第九節:怪談の終わる七月
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「ぅぇぉあいー! おらぁ楽しんでっか、そっこの辛気くさい怪談野郎ぉー!」
超絶厄介なのに絡まれた。
と、いう感情をダイレクトに顔面に伝達したものの、相手はお構いなしに勢いよく、いつもの条弧池ベンチに、例の書生姿ではなく普段着で座る木野の隣に腰を降ろしてきた。
まことに気まずく、居心地悪い。
が、無碍に扱うわけにもいかない。
何しろ、彼女こそが今回の計画――より正しく言うのなら演劇の、一大功労者であるからして。
「ちったぁ嬉しそうにしろよなー! せっかく公演が大ッ、成ッ、功! したんだからッ!」
石動涼子。
元条弧東高校演劇部の名物部長、現条弧大学演劇サークル【化弧】の一年生にも関わらず中心となっている人物。
……ついでに言うなら、木野良孝が去年の粉雪舞い降るクリスマスに告白し大爆死を果たした相手であるところの彼女の協力と尽力がなければ、この度木野が書いた脚本など、実行不可能な机上の空論だったろう。
「いっやーそれにしってもさー! 今回は、実に! たんのしい相談を持ちかけてくれたじゃねーの、木野元後輩よー! 嬉しいねー嬉しかったねーあたしはさー!」
かんらからからと実にゴキゲンに呵々大笑する、幽霊ならぬ(その剛胆さが)妖怪女。
「もう笑ったのなんのって! 流石はあたしが見込んだ偏屈者、あの癖者揃いの演劇部で絶賛された
うっきゃっきゃっきゃと大はしゃぎな彼女の片手にはなんというか炭酸がシュワシュワっと出ている金色の飲み物の缶が握られている。
……世間的ルールの是非など今更持ち出せる身分ではない。何と言ってもこちとらだって、叩けば埃が花吹雪な身の上だ。
「うんうん、いぃぃい
あいつはどうしてますか、と木野が問うと、石動は缶をくわえながら空いた手で示す。
もみくちゃにされていた。
今回の作戦に関わった演劇サークルのメンバーに群がられて、次々に祝福の言葉を投げかけられながら。
彼女――元【窓辺の人形子】、宮田鈴音は、あわあわと対応に追われている。
本日七月三十日。
夜の条弧池ベンチ周辺で始まった打ち上げは、実に賑やかな馬鹿騒ぎである。
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あの晩。
宮田鶴美が見たものは、すべて【見せ物】である。
木野良孝が脚本を書き、宮田鈴音が監修し、条弧大学演劇サークルによって実行された、演劇である。
目的はひとつ。
【宮田鶴代を亡くなった佳乃と出会わせて、そこにいる娘は佳乃ではなく鈴音なのだと認めさせる】こと。
その為に準備は万端、細工は流々。
宮田鈴音が打ち合わせの通り母に置かせた合鍵で、日中、鶴美の不在を狙い家の中に忍び込んだサークル一同。
照明係は出現予定地である佳乃の部屋の電灯に遠隔操作でオンオフを切り替えられるよう細工を施す。万一の事態に備え、舞台進行中決して明かりがつくことがないように、電線までも弄くった。
音響係は合計八ヶ所、360度から声が響いてくる演出、この世のものと思えない不思議な声を聞かせる為、隠し小型スピーカーを付ける。
そして、一番の大掛かりが野外工事。近隣には雨漏りの補修と偽って屋根に登った大道具係と舞台設営係及び役者は、体重を支える支柱と衝撃を受け止めるクッション等各種機材の設置及び支柱から窓までの距離の測定、引き上げの手筈、本番のリハーサルを、周囲に人がいないタイミングを見計らい入念に行う。
その時間を稼ぐ為、及び化かす相手の人となりを直に確認する為。条弧大学演劇サークルの【本部】では、仕事を依頼しての打ち合わせが行われた。
それらの大それた準備の末、遂に迎えた決行時刻。
七月二十六日、AM02:00。町が寝静まり、新聞屋の仕事が始まる前。
まず、予定開演時刻通りに、鈴音が母を呼びに行く。
窓の向こうに、屋根からワイヤーで吊り下げられた、役者扮する『佳乃の幽霊』を発見する。
役者は鈴音が徹底的に監修した『宮田佳乃ならばこんなふうに喋るだろう』という台詞を元に中空の少女のキャラを演じ、こればかりは事前に記しようもない母からの言葉にはアドリブで対応しながら台本を進めていく。
もしも母が部屋の中にまで踏み込んできて、役者への必要以上の接近によってこちらの正体がバレる危険性が生じそうな場合、鈴音が母へしがみつき、それとなく行動を阻止する。
要するに、綱渡りと大博打の九十九折り。
胆の据わりが何より重要、一発勝負。
準備から最中まで緊迫の連続だった舞台は、蓋を開ければ最後までつつがなく上演された。
台本の最後の台詞と共に打ち合わせ通り、部屋の電灯を灯し、母の目が眩んだ隙にワイヤーを急速に巻き上げ、さながら一本釣りをするように役者を回収、衝撃と音を抑えるクッションの上に着地させる。
後は母が再び寝静まるのを待ち、全ての機材を夜明けまでに痕跡を残さず撤去し撤収。
総スタッフ数、十五人(宮田鈴江、木野良孝含む)。
観客総数、二名(宮田鈴江含む)。
条弧大学演劇サークル【化弧】のゲリラ舞台は、そうして幕を下ろした。
結果は、今更言うまでもない。
この打ち上げに、彼女が参加して、ああして笑っている。
人に世界を創って魅せるものとして、これ以上に価値のあるおひねりがあるだろうか?
「しかし、安心したねえ」
隣に座る石動が六本目の缶のプルトップを上げつつ言う。
「これ、本当の話だよ? 木野元後輩が演劇部、やめちゃってさ。君ほどの才能が野に埋もれていくのは条弧の演劇界における重大な損失だと寂しいと思ってたんだよね、あたしは。それがこうやって、また演劇に関わってくれて――実際、最高の気分だぜい」
にしししし、と笑いながら缶を呷る。
木野が複雑な表情でしばし思い悩み、ようやく口を開こうとしたタイミングで、その先を取って石動が言葉を発する。
「覚えてっかな? ちょいと前にこの公園で木野元後輩が驚かせたカップルのこと。あれ、うちのサークルのメンバーだったの」
驚きも過ぎれば言葉にならない。
ひっくり返りそうな様子を見て、満足そうに彼女は笑う。
「そいつらから話を聞いたとき、すぐにピンときたね。秘伝の【片腕隠し】を使える木訥なツラの男ときたらもう間違いなくあいつだろうと。それを知ったときは、随分とはやる気持ちを抑えたんだよ? 一人でずるいぞ一丁混ぜろと言いたかった言いたかった。でもさー、あたしらは、その、なんだ? 最後の別れかたが別れかただったじゃん? いきなりおまえに目の前に現れられようもんならあいつ本当に幽霊になるぞって、さんざっぱら周りの連中に窘められてねー」
笑いながらとてもコメントに困ることを言う。
時間を錯覚してしまうほど、まるで変わっていない元先輩だった。
「だからこの間、そっちから連絡が会った時は嬉しくてしょうがなかった。手伝ってくれなんてとんでもない、ンなお祭り無視できるか絡ませろ、ハブいたらひどいぞおまえ、ってなもんよ。大学の方も、まあ高校の時と変わらんね! こっちもこっちで阿呆馬鹿者偏屈揃いで、【窓辺の人形子】で楽しみたい志願者はもうほとんど全員だったわ!」
ノーギャラの上にろくな時間もない、言語道断の計画であったが、腕利き全員が惜しみなくその力を貸してくれた。
それに報いる為ならば、今夜のこの公園での打ち上げ、馬鹿騒ぎの代金オール木野良孝持ちだとしても、全然平気なのだ。
嘘だ。
お財布は非常に痛い。
ともあれ、とにもかくにも感謝の一念。
木野が改めて頭を下げると、石動は笑って缶を屑籠に放った。
「前から思ってたんだけどさ」
石動涼子、いつになく真剣な面持ち。
木野もそれに合わせて表情を引き締めて、
「木野元後輩。君は、あれだな。ロリコンだろう」
盛大に吹き出した。
ところでここで補足をひとつ。
今回の舞台で最もハードルが高かった必須要項といえば、それは役者の選別を置いて他にない。
たった二日の猶予で台詞を完璧に覚え。
宮田佳乃の
サンプルとなる宮田鈴美とある程度まで似た声を作り、演技を仕上げとっさのアドリブにまで対応しなくてはならないという要求される技量のレベルもさることながら。
扮するのが『身長約130センチの小柄な少女』であることこそが問題だった。
だが神様はいるものである。
役者としての技量申し分なく、かつ身長が約130センチで、女性。
この三つの条件を満たす人材の心当たりが、偶然にも、木野良孝にはあったのである。
紹介しよう。
それこそが彼女、石動涼子だ。
一文で言い表すなら、ちまいぺたんつるりのミニマムボディ。
かつて、木野良孝が心底惚れた、その剛胆なる性格で高校時代演劇部の偏屈共を見事に纏め上げた、現大学生の先輩だ。
「だぁってだって普通じゃないぜー? 絶対めっちゃ怪しいぞー? 木野元後輩ってさー、あたしといい、あの子といい、ちっちゃい女の子の絡んだときの行動力が半端ないんだよなー」
誤解である。大いなる、甚だしき、滅相もない、勘違いである。
誰だって恋をしたならば、ついでに自意識が拡大していたならば大胆にもなろう。
今回のこれにしたって、ただ自分の中で偏屈に練り上げられた大人への反発心が【仲の良いいたいけな少女を苦しめる悪い親】という構図を見させられて爆発しただけである。
だから違う。
そういうのじゃない。
断じてそういうのじゃあない。
「ふぅん。ふーん。ま、木野元後輩がそういうならそれでもいいけどさ。変わんねーね、その往生際の悪いとこ。【条狐池の書生】といい、性格の悪さも相変わらずで大変結構」
けひひひひひ、と童話に出てくる妖精のようにいたずらっぽく笑うちび先輩。
「あたしは自分ってやつが強すぎて、生き辛そうにしてる偏屈者が大好きだ。馬鹿で阿呆でひねくれてたなら尚更申し分ないさ。けどな、木野元後輩よ。だからこそ、区切りは付けな。決定的な線引きの、やっちゃいけないことのむこうがわにはいくんじゃねーぞ」
『どんなときでも泥を食っても、美意識美学と美観を胸に』。
『御天道様に背を向けようと、路傍の小石を蹴るなかれ』。
目を閉じて、石動は朗々とそらんじる。
「わが条狐が産んだ不世出の作家、蓬田蓮治郎の【硝石】での一文で、口うるさいお節介者の親友の口出しで考えついたというフレェズだな」
それから。
彼女は例外的に真剣な様子で、木野の眼を覗き込んできた。
「木野良孝。どのような思惑が原点であれ、君はもう、あの子にとってのヒーローだ。空を飛ぶ己を吊り下げるワイヤーに気付かれるな。決め台詞の裏にある台本の存在を意識させるな。それが、人に夢を見せた人間の果たすべき義務だぜ。アドリブをきかせて、格好良く立ち回れよ。責任は重大だぞ。――本番でも動じない、あの見事な演技力。心の打つ全ての台詞。どれをとっても言うことなしだ。彼女は、うまく磨けばその輝き万里に届く、未来のスターの原石なんだからな」
……噛み砕けば、要するに。
あの子を失望させるような馬鹿な真似はやめるんだぞ、と釘を刺されているだった。
言われるまでもない。
土台ここまで話が露呈しては、まあ、もう、とりあえず【条狐池の書生】を続けることは無理だろう。
この件に関わった筋金入りの物好き連中はそんな面白いことをまだやっているとなれば進んでちょっかいを出しに来るだろうし、最悪、別の相手を脅かしている最中に『チィーッス木野さんおつかれーっす』とか言って差し入れを寄越しにくるぐらいはやりかねない。
あの夜から三日。
今夜、怪談はもうひとつ終わる。
未練はない。何か不思議と胸が軽い。
……木野良孝はいつだって、優先順位で動いている。壁にぶつかった時、新しい何かをその上に置いて、試練を乗り越える糧にする。
中学の失意を高校での活動で、高校での失恋を大人への怒りで。
異常な相手への恐怖を、親しい少女との思い出でかき消したように。
今の木野良孝は、ままならない現実に文句を言って不機嫌に眉を寄せているよりも――眼を輝かせて自分を見つめてくれた、少女の期待を裏切りたくないのだった。
ふと、思う。
今は、七月。十月まであと六十二日。
今からでも、土下座でも何でもすれば、もしかして、あるいは、きっと。
あの、運命の演劇祭で。
もう一度、彼女に格好良い所を見せることは、出来るだろうか。
頼りない電灯の光で相手の不意をつくのではなく、眩しいほどのスポットライトを浴びながら大観衆に見守られつつ、見せつけてくれという期待に応え、腹の底から大見得を切って――
――そんな空想は、突如沸き上がった『いけやれがんばれ』の大声援によって中断させられた。
思わず声の方を見て、
幽霊みたいに、不意を突かれて固まった。
自分の傍らにいつのまにか、ひとりの少女が立っていた。
肩口で整えられた髪。
キャミソールの上に羽織ったサマーカーディガン。
動きやすそうなショートパンツ。
何もかもが別人のようだったが、前髪の下から覗いていた瞳だけは変わっていなかったから、すぐにわかった。
今、一際大声をあげているメイク担当(身体はレスラー、手先の器用さと心は乙女)が謎の大荷物を抱えていたのは、成程こういうわけだったか、と。
「髪を、切ってくるようにって。言われたんです、おかあさんに」
いつもと同じ彼女で、いつもと同じ声。
そのはずなのに、枯尾花を幽霊にでも見間違えるように――心の何かが誤作動を起こして。
普段、絶対に言わない台詞が、ぽんと出た。
「えへ。似合いますか、木野さん?」
「…………うん。とってもよく似合う。すごくかわいいよ、鈴音ちゃん」
「――――」
「ど、どうしたの? ぼく、何かまずいこと言っちゃった……!?」
「い、いえ、そういうわけじゃ、ないんですけど」
木野良孝はわかりやすくあからさまに焦り、宮田鈴音は心底面白そうに微笑んだ。
「普段だと。そういうふうに喋るんですね、木野さん」
隣に座る元先輩、劇団の方々が揃って大爆笑し、彼は林檎のように赤面する。
……復帰の前に。
まずは、不意のアドリブに強くなろう、と木野は思った。
【怪談の終わる七月、了】
【とっぴんぱらりのぷう】
怪談の終わる七月 殻半ひよこ @Racca
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