4(終)

 季節の流れは留まることをしない。

 命に満ちた青い葉とて、風が冷えれば時を失い、やがては雪に樹上を譲る。

 凍てつく眠りは、これも一時。目覚めの折もまた巡れば、木々は白い衣を脱ぎ去り、その内に育てた新芽を誇る。


 年が明け、それもいくらか過去のこととなった。

 今は春の初め。空気はまだ冷たいものの、道に積もっていた雪は既にない。

 花紗里はじきに高校二年生になる。そして。


「――じゃあ、少しの間お別れだな!」


 総来賢哉はそう言って、彼女の頭を無遠慮に撫でた。

 少し離れた松村千が、呆れたようにその様子を眺める。


「やめなって、毎回毎回。花紗里ちゃん、割と嫌がってるからね、それ」

「ええ? そうか?」

「……そう、だよっ。本っ当、いつまでも子供みたいにっ」


 花紗里は大きな手を力ずくで退けた。

 憤慨を湛えて幼馴染を睨む。相変わらず、憎たらしいほど血色がいい。

 彼の背中には旅荷物。千もまたスーツケースを引いている。


「……」


 二人は揃って遠方の大学へ進む。

 とうとう、物理的にも距離が離れる。

 分かっていたことではあったけれど――


「む、なんだ、拗ねてるのか?」


 鈍いくせに鋭い。

 花紗里はそっぽを向いた。せめて意地でも張らないとやっていられなかった。


「別に。松村さん、このちゃらんぽらんをよろしく」

「……ん。了解」

「おいおい」


 賢哉は困った顔をして頭を掻いた。


「寂しいこと言わないでくれ。休みにはちょくちょく帰ってくるし、なんだったら遊びに来てくれたっていい。いつでも歓迎するぜ」


 花紗里は横目で彼を見た。その表情は真摯だった。

 溜息をつく。


「……忘れないでよ」

「ああ、もちろん」


 分かっている。

 嘘を言っているはずもない。実際、そうして会う機会も今後あるのだろう。

 しかし、もっと深いところで、彼とは“これっきり”だ。その予感がある。

 昔から仲の良い幼馴染だった。受けてきた恩は返すことができた。それで自分と彼の関係は完結するのだと。


「……っと、そろそろ時間か。行ってくる。元気にしてろよ、花紗里」

「またね、花紗里ちゃん」

「うん。大学、頑張って」


 区切りの言葉は簡潔に、一人と二人はそうして別れた。

 遠ざかりゆく後ろ姿に、花紗里は長く手を振っていた。やがてゆっくりとその動きが止まった。半端に前に伸ばされた手は、二人の背中に縋るようだった。

 賢哉と千が見えなくなった。腕が力なく体の横に垂れた。立ち尽くす花紗里一人の上に、雲の切れ目から光が差した。


「…………さようなら」







 それから数分後。

 ベンチに座って待っていた由は、花紗里がやってくるのを見た。


 文化祭の日にも訪れた、彼女の家の近くの公園だ。

 今日は無人ということもなく、小さな子供たちがボール遊びをしている。

 甲高い声ではしゃぐ彼らには、寒空の下であろうと関係がない。


「……どうだった?」


 無言で隣に腰掛けた花紗里に、由はそっと尋ねる。


「……うん。終わった」


 少女はごく短く答えた。

 少年は頷いた。しかるべきようになったと分かった。


「一区切り、か」


 かつての花紗里の言葉を呟いて、由は懐を探る。取り出したのは白い羽根だった。

 なぜそうしたのかはうまく言えない。ただなんとなく、それが見たくなった。


「まだ持ってたの? それ」


 言葉とは裏腹に、花紗里も興味深げに手元を覗く。

 魔法少女の介添の一部は、しかし今では神秘を失い、何の変哲もないものだ。

 あれから由はバッドを見ていない。それと対する魔法少女も。実際に目にしていないのか、あるいは修復によって忘れているのか。もはや判断は付かない。


「……山潟さんは、後悔してない?」


 意味もなく指先で回してみる。

 由はあれからも何度か夢を見た。紫の衣装の魔法少女の夢を。そうした時の脳は都合よく、挫折や苦痛の場面は飛ばして、ただ鮮やかな勝利の絵を描く。

 本人の思いはいかなるものか。白鴉が去って以降、この話題を口にするのは初めてだった。どこかはばかられる気がしていたために。


「してるよ」


 当然のように、彼女は言った。


「今もどこかで怪物が暴れてるかも、なんて思うと落ち着かないし。白鴉にはもう会えないし。……もっと願いを叶えてからやめてもよかったかも、とも思うし」


 由は苦笑した。

 もっとも、馬鹿にできるようなことでもない。およそどんな願いでも実現させられる機会など、他では絶対に得られないだろうから。


「……いつかさ。こうやって南ヶ川くんと話してたことも、後悔したりするのかな」

「……そうかもしれない」


 花紗里は足をぶらつかせた。由は羽根をまた懐に収めた。

 そんなことにはしない、などと言えるほど、由はもう無邪気ではいられていない。


「でも、無駄だったってことにはならないよ」


 代わりに、彼はそう口にする。

 いつか失敗の記憶に変じたとしても、その経験は財産となるだろう。魔法少女の素質のような、分かりやすい形では示されなくとも。

 苦悩が善い道を照らすだろう。己を肯定するばかりでは、時として見落とすものもある。


「……うん。きっと、そうだよね」


 風が吹き、花紗里の髪を揺らした。

 由が見るその横顔には、この先も歩き続ける意志の力があった。


 と。


「おっと」


 飛んできた青色のゴムボールを、由は胸元で受け止める。


「あ! ごめんなさい、ありがとうです!」


 サッカーをしていた少年たちが、慌てた様子で駆け寄ってきた。

 由は不敵な笑みを浮かべた。立ち上がり、ボールを爪先に落とし、数度リフティングしてから蹴り返す。

 少年たちの何人かから、素直な感嘆の声が上がった。


「よしと。僕たちも混ぜてもらえないかな?」

「おー。いいよ!」

「だって。行こう、山潟さん」

「ええ?」


 目を白黒させる花紗里を置いて、由は輪の中に入っていく。

 あっという間に彼は馴染んで、まさしく子供のように遊び始めた。しばしば振り返って手招きしながら。


「……もう。全然、柄じゃないんだけど」


 花紗里は観念して立ち上がった。

 いかにも嫌々といった素振りの中に、しかしどこか弾む気配を帯びて。


 今は春の初め。

 花の咲き誇る頃はまだ至らず、けれどぬくもりの予感が増していく季節。

 その空に、澄んだ歓声が響いた。

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魔法少女ネガティブフラワー 敗者T @losert

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