おばあちゃんの作ったおはぎ、お食べ!

ボンゴレ☆ビガンゴ

おばあちゃんの作ったおはぎ、お食べ!

 車のメーターは80キロを示していた。


(そんなはずはない…)


 泣きそうになりながらもタカユキはアクセルを踏み込んだ。うねり声をあげ一段と加速する車。首筋を冷えた汗が一筋流れた。


「そんなはずはない…」


 小刻みに震える唇から小さく声は漏れた。

 ヘビに睨まれたカエルはこんな心境なのだろうか。

 タカユキはふとそんなことを思ったが、それが余裕などではなく、単なる現実逃避なのだということにも気づかなかった。


 車はぐんぐんとスピードを上げる。既に130キロにまで到達している。

 なんでこんなことになってしまったのか。

 いつもと同じように会社を出て、いつもと同じ道をいつもと同じような速度で走っていたのに。


 そう、ついさっきまで、今日という日はいつもと何も変わらない『日常』だったのに。でも、とタカユキは考える。 

 普通、何かが起きる日というのは、その前からなにかしら前兆があるものじゃないのか。

 「悪い予感」「胸騒ぎ」「日頃の行い」そんな風によく言うではないか。


 それならば、今日はどうだったんだ?

 自分の1日を反芻する。


 いつもと同じように会社に行き、いつもと同じようにコンビニで昼食を買い、いつもと同じように仕事を終え、いつもと同じように帰っていた。


 いつも通り、いつも通りではないか!

 それなのに!

 なぜ!!


 タカユキの表情は恐怖に引きつり、汗ばんだ両手はハンドルを握り締め、乾いた瞳はフロントガラスを睨みつけていた。振り向くことを恐れるように。


 タカユキは混乱していた。問題解決のためには今の状況を打開する策を練ることが先決であるはずなのに、今の状況に陥った原因を模索しているのだ。


「そんなはずはない…、そんなはずはないんだ…」


 言い訳のようにつぶやく。


 何か、原因があったはずだ。考えろ。考えるんだ。


 そうだ!


 今日は朝ゴミを出さなければいけないから「いつも」より目覚ましを5分早く設定したのだ。それが何か引き金になったのかもしれない。

 いや、それともコンビニで「いつも」と違い、2番レジに並んだのがまずかったのか、

 はたまた、朝の通勤時に「いつも」より急いでいたから黄色信号を突っ切ったが、あれがまずかったのか。

 それとも、「いつも」ならうまく逃げる上司の無茶振りを受けてしまったからか。


 そう考えてみると、今日が「いつも」と同じ『日常』であるという確信は逃げるように消え去った。


 タカユキは気づいた。 「平凡な日常」なんてものはないのだ。勝手に毎日を単調な繰り返しと決めつけていたのは誰でもない。自分自身だったのだ。


 つまらない毎日。休みだけが至福の時。

 社会人になってもう10年。日々の小さな出来事に感動する心をなくしていた。

 でも、毎日が繰り返しなど、ありえない。同じ時間、同じ一日などあるはずがない。

 タカユキは常に新しいはずの日々を「平凡な毎日」という自ら作り出した枠組みにはめ込むだけで、無感動に生きてきたことを心底悔やんだ。


 しかし、同時にタカユキの心に新しい気持ちが芽生えていた。まるで厳しい冬を越え、美しい新芽が顔を出すように。

 それはごくごく当たりまえの小さな決心だった。 しかし、閉ざされていた冷たいタカユキの心に希望の光が差し込んだのだった。

 春の訪れを祝う小鳥のさえずり、そんなものが心の中で聞こえたような気がした。


(同じ日なんてないんだ。これからは、精一杯、毎日を楽しんで生きよう。変われる。僕なら変われる。毎日が繰り返しじゃないって気付けた僕なら変わっていけるさ……)


 すがすがしい気持ちに包まれるタカユキの瞳は少し潤んでいた。

 少しだけ、心に余裕が生まれたのをタカユキは感じていた。


 だが、状況は何一つ変わっていなかった。

 もう20分も前から、状況は変わっていない。


 タカユキの車の横を、血みどろの老婆がぴったりと併走していた。

 血みどろで、なおかつ全裸のその老婆は満面の笑みを浮かべながら猛ダッシュで並走している。

 そして、右手に握り締めた黒い物体をこちらに向かって突き出し、先程から繰り返すのだ。


「おばあちゃんの作ったおはぎ、お食べ!」





 完。

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