【8月刊試し読み】タクミくんシリーズ完全版6
角川ルビー文庫
美貌のディテイル
季節が巡る。同じ景色を異なる彩りで、再びぼくに訪れる。
四月、快晴、月曜日。それは、なんとも華やかな一年間の始まりだった。
一面の桜吹雪。粉雪みたいにうす桃色の花びらがヒラヒラと舞い降る中、
「それにしてもさ託生、なんかさ、俺たちが最上級生なんて、ちょっと信じられないよな」
のっぽの上半身を少し屈めて、いかにも自信なさげに片倉利久が言った。
大振りのボストンバッグ。ずっしり重そうなパンパンに膨らんだそれも、大柄な利久が持つと相変わらず軽々という印象で。
「どうしてさ利久、ちゃんと順番どおりじゃないか」
ぼくは笑って、自分のボストンバッグを右手から左手へ持ち替えた。
バス停『祠堂学院前』から校門までの長くまっすぐに続く桜並木。両脇からアーチのように満開の桜の巨木が、百メートルはあろうかというこの通りに、文字通り“桜の花道”を形成していた。
「一昨年は一年生、去年は二年生、だから当然今年は三年生だよ」
「そーゆー問題じゃなくて!」
利久はバッグを持たない方の手で、ぎゅっと拳を握る。
おいおい、そんなに力を込めて否定しなくたっていいんじゃないか?
「だったらどういう問題なんだよ」
「だってさ託生、去年の三年生たちやけに貫禄あったじゃんかーっ。俺たち、なーんか負けてるよなあ」
続けた利久に、ぼくは更に笑ってしまう。
「誰も比べたりしてないって。おかしな心配してるなよ、利久」
「でもなあ、でもなあ」
「それに、別に負けてないと思うな、ぼくは」
負けないどころか、勝ってるような気さえする。
ここ、祠堂学院高等学校は、人里離れた山の中腹にポツンと、それも斜面にへばりつくように建っている全寮制の男子校である。一昨年に創立七十周年を迎えた由緒正しき学校で、その歴史と、ぐるりと雑木林に囲まれた(れっきとした私有林である)、この美事でゴージャスな桜並木ともども自然の豊かさという点では、国内のどの高校にも引けを取らないであろう。
昔は、それこそ良家の子息しか学べなかったそうだが(召し使いならぬお側仕えが二名まで許されていたそうだし)、現在ではぼくのような一般庶民がわんさと机を並べている。尤も、伝統を凌駕して余りあるとんでもなく御曹司な生徒も、一名ほど、いるにはいるが。
「ぼくや利久はともかく、うちの学年、精鋭揃いじゃないか」
「ああ、ギイとか?」
「そうだよ」
ギイこと、崎義一。アメリカから留学して来た、キレモノでツワモノで、世界的グループ企業代表の御曹司。華やかなバックグラウンド、それ以上に華やかな容貌の誰にとっても奇跡のような存在。
彼を胸に思い描くだけで、ぼくの気持ちは落ち着かなくなる。
仕方ないのだ。だって、つきあい始めてちょうど一年経つが、未だに彼がぼくの恋人だという事実が信じられないくらい、これといった取り柄のないぼくには過ぎた人なのだから。
仕方ないのだ。
分不相応の恋だと百も承知しているけれど、ぼくこそ、彼を好きなのだから。──去年の今日、ぼくはギイに告白されたのだ。
『いいか、よく聞けよ。オレは、託生が好きなんだ。お前以外の誰でもない。──後悔したくないんだ、託生が好きだ』
閉じ込められた廃墟の如くの音楽堂、ガラクタに埋もれたまっ暗闇の中で、彼はぼくの何もかもを包み込む温かさでキスしてくれた。
キス。や、今は、うっとり思い出してる場合じゃない!
「そ、それに、赤池くんや片桐くんや、矢倉くんもいるし!」
「まあね、そりゃそうだけどね」
「吉沢くんに野沢くん、あ、三洲くんもいるよ」
「それはそうなんだけどぉー」
「わかった。彼らがどんなに優秀でも、利久自身の評価にはこれっぽっちも繋がらないと、そう言いたいんだ」
主語は“俺たち”だったけど、要は利久個人の問題か。
利久はちろりとぼくを横目で見て、
「あーあ、優秀もコピーみたいに一瞬で転写できれば話は別なんだけどなー」
「ムチャ言うなあ、利久」
笑いが止まらない。
無邪気な発想も、相変わらずだね利久クン。
「だってさ託生、今年の三年は頼りないとか言われたくないじゃん。新入生にナメられるのもゴメンだし」
「こらこら、取り越し苦労してるなよ」
「えーっ、当然の懸念だと、俺は思うな」
「そうかなあ。舐めたいなら、勝手に舐めさせとけばいいじゃないか」
「おー! 久しぶりに出ました、託生的発想!」
利久が唸る。
「なんだよ、それ」
つい、ぼくは利久を睨んでしまった。
「マイペースというか、強気というか、周囲に関心がないというか」
「利久が気にし過ぎなんだって」
「そうかなあ」
「そうだよ」
「だって今年の一年生って、特別じゃんか。気にするなって方がどうかしてるぜ」
特別?
「何が?」
「何って、そりゃ──」
言いかけて、利久は唐突に言葉を切った。“ゃ”の形に口を開けたまま、前方に、視線が釘付けになる。
「利久……?」
釣られるように利久の視線を追って前方を見たものの、ランダムに歩く、似たようなボストンバッグを手に提げた新二、三年生たちのたくさんの背中、同じ制服の後ろ姿がざわざわ揺れているだけで、ぼくには利久に言葉を失わせるような何かを特定することはできなかった。
「──利久?」
「え? ――あ」
利久の視線が、ぼくへ戻る。
「どうかした?」
「ううん、全然!」
利久は不自然なくらい明るい表情で応えると、「それにしても、春になるたんびにカンドーするけど、祠堂の桜って壮観だよなあ」
その利久の頬を、柔らかい風が羽毛の軽さで撫でて通った。ただ一吹きの風に呆気なく花弁を散らした桜色のひとひらを、利久は儚いものを見るように目を細めて眺めると、
「桜って集団で咲いてるとドワッとしてて迫力あるけど、一枚一枚はえらく頼りないもんな」
頭上を仰ぐ。
その、えもいわれぬ眼差しに、ぼくはちょっと、セリフに詰まった。
急に利久がひどく大人びて映って、春休み、顔を合わせていない期間はたった数週間だったのに、かれこれ二年以上のそれなりに濃いつきあいであるはずの利久の、けれど初めて目にする表情に、どうリアクションしたものか、一瞬、考えあぐねてしまったのである。
──利久、もしかして、桜に誰かの姿を重ねてる?
「そういえば。去年も新学期の入寮日は、利久と登校したんだったよね」
昨年はカレンダーの都合で入寮日が日曜日に当たったせいで、利久は「一日損した」と子どものように拗ねながら、ぼくと、この桜並木を歩いたのだ。
ひょろりとした長身の利久。図体ばかりデカくても中身は幼稚園児止まりだとあの時散々からかったのに、いつの間にそんな眼差しをするようになったんだい。
「あっ、そうか。一学期の入寮日は、託生、俺と一緒だったんだ」
いきなりいつものあどけない表情に戻って、利久が破顔した。「忘れてた。一学期の入寮日だけは託生、俺とだったっけ」
「忘れるなよ。薄情者」
「たっ、託生に薄情って言われた。うわ、この世の終わりだ」
「この世の終わりとまで言う? 失礼だな、利久」
「へへへ。ごめん。だって、あとはずーっと違ってたから。俺たち、別行動だったから。託生いつもギイと行動してたから、勘違いしてた」
「――まあね」
利久に失念されるくらい、確かにぼくはギイとべったりでしたね。否定できないですね。「なんかさあ、託生とせっかくそれまでつるんでたのに、クラスも寮の部屋も別々だと、やっぱ、そうはくっついていられなくなるもんだよなあ」
友情は途切れたりしないのだが、濃度は確実に変化する。
新しい学年、新しいクラス、新しい寮の同室者。いやでも新しくなる人の流れと、それぞれに別のコミュニティーができて、それまでのようには交われなくなる。それはやむを得ないことだとわかっているが──。
去年はギイと寮の部屋もクラスも一緒であったが、その前の年は利久がぼくと同室で、同じクラスだった。何をするのもどこへ行くのも、利久はいつもぼくを気にかけてくれていて、ギイに命名された人間接触嫌悪症の重症患者で、どうしても集団生活にうまく馴染めずにいたぼくを、利久なりにフォローしてくれていたのだ。
あんなに年中一緒にいたのにちょっと環境が変わっただけで(いや、ギイの登場による環境の変化は“ちょっと”で済まされる問題ではないが)めっきりご縁が薄くなり、
「……そうか。そういうものなのか」
ぼくはつい、溜め息を吐いてしまった。
「なに? どした、託生?」
わかってはいるが、他人の口から指摘されると重みが違う。
「部屋が駄目なら、せめてクラスくらい、同じになりたかったなあ」
「だろ? だろ? な、託生も俺と一緒がいいよな」
「――は?」
「は? ってなに。なんでそんな呆れたような目で俺を見るんだよ」
利久はむくれて、「イマ! 今、託生が、せめてクラスくらい俺と同じになりたかったって言ったから、俺も同意しただけじゃんか」
「違うよ利久、去年の利久とのことを嘆いたわけじゃないよ」
「じゃあ、なんだよ」
文句をつけてから、利久は、あ、と口を開いた。そして、「ギイ、階段長就任おめでとう、なんだって?」
そのとおりでございます。
「それで託生、今日はギイと一緒じゃないんだ? それで珍しく、俺を誘ってくれたんだ?」
「珍しくは余分だろ」
いくら疎遠になりがちだって、「去年もちょくちょく一緒に出掛けてたじゃないか。人聞きの悪いこと言うなよな」
「事実だもん。人聞き悪くても自業自得だよーだ」
利久はひひひと笑って、「そういえば、階段長って入寮が俺たちより一日早いってマジ?」
「うん。新学期だけ、そうらしいよ」
ギイはもう、昨日のうちに祠堂に来ている。
さすがのギイも、オレにつきあってお前も一日早く入寮しろとは、誘わなかった。
「気の毒になあ、ギイ、春休み、一日少なかったんだ」
「いつもながら日数にこだわるねえ、利久」
「そりゃ休みは貴重じゃん」
「利久的にはそうだよね」
実家で過ごす休みが大好きだものな。
でも、そうだよね。一年前の春には想像すらできなかったけど、ぼくもギイと過ごした春休みが、もっと、ずっと、続いてくれたらと、願ったよ。
「階段長かあ。いいなあギイ、これから一年間、ずっと個室なんだ」
羨ましいなあと続けた利久は、「それで、つまり、託生は寮の部屋のみならず、クラスもギイとは別々になってしまったと?」
「はい、まったくそのとおりでございます」
「そっかー、託生、ギイと気が合ってたもんな。離れると寂しいか。そうかそうか、やっぱりそうか」
気立ての良い利久は、ありがたいくらいノーマルなラインで納得してくれる。
いくら利久がぼくとギイの深い関係を知らなくても、もし利久のキャラクターが赤池章三と同タイプだとしたら、この機に乗じて(冗談であれ)痛くない腹を探るような、そういうつっこみをしてよこしたであろう。
「利久と離れた時も、寂しかったよ」
優しい、利久。
正直にぼくが言うと、いきなり利久は赤面して、
「た、託生、もう自分のクラス、知ってんだ」
照れて、慌てて、話題転換を試みる。
「ギイの情報網の恩恵に浴したからね」
優しい利久、もしかして、
「──俺は?」
「なに?」
「俺と託生、またしてもハナレバナレ?」
この春休みに、何かあった?
「大正解」
「げ。がっくり」
「でも利久、去年同じ部屋だった岩下政史くん、彼は利久と同じクラスだよ」
言った途端、利久はギクリと足を止め、ぼくを見下ろす。
「え? あれ? 嬉しくない?」
おかしいな、教えたら喜ばれるかとリークしたのに。けっこう仲良くやってたのに、どうしてカタマッてるんだ、利久?
硬直していた利久は、やがてこれ以上もなく複雑そうな表情で、
「託生、俺、どうしよう!」
いきなりぼくに抱きついた。
さあ、弱った。
ぼくは270号室のドアの前、廊下に立ち尽くしていた。
『ねえ葉山くん、来年、俺と同室になろう』
昨年の秋、文化祭最終日、林の中で告げられたあれは、予言か? 予言だったのか!?
「だとしたら、さしずめ三洲くんは予言者か!?」
──ああ。
早々に決定するクラス割りはともかく、寮の部屋割りは直前まで、それこそ本日、発表当日の朝まで不明なので(部屋割り編成担当の諸先生方誰もが納得する部屋組みがそうそうできない証明の如く)、マッハのスピードで情報をゲットするギイですら、この事実を今朝知ったことになる。
昨年、ぼくと同室だと春休み中にギイが知っていたのは、葉山託生の同室者は崎義一と暫定的に組み合わせが決まった時点で、ギイならば誰が同室でも異議を唱えることはないであろうと、そういう男だとわかってはいるものの、さすがに相手があの葉山託生なので一抹以上の不安が消せなかった心配性の担任の松本先生が、全く個人的に、打診という名の“お願い”を、ギイに電話でしてよこしたという経緯があったからなのだ。
『三洲はなあ、掴みにくい男だからなあ。――三洲、オレのこと、嫌ってるんだ』
こぼしたギイ。
よって今現在、ギイの胸中もぼくと同じくらい複雑に違いない。
「でも本当に同室になるなんて……」
昨年、後期の生徒会長にダントツトップで当選した三洲新。彼は、今期、前期生徒会長にも同じくダントツトップで当選し、ギイとはまた別の意味で、人望の厚い人物なのである。
偶然の産物か? それとも、ナニカノ策略ガ──。
「駄目だ、考えると滅入ってくる」
対人関係が特技のあのギイが掴みにくいと評した男だ。苦手だと、敬遠していた相手だ。ぼくなんかが一億数千万人束になってかかったところで、思惑どころか、まともな会話すらできないかもしれないってああ、こんなに弱気になってる場合じゃないのに!
どうしよう。
賑やかな往来の廊下、それ以上に賑やかな周囲の部屋では、各人がそれぞれの部屋をそれぞれ自分好みに作り替えている真っ最中。
どうしよう。
しかも、270号室は、去年まで三洲が使っていた部屋なのだ。祠堂に在籍する三年間、見聞を広めるためとかどうとかの前提の元、一度同室になった者同士は翌年翌々年、同室相成らぬという(利久曰く、見聞は広くなるだろうが了見の狭い)寮則のせいで、ルームメイトは二度と再び同じ面子になることは絶対にないのだが、同じ部屋を翌年も使うことになるのは、ごくたまにあるケースだった。
ふたり同時に「はいスタート」ならいざ知らず、
「これじゃまるで、三洲くんの部屋にぼくが居候させてもらうみたいだよ」
新参者。後から来た者は、立場が弱い。
どうしよう、マジに、どうしよう。
ノックができない。ドアを開けられない。
「三洲くんって、もう入寮してるのかなあ」
まだだとしたら少しは気が楽なのだが、その時、ドアの内側から何か硬いものが壁か床にぶつかった、ゴンという低い音が聞こえてきた。
ぼくは迷わず、回れ右をした。
したのに、だが、前へと一歩も進めなかった。
「やあ」
愛想の良い笑顔が、目の前五センチのところにあった。
反射的に後ろへ飛びのき、ドアへしたたか背中をぶつけたぼくを、三洲が笑う。
「森でクマに出交したような目で俺を見ないでくれないかな、葉山くん」
うっかり落としてしまったボストンバッグを、親切にも拾ってくださる。
「や、いや、そんなつもりじゃ……」
「もしくは、音楽堂で幽霊だ」
サラリと続けた三洲に、ぼくはそれこそギクリと彼を凝視する。――音楽堂?
無言のまま三洲を凝視したぼくへ、
「なに?」
不思議そうに訊き返した彼は、だが、「いつまでもドアの前で立ち話しているのもおかしいな。部屋へ入らないか」
ぼくのボストンバッグを提げたまま、音楽堂にこだわるでもなく──つまり、さっきのアレはカマをかけられたわけではなく──ぼくを室内へと促した。
良かった、知ってるわけじゃないんだ。
「露骨にホッとした表情するね」
ぼくの脇を擦り抜けてドアのノブを回しながら、チラリと横目で、三洲が言った。
「え?」
発言の意図と意味が掴み切れずにいるぼくを三洲は取り合いもせず、開いたドアの内側へ、
「真行寺、終わったか」
まっすぐに入って行った。
真行寺?
覗くとそこに、文化祭で一躍有名人になった一年生の、いや、もう二年生か、剣道部の主力選手で、外国の童話から抜け出たような王子様なルックスと評判の、真行寺兼満がいた。
うっかりぼくが林の中で三洲とのキスシーンを見せられてしまった(あれは絶対、見てしまった、ではなく、見せられてしまった、だ!)、あの、背の高い彼である。
三洲に大いに翻弄されていた下級生。唖然としたのち、愕然と、憤然と、ぼくを見ていた眼差しが、未だ記憶に鮮明だ。
ゴンの主は彼だったのか。
「一目瞭然っすよ」
真行寺は複雑そうな眼差しで頭半分小柄な三洲を見下ろすと、腰に手を当てて、「手伝えって言うから来てやったのに、自分はさっさといなくなって、俺ばっかにやらせてさ。そうゆうの、手伝うってんじゃなくて代行ってのじゃないの?」
クレームをつける。
つけながら、三洲の手からぼくのボストンバッグを取ると、黙って三洲の荷物が並んでいない方、空いた机の上へ、ドサリと置く。──ホテルのポーターか、レディファーストの紳士のように。
おかしな雰囲気のせいで、荷物を(結局ふたりに)運んでもらってしまったことになるのにぼくは礼のひとつも言い出せない。
だが三洲は真行寺のクレームなどどこ吹く風で、
「片付けは大変でも、俺の荷物に触れて嬉しかっただろ、真行寺」
言い放った。
真行寺は更にムッとして、
「ああ、ああ、すっげー嬉しかったよ。喜びのあまり、アラタさんの洋服全部にツバつけといてやったからな」
アラタさんは俺のものって。
三洲は短く鼻で笑うと、
「真行寺、紹介するよ。今年俺と同室になる『葉山託生くん』だ」
真行寺の精一杯の嫌がらせ(?)すら本気で受けず、さっさと別の話題へ進む。
「あ、どうも、真行寺兼満っす!」
うっかりつられて、真行寺がぼくへと快活に挨拶して頭を下げた。体育会系らしい、ぴしっとした一礼だ。
下げてしまってから、悔しそうに三洲を睨む。つられた自分が憎いのか、どこまでも憎たらしい三洲が憎いのか、ゴッチャになってわからない、という表情で。
──このふたり、常にこういう状態なのだろうか。
チェッと口の中で舌打ちして、真行寺は肩で大きく息を吐くと、
「もういい。俺、帰るわ」
どうも、とぼくに会釈して、270号室から出て行った。
意外だった。真行寺にとってマズいシーンに遭遇していたぼくを、彼は、これっぽっちも気にしていないようだった。
「室内の右半分を使うか左半分を使うか、選択は先着順という決まりだから、後から来た葉山は左半分。いい?」
不機嫌に部屋から出て行った真行寺のことなどまるきり眼中にないような三洲は、至って普通にぼくに訊く。
「使い慣れてるから、却って助かるけど」
ぼくが応えると、三洲はふうんとぼくを眺めて、
「ベッドの位置が去年と同じだからって、夜中に寝ぼけて、俺と崎を間違えたりしないでくれよね」
と続けた。
「はあ?」
「悪いけど、俺はきみとはそういうこと、できないから」
「はああ!?」
なん、なん、なんなんだ、この男!
「葉山、崎とデキてるんだろ」
「え…………」
あまりにストレートなご質問(いや、ご指摘か?)。
絶句したぼくに、
「駄目だなあ、こういう時はウソでも表向きはちゃんと否定しろよ」
「否定しろったって、三洲くん!」
絶句だけでは足りないですか!?
動揺するぼくなどヤハリ相手にもしてくれず、飽くまでクールな三洲は、
「これから一年間同室なんだから、うまくやっていくために極力隠し事はナシって方向でね」
「はあ……」
とはいえ文化祭でのキスシーンはたまたまだったと思うのだが、だから真行寺の在室を、誤魔化す隠すではなくて、「三洲くん、真行寺くんとつきあってるんだ」
ひっくるめて、ぼくには早々にバラしてくれたわけですか。
「だが残念ながら、デキてるわけじゃない」
「え? でも」
キスしてたのに?
「あいつはどうでも、俺は真行寺に恋してるわけじゃないからな」
そうなのか!? ──いや、待て、そういや、いかにもそれっぽいよな。真行寺クン、惚れた弱みに思いっきりつけ込まれてるって感じだもんな。
だがしかし、恋してもいない相手と、どうしてキスできたりするんだろうか、三洲くん?
「俺たちのことはともかく、葉山は、崎なんかのどこが好きなわけ?」
「え――?」
なんか、ときましたか。なんか、と!
祠堂広しと言えども、ギイを“なんか呼ばわり”できる生徒は、この人以外にいそうにない。──確執、けっこう、根が深そうだ。
「どこって、うーん……」
「なんだ」
三洲はクスリと笑う。「考えなきゃわからないのか?」
「その……、全部と言ったら月並みかと思って。もうちょっと気の利いた答えを出したいんだけどね」
応えた途端、三洲は少し顎を引くと、
「──本当は?」
低く、訊いた。
「全部。全部、好きだよ」
彼がぼくに対してそうであるように、良いところも悪いところも何もかも、ひっくるめて、ギイが好きだ。
「へえ」
「うん」
「おめでたいな、葉山」
肩を竦めて、三洲が皮肉る。
「別にめでたくはないと思うけど」
つい、はにかんでしまったぼくに、
「イヤミだ、今のは」
釘を刺すように、三洲が念を押す。
わかってますよ、そんなこと。
でも、ギイの名前が出ただけで、口元がほころんでしまうのだ。勝手に、気持ちがトキメクのだ。
「とにかく」
三洲は仕切り直すような口調で、「他人に余計な干渉をしない、踏み込んでこない、いたずらにあれこれ知りたがらない、無責任な噂話をしない。葉山は世間に疎くて、同室の相手にはちょうど良い」
ぼくを見た。
誉められているのか貶されてるのか、まるきりわからない。
当惑気味のぼくに、
「つまり、最適の同室者として高く評価してるってことだよ」
三洲が結論づけた。
「つまり……」
「そう、つまり、俺は葉山と同室で良かったと喜んでいるわけだ」
本当に!?
『ねえ葉山くん、来年、俺と同室になろう』
「だったら三洲くん、もしかして、文化祭の時のあれは──」
予言じゃなくて宣告だったのか!?
「あれ? って、ああ!」
三洲は愉快そうに手を叩くと、「違うよ、だからといって寮の部屋割り、工作なんかしてないから」
そうなのか!?
いやでもギイですら、寮の部屋割りには手が出せないって言ってたし。いやでも、生徒会長ともなれば、もしかしたら、いやでも――。
「偶然の産物だよ。俺は引きが強いんだ」
その説明、鵜呑みにしても大丈夫なのか!?
「ともあれ葉山、一年間よろしくな」
──前途多難、かもしれない。
【8月刊試し読み】タクミくんシリーズ完全版6 角川ルビー文庫 @rubybunko
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