第三話 森に冒険者の仕事はありません
そこは、見渡す限りに木が生い茂っていた。
木漏れ日が地面を照らし、通り抜ける風と共に葉擦れの音が聞こえてくる。
周囲を囲むように、たくさんの動物の姿が見える。
人間が珍しいのか。それとも警戒しているのか。
それは様子を伺うように、じっと見つめてきていた。
「おいおい、カイル。随分と嫌われてんじゃねえの?」
「いやいや、アレク。これはアレクに向けられてると思うよ」
アレクとカイルは、背中合わせに立っていた。
二人を囲む動物たちが、じりじりと詰め寄ってくる。その数は、目視できるだけでも五十頭は下らない。
熊、虎、狼など。その様子は、捕食者である肉食動物が、二人を敵や餌として認識していることが見て取れた。
「いいかい、アレク。動物も植物も故意に傷つけちゃいけないよ」
「ああ、分かってる」
完全に周囲を囲まれている状況に、アレクは嬉しそうに口角を上げる。
それを見て、本当に分かっているのかとカイルはため息をついた。
野生の動物も植物も、そのほとんどが保護対象だ。下手に傷つけることは禁止されている。
それは生態系を壊さないようにするためであり、特定の種を絶滅させないためでもある。
過去には、何でもかんでも討伐報酬が出るという悪しき習慣によって、様々な動物が絶滅の危機に瀕していた。
冒険者が乱獲したのだ。それがお金になるからと、それが経験になるからと。
それは植物も同じだ。ギルドには冒険者によって採取された薬草の束が山積みにされた。
将来、薬草が枯渇することを恐れたギルドが、薬草を森に返すことも検討された。
一時期、ギルド職員が薬草を森に返し、冒険者が森から薬草を持ち帰るという、謎のイタチごっこまで発生した。
現在では生態系を守るために、いつ、どこで、誰が、何を、どれくらい狩るかは厳密に管理されている。
もし下手に手を出してしまうと、密猟者として指名手配されてしまう可能性がある。
そうなったら、何百何千もの冒険者に追われる身となる。それは死刑を宣告されたも同然だ。
公園で死んだ魚のような目をしている冒険者たちが、その目に生気を宿して襲いかかってくる恐怖。
アレクにも言えることだが、やつらには失うものなど何もない。
死に物狂いで襲いかかってくる様は、間違いなく地獄絵図となるだろう。
「んで、俺たちの目的地はどっちの方角なんだ?」
「あっちだね」
カイルは熊に向けて指を差した。
自分たちの倍はあろうかという巨躯の熊が、その大きさを主張するかのように二本足で立ち上がっている。
小さく唸り声を上げて、よだれを垂らすその姿は、腹を空かせて獲物を狙っているのだろう。
「確か、人を殺めた動物は討伐対象に変わるんだったよな」
「うん。そうだけど、それがどうかしたの?」
「よし、カイル。あの熊に殺されてこい。俺が仇を討ってやるから」
「ひどくない!?」
冗談を言い合いながらも、二人は息を合わせたかのように、熊に向かって同時に走り出した。
それに合わせて、周囲にいた動物たちも一斉に動き出す。その爪が、その牙が、二人に襲いかかる。
だが、それに慌てる様子はない。ある時は飛び退き、ある時は身を捻り、ほんの僅かにかすらせることもなく、その全てをかわしてみせた。
身につけている新品同様の鎧は、小さな傷どころか、僅かな泥汚れすら付いていない。
二人とも腰に下げた剣は鞘に収めたままだ。そこには、絶対に傷つけないという強い意思が感じられる。
二人は、熊の脇を通り抜けるように向かっていく。アレクは右側を、カイルは左側を。
熊は大きく腕を振り上げると、アレクを目掛けて力強く一気に振り下ろしてきた。
「ちぃっ、どうせならカイルを狙えよ」
「日頃の行いじゃないかな」
アレクは小さく舌打ちをすると、熊の腕に合わせて手を差し出した。
振り下ろされる熊の腕は、優しくそっと触れた手にいなされて、みるみるうちに勢いをなくしていく。
気がついた時には、まるでお手をするかのように、地面にそっと肉球をつけていた。
『ガウッ!?』
きょとんとする熊を尻目に、二人は熊の脇を通り抜け、走り去った。
周囲の動物たちも、皆一様に熊の脇を通り抜けて、二人を追いかける。
それによって我に返った熊は、よだれを撒き散らしながら二人の方向に振り向き、追いかける動物たちの中に加わった。
「別に殺されなくても、人に怪我を負わせた動物は討伐対象になるからね!?」
「なんだ、そうなのか。さっきの一発貰っとけばよかったんだな」
「いや、ダメだからね!? わざと怪我したのがバレたら密猟者堕ちだよ!?」
「ん? そんなことするわけないだろ? 冗談だよ、冗談」
二人は獣道を器用に進んでいく。たまに草花や落ち葉に足を取られるも、その天性のバランス感覚で、素早く立て直していた。
走る速度は、後方にいるどの動物よりも速い。追いかけてくる動物たちとは、その距離がどんどん開いていった。
二人は獣道から打って変わって、木々がなぎ倒されて開けた場所を突き進んでいた。
後方に動物たちの姿は見当たらない。少々強引だったが、うまく撒けたのだろう。
火事にでもなりかけたのだろうか、周囲にはところどころ白い煙が立ち上り、焦げ臭い匂いが鼻に付く。
植物も保護されている以上、人間が木を倒したり火を付けたりしたとは考えにくい。
それは、すぐ近くに先客がいるであろうことを予見させていた。
「はぁ。今度はドラゴンかよ」
「随分と木が傷んでいると思ったら、こいつのせいだったようだね」
目の前に現れたのは、緑色の鱗に覆われた巨大なドラゴン。
体長は、自分たちの五倍はありそうか。大きな翼に、鋭い爪と牙。
こちらを鋭く睨みつける眼光は、捕食対象として認識されたようにも思える。
「んで、ドラゴンはどうなんだ?」
「保護対象」
「だよな。討伐対象なら、とっくに倒されてそうだしな」
「そういうこと。ほら、さっさと走るよ」
二人は、そのままドラゴンに向かって走っていく。アレクは右側を、カイルは左側を。
その動きは、熊の時と変わらない。ドラゴンの脇を通り抜けるつもりだ。
ドラゴンは体を大きく振ると、その巨大な尻尾をアレク目掛けてなぎ払ってきた。
その途中にある木々は、大きな音を立てながら、尻尾によって容易にへし折られていく。
「だーかーらー、なんで俺なんだよ」
「アレク、何か悪いことでもしたんじゃないの?」
「何もしてねえよ」
アレクは尻尾にぶつかりそうになる直前に、大きく跳躍して飛び越えた。
ドラゴンは尻尾の勢いを利用して体を回転させ、二人のいる方向に転換する。
逃さない。そういう意図が、はっきりと見て取れた。
直後、ドラゴンが体を大きく仰け反らせた。大量の空気を吸い込んでいるようだ。
「あれって何だ?」
「ドラゴンブレスだね。全く、森林火災にでもなったら厄介なんだよね」
「ほほう、ついに俺の出番だな!」
「いやいや、このくらいは僕がやるよ」
ドラゴンを背に走っている二人は、ちらりと後方の様子を確認した。
ドラゴンブレス。それは巨大な火球を口から放つ攻撃のことだ。
この大きさのドラゴンだと、二人と背丈ほどの直径の火球が放たれるだろう。
二人はその場に立ち止まると、カイルが腰の剣に手を添えた。
魔力でも込めているのか。鞘から姿を現した刀身は、淡い光を放っている。
それを見たアレクも、鞘から剣を抜いた。その刀身は、きちんと手入れが行き届いていて美しい。
どちらも、かなり上質な剣のようだ。
「ただの火球だろ? それくらい俺が対処するから、カイルは見ててくれればいいぞ」
「いやいや、アレクだとやりすぎかねないからね。密猟者堕ちしないためにも、僕に任せてよ」
片足を引き、正面に剣を構える二人。
お互いに肩をぶつけて牽制し合い、傷ひとつなかった鎧に、つまらない傷が付いていく。
ドラゴンを傷つけてはならない。だが、ドラゴンの放つ火球になら、いくら剣を振るっても構わない。
アレクにしてみれば、訓練以外では初めて剣を使うチャンスなのだ。
もちろん、この先ダンジョンに行けば戦う機会はあるだろう。だが待ち切れなかった。
それは、カイルも同じだった。
ドラゴンは、息を吸って体を仰け反らせた状態で停止していた。
ブレスを吐く予備動作にしては様子がおかしい。
一瞬びくりと体を震わせた後に、息を止めて完全に静止している。
「ん? 来ない、のか?」
「アレクの殺気がだだ漏れだからじゃないの」
「なんだそりゃ? あの図体でびびってんのか」
ドラゴンの口には赤白い光が見える。
すでに火球を作り出すための器官は、激しい熱で満たされているのだろう。
ブレスを吐かないという選択肢はないはずだ。
アレクの剣を持つ手に力が入る。早く来い。そう気持ちが高ぶる。
しばらくして、ドラゴンが大きく前方に体を倒してきた。
「お先!」
「あっ!」
ドラゴンの口から炎が漏れ出た瞬間、アレクは大きく飛び出した。
それに遅れて、カイルもその後に続いていく。
ドラゴンから放たれた火球は、二人が想像していたよりも大きい。三割り増しくらいだろうか。
それが二人の顔を緩ませる。こういうのを待っていたのだと。
迫り来る火球の目の前で、アレクは怪しげな笑みを浮かべて剣を振るう。
一の太刀。上から斜めに斬り落とす。
二の太刀。素早く剣を返し、下から斜めに斬り上げる。
もちろん、それだけでは止まらない。
三の太刀。水平方向に薙ぎ払う。
四の太刀。五、六、七、八、九、十……
アレクは刹那に、超高速で、連続で火球を斬り刻んでいく。それはカイルも同じだ。
二人によって、瞬く間に数十回も斬り刻まれた火球は、何事もなかったかのように飛散していった。
『グァッ!?』
ドラゴンから情けない声が聞こえてきた。
目を大きく見開いて微動だにしない。
「えっ、何? こんなもんなのか?」
「まあ、そんなに大きなドラゴンじゃないし、しょうがないんじゃないかな」
アレクは、つまらなそうに剣を鞘に収める。その様子に、カイルは苦笑いだ。
火球の影響か、ドラゴンと二人の間には、木や草花がくすぶっているのが見える。
カイルは魔法で水を生み出し、素早くそれを鎮火させた。
ちらりとドラゴンの方に視線を向ける。
そこには、怯えるようにびくりと体を震わせるドラゴンの姿があった。
「これ以上は、何もなさそうだな」
「そうみたいだね。それじゃあ、先を急ごうか」
目指すはダンジョンだ。戦意を喪失させているドラゴンなんかに時間を使っている暇などない。
二人は、再びドラゴンに背を向けて走り出した。
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