第3話 『切ったり繋いだり結んだり』

 水晶を乗せたテーブル越しに汚いものでも見るような目で———いや、実際いまの私は美しく見えていないのだろうが———こちらを凝視する彼女の目を私は溜め息半分に見つめ返し、ボソボソとした口調を意識して最後の助言をしてやった。

「今すぐ帰りなさい。さすれば彼との縁はすっぱり切れている。言いたい事を全て言い、別れを切り出しなさい。それと、親切にしてくれる同僚を邪険に扱わず、こちらも親切にした方が良いと思いますよ」

 助言を聞き終えると彼女は私から逃げるようにして店を出て行った。これまで何度か見た、あの怯えた表情を今回ばかりは拝む事は出来なかった。

『一刻も早くここから帰りたい』

 それだけがくっきりはっきりと書き込まれた顔を最後にチラリと見せて、私は彼女との最後の別れを迎えたのだった。


 私はふう、と軽く息を吐き腕を上げて伸びをする。周りで垂れ下がる輪にかけられた糸を誤って外さぬように注意はしておく。

 終わった終わった、肩が凝った。久しぶりに食事を口にできたと言うのにもう腹が減って来た。名残惜しい。

 よくよく見ると実は傷だらけな水晶玉をテーブルの引き出しへ無造作に投げ入れる。そのまま私は壁際に置かれたマネキンの一体に近付き、後頭部のあたりから紙切れを引っぺがす。

 人の形を模して切り取ったその紙の中心には丸っこい字で『竹山梨花』と赤いペンで書き記してある。彼女が高校生の頃に書かせたものだ。あれから十年は経過したという事になる。

 生きた人間の成長はめまぐるしく早い。婚約候補についての相談の次はそいつとの婚約破棄ときた。これこそまさに〝ウケる〟な。

 名が書き込まれた紙を片手に鳥籠の中で大人しくしている鳩に近付く。すると、大人しく眠っていたはずの彼女がカチカチと嘴を鳴らして苛立った様子を見せ始めた。

 ———人間‟以外”の来店か

 ようやく仕事が終わったばかりだと言うのに、間が悪い。

 自分自身も鳩と同じくらい機嫌を悪くしたところでカランカランと景気良くベルが鳴った。

「桐杉くん、チーッス。生きてる?」

「どうも。……その呼び方、出来れば辞めていただけると幸いなのですが」

 扉を開けたのは見慣れたオレンジ頭の少年。チャラチャラした態度のこの少年は———金ではなく〝魂〟の、だが———‟取り立て屋〟を生業とする者だ。

 私からの言葉に「じゃー名前教えてよ」と無垢な笑顔を向けられ、私は顔をしかめて口をつぐんだ。

 少年が私に付けた不本意且つふざけたあだ名は彼の愛読書———と、呼んで良いのか定かではない。文学的な本は一冊も読まない人種であるから———のひとつ、未来から来たネコ型ロボットと眼鏡の少年が主人公の漫画に登場する、出来すぎる男子生徒の名からぱくったと言う。

 理由としては私が縁を〝切りすぎ〟ているから。

 ふざけている。私は切るだけが職ではないというのに。大体、この少年が来ると大変厄介なのだ。変な仕事を持ちかけられるし私の仕事に口を挟む。彼が持ってくる利点はひとつしかない。

「そー嫌そうな顔すんなよなー。新しい煙草持って来てやったのに」

「それは有り難い。もう少しで切らすところだったんですよ」

 無表情のまま、口調だけは喜んでおく。

 奇抜な少年は「つれねーなー」と言ってむくれ、どかっと勢いよく椅子に座った。

「あのネーちゃん、まだ繋いでたんだ?」

 そう言えばこの少年と彼女は毎度そこの通路ですれ違う。彼女は私にとっての幸せと共に不幸も運ぶ人間のようだ。

「以前も言いましたが私との縁は繋いだままにしていないよ。だが彼女とも今回でお別れだ。記憶が定着しつつあってね。頭の記憶は奪えても身体に染みついた記憶は早々に奪えない」

 手にした紙をくるくる小さく丸め、彼女と私とで繋いでいた縁の糸の残りを再利用して鳩の足首に括りつける。反対側の足首には私との縁を結んでおく。こうしておけば鳩が飛び立った跡を私が追う事が出来る。私と違って利口な鳩は自ら店まで帰って来られるが私は縁を辿らなければすぐに迷ってしまう。と、言うよりかは、二度と店に戻れず路頭に迷う事となる。

 オレンジ頭の男へ警戒心を剥き出しにする鳩を開け放っていた窓から外へ飛ばしてやる。狭い鳥籠から出られて彼女は嬉しそうだ。いや、男から離れられたからだろうか。雨上がりの外はところどころ濡れ、綺麗に残った水滴が日差しを反射して街中をキラキラ光るビーズで溢れてさせている。

 姿が見えなくなるまで鳩を見つめ、帰る様子のない来店者に嫌々ながら向き直り、

「なんですか」

 そう嫌そうに聞くと「別に」と言いながら全く別にとは思えない表情でそこにいる。

「ただ、あんたが珍しく寂しそうな表情してっから」

 意外そうな顔をする男に私は心外な、とピクリと眉を動かした。

「別れは寂しいものですよ。喜んで世や人との別れに飛びつく貴方には分からないでしょうが」

「ひっでーなー。こっちだって好きでやってんじゃないの。しーごーと!それにな、俺は相手が返るべき場所に戻すためにやってんだよ」

 ブーブー反論する少年を無視して私は身支度を整えようと衣装ケースではなく奥に置かれた古い木製のクローゼットの前まで移動した。

「なあ、何で縁を繋いでないのにあのネーちゃんは店に戻って来れんだ?」

 うるさいな、と思ったがさっさと帰って欲しいので親切に答えてやった。

「店に彼女の名を置いているからだよ」

「紙に書いてるだけじゃんか」

 初来店時に楽しげにマネキンを見物していた彼はマネキン一体に付き一枚貼られた名の書かれた紙を目ざとく見つけていたらしい。知った上で聞いてきている。

「紙の形は人間を模していると分かるだろ。同じく赤のペンで名を書く事で血を模す。それをマネキンに貼り付ける事で一種の命を宿すんだ。命と言っても魂の無い仮染めの命だけどね」

「それを店に置いてあるから何なんだよ。自分の名前を取り返しに来るってか?どっかの妖怪の名前書き込んだ友人帳じゃあるまいし」

 話を聞けば聞くほど、いかに彼が漫画しか読まないかが分かる。私は彼とは違い漫画は読まないが、漫画を除いた読書とテレビ鑑賞だけが趣味なので彼の言う物語が何かは知っている。深夜の時間帯にアニメで観たことがある。だが、ここはスルーだ。

「本能的にそうする人間もいるだろうね。だが契約書の類へ何の躊躇もなく己の名を書き込んだり打ち込んだりする現代人では殆んど気にも留めないだろうし気が付かない。それに、私は名を悪用する気は微塵もないしね」

 そこで少年は苦虫でも食ったかのように顔をしかめた。私はその反応に思わず口の先を上げて笑ってしまった。

「あんたは名前を書かせた相手に金を貢がせてんだから、ある意味悪用だろ」

「人聞きの悪い。ただ私は美味しい食事を教えていただくだけです」

「世で生きるのに必要なエネルギー補給は煙草で十分だろ」

「それでも食を感じるのは悪くない。必要な事ですよ」

「あんたの身体じゃ痛みも味も感じ取れねーだろうが」

「ひとりきりの食事では感じられない味も、縁を結んだ相手とであれば味を共有できるんです。だから相手には何が何でも同じものを食べていただかないと困りますけどね」

「あー…そう。随分楽しそうな事してんのな」

「マネキンに名を与え、命を宿す事でその相手を呼び出せるんです。マネキンの肩を叩いたり呼びかけたりしてね。どうです、分かりましたか」

 私が親切に説明してやったと言うのに少年は飽きたのか「へー…」とつまらなそうな返答をしてきた。話が反れた。こんな事で時間を潰す訳にはいかない。これからやらねばならない仕事が立て込んでいるのだ。

 名を返しに行く際にはきちんとした正装を心がけている私はネクタイをきゅっと結び、シワひとつない完璧な装いでスタスタと扉まで近付きグイと開け放つ。

「お帰り願いたい」

「まだ煙草渡してねーじゃん」

「置いて出て行け、餓鬼」

「ヤンキーかよ。こえー」

 お前が言うか、と私は内心思う。だが、少年は案外素直で私の指示通りポケットに忍ばせていたブルーの箱を何箱かぽいぽいとテーブルに投げ置く。だが、その個数は前回お気に来た時よりも明らかに少ない。

 私が不満げに眉根を潜めたのを見て、少年はニヤニヤと顔を緩める。

「俺さ、あんたの生存確認で今日来たんじゃないんだわ。仕事の依頼」

 今度は私が顔をしかめる番だ。少年は愉快そうに説得の言葉を並べていく。

「俺の仕事に目を瞑ってやってんだから、ちょっとくらい聞いてくれたって良いだろ?」

 その発言に私は口籠る。彼は本来、私を死後の世界に送り届ける為に私のところにやって来たのだ。それを妨げているのは私の願いとやり残した後悔。私は少年に世話になっている身だ。

「…しょうがないですね。で?何?」

「見てほしい縁がある」

「今日は忙しいから無理」

 これは拒否でなく事実だ。この後は竹山梨花に名を返さなければならないし、彼女が今日中に振るであろう池田良太が元々赤い糸で繋がっていた女との縁を結び直さねばならない。

 しかし少年の要件は急ぎではないらしく「良いよ、別な日で」と拍子抜けする程あっさりと、すぐに身を引いた。

「ほんとよくやるよな。そんなややこしいコト。どうせなら繋がりなんて持たなきゃ良いのに」

 他人からすれば無駄に見える私の労働に少年は難色を示す。

「私にとって食事は必要不要にとらわれず生活の上で何より大事なんでね。竹山梨花は最初の店から私の味覚の好みを熟知しているかのようにドンピシャな飲食店を案内してくれたので、お気に入りの子だったんだよ」

 だから何度か呼び出してしまい少々彼女の生活を狂わせてしまったが、まあそれも山あり谷ありな人生と云う事で。身勝手なのは重々承知だが、今日を境に真っ当な生活に戻してやれるのだから良しとしてもらいたい。

 以前の訪問で見た彼女から伸びる赤い糸は一本たりとも池田良太とは繋がっていなかった。寧ろ一番強力な円は大学時代の同級生、今勤めている会社の同僚に繋がっている。彼女が手相占いで言い当てられたのはその同級生だったのだが、彼女は肝心の同級生との出会いを覚えていない。池田良太に執着するあまり周りが見えていなかった証拠だ。

 相手の池田良太に関してはカフェ店員と純粋な混じりけのない一本の糸で繋がっていた。これはかなり強い縁で完全なる〝運命の糸〟。赤い糸は赤い糸でも強度が全く違う糸だった。

 そんな糸を無理に竹山梨花の糸と交えれば本人に大きな変化があってもおかしくはない。外面だけになった温厚さ、いつしか暴力的になっていった彼は彼女に暴力を振るうようになったそうだ。そうして今回、竹山梨花は店へと訪れたわけだ。自業自得だ、馬鹿らしい。

「また煙草お気に来るから、そんときよろしくな。楽しみにしてて」

 語尾にハートマークでも付きそうな口調と、少年が付け足したウインクに私は吐く仕草をして見せた。オレンジ頭の少年は愉快そうに笑って、店から一歩外に出た。

「あんたの名前、早く教えてくれよなー」

 くくっと喉を鳴らした彼はそう言い残し、扉から手を振って通路を曲がっていった。足音はすぐに途切れビルから完全に出て行ったのだと分かった。

私はハアと溜め息をひとつ吐き、テキパキと外に出していた看板二つを室内に投げ入れ、店を後にする。眼のボードは閉める必要がない。鳩の彼女はもう覚醒しきった状態で外を飛び回っている。扉の眼は鳩の右眼でもあるのだ。

 今日は世で言う華の金曜日、華金と言う奴だ。華やぐ人混みの中を縫うように歩き、今夜は彼女からの最後になる占い料金で隣のカフェでディナーでもしよう、と何気ない計画を立てた。

 あの若造にはひとつ、嘘を吐いた。縁を結んだ相手とのみ味を共有できるような事を言ったが、私と直接縁を結んだ飲食店の料理であればなんだって味わえる。

 今現在、私は隣のカフェと結んでいる。ここ何年かのお気に入りはあそこのナポリタンとアップルパイ。取り立て屋の少年に食わせる気はないので奴には理解できないだろうが。

 私が縁を結んだ店は潰れない。客足が途切れないよう私が人工的に〝常連客〟を作るからだ。

 カフェの前に私と縁を結んでいた蕎麦屋は途中、代替わりをし二代目が筆頭になったが味が変わってしまう事はなく、私は長いこと満足していた。しかし三代目になった途端〝金に目が眩んだ味〟になり、私は縁を切った。今その蕎麦屋はどうなっているか知らない。もう私を魅了するものは何もないのだ。

 夜の入りを知らせる名残惜しい夕焼けを浴び、キラリと光る縁の糸を見上げようと、空を仰ぐ。糸の震えが減ったようだ。鳩が無事に竹山梨花の自宅前に着いたのだろう。

 竹山梨花を呼び出す度、彼女の親友を見かけるがあの子はいつまで経っても変わらない。毎度扉の眼を閉じたり閉めたりを繰り返し、鳥籠の中で眠る鳩の機嫌を悪くさせていた。本当に面白い人たちだった。

 食事は仕事のご褒美だ。それと並んで人間観察も好む。趣味である読書もテレビ鑑賞も生きた人間が紡ぐそれぞれの物語には遠く及ばない。

「人間が好きじゃなきゃ、こんなの生業にしていないよ」

 届ける相手のいない言葉をひとり愚痴る。帽子を深くかぶり直し、十数年世話になった竹山梨花に自ら会うため、人混みの中に私は溶けていった。


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麗しき占い師は運命の糸を辿る あずまなつき @mars

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