第20話
彼らが来たとき、救護室の周りは騒然としていた。入口のドアは閉じ切られ、部屋から追い出された医師や看護婦たちがどうしたものかとドアの外で右往左往していた。そしてそんな彼らに混じって、鎧と剣と盾で完全武装した兵士達が数人、息をのんでその堅く閉ざされたドアを見つめていた。周囲には立入禁止を示すテープが巻かれ、ドアを睨んでいるのとは別の兵士達が、歩哨よろしくテープの内側に陣取っていた。彼らが抜き身の剣を持ち、周囲に睨みを利かせていたため、迂闊なことをする野次馬は一人もいなかった。
「なんだよ。また問題かよ」
そんな物々しい光景を見て、うんざりした声でベーゼスが漏らす。他の者達も同様に渋い顔を見せる。この時彼らの脳裏にはアーネストの姿が浮かんでいた。あいつがまた何かやらかしたのか? 最近救護室に運び込まれたのはあいつくらいだったからだ。
その中でメリエは一人歩を進めた。彼女は堂々とした足取りで、外に目を向ける兵士の一人に近づいた。
「待て。ここから先は立入禁止だ。お引き取り願おう」
兵士もすぐに反応した。彼はメリエを見下ろし、高圧的な口調で彼女に言った。対するメリエも一歩も引かず、一度ドアの方をちらと見てから口を開いた。
「失礼。こちらにアーネストという名の男性がおりますよね?」
「それがどうかしたのか?」
「今起きている問題は、そのアーネストとが引き起こしたこと。違いますか?」
図星を突かれた兵士は思わず息をのんだ。読み通り。メリエは軽い失望を覚えつつ、ここぞとばかりに畳みかける。
「申し遅れました。私、白薔薇騎士団副団長のメリエと申します。そして後ろの方々は、皆私の協力者です。ついでに申しますと、ここに収容されているアーネストは、かつて我が騎士団の団員だった男です」
「……それで? たとえお前達が誰であろうと、ここを通すわけにはいかない。そう命令されているのだ」
「既に袂を分かったとはいえ、あの男はかつて騎士団に属していた者。ならば副団長として、いらぬ騒ぎを引き起こしたことへの罰を直々に下すべきである。そう考えた次第なのです。子の躾は親がするものでしょう?」
メリエはそう言って笑顔を作った。声と目は笑っていなかった。兵士は兜の中で息をのみ、後ろにいたベイル達も彼女の雰囲気を察して無意識にたじろぐ。
その強烈な雰囲気が功を奏してか、遠くでうろうろしていた医師の一人がメリエに気付いた。
「ああ君、助けてくれ。ここにいた患者の一人が暴れだして、他の患者を人質に取って部屋を占拠したんだ!」
「お願いします。ここには他にも多くの負傷者がいるんです。定期的に検査と処置が必要な人もいるんです」
「兵士達は事が大きくなるのを恐れて、一向に突入しようとしません。このままじゃジリ貧です。お願いします、どうか助けてください!」
最初の医者が口を開くと、残りの医師達も一斉に声をかけてくる。ドアの前にいた兵士達はバツの悪い気分になり、メリエ達を引き留めていた方の兵士は小さく舌打ちした。
「アタシらならもっとうまくやれるぜ。それにアーネストとも、それなりに顔馴染みだ。あんたらよりずっと上手くやれる」
ベーゼスがその隙に付け込む。彼女はそれからメリエの横に立ち、自信に満ちた顔で言った。
「責任はこっちで取る。アタシらにやらせてくれ」
ベーゼスとメリエが揃って兵士を見る。半竜人と騎士団の雄が、揃って鋭い眼光を放つ。
兵士達はそれに気圧される形で、彼らに活躍の機会を与えることにした。
ドアに鍵はかけられていなかった。しかしベーゼスは大事を取って、ドアの横の壁を蹴って吹き飛ばした。どこを蹴れば患者に被害を与えないか、それについては医者から確認済みである。
「邪魔するぜ」
そうして安全な場所を盛大に吹き飛ばし、瓦礫を土煙を纏いながら、ベーゼスが悠々と室内に入り込む。他の面々もそれに続いて、次々と救護室に入っていく。
その時、唐突に声が聞こえてくる。
「動くな! じっとしろ!」
声の主、アーネストは部屋の奥にいた。彼はズボンだけを履き、腹に包帯を巻き、壁に背中を押し付けていた。彼は患者の一人を左腕で抱きしめ、右手に持ったガラス片をその患者の首筋に突き付けていた。患者は口にタオルを押し込められており、まともに喋ることが出来なかった。周りのベッドで寝ていた他の患者たちも、彼を刺激すまいとして口を閉ざし、青ざめた顔を見せていた。
彼は侵入してきた面々の顔を見て、あからさまに動揺した。しかしすぐに表情を無理矢理引き締め、脂汗を流しながらベイル達に命令した。
「いいか、動くなよ。そこで何もするんじゃねえぞ」
「お前、ここで何してるんだ」
「動くな! 命令してんのは俺だ!」
ベイルの言葉を遮るようにアーネストが怒鳴る。さらにガラス片の先を患者に押し付ける。ベイルは口をつぐみ、アーネストは気分良さそうに笑みを浮かべた。
メリエはその脅しに動じなかった。彼女は一歩前に出て、まっすぐアーネストを睨みながら口を開いた。
「ここで何をしているのです? もしこれが籠城のつもりならば、いったい何を求めているのですか」
「な、なんだよ。てめえにはもう関係な」
「答えなさい。何をしているのです?」
メリエが静かに問いかける。彼女の眼光はアーネストを釘付けにした。
少しでも動けば殺す。メリエの殺意がアーネストの心臓を鷲掴みにしていた。
「アーネスト。答えなさい。私は今質問をしているのです」
白薔薇騎士団ナンバー2は、心の底からキレていた。空気が張り詰め、凍りついていく。アーネストはここに来て、今自分が誰を敵に回しているのかを理解した。恐怖のあまり歯の根が噛みあわず。膝もがたがたと震えていた。
それでも彼は虚勢を張り続けた。患者を人質に取り、全身汗だくになりながら、それでも彼は不敵な笑みを消さなかった。反省も後悔も見せなかった。
「ま、待ってるのさ」
その時、不意にアーネストが言った。全員思わず身構え、アーネストがその様子をニヤニヤ笑って口を開く。
「俺の中のあれが目覚めるのをな。あの時は使わないでも勝てると思ったんだが、こうなったら話は別だ」
「だから何の話をしてるんだ。お前は何がしたいんだよ」
「俺は進化する。俺は進化して、次の領域に進む。俺は強くなるんだ」
ゾリの言葉を無視して、アーネストは一人で語ってみせた。その顔は喜悦に満ちており、全身から汗を垂れ流し、両目は視線が定まらず四方八方に泳いでいた。
「お、俺は進化するんだ。俺が最強なんだ。俺は最強なんだ」
口の端から涎を垂れ流しながら、アーネストが上ずった声を上げる。あきらかに異常だった。ベイルは若干引きつつ、それでもじっとアーネストを見つめた。
直後、アーネストの体が発光した。
「は?」
「うわっ!」
全員驚愕し、反射的に目を塞いだ。閉じた両目を腕で覆い隠す者もいた。そうして音もなく生まれた光は、彼らの視界を完全に殺してみせた。
「ひっ、ひひひっ、ひゃはははひひっ」
遠くからアーネストの笑い声が聞こえてくる。タガの外れた、理性をかなぐり捨てた狂喜の笑いだった。
やがて光が消えていく。アーネストの笑いはまだ消えていなかった。
「ひーっ、ひーっ……」
その内、笑い声もまた弱まっていく。それを合図に、ベイル達は恐る恐る目を開く。
そして目の前の光景を前に、全員が絶句する。
「どうだ。これが俺の真の姿だ」
そこには一羽のカラスがいた。正確には膝の関節が後ろに折れ曲がり、両腕が丸ごと翼に変わり、首から上がカラスの頭にすげ変わった、一人の人間が立っていた。
「なんだその恰好」
「すげー、怪人だ! どこで改造受けたの? すげー!」
ゾリが呆然と呟き、ミチが目を輝かせる。そんな彼らを赤い瞳で睨みつけながら、カラスの怪人はアーネストの声で言った。
「やり直しだ。場所は後から追って告げる。決闘の決着をつけるぞ」
アーネストはまっすぐベイルを見ていた。ベイルは困惑した。
「決着? コロシアムのあれのこと言ってるのか?」
「そうだ! あれが俺の実力ではない。これが俺の本当の力だ! 今度こそ貴様を八つ裂きにしてやる!」
アーネストが猛々しく吼える。そして相手の反論を待たぬまま、その体を再び白く輝かせていく。
「フォーチュンの加護は我にあり! 我こそ真の勝者よ!」
そしてその言葉を残し、カラス怪人は光と共に姿を消した。後にはベイルらと、解放され緊張の糸が切れて崩れ落ちる人質の患者、そして周りにいた他の患者たちだけが残された。
「なんなんだよ、これ」
そうしてカラスが消えた後、ベーゼスが呆然と呟く。誰もそれに答えられる者はいなかった。後から外の兵士や医師達がなだれ込んできたが、彼らからの問いかけにも満足な答えは用意できなかった。
ベイルの元に果たし状が届けられたのは、その数時間後であった。
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