めしまずっ!
おおさわ
腹は壊せても、愛は壊せない
さしすせそっ!
「だぁり~ん、ぉこーちー飲みゅ?」
「飲みゅうぅ~!」
休日の朝、愛妻が淹れてくれるコーヒー。
最高じゃないか、断る理由などない。
「甘々に、すりゅ?」
「すりゅうぅ~っ!」
ふふふ、甘くしてもらおう。
脳の隅々まで糖分を行き渡らせてもらおう。
新婚の俺たちの方が甘いんだけどなッ!
青と赤で色違いのパジャマのまま、二人はソファに座る。
「ぉぃちぃ?」
「んッがフッ!?」
あれ、しょっぱい。しょっぱいぞ、このコーヒー。
えっと、えぇ~っと?
鼻から逆流しそうな黒い謎の液体を口中に留め、俺は、汗腺より塩化物を含む一筋の水を垂らす。汗、水分、塩分……
(塩かッ!)
おちつけー、落ち着けよぉ、俺ー、試されているー、愛を試されているぞー。
塩コーヒーとか、あるじゃないか、うん、全然、ある。
ノーシュガー? イエスソルト!
俺が頼んだのは砂糖じゃない!
砂糖じゃない!
塩だ!
塩だッ!
塩ナンッだ!
「まぁが淹れてくれたこーちー、超おいちー」
コーヒーカップを少し持ち上げ、ウィンク、最高の笑顔だ、俺!
「だぁ~❤」
「まぁ~❤」
互いの頬をこすりこすり。
だぁりんのだぁ、ますみのまぁ。
ふふ、砂糖と塩の間違えなんて、二人の愛の前には些末な事さ。
「ところで、まぁ?」
「なぁに、だぁ?」
「料理の『さしすせそ』って知ってる?」
「知ってるッ!」
よぉーし、俺、ナイス! ここでさりげなく気付かせてあげよう!
「さ」
「サッと!」
ん?
「し」
「シュッと!」
あれ?
「す」
「すばやく!」
まさか……
「せ?」
「せっせと!」
あ、あー……
「……そ」
「そぉ~ッと!」
間違いじゃ! ねえけどもッ!
砂糖・塩・酢・醤油・味噌、味付けはこの順番に、俺との約束だぜっ?
これは、
ごはんっ!
結婚祝いにもらったジャー炊飯器は、それはそれは高価な物で。
「すぃはんきっ、しゅごぃ!」
妻は、頬を真っ赤に染めるほどに興奮し、鼻からふんすふんすと蒸気のように息を通す。スリッパで床をぺちぺち叩くように小躍りするものだから、ポニーテールもぴょこぴょこ揺れる。
あぁ~、俺の嫁、かーわーうぃーぃーっ!
おっと、そんな世界の真理など今更言うほどのこともない。
そう、最近の炊飯器だ。
「だぁりん! だぁりん! ぉ米さん、踊るんだってっ!」
「そりゃ、君の可愛さを見たら、お米さんも踊るだろう?」
「だぁ~❤」
「まぁ~❤」
正直、大したことはないだろうと思っていた。
学生時代、俺が持っていた一人暮らし用の安いヤツの延長線上に考えてた。
もちもちっ!
延長線上に無かった。
しゃっきりっ!
別次元の旨さだった。
何より、もう、何故か『おかゆ』みたいだったり、『おこげ』みたいだったり、謎の白い物体を飲み込まなくて済む!
そう、ボタンひとつで、美味しく出来る!
真澄は、ボタンを押すだけ。
水とお米の分量さえ、予め、俺が釜に入れておけば! そうだな、備長炭と昆布、お酒もちょっと入れておく!
「すぃはんき、しゅごぃ!」
うん! 納豆が美味い!
「すぃはんき、しゅごぃ!」
うん! ふりかけが美味い!
「すぃはんき、しゅごぃ!」
うん! お茶漬けにしても美味い!
そして、ここに来て、俺のスウィート・マイ・ハニーがレベルアップを遂げる。
炊飯器で、炊き込みご飯を作れるように! なった!! のどぅあっ!!!
「すぃはんき、しゅごぃ!」
炊き込みご飯、美味い! 材料は、予め俺が用意しておく!
「すぃはんき、しゅごぃ!」
「しゅごいねえぇ~!」
さて、さすがに毎日毎日、何かしらの炊き込みご飯ってのも飽きてきたな。
白米が、愛おしいよ。
まあ、一番愛おしいのは、マイ・ハニーだが。
そうだ。明日は、刺身がいいな。今晩のうちにマグロを解凍しておこう。
「すぃはんき、しゅごぃ!」
「ただいまあ! もうお仕事疲れたよお!」
「ぉかぇり! まぁ、寂しかった!」
「だぁもだよッ!」
玄関先で熱烈に抱き合い、おかえりただいまのちゅ~をする。
あれ、何か、生臭い匂いが……
「今日はぁ、海鮮丼だょ!」
「えっ……」
すいはんきが、しゅごいことに……
おみそしるっ!
こう見えても、俺、加田良吏は、典型的で平凡な日本人だ。
朝の食卓は、ごはん、味噌汁、そうだな、焼き魚なんてのがセオリーか。
そう、お味噌汁は、やはり欠かせない。
「毎日、俺にお味噌汁を作ってくれ」
プロポーズの台詞はコレだ。
さすがに、毎日毎日インスタントのお味噌汁というのも味気ない。
溶かすタイプのレトルトやフリーズドライ、カップタイプのものを器に移したりして、やりくりしてきたものだが。
ここにきて、妻がお味噌汁を作り始めた。
「ゃっぱり、ぷろぽぉずの言葉は、実行したぃの」
「まぁ~❤」
「だぁ~❤」
妻よ! 好きだ!! 愛している!!!
実は、味噌は義母の差し入れで冷蔵庫に入っているのだ。
昆布も煮干しもあるから、それでだしを取る。後は、具材に火を通して、味噌を溶かせばいいだけだ。
最愛の妻、最初のお味噌汁は、お豆腐。豆腐がでかいけど。
次の日のお味噌汁は、わかめのお味噌汁。わかめが増える増える。
次の日のお味噌汁は、ねぎのお味噌汁。ねぎが繋がってる。
「まぁ、具材を増やしてみたら?」
「具だくさんのぉ味噌汁、しゅき?」
「しゅっきぃ~!」
妻が作るものなら、味噌汁だろうがドブ水だろうが、飲み干す所存だ。
「今日は、大根を追加してみたの」
「うんうん」
「今日は、油揚げも入れてみたょ」
「うんうん、具だくさん!」
「今日は、人参さんとぉゴボウさんも」
「わぁお! ボリューミー!」
こうして、具材は何一つ減らされることなく増え続け……
「今日は、豚肉も!」
妻よ、それはもう、豚汁だ。
愛は幾ら重くてもいいが、その山盛り具だくさんは、朝の胃には重すぎる。
さらだっ!
「ぉ野菜、ぃっぱぃ食べた方が、ぃぃと思ぅ」
ああ、妻が俺の健康を気遣ってくれている。
幸せって、こういうことだなあ。
食物繊維、万歳! 上のおくちも下のおくちも大満足! おっと、少しお下品かな?
「だぁの為に、サラダ、頑張るね」
「まぁ~❤」
「だぁ~❤」
二人は啄むように唇を尖らせ、ちゅっちゅと突き合う。
今までは、スーパーやコンビニから、袋に入ったカット野菜をそのまま皿に盛りつけただけだったもんなあ。
「今日は、マカロニサラダ!」
「今日は、タマゴサラダ!」
「今日は、ポテトサラダ!」
「今日は、パスタサラダ!」
「今日は、ラーメンサラダ!」
「今日は、サラダ巻き!」
「おやつにサラダせんべい!」
一週間を振り返る……サラダ、って、何だっけ?
えぷろんっ!
真澄は、悩んでいた。
勿論、自分の料理が上手でないことは承知の上なのだ。
しかし、相談する相手がいない。
母は未だに仕事に追われているし、友人達は大学に進学するか、就職してしまって疎遠になっている。
卒業後、いきなり専業主婦になってしまった自分は、まだご近所付き合いというのにも慣れていない。
しかし、世の中はどんどん便利になっていく。
インターネッツ!
今では、ほとんどの悩みや相談事が、顔も見えぬ相手に解決されてしまうのだと言う。
ヤッホーおばあちゃんの知恵袋!
愛くるしいおばあちゃんをマスコットキャラクターに添えた、みんなの質問サイトである。
真澄は、パソコンを前にして、たどたどしいキータッチで、質問を打ち込んでいく。
「カテゴリはぁ、料理、っと」
Q:私は料理が下手です。でも、大好きなだぁりんの為に上手くなりたいです。コツは何でしょうか? 教えて下さい、お願いします。(._.)ぺこり。
A:だぁりんさんは幸せですね! 大丈夫! 誰だって最初は下手です!
A:レシピ通りに作ればいいのでは? 下手に作るってありえないし。
A:愛情があれば、何だって食べてもらえますよ!
A:裸エプロンでもしてろっつーのw
「ただいまぁ! まぁ! 聞いてよ! お仕事でさあ……って、あれ?」
いつもなら、玄関先まで飛んできて抱きつき、ちゅーしてくれる妻の姿はない。
「まぁ? ここにいるのー?」
靴を脱ぎ、スリッパを履き、キッチンへ。
お鍋の蓋が、ことこと揺れていた。
「だ、だぁ……」
もじもじと太腿を擦り合わせ、身を捻り、真っ白い肌をピンクのエプロンで何とか隠そうとする仕種。
(あれ? エプロン? 裸? あれ? 裸えぷろん、裸エプロンッ!?)
は! だ! か! エ! プロンッ!(は! か! た! の! しおっ!)
ことこと。
「ぁの、少しでもぉ、ぉ料理を上手くなりたくて……」
ことことこと。
俺は、ネクタイに指を差し込み、息苦しさに喉を鳴らす。
ことことことこと。
鍋の蓋の蒸気口から、けたたましく湯気が噴き出す。
ぴいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!
「ぁ、ぁの? だぁ!?」
俺は無言のまま、ガスコンロの火を止め、裸エプロンの妻をお姫様だっこ。
その後、めちゃくちゃ、ベストアンサーした。
かれえっ!
男の子は、カレーライスが大好きだ。
そして、一日置いたカレーはコクがあって大好きだ。
夏のカレーというのも、また、いい。
酸味と辛みと甘み、三位一体の夏野菜カレー。
カレーは一晩ねかせておくと、美味しくなる。
妻は、「ぉやすみなさぃ、美味しくなってね?」と、その鍋に手を合わせたものだ。
その姿を見てしまっては、ルーの一滴たりとも残せない。
神が許しても、愛の鬼と化した俺が許さない。
その日、気温は三十度を超えていた。
その鍋は、常温で放置されていた。
鍋には、白い粉と緑色の綿が発生していた。
「
感覚を失う腹部、薄れゆく意識、遠く耳に響くサイレンの音。
(ごちそう……さま、でした……)
次の日、俺は見知らぬ白い天井を見上げている。
傍らには、泣きじゃくりながら俺の身体を揺する真澄。
横目には、床に土下座している義母の姿。
「だぁ! だぁ! ごめんなさぃ! ごめんなさぃ! 死んじゃやぁ!」
(死なねぇよ、ばぁーか……)
愛しい愛しい妻の頭を優しく撫でる。
そして……
俺は、病院食の美味しさを、知るのだった。
どげざっ!
前文、失礼致します。
わたくし、加田(旧姓・飯屋)真澄の母でございます。何故、わたくしがこのような場で平身低頭、額を床に擦り付けているかと申しますと、不出来な娘、真澄についてでございます。
いえ、娘が悪いのではございません。
全ては、この母が、女手一つで母娘二人生きていこうと、昼はスーパー、夜は居酒屋で働きに出た結果なのでございます。
思えば、恥の多い人生でございました。
わたくしが、まだ若かった頃、自らの容姿を鼻にかけ、顔のいいだけの男を漁り、遊び、自らの糧となるような経験を何一つしておりませんでした。
あの子がお腹に宿ったと知ったとき、気が付けば、父親は逃げ、わたくしには学も職も無く、支えてくれるような殿方もおりませんでした。
必死に働きました。
忙しさのあまり、わたくしは、あの子に何一つ母親らしいことをしてやれず、それでもすくすくと良い子に育ってくれたと思います。
ただ。
娘と共に食卓を囲む、ということが出来ませんでした。
朝は、居酒屋の廃棄の品を持ち帰らせてもらい、テーブルにラップをかけて束の間の睡眠を取り。
昼は、娘の手に毎日500円玉を握り締めさせ、スーパーのレジ打ちに向かう。
夜は、スーパーで半額の弁当を買わせてもらってテーブルに置き、居酒屋へ。
結果。
あの子は、料理という経験をまったくせずに、ここまで育ってしまったのでございます。
家庭科の授業?
あの子は、とても優しく、とても明るく、回りに愛される子であると、この母が胸を張れる自慢の娘ではございますが。
その、学校のお勉強というのとは、えぇと、はい、お馬鹿なのでございます。
この度、良縁があり、あの子も若くして籍を入れることとなりました。
ええ、ええ、まさか高校を何とか出て、就職活動に尽く失敗した先が、永久就職先だとは夢にも思わず。
将来、何になりたいの? と訊ねたわたくしに。
「およめさんっ!」
と、答えました娘の言葉が、まさか現実のものとなろうとは。
ただ、ただ、娘の幸せを願い。
ただ、ただ、加田良吏さまには、こうして頭を下げる母でございます。
かしこ。
めしまずっ! おおさわ @TomC43
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