エピローグ

 決闘が終わった後のグラウンドは、さながら野戦病院のようであった。

「はーい、重傷で動けなさそうな人から優先して保健室に運んであげてー。軽い怪我で済んでいる人はシートの上に寝かしておいてねー」

 養護教諭らしき人物の(やる気のない)号令の下、保健委員たちがせっせと負傷者の手当てをしている。ただ、怪我人の数があまりに多いので、普通の生徒も何名か手伝いに駆り出されている・・・・・・平坂もそのうちの一人だ。

「・・・・・・結局、地面に穴空けてるし」

 塚田がグラウンドに墜落した際に生じたクレーターを遠目に見ながら、平坂はそう独りごちた。入学前に「何事もない高校生活でありますように」と色んな神様にお願いしたはずなのに、見事に裏切られてしまっている・・・・・・ていうか、もう授業が始まってるはずなのに何で手伝いをしてるんだろう、僕?

「おお、少年。来ていたのか」

 そこで、彼の背後から大体の元凶が声をかけてきた。激戦を繰り広げた後だというのに、その顔には疲れらしい疲れは見えない。

「どうだった、私の闘いぶりは? お前の期待通り、上手くやっただろう?」

 得意げに言い放つ鉄条から目を逸らすように、平坂は改めてグラウンドの惨状に視線を向けた。死屍累々の風紀委員たちに、ぽっかり空いた地面の大穴・・・・・・自分が仕向けたとは思いたくない光景だ。ていうか、誰もここまでやれだなんて言ってないのだが。

「え〜っと、さすがはアウェイク・・・・・・『粉骨砕身』だっけ? ってことでいいのかな?」

「おいおい、お前まで私をその名前で呼ぶのか? ・・・・・・それ、好きじゃないんだが」

 鉄条はとても不服そうな顔をしていた。

「私は風紀委員長の職務を全うしているだけだというのに、人をまるで骨を折るのが趣味の暴漢みたいに・・・・・・まったく心外だな」

 何も間違ってないじゃないか、という言葉を平坂はグッと喉の奥に押し込んだ。

「・・・・・・でも『粉骨砕身』って、普通は『力の限り懸命に働くこと』って意味なんだから間違ってるわけじゃないんじゃない? 鉄条さん、仕事に一生懸命だし」

「えっ・・・・・・そういう意味なのか、それ!?」

 初めて言葉の意味を知ったような表情で、鉄条は言った。

「なーんだ、だったら私に相応しい名前じゃないか! 『粉骨砕身』鉄条るりり・・・・・・うん、是非とも私のことはそう呼んでくれ!」

 ・・・・・・もしかしてこの子、馬鹿なのか?

 いや、あの新聞部員の話によれば、骨を砕くという意味も(ちゃんと)含まれているらしいので、鉄条の不服も的外れというわけではないのだろうが・・・・・・

「・・・・・・ま、まだだ」

 地獄から甦った亡者のような呻き声がした。

 驚愕に顔を見張った二人が、同時にそちらの方を振り向く。そこに居たのは、クレーターから這い出してきた塚田権太郎だった。あれだけの大打撃を受けたというのにまだ動けるとは、改めて恐ろしい男である。

「何が『まだ』なのだ? 勝負はさっき終わっただろう?」

 ただ、鉄条は相手のしぶとさや満身創痍の様子を見ても特段、動じたりしなかった。淡々と、厳然たる事実を告げる。

「約束したとおり、私とお前は風紀委員長の座をかけた勝負をした。そして結果は私の勝ち・・・・・・なのに、まだ文句を付けるつもりか?」

「いや、悔しいが結果は受け止めよう。もはや保つべき面目もない・・・・・・だが、果たしてお前に風紀委員長としての資格はあるのかな?」

 胡乱げに眉をひそめる鉄条をよそに、塚田は制服の胸ポケットから小さな手帳を取り出した。この学園の生徒なら誰でも所持している、いわゆる生徒手帳である。

 土埃で汚れた手でページをめくりながら、巨漢はそこに書かれている一文を読み上げた。

「『能芽学園校則・第七十二条 風紀委員会は委員長一名と補佐一名以上から運営される組織である』・・・・・・さて、晴れて風紀委員長の座を手に入れたようだが、貴様を支えてくれる一名以上の補佐がどこに居るのか、教えてもらおうじゃないか?」

「・・・・・・っ!」

 このとき、鉄条は息を喉に詰まらせた。

 今朝、教室に攻め入られたときも、決闘の際に追い詰められたときでさえ見せなかった焦燥が、今、その顔には確かに浮かんでいる

「確かに勝負は俺の負けで、風紀委員長の座は貴様のものだ・・・・・・だが、それはあくまで委員会が成り立っていればの話! 『同第七三条 委員長は就任から一週間以内に補佐一名以上の支援を受けなければならない。万が一、受けられない場合は不適格となり、再度、立候補者による選挙を行う』・・・・・・そういうことだ」

「・・・・・・う、嘘だ」

 震える唇を何とか動かしながら、鉄条は歯切れの悪い弁明を口にする。

「そ、そんなのは嘘だ。私の居た中学では、一人でも別に・・・・・・」

「生憎だが、きちんと生徒手帳に書いてあるれっきとした事実だ。それに、ここは私立能芽学園なのだから能芽学園の校則に従うのが当然だろう? よそのルールなど知らんなぁ」

 態度こそ侮蔑的であったものの、今の場で正論を言っているのは塚田の方だった。そして更に、巨漢は正論に正論を重ねて相手の息の根を止めようとする。

「なに、簡単な話じゃないか。たった一人、補佐してくれる生徒が居ればいいのだから・・・・・・たった一人でも居れば、な?」

 その嘲笑混じりに発せられた言葉を聞いて、すっかり鉄条は青ざめてしまっていた。生気を失った顔で、傍観している他の生徒たちの方を向く。

 皆、一様に目をそらした。

 残っていた野次馬や保健委員、彼女に肩入れしていた伊勢マリコでさえも、視線を合わせようとしなかったのだ。

 至極当たり前の話である。彼女の補佐になるということは、今のスクールカースト制度と真っ向から対立するということだ。そうなれば体制側に目を付けられて、どんな処遇を受けるか分からない・・・・・・大人しく屈したときの安寧と比べて、あまりにリスクが高すぎる。

 いや、そもそもだ。どこぞの少年が言ったとおり、この鉄条という女と関われば、どんな危険に巻き込まれるか分からな・・・・・・


「・・・・・・じゃあ、それ僕がやるよ」


「へっ?」

 呆然と立ち尽くす鉄条に、隣に立っていた平坂真生が一枚の書類を差し出した。

「これ、補佐の志願書。もう名前は書いておいたから、後は鉄条さんの方で判を押しておいて。それで手続き完了だから」

「ぬわにいいいいいいいいいいいいい!?」

 その場で驚いていたのは、大仰な叫び声をあげた塚田だけではない。保健委員や残っている野次馬、伊勢マリコ・・・・・・そして当の鉄条るりりを含めた全員が、救いの手の主に視線を注いでいる。

 まだ現実のこととして受け取れていない様子の鉄条が、ぽつりと尋ねる。

「・・・・・・いいのか?」

「いいも何も・・・・・・他にどんな手があるっていうのさ? 僕は最初からこうなると思ってたから、わざわざ書類まで準備して来たんだけど?」

「だっ! だけど・・・・・・だけど、お前は・・・・・・!」

 どういうわけか、鉄条は素直に救いの手を握ることを躊躇っているようだった。思い詰めたような表情で、何か大切な・・・・・・ずっと胸の奥に抱えてきた感情を吐露しようとしている。

「・・・・・・私みたいなやつは嫌いだって、そう言ってたじゃないか!」

 言葉と一緒に、鉄条の瞳からは涙がこぼれ落ちた。

 その体裁を気にせずに泣きはらす様は、とても塚田を破った鬼の風紀委員長と同じ人物には見えなかった・・・・・・それどころか、小学生じみた幼ささえ垣間見える。

「・・・・・・嫌いだよ」

 どこか観念した様子で、平坂はそう言った。

「だって鉄条さん・・・・・・僕がしたかったこと、全部できちゃうんだもん」

 颯爽と不良を蹴散らすのも、塚田のような強者に一歩も引かずに言い返すことも・・・・・・素直に礼を述べることも、鉄条は難なくこなしてしまった。平坂がしたくてたまらなくて、それでもできなかった全てを、彼女はやってのけてしまったのだ。

 太陽みたいに眩しい姿だった。

 平坂は、そんな自分と違って強い彼女を直視したくなかったのだ。だから傷つける言葉を投げつけて、遠ざけて、目を背けようと思った・・・・・・かつて自分を助けてくれた恩人に、そうしたように。

 でも、そうじゃないよな。

 あのとき、自分が本当にしたかったのは・・・・・・言いたかったのは、そうじゃない。

「・・・・・・助けてくれてありがとう、鉄条さん」

 ありったけの勇気を振り絞って、平坂は目の前の少女にそう言った。それは今朝、不良から助けられたときに言えなかった言葉であり、授業中に伝えられなかった本音であり・・・・・・かつて小学校で自分を救おうとしてくれた女の子に抱いていた、本当の気持ちだった。

「・・・・・・だ、大体さぁ! いくら学歴のためだって言ったって、三年間をふいにしていいわけないよねぇ!」

 ただ、素直になれたのは一瞬だけで、次に口を開いたときには元の平坂に戻っていた。

「一生に一度の高校生活だよ? そりゃ、できるもんならきちんと青春の日々を送ってみたいに決まってるじゃん! それがスクールカースト制度? のせいで端っからできないだなんて・・・・・・冗談じゃないよ、ほんとに」

 そう言いながら、平坂は改めて鉄条に手を差し出した。

 今の鉄条は、かつて小学校でいじめに遭っていたときの自分と同じ状況だ。全校生徒から見捨てられ、助けてほしくて仕方がなかった、かつての自分と。

 そして、あのとき、

“あたしと一緒に・・・・・・闘おうよ、真生君”

 そう言って、傷ついた頬を優しく撫でてくれたあの子が・・・・・・弱虫のくせに、他の全てを敵に回しても自分を助けようとしてくれたあの子の姿が、いつだって平坂の憧れだったのだ。

 そう、これはあの日から諦め続けてきた『憧れ』になる、そのための第一歩だ!

「ぶっ壊そうよ、一緒にさ!」

「・・・・・・そんなの、言われるまでもない!」

 今朝とは逆に相手から差し出された手を、鉄条は力強く握りしめた。その顔には既に涙はない・・・・・・あるのは皆がよく知る不敵な笑み、風紀委員長・鉄条るりりの表情だ!

「聞いての通りだ、『元』風紀委員長! 要件を充足し、ここに新たな風紀委員会が発足した! 構成員はこの私、鉄条るりりと・・・・・・え~っと少年、名前は?」

「平坂真生だよ・・・・・・まだ知らなかったの?」

「そう、平坂真生! ・・・・・・これで何も文句はあるまい!」

「ぐ、ぐぬぬ・・・・・・」

 宣言を聞いた塚田は苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。悔しさと怒りがない交ぜになったような声で、なおも呻こうとする。

「お、俺は認めんぞ! こんな、こんな幕切れ・・・・・・ぐふぅ!」

 ついに肉体が限界に達したのか、巨漢は口から血反吐を噴射して倒れ込んでしまった。膝を突いてそのまま地面に突っ伏す・・・・・・次に彼が見るのはおそらく保健室の天井だろう。

 担架に運ばれる大男に同情の視線を送った後、平坂は言った。

「さ、そろそろ教室に戻ろうよ・・・・・・授業、もう終わりかけてるだろうけど」

「ああ、それもそうだな・・・・・・って、ん? 平坂真生?」

 鉄条はそこで初めて手元の書類・・・・・・そこに書かれている少年の名前に目を落とした。

 同時に驚きに目を見張って、遠ざかっていく彼の背中を凝視する。

「・・・・・・真生君?」

 思わず鉄条はそうつぶやいた。

 まるで懐かしい友の名前を呼ぶように。

(END)

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校門を抜けると、そこは学園異能バトルの世界だった 毒針とがれ @Hanihiro

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