばしてもいいけどさ。なんでここに放置されてるのか理解してる?」
「へっ? 荷物がいっぱいで持てなかったからじゃないのか?」
「いやまあ、それもあるんだろうけど、この先にそれ以上のお宝があるからだからね」
ダンジョンというのは、奥に行けば行くほど魔物が強力になっていく。
一部例外はあるものの、強力な魔物ほど取引される素材の価値が高くなる傾向にある。
先に入った冒険者たちは、魔物を倒した上で、あえて素材を回収せずに先に進んでいるのだ。
わざわざこの素材を回収しに戻ってくることなど、まずないだろう。
それに冒険者たちの間に、他人が倒した魔物の素材を剥ぎ取っていけないというルールはない。
ただ卑しい目で見られるだけだ。
「それにしても、アレクは素材の剥ぎ取りが下手だね」
「しょうがないだろ!? 初めて剥ぎ取るんだからさ。つーか、魔物を見たの自体が初めてなんだよ」
「折角きれいな状態で仕留めてあるのに、それじゃあ台無しだよ」
「悪かったな」
カイルは呆れたように、小さくため息をついた。
いびつに刈り取られた毛並みは、散髪に失敗したかのような無残な姿を晒している。
亡骸とはいえ、先ほどまでは威厳のある姿だった狼も、今ではそれが微塵も感じられなくなっていた。
「ほら、アレク。さっさと先に進むよ」
「うおっ、ちょっと待って。ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから」
カイルに首根っこを掴まれて、ずるずると引きずられていくアレク。
アレクにがっしりと掴まれて、ずるずると引きずられていく巨大な狼。
アレクは引きずられながらも、狼を足で掴んで離さず、器用に白銀の毛を剥ぎ取り続けていた。
しばらくすると、引きずられる狼の下から、カチリと小さく鈍い金属音が聞こえてきた。
カイルは即座に反応するものの、剥ぎ取りに夢中になってるアレクはそれに気づかない。
「アレク、トラップだよ! 離れて!」
「ほえっ!?」
カイルはアレクを手放すと、素早くその場から飛び退いた。
アレクは唖然とした表情で、その場に留まり続けていた。もちろん、その手が剥ぎ取りを止めることはない。
直後、その場には轟音が響き、激しい閃光に包まれた。
電撃トラップ。それは落雷のように強力で、周辺の木の幹が裂け、草花を黒く焦がした。
トラップを踏んだ本人だけではない。その影響は広範囲に及んでいた。
「ぎゃああああぁぁぁぁっ!?」
二人が身に付けている金属製の鎧が、電気を引き寄せる。
とっさの出来事に全く反応できなかったアレクは、電気を浴び続けて情けない言葉が口から漏れ出ていた。
カイルは飛び退きながらも素早く魔法の膜を展開する。危険から身を守るための魔法だ。
カイルの魔法に弾かれて行き場を失った電気は、事もあろうにアレクの方へと向かって行った。
カイルは体を回転させながら体勢を立て直すと、華麗に着地した。
トラップによる電気は、いつまで経っても止まる気配が無い。
カイルはただ、奇声を上げながら電気を浴び続けるアレクを黙って見ていることしかできなかった。
どれくらいの時間が経っただろうか。
電気が止んだ頃には、先ほどまでの魔物の亡骸や血の跡とは違った惨状が広がっていた。
アレクを中心とした周囲には、木が焼け肉が焦げた異臭が漂っている。
「アレク、大丈夫?」
「……」
カイルが声をかけるも、返事がない。
肝心のアレクは、手足をぴくぴくと痙攣させながら横たわっていた。
髪は大爆発を起こして、もっさりアフロと化していた。それが電気の凄まじさを物語っている。
何て凶悪なトラップなんだろうか。カイルはごくりと生唾を飲み込んだ。
「ひゃっ!?」
カイルがアレクをつつくと、その瞬間ぱちんと静電気が発生し、アレクの体がびくりと震えて小さく悲鳴をあげる。
トラップによる電気は、未だアレクの体の中に留まり続けていた。
もっさりアフロの中で時折青白い光を放ち、火花が飛び散り髪に火をつける。
その火を消そうとカイルは魔法で水を出すと、アレクのアフロがばちばちと大きな音を立てた。
「やめれええええぇぇぇぇ!」
「よかった。元気そうだね」
涙目になりながら、がばっと起き上がるアレク。
動くたびに目に見えるほどの電気が身体中を駆け巡り、金属製の鎧が淡い光を放つ。
よくこれで無事でいられるものだと、カイルはアレクのタフさに感心した。
「はっ!? そういえば、俺の素材はどうなった!?」
「自分の体より、そっちの心配って。アレクらしいというか何というか」
白銀の毛並みの美しい狼の亡骸は真っ黒に焦げ付き、見るも無残な姿を晒していた。
もはや素材としての価値はほとんどないだろう。
剥ぎ取った毛も、黒く焦げてぼろぼろになっている。
「これじゃあ一文にもならなさそうだね。
ほら、そんなことよりも、さっさと先に進むよ」
「いやああああああああ!」
貧乏冒険者の心の叫びが、森中に響き渡った。
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