闇よ盗むなかれ

尻鳥雅晶

†††

 背後には、奴らが迫っていた。


 俺は血走った目で、松明の明かりを迷宮の奥へと向けた。

 天然の洞窟を利用して造られた回廊が、

 ゆらめく光にその禍々しい胎内をさらけ出す。


 おっと、裂け目だ!


 恐ろしく硬いはずの壁が、考えたくもない何かの力に崩されて、ぽっかりと横穴を開けていた。

 俺は這うようにして、その中にもぐりこむ。

 奥には、安宿の部屋程度の空間が広がっていた……

 けちな盗賊がひとりぼっちでくたばるにゃ、ちょうどいいとこだぜ。

 脇腹の傷からは、血膿が噴き出していた。


 あのとき……


 くそじじいがドジさえ踏まなきゃ、こんな目に会わずにすんだのに。

 よりによって、呪文の途中で咳き込むんじゃねえよ。

 俺は、死にかけた魔法使いが最後に見せた奇妙な視線……

 もうすぐおっ死ぬってのに、澄みきった不思議な目付きを思い出した。


 魔物の逆襲をくらったじじいは、 俺の袖を掴むと、かすれた声でこう言いやがった。


『あとを頼んだぞ……』


 言う相手が違うぜ、まったく。

 いつもいつも俺に説教してたから、カン違いしたのかもな。

 俺はしがない盗人だ。頼みごとならあいつに言えってえの。


 あいつ……俺たちの頭、いや、頭だった男だな。

 俺たちを集めて、魔物の根源に挑んだ勇者どの。

 お気の毒に。


 魔法使いのじじいが倒れても、まだ助かる機会はあった。

 その剣がぽっきり折れなかったら。

 どうしてあの筋肉馬鹿は、親父譲りなんだか知らないが、古ぼけた剣を後生大事にしてたんだ?


 あいつが片腕を食い千切られたとき、俺は思わず口笛を吹いた。


 俺はずっと思ってたぜ。

 こいつはきっと俺のことを見下しているな、と思ってたぜ。

 宝箱の開け係としか、認めていないんだろう、って……


 いい気味だ。

 傷ついたあいつを見て、俺は頭の片隅でそう思った。


『逃げろ』


 あいつが魔物の前に立ちふさがり、俺に向かって言うまでは。

 魔法使いのじじいと同じ、変に澄みきった目で。

 おいおい、そんな台詞は恋人に言うもんだぜ。

 おまえの恋人の、僧侶の女に……


 俺がその日暮らしの盗賊稼業を止めて、

 魔物討伐なんぞの馬鹿話に乗ったのは、

 あの女…僧侶さまの、あの女がいたからだ。

 勇者どのと僧侶さまがデキてるってことに気付いたのは、

 もうすでに旅立った後だった。

 でもよ、俺は悪党だ。悪党らしく隙を見て、あの女を押し倒した。

 その聖衣を引き千切って思いを遂げようとしたそのとき、あの女は……


『あなたを信じます』


 そう言って、裸のまま身体の力を抜いて横たわった。

 俺はなぜか、それ以上何もできなかった…


『あなたを信じます』


 僧侶どのが最後に言ったのも、同じ台詞だった。

 澄みきった瞳で俺を見つめながら……

 魔除けの光を盗賊にかざす暇があったら、勇者どのの傷を直してやればよかったのに。

 そうすりゃ自分も助かったのかも知れなかったのに。


 そうさ。

 俺は惚れた女を見捨てて逃げた、クズ野郎よ。


 松明の明かりが、だんだんと小さくなる。

 俺の、残された命のように。

 俺は道具袋をあさって、薬草を取り出した。

 こんな雑草でも、痛み止めぐらいにはなる。


 雑草……


『雑草のように生きなさい』


 俺の耳に、ガキのころ聞いた言葉が蘇った。

 死にかけた人間が、昔のことを思い出すというのは、本当のことらしいぜ。


『雑草のように生きなさい』


 そう言ったのは、俺のおふくろだ。

 おふくろは、俺と一緒によく薬草摘みに出かけたもんだ。

 薬草は売りものじゃなかった。おふくろが自分で使った。


 そう、薬草には色々な種類がある。

 ある商売をしている女が、必要になる薬草もある……


 女手ひとつで息子をどうやって食わしているのか、

 そろそろ気付きかけていた俺は、おふくろにこう言い返した。


『雑草は弱いじゃないか!』


 ガキの俺は、薬草摘みに慣れて、少しばかり小賢しくなっていた。


 本物の雑草のことを知らない人間は、よくこう言う。


『雑草は、踏まれれば踏まれるほど強くなる』


 そんなわけがない。雑草は弱いから雑草だ。

 踏まれ過ぎれば、簡単に枯れてしまうんだ。

 雑草がそんなふうに強く見えるのは、枯れた後、もともと土の中に潜んでいた種や、風に乗って飛んできた種から、新しい雑草がすぐに生えてくるからなんだ。


 雑草は、雑草でしかねえよ。

 雑草に生まれたら、雑草で生きるしかねえよ。

 おふくろがそうじゃないか。俺だってそうじゃないか……


『……だからこそ、雑草のように生きるのよ』


 おふくろは俺にそう答えたっけ……


 そうだ……


 そのときの、おふくろの目付きは、あの奇妙に澄みきった瞳だった……

 俺の顔をのぞきながらも、どこか遠くを見つめる、夢みるような、それでいて、ゆるぎない何かを信じている瞳……

 あいつらと同じように……


 あれは、なぜ……







 神様。

 そうか、そうだったんですね。


 俺は気付いた。


 俺と同じような目に会ったすべての盗賊たちが、かならず気付く答に、俺もようやく気付いた。

 たったひとつの、残酷な答。

 その答は、迷宮の中に無数に転がっていたのだ。


 俺には……


 俺にはまだ、やらなければいけないことがある。

 ひとりの、雑草のように生きる人間として……


 俺は道具袋をあさって、松明の木切れや、針金、皮鎧など、使えそうなものを取り出した。

 うまく出来るかどうか分らない。そんなもの一度も作ったことはない。

 しかし、きっと出来るような気がした。


 日の射さない洞窟の中で、どのくらい時間がたっただろうか。

 やがて、それ、は出来上がった。

 ありあわせの材料で作ったそれは、おもわず笑ってしまうほど、今まで迷宮の中で見慣れたものとまったく同じだった。


 それは、ひとつの宝箱。


 まじないのかかった道具袋の布で裏打ちしたから、見かけよりはるかに頑丈だ。

 中に入れるものは、もちろん、手持ちの中で最も上等の武具だ。

 これは、どこで見つけた宝箱に入っていたんだっけ?


 最後に俺は、薬草を入れた。


 この薬草を使えば、俺はほんの少し長生きできるだろう。

 だけど、それよりもいい使い方がある。あるはずだ。

 俺たちと同じ志を持つ、誰かの手に渡るなら……

 そいつらはいつか、俺の宝箱を開ける。

 そいつらにとってこれが不要の物だったとしても、何かは伝わる。

 今の俺が気付いたように。


 俺は仕上げに取り掛かった。


 魔物の中には、ひどく利口なヤツもいる。

 そんな魔物にも開けられないように、慎重にカギとワナを仕掛ける。

 ワナがあれば、危険を避ける本能がある魔物は、宝箱に近づかない。

 持って行くことはあるだろうが、中身は盗まれない。

 そして、俺のような腕のいい盗賊にしか、これは開けられない。



 魔物の叫び声が近付いてきた。

 間に合ってよかった……


 おふくろ。


 生きているのか死んでるのか知らねえが、今度会うときゃ、胸を張っていられそうだぜ。

 あんたの息子は、とうとう立派な仕事をしたよ。


 臆病だから、逃げ足が速いから、最後まで生き残る。

 罪を犯したから、盗んだことがあるから、宝箱を作ることができる。

 弱いから、何もとりえがないから、ありもしない未来を夢見ることができる。

 けちな盗賊だからこそ、あいつらは俺に託した。


 俺は短剣を松明で焼くと、脇腹に押し付けた。

 いやな匂いと激痛をこらえると、しばらくは動けそうな気がした。

 漏らした小便で濡れた服も乾いた。

 俺は震える膝で立ち上がる。


 さあこい、魔物ども。


 おまえらから見りゃ、俺たちゃ確かに雑草さ。

 踏みつけられてくたばる、か弱い生き物さ。

 それでも、最後に勝つのは……


 袖でぬぐった短剣の刀身に、俺の顔が映っていた。

 くっきりとあらわれた死相の中、瞳だけが奇妙に澄み切っていた。

 おふくろや仲間と同じように……


 そこにあるのは、希望と呼ぶにはあまりにも捨て身の、雑草の願い。


……後に続く者を、信じる瞳。


 そうさ。

 俺はひとりぼっちで死ぬわけじゃねえよ。

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闇よ盗むなかれ 尻鳥雅晶 @ibarikobuta

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