第22話
「死んでくれましたね」
暗闇の奥から声が聞こえてきた。いつか、どこかで聞いたことのある声だった。しかしそれが誰の声なのかまではわからず、ベイルはもどかしい気分になった。
「少し早かったとは思いましたが、まあいいでしょう。これで目的を果たすことが出来る」
自分の目は開いていた。それは感覚でわかっていた。何かに寝かしつけられ縛られたようで体の自由は利かなかったが、首を動かすことも出来た。しかし周りはまったくの暗闇で、どこに何がいるのか全然わからなかった。
「突然で恐縮なのですが、あなたには我々の一員になってもらいます」
無明の闇の中から声が聞こえてくる。ベイルはどうしていいかわからず、黙ってそれを聞いていた。
「我々が何者なのか、なぜ自分なのか、疑問に思うこともあるでしょう。ですが今は、それを受け入れてもらいます。否、受け入れる以外に選択肢は無いのです」
闇の中の声は静かに、しかし有無を言わせぬ威圧的な口調で話しかけてきた。だがそこまで言われて、ベイルも黙ってはいられなかった。
「なんでそれに従わないといけない? その理由くらいは言ってもいいんじゃないか」
強気な語調で問い返す。ここで初めて自分の口が動くことに気付き、ベイルは内心驚き安堵した。
闇の声はそれに動じず、前と変わらぬ調子でそれに答えた。
「あなたは死んだからです」
「は?」
ベイルは絶句した。お構いなしに声が聞こえる。
「あなたはあの日、夜の森で決闘を行った。勝負には勝ったが、横槍が入った。あなたは乱入者から背後からの一撃を受け、心臓を剣で貫かれた」
「……」
「即死です。生き残る望みは皆無でしょう」
闇の声がそこで途切れる。ベイルの顔から血の気が引いて行く。
実感があったからだ。体を貫かれた感覚、自分が死んだという確かな感覚を、彼は今ここではっきりと思い出したのだ。
「思い出されましたか」
闇の声が尋ねる。ベイルは体を硬くしたまま、うんともすんとも言わなかった。
闇の声は続けて言葉を投げかける。
「あなたはもう死んだのです。あなたの命はあの瞬間に潰え、もはや現世に帰ることはかないません。ですが一つだけ、元の世界に戻る方法がございます」
「……」
「我々の仲間となることです」
「お前は誰なんだ」
そこでようやくベイルが口を開く。闇の声は一拍間を置き、やがてゆっくりとその問いに答える。
「死神です」
「なに?」
「生と死を司る者。命の流れを見守る者」
「冗談言ってるのか」
「冗談ではありません」
声はいたって真面目であった。ベイルもそれ以上茶化すことはせず、また闇に向かって問いかけた。
「俺に死神になれと言うのか」
「我々の仕事をそのままやれと言うわけではありません。あなたには別口の仕事を用意してもらいます。あなたにしか出来ない、とても大事な仕事です」
「その仕事の中身を教えてもらえるか」
「それは仲間になってから教えます」
声は譲らなかった。ベイルはむっとした表情を浮かべ、そしてそのベイルに声が続けて言った。
「それにそもそもあなた、私と契約しないと死んだままですよ?」
「あっ」
ベイルが思い出す。間抜けな顔を見せるベイルに声が告げる。
「魂は冥府で千々に裂かれ、根源へと還り、あなたという存在は消滅する。言い方を変えれば、あなたは死ぬ。もちろんそれを良しとするなら、私もこれ以上の無理強いはしません」
「……もう決定事項なのか」
「そうです。あなたは死んだのです。私達の同胞になって生き永らえるか、死ぬか。あなたにはその二つしかないのです」
ベイルは体から力を抜いた。自分には最初から選択肢が無いことを、彼はここで初めて認識した。そして心の底から恐怖した。
「俺、死ぬのか」
「語弊があります。あなたはもう死んでいるんです」
「そうか……」
誰だって死ぬのは怖い。生き返る手段があるなら、それに縋るのが人間だ。
ベイルもその一人だった。彼は諦めたように目を閉じ、やけくそ気味に言った。
「わかったよ。なるよ。仲間になる。それでいいんだろ?」
「ありがとうございます」
すぐに闇から声が返って来る。その声はどこか安心した響きがあった。
「では、今からあなたの魂を、あなたの体にお戻しします。じっとしていてくださいね」
そしてその声を聴いた瞬間、ベイルは唐突に強烈な眠気を覚えた。気怠さが全身を支配し、向こうで死んだ時のように瞼が重くなっていく。手足の感覚がなくなっていき、思考が緩慢になる。
このまま、自分は本当に死ぬのではないのか。体が冷たくなっていく感覚を味わいながら、ベイルは恐怖した。しかしそうして顔面蒼白になったベイルに向かって、闇の声が囁きかけてくる。
「ご安心ください。あなたが今眠気に襲われているのは、あなたの魂が向こう側へ戻ろうとしているからです。彼岸から現世へ、元ある場所へ還るための、一時的な眠りにすぎないのです」
しかしその声を最後まで聞くことは出来なかった。ベイルの意識は急速にまどろんでいき、数秒もしないうちに彼の心は闇の底へと沈んでいった。
そうして記憶が途切れるまでの間、ベイルは必死に生き返ることだけを願っていた。
次にベイルが目を覚ました時、彼は白い空間の中にいた。壁と床と天井が真っ白に染まり、白色照明がその部屋を明るく照らしていた。
次いで彼は、自分の背中を柔らかい感触の何かが包みこんでいることに気付いた。その感触がベッドのそれであることに気付いたベイルは、ゆっくりと上体を起こして周りを見渡した。
「マジかよ」
「本当に生き返った……」
そして彼はそこで、ベーゼス達がベッドに寝ていた自分を取り囲んでいたことに気付いた。ベーゼス、メリエ、ミチ、ゾリとグラズ、彼の知る者が全員揃っていた。
そして彼らは全員、ハトが豆鉄砲食らったような顔を浮かべていた。ベイルはなぜ彼らがそのような顔をしているのか不思議でならなかった。
「私の言った通りでしょう?」
その時、部屋の奥から声が聞こえてきた。それが闇の中で聞いた声と同じものであることに気付いたベイルは、すぐさまその声のする方に目をやった。
そこには黒いマントで体を覆い隠し、フードを目深に被った一人の人間がいた。少なくとも体つきは小柄な人間のものであった。
「おはようございます。顔を合わせるのはこれで二度目ですね」
フードを被った人間は、女の声でベイルに言った。ベイルもベーゼス達も、こいつが何を言っているのかまるでわからなかった。
「あなた方が色々と疑問に思っているのは承知しています。それに関しては順番に説明いたしましょう」
そんな彼らの心の内を察したように、女が静かに告げる。それから女は両手をフードにやり、おもむろにそれを脱ぎ払って素顔を晒した。
女の素顔が露わになる。次の瞬間、ベイルは驚きに目を見開いた。
「お前、あの時死んだんじゃ」
「あなたと一緒よ。一度死んで、死神に誘われたの」
フードの女、リン・シャオリンはそう言って、ベイルに向かって微笑んでみせた。
「もう敬語使う必要もないかな?」
けだものの国~奇国日本冒険記~ 鶏の照焼 @teriyaki
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