第21話

 夕日が空を赤く染める頃、その森の中で二つの影が対峙していた。

 一つは翼の腕を生やしたカラス頭の怪人。そしてもう一つは、怪人の半分の背丈しかない少年だった。

 

「契約内容は、覚えていますね?」


 手にした杖を手持無沙汰気味に振り回しながら、少年が告げる。その声は静かで、穏やかなものだった。

 しかしそれを聞いていた怪人は震えていた。全身から玉のような汗が噴き出していた。

 

「我々はあなたに力を与える。その代わり、あなたは我々の尖兵となって標的を探し、それを狩る。これが私達の間で交わした契約です。そしてあなたはつい先ほど、その標的と相見えた」

「……」

「しかしあなたは、逆に獲物に狩られた。大勢の観衆の前で、無様な姿を晒した」


 穏やかな口調で話しながら、少年が目を細める。直後、怪人は心臓を鷲掴みにされた気分を味わった。背骨が凍りつき、息が詰まる。怪人は今すぐにでもここから逃げ出したくなった。

 しかし彼はそれすら出来なかった。少年への恐怖が、彼の体を石のように硬化させていた。そうして硬直する怪人に向かって少年は淡々と言葉を続ける。

 

「今度こそ、お願いしますよ。あなたは本当の力に目覚めた。今のあなたならば日本人の一人や二人、容易く狩れるでしょう?」

「……もちろんだ」


 そこで初めて怪人が口を開く。無理矢理喉の奥から絞り出したような、苦悶の呻きに似た声だった。

 それを聞いた少年は、安堵のため息を漏らした。そして少年は肩の力を抜き、怪人は場の空気が急に萎んでいくのを肌で感じた。

 

「よろしく頼みましたよ。くれぐれも、私達を失望させないように」


 そして自らも力を抜く怪人に対し、少年はそれだけ言ってこの場を去った。どこからともなく現れたつむじ風が彼の体を包み込み、風が消えると同時に少年もそこから姿を消した。

 怪人はそれについて深く考えなかった。今彼の頭を支配していたのは、ただ契約を全うすることだけである。そうしなければ自分が殺されることを、怪人はしっかりと理解していた。

 

「今度こそ……今度こそ、奴を倒してやる」


 使えない道具は即刻切り捨てる。それがブラックフォーチュンという組織の本質だ。





 アーネストが決闘場所として指定したのは、小田原から離れた位置にある森林地帯であった。そして彼が決闘の時間に指定したのは深夜の三時、月が静謐な夜空に浮かぶ刻限であった。

 その森は木々が鬱蒼と生い茂っていたが、枝葉が月光を遮る程密度が濃いわけでも無かった。おかげでベイル達は特別灯りを使うことなく、月の光を頼みに森の中を進むことが出来た。


「よくきたな」


 そうしてベイル達が時間通りに指定場所に来た時には、既にカラス怪人はそこに立っていた。彼は器用に腕を組み、赤く輝く両目をじっとこちらに向けていた。

 

「律儀なことだ。まさか本当に来るとは」

「無視したらコロシアムを攻撃するって言ってきたのはお前の方だろうが」


 暗い笑い声を立てる怪人に、ベイルが送られてきた果たし状を見せびらかしつつ答える。そこには決闘の場所と時間の他に、決闘を行うのはベイル一人であること、これを無視した場合は無差別にコロシアムと町を攻撃する旨が記載されていた。

 

「お前達は所詮余所者。あんな町くらい、無視しても罰は当たらんだろうに」

「そこまで無慈悲でもないんでな。お前と違って」

「なんだと?」


 ベイルの挑発を真に受け、カラス怪人が気配を一変させる。あからさまに怒りを見せるカラス怪人を見て、ベイルはその単純さに苦笑を漏らした。

 それを見たアーネストはさらに気分を悪くした。口調を荒げ、ベイルをさらに強く睨みつけながら口を開く。

 

「一度勝ったくらいで、調子に乗るな! 見ろ! この姿を! 俺は強くなった! 俺は騎士団すら凌駕する力を得たのだ!」

「どうしてそんなに力を求める? メリエにぼろ負けしたのがそんなに屈辱だったのか? だったら素直に特訓すればいいのに。人体改造だけで強くなれると思ったら大間違いだ」


 ベイルはいたって冷静だった。彼の後ろにいたミチが苦い顔をしていたが、ベイルはそれに気づかなかった。

 彼の目には、いっそう怒るアーネストの姿しか見えていなかった。

 

「黙れ! 俺は全てを超える! そのためにこの力を得たのだ! まずはお前、次にメリエ! そして最後に、騎士団全てを滅ぼしてやる!」

「お前、あんなイカれた奴を団員に迎えたのか」


 吼え狂うアーネストを見たベーゼスが、呆れた声をかけながら横目でメリエをうかがう。彼女の隣にいたメリエは渋い顔をしながら眉間をつまみ、「最初のころはこうでは無かったのですが」と苦い声で言った。

 

「初めの頃は傲慢ではありましたが、ここまで敵意をむき出しにするようなことはありませんでした。知的な風を装って他者を見下す、嫌味なインテリとでも言いましょうか」

「お前、結構ズバズバ言うんだな」

「ともかく、ここまで過激な人物ではありませんでした。どこで道を外れてしまったのか……」

「お前に決闘で負けてからじゃないか? 頼みにしてた自分の力が通じず、一蹴されたんだ。価値観が崩壊して性格が歪んでもおかしくない」

「肉体改造に走っても?」

「あいつにとってはそうだったんじゃないか?」


 ゾリがメリエの問いに答える。メリエは理解できないと言わんばかりに唖然とした。

 

「たった一度の負けで? 一から出直して、再度挑戦すればいいのに」

「それが出来ない奴もいるんだよ。現に今目の前にいる」


 ゾリはそう答え、前方のカラス怪人を注視した。他の面々もそれに続いて怪人を見据える。

 そして彼らの眼前で、カラス怪人は既に戦闘態勢に入っていた。

 

「これ以上の言葉は無用。構えろ」


 両の翼を左右に広げ、姿勢を低くして怪人が唸る。ベイルもそれに応えるように、腰からナイフを抜いて眼前で構える。

 この後あの怪人がどんなアクションを起こしてくるのか、ベイルは何となくだが察していた。彼は構えを解かず、それが来るのを待ち構えた。巻き添えを食わぬよう退散したベーゼスらも、相克の瞬間を今か今かと固唾を飲んで見守った。

 刹那、怪人が膝を曲げる。脚に力を込め、大地を蹴り上げる。

 ナイフを持つ手に力がこもる。

 

「シャアッ!」


 カラスが吠える。翼を広げ、怪人が地面と水平に滑空する。怪人は鋭く尖った嘴をまっすぐ前に突き付けながら、一目散にベイルを目指して突撃した。

 予想通り。ベイルは内心ほくそ笑んだ。そして顔は真剣なまま、ナイフの切っ先を前方に突き付ける。

 狙いは嘴。正面から受け止める。いらぬ対抗意識に火がついたベイルは猛禽の如き眼差しで、吶喊するカラス怪人を正面から見据えた。

 カラスが迫る。嘴とナイフが至近に迫る。黒と白が激突する。

 直後、ベイルを甲高い金属音と火花が襲った。

 

「な……っ!」


 刀剣同士がぶつかりあうような、硬い感触。それを感じたベイルは驚愕した。怪人の備えていたそれは、もっと有機的な物体かと思っていたからだ。しかしそれでも、ベイルは構えを解くことはしなかった。一度やると決めたのだ。最後まで押し通る覚悟だった。

 だがカラス怪人は折れた。嘴とナイフが激突した瞬間、それは赤い目を大きく見開き、即座に背を逸らしてベイルの頭上に昇った。そして全面衝突(チキンレース)を回避した後、怪人はベイルを見下ろしながら舌打ちした。

 

「この野郎、まさか本当に受けて立つとはな」


 そう漏らす怪人の嘴からは煙が上がっていた。そこはベイルのナイフとぶつかった場所である。ベイルはその怪人を見上げながら、渋い顔でそれに向かって言った。

 

「その嘴、鉄か何かで出来てるのか」


 怪人は優雅に翼をはためかせながら、ほくそ笑んでそれに答えた。

 

「そうだ。ここは俺の体の中でも特別頑丈に作られている。立派な武器の一つと言うわけだ」

「ならどんな攻撃をしてくれるんだ? ぜひとも見せてほしいな」

「いいだろう」


 怪人が翼をはためかせる。その場で静止し、身を屈めて力をためる。はためきは段々と大きくなっていき、ベイルの元にまで突風が吹き荒れていく。ベイルは身動ぎひとつせず、風を正面から受けながら怪人をまっすぐ見つめていた。

 そのベイルに向かって、怪人が飛び込んでいく。脚で空を蹴り、翼を畳んで、怪人は一発の弾丸となってベイルに突撃する。

 

「死ね!」


 弾丸が猛る。ベイルは辺りを見回して小さく舌打ちし、その場に留まった。

 ベイルの元に怪人が迫る。愚直なまでにまっすぐに、その嘴で心臓を貫かんとする。

 やがて目と鼻の先に怪人が映る。視界いっぱいに怪人が迫り、そこで初めて、ベイルは回避に動いた。横に跳び、頭上から来る弾丸を紙一重で躱す。

 嘴が左腕を裂く。怪人が大地に着地する。衝撃と土埃が辺りを覆う。

 二の腕に縦筋が入り、血が勢いよく噴き出す。躱しきれなかったベイルは思わず毒づいた。

 

「くそ!」

「馬鹿な……!?」


 怪人はベイル以上に感情を露わにした。自身の攻撃を二度もいなされ、彼の心に驚きと焦りが膨れ上がっていく。

 

「俺の攻撃が外れただと? なんでこんなことに!」

「お前の動きが直線過ぎるんだよ」


 そこにベイルが迫る。ナイフを振り上げ、怪人に切りかかる。

 怪人は即座に反応してみせた。立ち上がって片腕を振り上げ、翼の骨の部分でナイフを受け止める。

 皮膚が切られ、衝突した部分から金属音が響く。それを聞いたベイルが渋面を見せる。

 

「腕の骨も金属なのか」

「その通りだ」

「それでよく飛べるな!」


 ベイルが翼を振り払う。そしてナイフを逆手に持ち替え、再度攻撃を仕掛ける。怪人も負けじと両翼を持ち上げ、鋭く生え揃った刃羽を使ってそれを受け止める。

 

「ははっ!」

「調子に乗るな!」


 ナイフの刃と翼から生えた羽の刃が激突し、火花が散る。

 刃が交錯し、橙色の花火がそこかしこで産声を上げ、白銀の軌跡が縦横無尽に描かれる。

 息もつかせぬ大立ち回り。月光の下、人と獣は苛烈にして流麗な剣舞を存分に披露した。

 

「綺麗じゃねえか」


 それを見たベーゼスが恍惚として呟く。他の面々も言葉を失い、ただその剣の舞に見惚れていた。

 そしてその中で、彼らはベイルが少しずつ舞の主導権を握っていっていることに気づいた。

 

「勝負は見えましたね」

「ああ。怪人の奴、ベイルの攻めについていけてない」


 ゾリの見立て通り、戦況はベイルに傾きつつあった。彼はナイフを巧みに振り回し、カラス怪人は最初こそ食いついていたものの、次第にその動きに翻弄され始めた。どこから飛んでくるかわからない攻撃を前に及び腰になり、怪人は後手後手に回っていった。

 ベイルはそこにつけこんだ。より速く、より鋭く。彼は攻撃の手を緩めず、むしろ前以上に苛烈なものにしていった。怪人は防戦一方となり、それでもベイルの刃を全ていなすことは出来なかった。翼には無数の切り傷が刻まれ、次第に傷は足や胴体、ついには顔にまで刻まれていった。

 それでもなお、ナイフの剣閃は止まらなかった。

 

「貴様、これ以上いい加減に――!」


 全身切り刻まれ、業を煮やしたカラス怪人が叫ぶ。しかし次の瞬間、ナイフが右翼の刃羽の隙間に入り込み、そのまま翼が強引に押し開かれる。

 

「しまっ」

「もう遅い」


 右の翼が無理矢理広げられ、防御に穴が開く。

 

「オラァ!」

 

 そうしてがら空きになった腹に、ベイルが蹴りを食らわせる。

 

「があっ!」


 たまらずカラス怪人が後ろに転倒する。背中から地面に激突し、苦悶の声を漏らす。しかし怪人は負けじと、すぐに顔を上げて立ち上がろうとした。

 その怪人の顔面に、ベイルがナイフを突き立てる。

 

「終わりだ」


 ベイルが低い声で脅す。カラス怪人はただ息をのみ、何も出来なかった。ギャラリーたちもまた決着がついたことを知って、揃って肩の力を抜いた。

 そんな彼らの前で、ベイルが怪人に声をかける。

 

「聞きたいことが山ほどある。質問に答えてもらうぞ」


 怪人は無言のままだった。ベイルは軽くイラついた。

 ベーゼスが何かに気付く。

 

「黙ってても無駄だ。嫌でも吐いてもらうからな」

「……お前には無理だ」

「なんだと?」


 怪人の苦し紛れの声を聴き、ベイルが眉間に皺を寄せる。カラス怪人はそんな彼を見ながら言葉を続ける。

 

「お前は逃げられないって言ってるんだよ。何しようが無駄だ」

「何の話だ。何を言ってる?」

「すぐにわかる。お前は死ぬんだよ」

「ベイル! 後ろだ!」


 ベーゼスが叫ぶ。

 刹那、ベイルの体を剣が貫く。

 

「……え?」


 剣は後ろから刺されていた。後ろから彼の心臓を貫いていた。

 

「アーネスト。失望しましたよ」


 背後から少年の声が聞こえてくる。

 

「やはり外様はあてになりませんね」

「ベイル!」


 少年の落胆する声が聞こえる。遠くから誰かが叫ぶ声が聞こえる。

 瞼が重くなっていく。体から力が抜けていく。思い出したように痛みが全身を駆け巡る。

 

「残念ですが、あなたには死んでもらいます」


 少年の声。誰かの悲鳴。

 足音。風の音。

 ベイルの意識はそこで途切れた。

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